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第六話 交換の決断
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第六話 交換の決断
翌朝、ノーランド公爵邸の執務室には、重い沈黙が落ちていた。
父は椅子に深く腰かけ、指先で机を叩いている。後妻はその隣に座り、柔らかな笑みを浮かべていた。
ナチュは正面に立つ。
昨日の夜会の余韻はもうない。今ここにあるのは、決定だけだ。
「王宮より正式な打診が来た」
父が口を開く。
「婚約の件だ」
ナチュは静かに頷く。
想定内の話。王太子ルーシェとの婚約は、家同士の合意としてほぼ整っている。
だが父の視線は揺れていた。
「……だがな、少し考え直そうと思う」
その言葉に、空気が変わる。
後妻がそっと口を挟む。
「殿下には、より華やかな方がお似合いかと存じますの」
ナチュは何も言わない。
「コンキュの方が、王宮では映える」
父は続ける。
「王家との結びつきは重要だ。家の格をさらに高めるには、見目もまた武器だ」
見目。
華。
それが選定理由。
「お前にはサウザー公爵の縁談がある」
父は言う。
「彼もまた名門だ。悪くあるまい」
悪くあるまい。
それが理由。
ナチュはゆっくりと息を吸う。
「ご決定でございますか」
「そうだ」
迷いを押し殺した声音。
「家のためだ」
ナチュは一礼した。
「承知いたしました」
後妻が満足げに微笑む。
「あなたなら理解してくださると信じておりました」
理解。
その言葉は便利だ。
ナチュは顔を上げる。
「王家には、正式にその旨をお伝えになりますか」
「もちろんだ」
「理由は」
父は一瞬詰まる。
「より適任な娘がいる、と」
適任。
その言葉に、わずかな皮肉が宿る。
だがナチュは表情を変えない。
「かしこまりました」
執務室を辞したあと、廊下でコンキュと鉢合わせる。
「お姉様、聞きましたわ」
瞳は輝いている。
「わたくしが殿下の婚約者になるのですね」
「そのようでございます」
「まあ、当然ですわね」
当然。
コンキュは扇子を広げる。
「王宮に入れば、帳簿など見る必要もございませんもの。侍女が整え、官僚がまとめる。わたくしは殿下の隣に立つだけ」
その声音に疑念はない。
「お姉様は数字がお好きでしょう? サウザー公爵様は実務派と伺っておりますわ。お似合いですこと」
悪意はない。ただ、確信がある。
ナチュは静かに答える。
「役目を果たすだけでございます」
「わたくしも果たしますわ。王太子妃として」
廊下に光が差し込む。
同じ家に育ちながら、選ばれた道は分かれた。
ナチュは執務室へ戻り、机に向かう。
婚約書類の写しを整理し、変更案を作成する。港湾税の見直しは予定通り進める。領地は止まらない。
夕刻、家令が報告に来る。
「王宮へ書状が送られました」
「返答は」
「明朝とのこと」
ナチュは頷く。
窓の外には穏やかな空が広がっている。
決断は下された。
それが正しいか否かは、いずれ明らかになる。
だがこの時、ナチュの胸にあったのは怒りではない。
ただ、静かな予感だった。
華で選ぶということの意味。
責任を測らぬということの重さ。
分岐はもう動き始めている。
そしてその結果は、遠くない未来に、必ず形となって現れる。
翌朝、ノーランド公爵邸の執務室には、重い沈黙が落ちていた。
父は椅子に深く腰かけ、指先で机を叩いている。後妻はその隣に座り、柔らかな笑みを浮かべていた。
ナチュは正面に立つ。
昨日の夜会の余韻はもうない。今ここにあるのは、決定だけだ。
「王宮より正式な打診が来た」
父が口を開く。
「婚約の件だ」
ナチュは静かに頷く。
想定内の話。王太子ルーシェとの婚約は、家同士の合意としてほぼ整っている。
だが父の視線は揺れていた。
「……だがな、少し考え直そうと思う」
その言葉に、空気が変わる。
後妻がそっと口を挟む。
「殿下には、より華やかな方がお似合いかと存じますの」
ナチュは何も言わない。
「コンキュの方が、王宮では映える」
父は続ける。
「王家との結びつきは重要だ。家の格をさらに高めるには、見目もまた武器だ」
見目。
華。
それが選定理由。
「お前にはサウザー公爵の縁談がある」
父は言う。
「彼もまた名門だ。悪くあるまい」
悪くあるまい。
それが理由。
ナチュはゆっくりと息を吸う。
「ご決定でございますか」
「そうだ」
迷いを押し殺した声音。
「家のためだ」
ナチュは一礼した。
「承知いたしました」
後妻が満足げに微笑む。
「あなたなら理解してくださると信じておりました」
理解。
その言葉は便利だ。
ナチュは顔を上げる。
「王家には、正式にその旨をお伝えになりますか」
「もちろんだ」
「理由は」
父は一瞬詰まる。
「より適任な娘がいる、と」
適任。
その言葉に、わずかな皮肉が宿る。
だがナチュは表情を変えない。
「かしこまりました」
執務室を辞したあと、廊下でコンキュと鉢合わせる。
「お姉様、聞きましたわ」
瞳は輝いている。
「わたくしが殿下の婚約者になるのですね」
「そのようでございます」
「まあ、当然ですわね」
当然。
コンキュは扇子を広げる。
「王宮に入れば、帳簿など見る必要もございませんもの。侍女が整え、官僚がまとめる。わたくしは殿下の隣に立つだけ」
その声音に疑念はない。
「お姉様は数字がお好きでしょう? サウザー公爵様は実務派と伺っておりますわ。お似合いですこと」
悪意はない。ただ、確信がある。
ナチュは静かに答える。
「役目を果たすだけでございます」
「わたくしも果たしますわ。王太子妃として」
廊下に光が差し込む。
同じ家に育ちながら、選ばれた道は分かれた。
ナチュは執務室へ戻り、机に向かう。
婚約書類の写しを整理し、変更案を作成する。港湾税の見直しは予定通り進める。領地は止まらない。
夕刻、家令が報告に来る。
「王宮へ書状が送られました」
「返答は」
「明朝とのこと」
ナチュは頷く。
窓の外には穏やかな空が広がっている。
決断は下された。
それが正しいか否かは、いずれ明らかになる。
だがこの時、ナチュの胸にあったのは怒りではない。
ただ、静かな予感だった。
華で選ぶということの意味。
責任を測らぬということの重さ。
分岐はもう動き始めている。
そしてその結果は、遠くない未来に、必ず形となって現れる。
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