13 / 33
第十二話 帳簿の穴
しおりを挟む
第十二話 帳簿の穴
教会の地下書庫は、ひんやりとした空気に満ちていた。
石造りの壁に沿って並ぶ棚。
その奥、鍵のかかった小部屋。
「ここが会計記録室です」
若い助祭が小声で言う。
「最近、監査が入ると聞いて……」
向かいに立つのは王宮監査官。
王家直属の財務調査担当だ。
「開けなさい」
重い扉が軋みを立てて開く。
机の上には、分厚い帳簿が積まれていた。
寄付金一覧。
施療院支出記録。
聖女関連費用。
監査官はページをめくる。
数字。
署名。
印章。
やがて、手が止まる。
「……これは何だ」
そこには、同じ金額が複数回計上されている。
支出名目は“祈祷設備更新費”。
だが、設備更新の記録はない。
「確認を」
助祭が青ざめる。
「そ、それは……司祭様の指示で……」
別のページ。
“医薬品緊急購入費”。
だが、購入先の商会名が曖昧。
署名はあるが、印章が違う。
「帳簿の整合性が取れていない」
監査官は冷静に言う。
「教会は王家の保護下にある。説明を求める」
その頃、司祭グラナードは応接室で王太子と対面していた。
「監査だと?」
カイルベルトの眉が寄る。
「誰の指示だ」
「国王陛下です」
短い返答。
王太子の顔色が変わる。
「父上が……?」
「はい。教会への寄付金が急増しているにもかかわらず、施療院の状況が悪化しているため」
グラナードは喉を鳴らす。
「寄付は信仰の証です。使途は……」
「明確にしろ」
王太子の声は低い。
「今は、余計な火種を増やすな」
司祭の額に汗が浮かぶ。
寄付金の一部は、確かに施療院へ。
だが一部は、聖女演出費。
さらに一部は――私的な用途。
豪奢な法衣。
改装された執務室。
“特別祈祷費”。
監査は、数字の嘘を暴く。
一方、フォルティス公爵邸。
私は同じく帳簿を眺めていた。
「写しは揃いましたか」
「すべて」
アーヴィンが答える。
「教会医薬品納入記録と、寄付金流入の照合も完了しております」
「穴は?」
「複数」
私は静かに微笑む。
「予想通りですわね」
教会が“奇跡”を演出していた以上、資金の流れは必ず歪む。
奇跡は無料ではない。
薬も演出も、人も動く。
そしてその費用は、どこかに残る。
「王宮側は気づきましたか」
「はい。国王陛下が直接確認を命じられました」
「賢明ですわ」
王太子ではなく、国王。
そこが重要。
王太子が怒りに任せて動く一方で、国王は静かに事実を積み上げる。
夜。
教会では緊急会議が開かれていた。
「帳簿の不備は事務的な誤りだ!」
グラナードが声を荒げる。
「監査官にはそのように説明せよ!」
「しかし……証憑が……」
「口裏を合わせろ!」
聖女ルチアは端に座り、震えている。
「わたくしは……関係ありません……」
けれど、彼女の名義で計上された“祈祷設備費”は山ほどある。
逃げ場はない。
翌朝。
監査官の報告書が国王の机に置かれる。
「教会会計に重大な不備」
その文字が、静かに王宮を揺らす。
王太子はそれを読み、拳を握る。
「……この時期に」
奇跡が止まり。
港が止まり。
施療院が混乱し。
そして今、帳簿に穴。
偶然にしては出来すぎている。
「エレシアだ」
またその名。
だが、今回は誰も同調しない。
数字は嘘をつかない。
一方、私は庭で薔薇を剪定していた。
「教会の帳簿は、いずれ公になるでしょう」
「はい」
「その時、聖女と司祭はどうなさるかしら」
アーヴィンは淡々と答える。
「責任の押し付け合いになるかと」
「楽しみですわね」
私は静かに微笑む。
奇跡は止まり。
港は止まり。
今度は数字が語り始めた。
帳簿の穴は、小さな裂け目。
だが裂け目は、やがて亀裂になる。
神の名を掲げていた教会。
その足元に、今。
確かな“現実”が口を開け始めている。
教会の地下書庫は、ひんやりとした空気に満ちていた。
石造りの壁に沿って並ぶ棚。
