婚約破棄ですか? では契約通りに――王太子も聖女も教会も、まとめて破綻させていただきます

ふわふわ

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第八話 奇跡が起きない

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第八話 奇跡が起きない日

 教会の鐘は、今日も鳴っていた。

 けれど、その音色はどこか頼りない。

 王都中央の大聖堂前には、再び人々が集められている。

「本日こそ、奇跡は戻る」 「神は我らを見捨てない」

 不安と期待が入り混じったざわめき。

 舞台の中央に立つのは、聖女ルチア。

 以前よりも化粧は濃く、頬は青白い。

 その隣に司祭グラナード。

 そして、わずかに苛立ちを隠した王太子カイルベルト。

「本日は三名の病者を癒す」

 司祭の声が響く。

 三つの担架が運ばれてくる。

 高熱の少年。

 腕を負傷した兵士。

 咳が止まらない老人。

 人々の視線が一点に集まる。

 ルチアが両手を広げる。

「神よ……」

 声は震えている。

「清めよ……」

 沈黙。

 風が吹く。

 何も起きない。

 司祭が小声で囁く。

「集中なさい」

 ルチアの額に汗が滲む。

「清めよ!」

 再び沈黙。

 担架の少年が咳き込む。

 兵士は痛みに顔を歪める。

 老人は息を荒げる。

 ざわり、と空気が揺れた。

「どうしたんだ?」 「前は治ったのに……」

 王太子の喉が鳴る。

「なぜだ……」

 ルチアの瞳が揺れる。

「わ、わたくしの力が……」

 司祭が慌てて前へ出る。

「神は試しておられる! 信仰が足りぬのだ!」

 だが、その声は以前ほど力強くない。

 祈りは三度繰り返された。

 奇跡は、起きなかった。

 母親の叫び声が広場に響く。

「嘘だったの!? 奇跡は嘘だったの!?」

 兵士が立ち上がろうとして倒れる。

 老人の咳が止まらない。

 ざわめきは怒りに変わる。

「どういうことだ!」 「聖女様は本物ではないのか!」

 王太子がルチアの腕を掴む。

「やれ!」

「できません……!」

 その言葉が、静まり返った広場でやけに大きく響いた。

 できない。

 それは、聖女の口から出てはならない言葉だった。

 王都の空気が、はっきりと変わる。

 一方、フォルティス公爵邸。

 私は窓辺に立ち、報告を聞いていた。

「三名とも回復せず」

「予測通りですわね」

 アーヴィンが静かに続ける。

「教会倉庫の医薬品は、完全に底をつきました」

「補充は?」

「フォルティス家以外の流通は未整備。代替調達は来月以降になる見込みです」

 私は目を細める。

「来月では遅いですわね」

「はい」

 王都の施療院では、薬不足が深刻化している。

 これまで“奇跡”で治していた病は、実際には適切な処置と薬で支えられていた。

 その供給網を握っていたのが誰か。

 今になって、医師たちは思い出し始めている。

「お嬢様、教会側から接触の兆しがあります」

「予想より早いですわね」

 私は扇を軽く揺らす。

「焦り始めましたのね」

 王宮。

 カイルベルトは司祭を睨みつけていた。

「説明しろ!」

「神の御力は本物です! ただ……」

「ただ何だ!」

「供物が……不足しておりまして」

「供物?」

 ルチアが震える声で言う。

「薬が……足りません……」

 沈黙。

 王太子の顔がゆっくりと歪む。

「薬だと?」

「はい……以前は……フォルティス家から……」

 その名が出た瞬間、空気が重くなる。

 司祭が慌てて口を挟む。

「しかし、神の御力は……!」

「黙れ!」

 王太子の怒声が響く。

 薬。

 それは奇跡ではない。

 準備と管理。

 そして資金。

 すべてが、婚約と共に切られた。

 夜。

 教会前では抗議の声が上がり始めていた。

「奇跡は嘘だったのか!」 「寄付を返せ!」

 司祭は裏口から姿を消す。

 ルチアは部屋に閉じこもる。

 ミリアは王宮で震えている。

 私は庭を歩きながら星を見上げた。

「奇跡は、続かなければ意味がありません」

 アーヴィンが一歩後ろを歩く。

「救済なさいますか」

「まだ」

 私は首を振る。

「彼らはまだ、“自分たちが悪い”と思っていませんもの」

 責任転嫁は終わっていない。

 次は、誰のせいにするのか。

 王太子か。

 聖女か。

 司祭か。

 それとも、再び私か。

 けれど。

 奇跡が起きない日が続けば続くほど。

 疑念は確信に変わる。

 信仰は怒りに変わる。

 そして怒りは、標的を探す。

 私は静かに微笑んだ。

「祈りでは、国は支えられませんわ」

 奇跡が止まった今。

 本当に止まり始めたのは――

 彼らの“物語”なのだから。
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