6 / 39
第六話 祈りの空振り
しおりを挟む
第六話 祈りの空振り
王都の大聖堂には、朝から人が溢れていた。
白い石造りの柱の間に、膝を折る民衆の姿が並ぶ。中央の祭壇には、聖女セシリアが立っていた。
金糸の刺繍が施された衣は、彼女の細い身体を包み込み、淡い光を受けて柔らかく輝いている。
「どうか、癒しを……」
震える声で祈る母親の腕の中には、咳き込む幼子。
ここ数日、王都では軽い熱病が広がっていた。命に関わるほどではない。だが、治ってもすぐ再発する奇妙な症状。
「必ず、救います」
セシリアは両手を胸の前で組み、目を閉じる。
祈りの言葉が響く。
やがて、柔らかな光が彼女の手元から広がり、幼子を包んだ。
咳は止まり、熱も引いていく。
「さすが聖女様だ!」
歓声が上がる。
王太子アシュレイは満足げに頷いた。
「これで不安は消える」
だが。
その夜、同じ幼子は再び高熱を出した。
聖女の祈りは、確かに効いている。
だが、続かない。
「なぜ……」
セシリアは唇を噛む。
祈りの回数を増やし、魔力を振り絞る。
大聖堂では連日の祈祷。
王太子も隣に立ち、民の前で手を握る。
「恐れることはない。聖女がいる」
だが、倉庫火災、石材崩落、穀物病。
小さな不具合は止まらない。
いずれも致命的ではない。
けれど、重なる。
「偶然が続いているだけだ」
王太子は側近に言い切った。
「迷信を持ち出すな」
一方、辺境伯領。
朝の空気は澄んでいる。
兵の訓練場では、珍しく転倒者が出ていない。
鍛冶場では刃こぼれの報告が減った。
「妙に順調ですね」
家令が帳簿を見つめる。
「補給の遅延も、今月はゼロで」
私は執務室の隅で書物を閉じる。
「良いことではありませんか」
「もちろんですが……」
家令はどこか落ち着かない。
「この地は、そう簡単に安定し続ける場所ではないのです」
ディルクが地図を指でなぞる。
「北方部族が動く気配があったはずだ」
「はい。しかし昨夜、突如進路を変えたとの報告が」
理由は分からない。
ただ、危機は避けられた。
ディルクは窓辺へ歩み寄る。
外では、農夫たちが笑い声を上げている。
「……不思議だな」
彼の低い声。
私は紅茶を口にする。
香りがいつもより深い気がする。
それも気のせいだろう。
午後、城下で子供が転びかけた。
だが、寸前で風が吹き、身体がわずかに傾き、怪我を免れた。
「運が良いな!」
周囲が笑う。
私はその光景を見つめる。
ただの偶然。
そのはず。
夜、私は塔の上に立つ。
遠く王都の方角に、薄い雲が見える。
同じ空の下。
私は胸に手を当てる。
あの日以来、ときおり感じる温もり。
光ではない。
魔法のようなものでもない。
ただ、穏やかな灯。
「……私には、何もない」
呟く。
王都では聖女が祈り、光を放つ。
私は祈らない。
何も放たない。
それでも。
ここでは、流れが安定している。
翌朝、王都から再び報告が届いた。
聖女が祈祷中に倒れたという。
過度の魔力消耗。
命に別状はない。
だが、民の不安は広がる。
ディルクは報告書を静かに机に置いた。
「祈りが、追いついていない」
「……そうなのでしょうか」
私は視線を落とす。
祈りは、対処。
けれど、根を絶つものではない。
そんな考えが、ふと浮かぶ。
「王都は今、火を消すことに必死だ」
ディルクが言う。
「だが、火種は増えている」
私は答えない。
代わりに、窓の外を見つめる。
風がそよぐ。
旗が穏やかに揺れる。
この静けさは、いつまで続くのだろう。
王都で祈りが空振りするたびに、
こちらでは、小さな幸運が積み重なる。
誰もまだ、繋げてはいない。
けれど。
天秤は、ゆっくりと傾き始めていた。
王都の大聖堂には、朝から人が溢れていた。
白い石造りの柱の間に、膝を折る民衆の姿が並ぶ。中央の祭壇には、聖女セシリアが立っていた。
金糸の刺繍が施された衣は、彼女の細い身体を包み込み、淡い光を受けて柔らかく輝いている。
「どうか、癒しを……」
震える声で祈る母親の腕の中には、咳き込む幼子。
ここ数日、王都では軽い熱病が広がっていた。命に関わるほどではない。だが、治ってもすぐ再発する奇妙な症状。
「必ず、救います」
セシリアは両手を胸の前で組み、目を閉じる。
祈りの言葉が響く。
やがて、柔らかな光が彼女の手元から広がり、幼子を包んだ。
咳は止まり、熱も引いていく。
「さすが聖女様だ!」
歓声が上がる。
王太子アシュレイは満足げに頷いた。
「これで不安は消える」
だが。
その夜、同じ幼子は再び高熱を出した。