その奥、鍵のかかった小部屋。
「ここが会計記録室です」
若い助祭が小声で言う。
「最近、監査が入ると聞いて……」
向かいに立つのは王宮監査官。
王家直属の財務調査担当だ。
「開けなさい」
重い扉が軋みを立てて開く。
机の上には、分厚い帳簿が積まれていた。
寄付金一覧。
施療院支出記録。
聖女関連費用。
監査官はページをめくる。
数字。
署名。
印章。
やがて、手が止まる。
「……これは何だ」
そこには、同じ金額が複数回計上されている。
支出名目は“祈祷設備更新費”。
だが、設備更新の記録はない。
「確認を」
助祭が青ざめる。
「そ、それは……司祭様の指示で……」
別のページ。
“医薬品緊急購入費”。
だが、購入先の商会名が曖昧。
署名はあるが、印章が違う。
「帳簿の整合性が取れていない」
監査官は冷静に言う。
「教会は王家の保護下にある。説明を求める」
その頃、司祭グラナードは応接室で王太子と対面していた。
「監査だと?」
カイルベルトの眉が寄る。
「誰の指示だ」
「国王陛下です」
短い返答。
王太子の顔色が変わる。
「父上が……?」
「はい。教会への寄付金が急増しているにもかかわらず、施療院の状況が悪化しているため」
グラナードは喉を鳴らす。
「寄付は信仰の証です。使途は……」
「明確にしろ」
王太子の声は低い。
「今は、余計な火種を増やすな」
司祭の額に汗が浮かぶ。
寄付金の一部は、確かに施療院へ。
だが一部は、聖女演出費。
さらに一部は――私的な用途。
豪奢な法衣。
改装された執務室。
“特別祈祷費”。
監査は、数字の嘘を暴く。
一方、フォルティス公爵邸。
私は同じく帳簿を眺めていた。
「写しは揃いましたか」
「すべて」
アーヴィンが答える。
「教会医薬品納入記録と、寄付金流入の照合も完了しております」
「穴は?」
「複数」
私は静かに微笑む。
「予想通りですわね」
教会が“奇跡”を演出していた以上、資金の流れは必ず歪む。
奇跡は無料ではない。
薬も演出も、人も動く。
そしてその費用は、どこかに残る。
「王宮側は気づきましたか」
「はい。国王陛下が直接確認を命じられました」
「賢明ですわ」
王太子ではなく、国王。
そこが重要。
王太子が怒りに任せて動く一方で、国王は静かに事実を積み上げる。
夜。
教会では緊急会議が開かれていた。
「帳簿の不備は事務的な誤りだ!」
グラナードが声を荒げる。
「監査官にはそのように説明せよ!」
「しかし……証憑が……」
「口裏を合わせろ!」
聖女ルチアは端に座り、震えている。
「わたくしは……関係ありません……」
けれど、彼女の名義で計上された“祈祷設備費”は山ほどある。
逃げ場はない。
翌朝。
監査官の報告書が国王の机に置かれる。
「教会会計に重大な不備」
その文字が、静かに王宮を揺らす。
王太子はそれを読み、拳を握る。
「……この時期に」
奇跡が止まり。
港が止まり。
施療院が混乱し。
そして今、帳簿に穴。
偶然にしては出来すぎている。
「エレシアだ」
またその名。
だが、今回は誰も同調しない。
数字は嘘をつかない。
一方、私は庭で薔薇を剪定していた。
「教会の帳簿は、いずれ公になるでしょう」
「はい」
「その時、聖女と司祭はどうなさるかしら」
アーヴィンは淡々と答える。
「責任の押し付け合いになるかと」
「楽しみですわね」
私は静かに微笑む。
奇跡は止まり。
港は止まり。
今度は数字が語り始めた。
帳簿の穴は、小さな裂け目。
だが裂け目は、やがて亀裂になる。
神の名を掲げていた教会。
その足元に、今。
確かな“現実”が口を開け始めている。
10
あなたにおすすめの小説
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた
兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる