婚約破棄? めんどくさいのでちょうどよかった ――聖女もやめて、温泉でごくらくしてます

ふわふわ

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第38話 それでも、世界は動く

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第38話 それでも、世界は動く

 温泉郷の朝は、いつもより少しだけ遅かった。

 湯治客の起床が遅れ、
 店の戸が開くのも、普段より緩やかだ。

「……今日は、静かですね」

 リヴォルタ・レーレは、湯気の残る路地を歩きながらそう呟いた。
 静かすぎる、というほどではない。
 ただ、慌ただしさがない。

 その頃、遠く離れた世界の各地では、
 慌ただしさが、確かに減っていた。

「今年は、開戦を見送ろう」 「無理をする理由が、見当たらない」

 ある国では、軍議があっさりと終わった。
 理由は、戦力でも、情勢でもない。

 “急ぐ必要がない”
 それだけだった。

 別の国では、大規模開発計画が延期された。

「今でなくてもいい」 「来年でも、十年後でも」

 かつてなら、あり得なかった判断だ。
 だが、今は違う。

 急がない世界に、
 人は少しずつ慣れ始めていた。

 一方、温泉郷。

「……今日は、湯が柔らかいですね」

 リヴォルタは、露天風呂で肩まで湯に浸かりながら、そう思う。
 理由は分からない。
 ただ、心地いい。

 隣で湯に浸かっていた男が、ぽつりと言った。

「ここにいると……
 何かを決めなくていい気がします」 「そうですね」

 それだけで、会話は終わる。

 決めなくていい
 それは、世界にとっては革命だった。

 午後、境界の外で起きた出来事。

 商談が、まとまりかけていた。
 利益は大きいが、誰かが必ず無理をする内容。

「……やめておこう」 「そうだな」

 理由は説明されない。
 ただ、空気がそうさせた。

 夜。

 トレイル・ブレイザーは、書類を閉じて小さく息を吐いた。

「……世界が、勝手に整っていくな」 「はい」 「彼女は、何もしていないのに」 「だから、でしょう」

 側近の言葉に、王は静かに頷く。

「誰かが“こうしろ”と言わない世界は、
 自然と速度を落とす」 「速度を落とせば……」 「壊れにくくなる」

 露天風呂。

 夜空に、雲が流れる。

「……今日は、何も決めませんでした」

 リヴォルタは、湯に浸かりながらそう呟いた。
 満足でも、不満でもない。

「それで、よかった気がします」

 その瞬間、
 世界のどこかで、
 “今すぐやらなければならない”
 という案件が、一つ消えた。

 誰も困らない。
 誰も気づかない。

 だが、
 確実に、世界は少しだけ楽になった。

 英雄が導かなくても、
 聖女が祈らなくても、
 命令がなくても。

 求めない中心があるだけで、
 世界は勝手に速度を落とし、
 勝手に壊れにくくなる。

 中心にいる彼女は、
 今日もそれを知らない。

 ただ、
 「温泉、いいですね」
 と、静かに思うだけ。

 それでも、世界は動く。

 ――ゆっくりと、
 壊れない方向へ。
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