お金がありすぎて困っています。 ――その言い方、嫌な女にしか聞こえませんわ』

ふわふわ

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第14話 負けを認めない者の理屈

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第14話 負けを認めない者の理屈

 ベルフラワー公爵家の執務室は、昼間だというのに薄暗かった。

 分厚いカーテンが閉め切られ、外の光を拒んでいる。
 まるで、この部屋だけが、時間から取り残されたかのようだった。

 机に向かうプロフィット・ベルフラワー公爵令息は、同じ帳簿を何度もめくっていた。

 小麦の価格。
 在庫量。
 維持費。

 どの数字を見ても、結論は同じだ。

(赤字……いや、まだ確定ではない)

 彼は、帳簿を閉じ、深く息を吐いた。

「落ち着け……」

 独り言のように呟く。

 確かに状況は良くない。
 だが、破滅だと決めつけるほどではない――そう考えたい。

 売らなければ、損は確定しない。
 時間を稼げば、いずれ市場は持ち直す。

(過去にも、こういうことはあった)

 一時的な値崩れ。
 過剰反応する商人たち。
 そして、最後に利益を得るのは、動かなかった者だ。

 そう、自分はその側にいるはずだった。

「……執事」

 扉の向こうに声をかけると、すぐに執事が姿を現す。

「何か、新しい動きは?」

「……市場は、依然として低迷しております」

 慎重な口調だった。

「外国産小麦の流入も止まらず、価格は――」

「もういい」

 プロフィットは、手を振って遮った。

「同じ報告は聞き飽きた」

 執事は一礼し、言葉を飲み込む。

 その様子に、プロフィットは苛立ちを覚えた。

(なぜ、皆こうも悲観的なのだ)

 まだ何も終わっていない。
 終わったかのように振る舞うから、余計に状況が悪く見える。

「……使用人たちが、不安がっているようです」

 執事が、控えめに続ける。

「倉庫の整理や、人員の件で……」

「余計なことを言うな」

 声が、思った以上に強くなった。

「今は耐える時だ」
「慌てて動けば、余計な損を招く」

 執事はそれ以上何も言わず、静かに下がった。

 扉が閉まると、執務室には再び沈黙が落ちる。

 プロフィットは、椅子に深く腰を下ろし、天井を見上げた。

(……なぜ、こうなった)

 一瞬だけ、そんな疑問が浮かぶ。

 だが、その答えに向き合うことはしなかった。

(私の判断が間違っていたわけではない)

 市場が悪い。
 外国産が無秩序に流れ込んだ。
 愚かな商人たちが、安値で投げ売りをした。

 原因はいくらでも挙げられる。

 ――自分以外のところに。

 その時、ふと、別の存在が頭をよぎる。

 シグネット・フレッジリン侯爵。

 かつての婚約者。
 今は、噂の女。

(あいつは……)

 社交界で囁かれている話を思い出す。

 金に困っている。
 借金を抱えている。
 豪華なドレスで身を飾るのは、見栄のため。

「……ふん」

 プロフィットは、口元を歪めた。

(ならば、まだ私の方がましだ)

 自分は市場の波に巻き込まれているだけ。
 だが、あの女は、己の浪費で首を絞めている。

(いずれ、行き詰まる)

 そう考えることで、胸の奥の焦りが、少しだけ薄れる。

「……結局」

 誰にともなく呟く。

「最後に困るのは、あちらだ」

 自分は、まだ選択肢を持っている。
 名門公爵家の令息としての立場も、人脈も。

 だが、女が若くして当主を務めるなど、無理がある。
 支えを失えば、簡単に崩れるはずだ。

(そうだ……)

 プロフィットは、無理やり納得する。

(私は、負けていない)

 今は苦しい。
 だが、それは一時的なもの。

 耐え抜いた先には、必ず報いがある。

 その確信だけが、彼を支えていた。

 夕方になり、執務室に差し込む光が、わずかに変わる。

 カーテンの隙間から見える空は、薄曇りだった。

(……市場も、いずれ晴れる)

 そう信じたい。

 しかし、机の上に置かれた帳簿は、何も語らない。
 そこに並ぶのは、減り続ける数字だけだ。

 それでも、プロフィットは帳簿を閉じた。

 見なければ、考えなければ、
 まだ“終わっていない”と思える。

 この時点で、ベルフラワー公爵家は、
 すでに明確な破綻寸前にあった。

 だが――
 プロフィット・ベルフラワー公爵令息は、
 その事実を、最後まで認めるつもりはなかった。

 なぜなら、負けを認めた瞬間、
 彼の中で築き上げてきた
 「自分は賢い側の人間だ」という理屈が、
 音を立てて崩れてしまうからだ。

 だから彼は、今日も言い聞かせる。

 これは失敗ではない。
 これは敗北ではない。
 ただの、運の悪さだ――と。

 その理屈こそが、
 彼を完全な破滅へと導く、
 最後の足場であることを、まだ知らずに。
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