お金がありすぎて困っています。 ――その言い方、嫌な女にしか聞こえませんわ』

ふわふわ

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第2話 金に執着する公爵令息

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第2話 金に執着する公爵令息

 プロフィット・ベルフラワー公爵令息は、帳簿の数字を眺めながら、苛立ちを隠そうともせず指先で机を叩いていた。
 分厚い革表紙の帳簿は、彼にとって信頼できる数少ない友である。数字は嘘をつかない。裏切らない。感情に左右されない。――少なくとも、彼はそう信じていた。

「……やはり、おかしい」

 低く呟き、もう一度、同じ頁をなぞる。
 ベルフラワー公爵家の財政は健全だ。少なくとも表向きは。先祖代々の蓄え、領地からの収入、関税、鉱山。どれも不足はない。
 それなのに、彼の胸の内には、いつも小さな不安が巣食っている。

 ――もっと、増やせるはずだ。
 ――増やさねばならない。

 それは責任感でも使命感でもない。
 ただ、金が減ることへの恐怖だった。

 扉が控えめに叩かれる。

「殿下、失礼いたします」

 入ってきたのは、近習の青年だった。
 彼は書類を差し出しながら、わずかに言い淀む。

「社交界の動きについての報告です」
「噂か?」

 プロフィットは顔を上げずに答えた。
 最近、噂話の類は無視できなくなっている。特に――婚約者に関するものは。

「……フレッジリン侯爵令嬢の件で」

 指が止まる。

「またか。で、今度は何だ」

「侯爵家は、かなり資金繰りが苦しいのではないか、と」

 プロフィットは、ゆっくりと顔を上げた。
 その目に浮かんだのは驚きではなく、どこか納得したような光だった。

「やはり、そう見えるか」

「殿下も、そのようにお考えで?」

「考えない方がおかしいだろう」

 彼は椅子に深く腰掛け、指を組む。

「毎回違う高価なドレス。宝石も同様だ。同じものを身につけているのを、私は一度も見ていない。
 あれが浪費でなければ、何だと言う?」

 近習は口を開きかけ、しかし黙った。
 反論の余地がない、と判断したのだろう。

「若くして家督を継ぎ、女一人で侯爵家を切り盛りしている。
 経験も浅い。判断を誤っても、不思議ではない」

 それは理屈の形をした偏見だったが、プロフィット自身は気づいていない。

 彼の脳裏に浮かぶのは、婚約の場で見せるシグネットの落ち着いた微笑みだった。
 何を考えているのか分からない表情。
 感情を見せず、金の話をすれば淡々と受け流す態度。

(あれは……隠している顔だ)

 プロフィットは、そう結論づけていた。

 金に困っている者ほど、余裕を装う。
 弱みを見せれば、食い物にされるのが貴族社会だ。

「父上が決めた婚約とはいえ……」

 呟きは、独り言に近い。

「もし、侯爵家の借金を、我が公爵家が肩代わりすることになったら?」

 考えただけで、胸が締めつけられる。
 それは“損”だ。
 彼にとって、許容できない類の未来だった。

 その日の午後、サロンで彼はリス・クライム伯爵令嬢と顔を合わせた。
 彼女は柔らかな笑みを浮かべ、さりげなく隣に座る。

「殿下、最近お顔色が優れませんわね」

「そうか?」

「ええ。皆さま、心配していらっしゃいますのよ。
 婚約の件も……」

 プロフィットは、わずかに眉をひそめた。

「何か聞いているのか?」

「いえ、確かなことではありませんけれど……」

 リスは扇子を口元に当て、声を潜める。

「フレッジリン侯爵家、かなり無理をなさっているとか。
 男爵家筋から、そういう話を耳にしましたの」

 男爵家――
 その言葉に、プロフィットは疑念を抱かなかった。
 下位貴族の方が、時に内情に通じていることもある。

「やはり、そうか」

 彼は深く頷く。

「殿下……」

 リスは、同情を帯びた視線を向ける。

「もし、あのまま婚約が続けば、ベルフラワー公爵家の財産まで……」

 その言葉は、最後まで言わなくても十分だった。

 プロフィットの脳裏に、最悪の光景が浮かぶ。
 帳簿の数字が減っていく。
 先祖の築いた財が、別の家の穴埋めに消えていく。

「……それは、避けねばならん」

 彼の声は、低く固かった。

 婚約とは、感情ではない。
 家と家の契約だ。
 そこに“損”があれば、見直すのが当然だ。

「殿下は、間違っておりませんわ」

 リスは、そっと微笑む。

「公爵家を守るためのご判断ですもの」

 その言葉は、彼の背中を強く押した。

 夜、屋敷に戻ったプロフィットは、再び帳簿を開いた。
 数字を見つめながら、彼は確信する。

(切るべきだ)

 金に困っている女侯爵。
 どれほど気高く振る舞おうと、現実は変わらない。

 ――婚約を破棄する。

 それが、最も合理的で、最も賢い選択だと、彼は疑わなかった。

 そしてその決断が、
 自分自身の“価値”を試す一手であることに、まだ気づいていなかった。
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