婚約破棄ですか? では契約通りに――王太子も聖女も教会も、まとめて破綻させていただきます

ふわふわ

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第十四話 市場の噂

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第十四話 市場の噂

 王都中央市場は、いつもよりざわついていた。

 魚を並べる商人も、野菜を量る女主人も、声を潜めて同じ話題を口にしている。

「ヴァルディア経由の穀物、今日入ったらしいぞ」 「価格が少し下がったって」 「フォルティス家の船団だそうだ」

 その名が出るたび、空気が微妙に変わる。

 かつては“冷たい公爵令嬢”。
 今は“動いている家”。

 商人のひとりが腕を組む。

「王家は何してるんだ?」 「港も止まって、施療院も混乱してるってのに」 「でもフォルティス家は、もう王家と関係ないんだろ?」

 隣の店主が頷く。

「婚約が切れたって話だ。義理はないってことだ」

 義理。

 その言葉が市場に静かに広がる。

 王家は義理を切った。
 公爵家は契約を切った。

 どちらが先かは、もう誰もが知っている。

 昼。

 王宮の窓から市場を見下ろすカイルベルトは、遠くの喧騒を睨みつけていた。

「何を話している」

 側近が答える。

「フォルティス家の直通航路の件かと」

 王太子の顎が強張る。

「反逆だ」

「……いえ、殿下。正式な契約に基づく合法的取引です」

 合法。

 その言葉が胸に刺さる。

「俺は王太子だぞ!」

「はい」

 返事はある。
 だが、以前のような確信はない。

 王都では、商人たちが徐々に動き始めていた。

「王家の許可がなくても、フォルティス経由なら商売できる」 「安定供給があるほうが信用できる」

 信用。

 それは金よりも重い。

 一方、教会前では別の噂が流れている。

「帳簿に穴があったって?」 「寄付金が消えたらしいぞ」 「奇跡が止まったのも、そのせいじゃないか」

 信仰は揺れ、疑念が芽を出す。

 施療院の前では、怒りが静かに燻る。

「王家も教会も頼りにならない」 「フォルティス家の医師が戻ればいいのに」

 その言葉が、風に乗る。

 公爵邸。

 私は市場報告書を閉じた。

「商人組合の代表が面会を求めております」

 アーヴィンが告げる。

「内容は?」

「王家との契約見直しと、フォルティス家との直接取引拡大の相談」

 私はわずかに目を細める。

「随分と早いですわね」

「彼らは損を嫌います」

「賢明ですわ」

 私は立ち上がる。

「お通しして」

 商人代表は深く頭を下げた。

「公爵令嬢様、王家がどうなるか分かりません。ですが、我々は商いを止めるわけにはいかないのです」

「当然です」

 私は穏やかに頷く。

「商売は祈りでは回りませんもの」

 代表は苦笑した。

「王太子殿下は怒るでしょうが……」

「わたくしは怒りませんわ」

 私は静かに言う。

「契約と対価。それだけです」

 話はまとまる。

 新たな流通網。

 王家を経由しない商取引。

 王都の経済は、静かに分岐し始める。

 夜。

 王宮の廊下で、侍女たちの囁きが続く。

「市場ではフォルティス家の評判が上がっているらしいわ」 「王太子殿下はどうなさるのかしら」

 ミリアはその声を背中で聞きながら、足早に通り過ぎる。

 可哀想な妹という物語は、もう通用しない。

 市場は現実を見る。

 祈りよりも価格。

 涙よりも安定。

 私は窓辺に立ち、遠くの灯を眺める。

「噂は、最初は小さいですけれど」

 アーヴィンが一礼する。

「はい」

「やがて、流れになりますわ」

 王家の威光は、まだ消えてはいない。

 だが。

 市場が背を向けたとき。

 その威光は、音もなく色褪せる。

 婚約破棄は一夜の出来事。

 けれど噂は、毎日積み重なる。

 王都は気づき始めている。

 誰が怒りで動き。

 誰が契約で動いているのかを。

 そしてその違いは、やがて決定的な差になる。

 市場の噂は、止まらない。

 それは奇跡よりも速く、王都を駆け巡っている。
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