聖女の祈りは、確かに効いている。
だが、続かない。
「なぜ……」
セシリアは唇を噛む。
祈りの回数を増やし、魔力を振り絞る。
大聖堂では連日の祈祷。
王太子も隣に立ち、民の前で手を握る。
「恐れることはない。聖女がいる」
だが、倉庫火災、石材崩落、穀物病。
小さな不具合は止まらない。
いずれも致命的ではない。
けれど、重なる。
「偶然が続いているだけだ」
王太子は側近に言い切った。
「迷信を持ち出すな」
一方、辺境伯領。
朝の空気は澄んでいる。
兵の訓練場では、珍しく転倒者が出ていない。
鍛冶場では刃こぼれの報告が減った。
「妙に順調ですね」
家令が帳簿を見つめる。
「補給の遅延も、今月はゼロで」
私は執務室の隅で書物を閉じる。
「良いことではありませんか」
「もちろんですが……」
家令はどこか落ち着かない。
「この地は、そう簡単に安定し続ける場所ではないのです」
ディルクが地図を指でなぞる。
「北方部族が動く気配があったはずだ」
「はい。しかし昨夜、突如進路を変えたとの報告が」
理由は分からない。
ただ、危機は避けられた。
ディルクは窓辺へ歩み寄る。
外では、農夫たちが笑い声を上げている。
「……不思議だな」
彼の低い声。
私は紅茶を口にする。
香りがいつもより深い気がする。
それも気のせいだろう。
午後、城下で子供が転びかけた。
だが、寸前で風が吹き、身体がわずかに傾き、怪我を免れた。
「運が良いな!」
周囲が笑う。
私はその光景を見つめる。
ただの偶然。
そのはず。
夜、私は塔の上に立つ。
遠く王都の方角に、薄い雲が見える。
同じ空の下。
私は胸に手を当てる。
あの日以来、ときおり感じる温もり。
光ではない。
魔法のようなものでもない。
ただ、穏やかな灯。
「……私には、何もない」
呟く。
王都では聖女が祈り、光を放つ。
私は祈らない。
何も放たない。
それでも。
ここでは、流れが安定している。
翌朝、王都から再び報告が届いた。
聖女が祈祷中に倒れたという。
過度の魔力消耗。
命に別状はない。
だが、民の不安は広がる。
ディルクは報告書を静かに机に置いた。
「祈りが、追いついていない」
「……そうなのでしょうか」
私は視線を落とす。
祈りは、対処。
けれど、根を絶つものではない。
そんな考えが、ふと浮かぶ。
「王都は今、火を消すことに必死だ」
ディルクが言う。
「だが、火種は増えている」
私は答えない。
代わりに、窓の外を見つめる。
風がそよぐ。
旗が穏やかに揺れる。
この静けさは、いつまで続くのだろう。
王都で祈りが空振りするたびに、
こちらでは、小さな幸運が積み重なる。
誰もまだ、繋げてはいない。
けれど。
天秤は、ゆっくりと傾き始めていた。
0
あなたにおすすめの小説
あなたへの恋心を消し去りました
鍋
恋愛
私には両親に決められた素敵な婚約者がいる。
私は彼のことが大好き。少し顔を見るだけで幸せな気持ちになる。
だけど、彼には私の気持ちが重いみたい。
今、彼には憧れの人がいる。その人は大人びた雰囲気をもつ二つ上の先輩。
彼は心は自由でいたい言っていた。
その女性と話す時、私には見せない楽しそうな笑顔を向ける貴方を見て、胸が張り裂けそうになる。
友人たちは言う。お互いに干渉しない割り切った夫婦のほうが気が楽だって……。
だから私は彼が自由になれるように、魔女にこの激しい気持ちを封印してもらったの。
※このお話はハッピーエンドではありません。
※短いお話でサクサクと進めたいと思います。
【完結】恋は、終わったのです
楽歩
恋愛
幼い頃に決められた婚約者、セオドアと共に歩む未来。それは決定事項だった。しかし、いつしか冷たい現実が訪れ、彼の隣には別の令嬢の笑顔が輝くようになる。
今のような関係になったのは、いつからだったのだろう。
『分からないだろうな、お前のようなでかくて、エマのように可愛げのない女には』
身長を追い越してしまった時からだろうか。
それとも、特進クラスに私だけが入った時だろうか。
あるいは――あの子に出会った時からだろうか。
――それでも、リディアは平然を装い続ける。胸に秘めた思いを隠しながら。
報われない恋の行方〜いつかあなたは私だけを見てくれますか〜
矢野りと
恋愛
『少しだけ私に時間をくれないだろうか……』
彼はいつだって誠実な婚約者だった。
嘘はつかず私に自分の気持ちを打ち明け、学園にいる間だけ想い人のこともその目に映したいと告げた。
『想いを告げることはしない。ただ見ていたいんだ。どうか、許して欲しい』
『……分かりました、ロイド様』
私は彼に恋をしていた。だから、嫌われたくなくて……それを許した。
結婚後、彼は約束通りその瞳に私だけを映してくれ嬉しかった。彼は誠実な夫となり、私は幸せな妻になれた。
なのに、ある日――彼の瞳に映るのはまた二人になっていた……。
※この作品の設定は架空のものです。
※お話の内容があわないは時はそっと閉じてくださいませ。
不実なあなたに感謝を
黒木メイ
恋愛
王太子妃であるベアトリーチェと踊るのは最初のダンスのみ。落ち人のアンナとは望まれるまま何度も踊るのに。王太子であるマルコが誰に好意を寄せているかははたから見れば一目瞭然だ。けれど、マルコが心から愛しているのはベアトリーチェだけだった。そのことに気づいていながらも受け入れられないベアトリーチェ。そんな時、マルコとアンナがとうとう一線を越えたことを知る。――――不実なあなたを恨んだ回数は数知れず。けれど、今では感謝すらしている。愚かなあなたのおかげで『幸せ』を取り戻すことができたのだから。
※異世界転移をしている登場人物がいますが主人公ではないためタグを外しています。
※曖昧設定。
※一旦完結。
※性描写は匂わせ程度。
※小説家になろう様、カクヨム様にも掲載予定。
【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜
高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。
婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。
それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。
何故、そんな事に。
優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。
婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。
リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。
悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。
【完結】忘れてください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。
貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。
夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。
貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。
もういいの。
私は貴方を解放する覚悟を決めた。
貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。
私の事は忘れてください。
※6月26日初回完結
7月12日2回目完結しました。
お読みいただきありがとうございます。
寡黙な貴方は今も彼女を想う
MOMO-tank
恋愛
婚約者以外の女性に夢中になり、婚約者を蔑ろにしたうえ婚約破棄した。
ーーそんな過去を持つ私の旦那様は、今もなお後悔し続け、元婚約者を想っている。
シドニーは王宮で側妃付きの侍女として働く18歳の子爵令嬢。見た目が色っぽいシドニーは文官にしつこくされているところを眼光鋭い年上の騎士に助けられる。その男性とは辺境で騎士として12年、数々の武勲をあげ一代限りの男爵位を授かったクライブ・ノックスだった。二人はこの時を境に会えば挨拶を交わすようになり、いつしか婚約話が持ち上がり結婚する。
言葉少ないながらも彼の優しさに幸せを感じていたある日、クライブの元婚約者で現在は未亡人となった美しく儚げなステラ・コンウォール前伯爵夫人と夜会で再会する。
※設定はゆるいです。
※溺愛タグ追加しました。
〈完結〉だってあなたは彼女が好きでしょう?
ごろごろみかん。
恋愛
「だってあなたは彼女が好きでしょう?」
その言葉に、私の婚約者は頷いて答えた。
「うん。僕は彼女を愛している。もちろん、きみのことも」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる