婚約破棄された令嬢ですが、国が自走し始めたので私はもう口出ししません

ふわふわ

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第十八話 返事をしないという選択

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第十八話 返事をしないという選択

 王太子アドリアン・ルクレールからの書状は、机の上に置かれたまま、一晩が過ぎた。

 私は、あえて触れなかった。

 開けば、言葉がある。
 謝罪か、後悔か、それとも都合のいい願いか。
 どれであっても、そこに書かれている内容は、読む前から想像がつく。

 だからこそ――
 私は「返事をしない」という選択肢を、静かに選んでいた。

「……開けなくて、よろしいのですか?」

 朝の光が差し込む書斎で、マリアが控えめに問う。

「ええ」

 私は頷き、書類の束に目を落としたまま答える。

「今すぐ読む必要はないわ」

 それは、逃げではない。
 拒絶でもない。

 ただ、
 王家の時間軸に、私が合わせる理由がないだけだ。

「王太子殿下は、かなり追い詰められているようです」

「でしょうね」

 私は淡々と返す。

 象徴を失い、
 均衡を失い、
 そして、頼れる存在をすべて失った。

 その結果として、
 ようやく“助けを求める”という行動に出た。

 ――あまりにも、遅すぎる。

 その頃、王城では。

「……まだ、返事は来ていないのか」

 アドリアンは、何度目か分からない問いを投げた。

「はい」

 側近は、慎重に答える。

「ローゼンベルク公爵令嬢からの返書は、届いておりません」

 沈黙。

 机の上には、アドリアン自身が書いた手紙の下書きが残っている。
 推敲を重ね、言葉を削り、
 ようやく“王命ではない形”に整えた文面。

 だが、その努力が、
 相手に届く保証はどこにもない。

「……無視、か」

 呟いた声は、驚くほど小さかった。

 かつて、
 彼女が自分の判断を待ち続けていた頃、
 返事を後回しにしたことは、何度もあった。

 今、その立場が逆転している。

「殿下」

 宰相が、静かに口を開く。

「返事がないというのも、一つの返答です」

 アドリアンは、苦く笑った。

「……そうだな」

 彼女は、
 急がない。
 焦らない。

 なぜなら、
 今の彼女には、
 選択肢があるからだ。

 一方、修道院では。

 リーネは、早朝の祈りを終え、
 静かな回廊を掃除していた。

 石床に響く箒の音は、単調で、心を落ち着かせる。

「……不思議ですね」

 隣で作業していた修道女が、柔らかく微笑む。

「何が、ですか?」

「ここでは、誰も期待しすぎない。
 だから、失敗しても……怒られない」

 リーネは、少し考えてから答えた。

「……はい」

 聖女だった頃、
 期待は常に“成功前提”だった。

 奇跡が起きて当然。
 起きなければ、失望される。

 だが今は違う。

 できないことは、できないと言っていい。
 分からないことは、学べばいい。

「……エルミナ様は」

 ふと、名前が口をつく。

「ずっと、こんな重さの中で、
 立っていたんですね」

 修道女は、静かに頷いた。

「支える人ほど、
 その重さを口にしませんから」

 リーネは、箒を止め、
 胸の奥で、何かが静かにほどけていくのを感じた。

 同じ頃、私は隣国政庁で、地方領主たちとの会合に臨んでいた。

「王家を通さず、直接協議したい」

 その申し出は、もはや珍しくない。

「条件次第です」

 私は、あくまで冷静に答える。

「私が保証するのは、判断の透明性だけ。
 利益は、交渉の結果次第です」

 彼らは、頷いた。

 甘言も、権威も必要ない。
 必要なのは、
 話が通じる相手かどうか。

 会合が終わり、
 私はようやく、机の上の書状に目を向けた。

「……まだ、開かれませんか」

 マリアが、そっと言う。

「ええ」

 私は微笑んだ。

「返事をしない、というのはね」

 少し間を置いて、続ける。

「相手に“考える時間”を与えることでもあるの」

 王家は、
 これまで考えなかった。

 頼ることの意味も、
 支えることの重さも、
 失った後の現実も。

 今は、考える番だ。

「……私は、待ちません」

 だが、
 待たせることは、する。

 夜。

 私は、書斎の灯りを落とし、
 最後に一度だけ、封蝋の紋章を見た。

 王家に残された手札。
 それが、
 私の名であるという事実。

 だが、
 その札を切るかどうかは、
 私自身が決める。

 返事をしないという選択は、
 拒絶ではない。

 それは、
 主導権を、
 完全にこちらへ引き寄せる行為だった。

 ――王家が、その沈黙に耐えられるかどうか。

 それこそが、
 次に試される問いだった。
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