お金がありすぎて困っています。 ――その言い方、嫌な女にしか聞こえませんわ』

ふわふわ

文字の大きさ
14 / 40

第14話 負けを認めない者の理屈

しおりを挟む
第14話 負けを認めない者の理屈

 ベルフラワー公爵家の執務室は、昼間だというのに薄暗かった。

 分厚いカーテンが閉め切られ、外の光を拒んでいる。
 まるで、この部屋だけが、時間から取り残されたかのようだった。

 机に向かうプロフィット・ベルフラワー公爵令息は、同じ帳簿を何度もめくっていた。

 小麦の価格。
 在庫量。
 維持費。

 どの数字を見ても、結論は同じだ。

(赤字……いや、まだ確定ではない)

 彼は、帳簿を閉じ、深く息を吐いた。

「落ち着け……」

 独り言のように呟く。

 確かに状況は良くない。
 だが、破滅だと決めつけるほどではない――そう考えたい。

 売らなければ、損は確定しない。
 時間を稼げば、いずれ市場は持ち直す。

(過去にも、こういうことはあった)

 一時的な値崩れ。
 過剰反応する商人たち。
 そして、最後に利益を得るのは、動かなかった者だ。

 そう、自分はその側にいるはずだった。

「……執事」

 扉の向こうに声をかけると、すぐに執事が姿を現す。

「何か、新しい動きは?」

「……市場は、依然として低迷しております」

 慎重な口調だった。

「外国産小麦の流入も止まらず、価格は――」

「もういい」

 プロフィットは、手を振って遮った。

「同じ報告は聞き飽きた」

 執事は一礼し、言葉を飲み込む。

 その様子に、プロフィットは苛立ちを覚えた。

(なぜ、皆こうも悲観的なのだ)

 まだ何も終わっていない。
 終わったかのように振る舞うから、余計に状況が悪く見える。

「……使用人たちが、不安がっているようです」

 執事が、控えめに続ける。

「倉庫の整理や、人員の件で……」

「余計なことを言うな」

 声が、思った以上に強くなった。

「今は耐える時だ」
「慌てて動けば、余計な損を招く」

 執事はそれ以上何も言わず、静かに下がった。

 扉が閉まると、執務室には再び沈黙が落ちる。

 プロフィットは、椅子に深く腰を下ろし、天井を見上げた。

(……なぜ、こうなった)

 一瞬だけ、そんな疑問が浮かぶ。

 だが、その答えに向き合うことはしなかった。

(私の判断が間違っていたわけではない)

 市場が悪い。
 外国産が無秩序に流れ込んだ。
 愚かな商人たちが、安値で投げ売りをした。

 原因はいくらでも挙げられる。

 ――自分以外のところに。

 その時、ふと、別の存在が頭をよぎる。

 シグネット・フレッジリン侯爵。

 かつての婚約者。
 今は、噂の女。

(あいつは……)

 社交界で囁かれている話を思い出す。

 金に困っている。
 借金を抱えている。
 豪華なドレスで身を飾るのは、見栄のため。

「……ふん」

 プロフィットは、口元を歪めた。

(ならば、まだ私の方がましだ)

 自分は市場の波に巻き込まれているだけ。
 だが、あの女は、己の浪費で首を絞めている。

(いずれ、行き詰まる)

 そう考えることで、胸の奥の焦りが、少しだけ薄れる。

「……結局」

 誰にともなく呟く。

「最後に困るのは、あちらだ」

 自分は、まだ選択肢を持っている。
 名門公爵家の令息としての立場も、人脈も。

 だが、女が若くして当主を務めるなど、無理がある。
 支えを失えば、簡単に崩れるはずだ。

(そうだ……)

 プロフィットは、無理やり納得する。

(私は、負けていない)

 今は苦しい。
 だが、それは一時的なもの。

 耐え抜いた先には、必ず報いがある。

 その確信だけが、彼を支えていた。

 夕方になり、執務室に差し込む光が、わずかに変わる。

 カーテンの隙間から見える空は、薄曇りだった。

(……市場も、いずれ晴れる)

 そう信じたい。

 しかし、机の上に置かれた帳簿は、何も語らない。
 そこに並ぶのは、減り続ける数字だけだ。

 それでも、プロフィットは帳簿を閉じた。

 見なければ、考えなければ、
 まだ“終わっていない”と思える。

 この時点で、ベルフラワー公爵家は、
 すでに明確な破綻寸前にあった。

 だが――
 プロフィット・ベルフラワー公爵令息は、
 その事実を、最後まで認めるつもりはなかった。

 なぜなら、負けを認めた瞬間、
 彼の中で築き上げてきた
 「自分は賢い側の人間だ」という理屈が、
 音を立てて崩れてしまうからだ。

 だから彼は、今日も言い聞かせる。

 これは失敗ではない。
 これは敗北ではない。
 ただの、運の悪さだ――と。

 その理屈こそが、
 彼を完全な破滅へと導く、
 最後の足場であることを、まだ知らずに。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

あなたに嘘を一つ、つきました

小蝶
恋愛
 ユカリナは夫ディランと政略結婚して5年がたつ。まだまだ戦乱の世にあるこの国の騎士である夫は、今日も戦地で命をかけて戦っているはずだった。彼が戦地に赴いて3年。まだ戦争は終わっていないが、勝利と言う戦況が見えてきたと噂される頃、夫は帰って来た。隣に可愛らしい女性をつれて。そして私には何も告げぬまま、3日後には結婚式を挙げた。第2夫人となったシェリーを寵愛する夫。だから、私は愛するあなたに嘘を一つ、つきました…  最後の方にしか主人公目線がない迷作となりました。読みづらかったらご指摘ください。今さらどうにもなりませんが、努力します(`・ω・́)ゞ

王女殿下のモラトリアム

あとさん♪
恋愛
「君は彼の気持ちを弄んで、どういうつもりなんだ?!この悪女が!」 突然、怒鳴られたの。 見知らぬ男子生徒から。 それが余りにも突然で反応できなかったの。 この方、まさかと思うけど、わたくしに言ってるの? わたくし、アンネローゼ・フォン・ローリンゲン。花も恥じらう16歳。この国の王女よ。 先日、学園内で突然無礼者に絡まれたの。 お義姉様が仰るに、学園には色んな人が来るから、何が起こるか分からないんですって! 婚約者も居ない、この先どうなるのか未定の王女などつまらないと思っていたけれど、それ以来、俄然楽しみが増したわ♪ お義姉様が仰るにはピンクブロンドのライバルが現れるそうなのだけど。 え? 違うの? ライバルって縦ロールなの? 世間というものは、なかなか複雑で一筋縄ではいかない物なのですね。 わたくしの婚約者も学園で捕まえる事が出来るかしら? この話は、自分は平凡な人間だと思っている王女が、自分のしたい事や好きな人を見つける迄のお話。 ※設定はゆるんゆるん ※ざまぁは無いけど、水戸○門的なモノはある。 ※明るいラブコメが書きたくて。 ※シャティエル王国シリーズ3作目! ※過去拙作『相互理解は難しい(略)』の12年後、 『王宮勤めにも色々ありまして』の10年後の話になります。 上記未読でも話は分かるとは思いますが、お読みいただくともっと面白いかも。 ※ちょいちょい修正が入ると思います。誤字撲滅! ※小説家になろうにも投稿しました。

【完結】え?今になって婚約破棄ですか?私は構いませんが大丈夫ですか?

ゆうぎり
恋愛
カリンは幼少期からの婚約者オリバーに学園で婚約破棄されました。 卒業3か月前の事です。 卒業後すぐの結婚予定で、既に招待状も出し終わり済みです。 もちろんその場で受け入れましたよ。一向に構いません。 カリンはずっと婚約解消を願っていましたから。 でも大丈夫ですか? 婚約破棄したのなら既に他人。迷惑だけはかけないで下さいね。 ※ゆるゆる設定です ※軽い感じで読み流して下さい

婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!

みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。 幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、 いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。 そして――年末の舞踏会の夜。 「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」 エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、 王国の均衡は揺らぎ始める。 誇りを捨てず、誠実を貫く娘。 政の闇に挑む父。 陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。 そして――再び立ち上がる若き王女。 ――沈黙は逃げではなく、力の証。 公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。 ――荘厳で静謐な政略ロマンス。 (本作品は小説家になろうにも掲載中です)

宮廷外交官の天才令嬢、王子に愛想をつかれて婚約破棄されたあげく、実家まで追放されてケダモノ男爵に読み書きを教えることになりました

悠木真帆
恋愛
子爵令嬢のシャルティナ・ルーリックは宮廷外交官として日々忙しくはたらく毎日。 クールな見た目と頭の回転の速さからついたあだ名は氷の令嬢。 婚約者である王子カイル・ドルトラードを長らくほったらかしてしまうほど仕事に没頭していた。 そんなある日の夜会でシャルティナは王子から婚約破棄を宣言されてしまう。 そしてそのとなりには見知らぬ令嬢が⋯⋯ 王子の婚約者ではなくなった途端、シャルティナは宮廷外交官の立場まで失い、見かねた父の強引な勧めで冒険者あがりの男爵のところへ行くことになる。 シャルティナは宮廷外交官の実績を活かして辣腕を振るおうと張り切るが、男爵から命じられた任務は男爵に文字の読み書きを教えることだった⋯⋯

【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。

猫屋敷むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で―― 私の願いは一瞬にして踏みにじられました。 母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、 婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。 「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」 まさか――あの優しい彼が? そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。 子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。 でも、私には、味方など誰もいませんでした。 ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。 白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。 「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」 やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。 それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、 冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。 没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。 これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。 ※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ ※わんこが繋ぐ恋物語です ※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ

処理中です...