侯爵令嬢の四十日間 ――均衡が国を変えるまで

ふわふわ

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第八話 王都の亀裂

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第八話 王都の亀裂

王都では、朝から空気が重かった。

南門の修繕は急ピッチで進められている。前夜の落雷で焼け焦げた門扉は無残な姿を晒し、石畳にはまだ黒い痕が残っていた。

「局地的な雷だと?」

王太子アシュレイは苛立ちを隠さず、報告書を机に叩きつける。

「はい。城外は晴天だったとの証言も」

側近の声は慎重だ。

「偶然が重なっているだけです」

「その“偶然”が多すぎる」

王太子は吐き捨てるように言うが、すぐに首を振る。

「迷信に逃げるな。聖女がいる」

大聖堂では、セシリアが再び祈祷の場に立っていた。

頬は少し痩せ、瞳の下には薄い影。

それでも彼女は微笑む。

「皆さま、ご安心ください」

手を掲げ、光を放つ。

民は歓声を上げる。

だが、その夜。

祈りで治まったはずの発熱が、別の地区で再発した。

倉庫街では再び小規模な火災。

市場では輸送馬が暴れ、荷が散乱。

いずれも大事には至らない。

だが、確実に続いている。

「なぜだ……」

王太子は独り、呟いた。

一方、辺境伯領。

砦から戻った私は、城の書庫にいた。

窓から差し込む光は柔らかく、埃ひとつ舞わない。

本棚の奥に、古びた年代記が並んでいる。

何気なく手に取った一冊。

頁をめくると、過去の戦や凶作の記録が綴られていた。

――王家は幸いの血と結ばれしとき、国運は安定す。

私は指先を止める。

幸いの血。

比喩だと思っていた言葉。

「……偶然、ですわ」

小さく呟き、本を閉じる。

そのとき、扉がノックされた。

「エレノア嬢」

ディルクの声。

私は立ち上がる。

「どうなさいましたか」

「北境の哨戒が、無傷で戻った」

彼は淡々と報告する。

「本来ならば、負傷者が出る規模だった」

「それは……良いことですわ」

「そうだな」

彼は私を見つめる。

「王都の報せは聞いたか」

「はい。南門の落雷」

「それだけではない。商隊が川を渡る際、橋脚が突然崩れたらしい」

私は息を呑む。

「怪我は」

「軽傷のみ」

まただ。

小さな不具合。

致命的ではない。

だが、積み重なる。

「王都は今、綻びを繕うのに必死だ」

ディルクは静かに言う。

「だが、綻びが増えている」

私は視線を落とす。

胸の奥の灯が、わずかに揺れた。

温かい。

穏やかで、安定した感覚。

私は祈っていない。

願ってもいない。

ただ、ここにいる。

夕刻、城下の市場を歩く。

子供たちが転びもせず駆け回り、商人は笑い、農夫は誇らしげに麦を掲げる。

「今年は良い年になるぞ」

誰かが言った。

私はその言葉に胸が締めつけられる。

良い年。

それは、当たり前に続くものではない。

夜。

塔の上で、私は王都の方角を見る。

遠くの空に、わずかな稲光が走った。

音は届かない。

ただ、光だけ。

「……潮目が変わる」

父の言葉がよみがえる。

私は自分の手を見つめる。

何もない。

けれど、確かに何かが流れている。

王都に亀裂が入り始めている。

こちらでは、亀裂が埋まっていく。

誰もまだ、それを一つの線で結んではいない。

だが。

王都の綻びは、もう隠しきれなくなりつつあった。
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