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第37話 求めない人のそばで
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第37話 求めない人のそばで
温泉郷の朝市に、少しだけ活気が戻っていた。
声は低く、動きはゆっくり。
賑わいというより、呼吸が合ってきたという感覚に近い。
「これ、安くしておきますよ」 「ありがとうございます」
値切りの声も、押し問答もない。
売る側も、買う側も、
急がない。
理由は単純だった。
ここでは、
失敗しても取り返せるから。
焦る必要がない。
一方、湯治宿。
「……洗濯、終わりました」
リヴォルタ・レーレは、畳んだ布を腕に抱えて廊下を歩いていた。
足取りは、いつもと同じ。
誰かが彼女を見て、
小さく頭を下げる。
深くもない。
軽く、だ。
それが、この町の距離感になっていた。
昼前、町外れで小さな相談があった。
「……このまま、ここに居てもいいでしょうか」
新しく来た旅人が、宿の主人にそう尋ねる。
不安げな声。
「ええ。
何か問題でも?」 「いえ……仕事も、肩書きも、ありません」 「なら、なおさら」
主人は、あっさり言った。
「ここでは、
何もない人ほど、居やすいですよ」
その言葉に、旅人は目を丸くした。
午後。
リヴォルタは、川沿いの石段に腰を下ろしていた。
「……風、気持ちいいですね」
隣に座った老婆が、ゆっくり頷く。
「ええ。
ここは、何も言われませんから」
「何も……ですか?」 「ええ。
『こうしなさい』も、
『こうあるべき』も」
リヴォルタは、少し考えた。
「……それ、楽ですね」 「でしょう?」
二人は、それ以上話さなかった。
話さなくても、
居ていい。
それが、この場所の価値だ。
夕方、境界の外で起きた出来事。
小さな盗みが発覚した。
本来なら、揉める。
怒鳴り声が上がる。
だが、境界を越えた途端、
犯人は立ち止まった。
「……返します」
理由は、分からない。
ただ、ここでそれを続ける気が、
失せた。
夜。
露天風呂で、リヴォルタは湯に浸かりながら、ぼんやり考える。
「……最近、お願いされませんね」
頼られない。
求められない。
少し前なら、
それは孤独だったかもしれない。
だが、今は違う。
「……楽です」
その言葉は、
弱さではない。
世界が、
彼女から奪わなかった証だ。
遠くの国で、ある宰相がこう記した。
《彼女は、人を導かない。
救わない。
叱らない。
ただ、求めない》
《だから人は、
自分で立ち止まり、
自分で戻る》
求めない人のそばで、
人は、初めて自分の重さを下ろす。
中心にいる彼女は、
今日も何もしていない。
だが、
誰にも何も求めないことが、
この町を、
そして世界の一部を、
静かに変えていた。
それでも、彼女は言う。
「……温泉、いいですね」
それだけで、
十分だった。
温泉郷の朝市に、少しだけ活気が戻っていた。
声は低く、動きはゆっくり。
賑わいというより、呼吸が合ってきたという感覚に近い。
「これ、安くしておきますよ」 「ありがとうございます」
値切りの声も、押し問答もない。
売る側も、買う側も、
急がない。
理由は単純だった。
ここでは、
失敗しても取り返せるから。
焦る必要がない。
一方、湯治宿。
「……洗濯、終わりました」
リヴォルタ・レーレは、畳んだ布を腕に抱えて廊下を歩いていた。
足取りは、いつもと同じ。
誰かが彼女を見て、
小さく頭を下げる。
深くもない。
軽く、だ。
それが、この町の距離感になっていた。
昼前、町外れで小さな相談があった。
「……このまま、ここに居てもいいでしょうか」
新しく来た旅人が、宿の主人にそう尋ねる。
不安げな声。
「ええ。
何か問題でも?」 「いえ……仕事も、肩書きも、ありません」 「なら、なおさら」
主人は、あっさり言った。
「ここでは、
何もない人ほど、居やすいですよ」
その言葉に、旅人は目を丸くした。
午後。
リヴォルタは、川沿いの石段に腰を下ろしていた。
「……風、気持ちいいですね」
隣に座った老婆が、ゆっくり頷く。
「ええ。
ここは、何も言われませんから」
「何も……ですか?」 「ええ。
『こうしなさい』も、
『こうあるべき』も」
リヴォルタは、少し考えた。
「……それ、楽ですね」 「でしょう?」
二人は、それ以上話さなかった。
話さなくても、
居ていい。
それが、この場所の価値だ。
夕方、境界の外で起きた出来事。
小さな盗みが発覚した。
本来なら、揉める。
怒鳴り声が上がる。
だが、境界を越えた途端、
犯人は立ち止まった。
「……返します」
理由は、分からない。
ただ、ここでそれを続ける気が、
失せた。
夜。
露天風呂で、リヴォルタは湯に浸かりながら、ぼんやり考える。
「……最近、お願いされませんね」
頼られない。
求められない。
少し前なら、
それは孤独だったかもしれない。
だが、今は違う。
「……楽です」
その言葉は、
弱さではない。
世界が、
彼女から奪わなかった証だ。
遠くの国で、ある宰相がこう記した。
《彼女は、人を導かない。
救わない。
叱らない。
ただ、求めない》
《だから人は、
自分で立ち止まり、
自分で戻る》
求めない人のそばで、
人は、初めて自分の重さを下ろす。
中心にいる彼女は、
今日も何もしていない。
だが、
誰にも何も求めないことが、
この町を、
そして世界の一部を、
静かに変えていた。
それでも、彼女は言う。
「……温泉、いいですね」
それだけで、
十分だった。
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