9 / 39
第九話 広がるささやき
しおりを挟む
第九話 広がるささやき
王都の朝は、いつもより静かだった。
市場は開いている。人もいる。品も並んでいる。
だが、声が小さい。
「昨日も橋脚が崩れたんだって?」 「でも大した被害はないらしい」 「それが逆に不気味なんだよ」
誰も“滅び”など口にしない。
けれど、誰もが“続いている”ことには気づいている。
些細な事故。 軽い怪我。 小規模な火災。 再発する熱病。
どれも、国を傾ける規模ではない。
だが、続く。
それが九日目に入った。
王城の会議室では、重臣たちが顔を揃えていた。
「聖女の祈祷は機能しております」
神殿側の司祭が強く言う。
「現に死者は出ておりません」
「だが再発している」
宰相が静かに返す。
「これは対処であって、根絶ではない」
王太子アシュレイは腕を組み、不快そうに顔をしかめる。
「不安を煽るな。民は安定を求めている」
「だからこそ申し上げます」
宰相の声は冷静だ。
「“たまたま”が九日続いております」
沈黙が落ちる。
数字は嘘をつかない。
同日刻、辺境伯領。
私は城下の診療所を訪れていた。
熱病の報告は一件もない。
「例年なら、この時期は子供の風邪が流行るのですが」
老医師が首を傾げる。
「今年は妙に落ち着いております」
「良いことですわ」
私は微笑む。
診療所を出ると、青空が広がっている。
強風が吹くはずの高台も、今日は穏やかだ。
兵の訓練場では、珍しく転倒者がゼロ。
鍛冶場では刃こぼれが減り、馬は暴れない。
「……妙ですね」
家令が帳簿を見つめる。
「事故率が過去最低です」
ディルクは黙ってその報告を聞いている。
やがて、彼は私を見る。
「王都では増え、ここでは減る」
私は首を傾げる。
「季節の巡りでしょうか」
「季節は同じだ」
彼の視線は静かだが、深い。
午後、王都から新たな報せが届いた。
王都近郊の倉庫で再び小火。
さらに、商隊の馬が突然足を滑らせ、積荷を失ったという。
怪我は軽微。
だが商人たちは顔を曇らせている。
「流れが悪い」
その言葉が、市場に広がり始めた。
流れ。
まだ誰も、“失われたもの”の名を口にしない。
だが空気は変わる。
夜。
私は塔の上に立つ。
胸の奥の灯が、今日も穏やかに揺れている。
あの日、婚約が解消された瞬間。
何かがほどけた。
あれ以来、この感覚は消えない。
温かく、安定し、静か。
私は祈らない。
願わない。
ただ、ここにいる。
遠く、王都の空がわずかに曇る。
辺境の空は、澄んだままだ。
そのとき、ディルクが背後に立った。
「王都で、貴族の一人が口にしたそうだ」
「何を、ですか」
「“あの令嬢が去ってから、流れが悪い”と」
私は振り返る。
「迷信ですわ」
「そうかもしれん」
彼は空を見上げる。
「だが、迷信が生まれるときは、理由がある」
私は何も言えない。
理由など、知らない。
ただ一つ確かなのは。
王都では、不安が言葉になり始めている。
辺境では、安定が日常になりつつある。
ささやきはまだ小さい。
けれど、それは広がる。
国を揺らすのは、大きな災厄ではない。
積み重なる小さな違和感だ。
そして今。
その違和感は、王都にだけ残っている。
王都の朝は、いつもより静かだった。
市場は開いている。人もいる。品も並んでいる。
だが、声が小さい。
「昨日も橋脚が崩れたんだって?」 「でも大した被害はないらしい」 「それが逆に不気味なんだよ」
誰も“滅び”など口にしない。
けれど、誰もが“続いている”ことには気づいている。
些細な事故。 軽い怪我。 小規模な火災。 再発する熱病。
どれも、国を傾ける規模ではない。
だが、続く。
それが九日目に入った。
王城の会議室では、重臣たちが顔を揃えていた。
「聖女の祈祷は機能しております」
神殿側の司祭が強く言う。
「現に死者は出ておりません」
「だが再発している」
宰相が静かに返す。
「これは対処であって、根絶ではない」
王太子アシュレイは腕を組み、不快そうに顔をしかめる。
「不安を煽るな。民は安定を求めている」
「だからこそ申し上げます」
宰相の声は冷静だ。
「“たまたま”が九日続いております」
沈黙が落ちる。
数字は嘘をつかない。
同日刻、辺境伯領。
私は城下の診療所を訪れていた。
熱病の報告は一件もない。
「例年なら、この時期は子供の風邪が流行るのですが」
老医師が首を傾げる。
「今年は妙に落ち着いております」
「良いことですわ」
私は微笑む。
診療所を出ると、青空が広がっている。
強風が吹くはずの高台も、今日は穏やかだ。
兵の訓練場では、珍しく転倒者がゼロ。
鍛冶場では刃こぼれが減り、馬は暴れない。
「……妙ですね」
家令が帳簿を見つめる。
「事故率が過去最低です」
ディルクは黙ってその報告を聞いている。
やがて、彼は私を見る。
「王都では増え、ここでは減る」
私は首を傾げる。
「季節の巡りでしょうか」
「季節は同じだ」
彼の視線は静かだが、深い。
午後、王都から新たな報せが届いた。
王都近郊の倉庫で再び小火。
さらに、商隊の馬が突然足を滑らせ、積荷を失ったという。
怪我は軽微。
だが商人たちは顔を曇らせている。
「流れが悪い」
その言葉が、市場に広がり始めた。
流れ。
まだ誰も、“失われたもの”の名を口にしない。
だが空気は変わる。
夜。
私は塔の上に立つ。
胸の奥の灯が、今日も穏やかに揺れている。
あの日、婚約が解消された瞬間。
何かがほどけた。
あれ以来、この感覚は消えない。
温かく、安定し、静か。
私は祈らない。
願わない。
ただ、ここにいる。
遠く、王都の空がわずかに曇る。
辺境の空は、澄んだままだ。
そのとき、ディルクが背後に立った。
「王都で、貴族の一人が口にしたそうだ」
「何を、ですか」
「“あの令嬢が去ってから、流れが悪い”と」
私は振り返る。
「迷信ですわ」
「そうかもしれん」
彼は空を見上げる。
「だが、迷信が生まれるときは、理由がある」
私は何も言えない。
理由など、知らない。
ただ一つ確かなのは。
王都では、不安が言葉になり始めている。
辺境では、安定が日常になりつつある。
ささやきはまだ小さい。
けれど、それは広がる。
国を揺らすのは、大きな災厄ではない。
積み重なる小さな違和感だ。
そして今。
その違和感は、王都にだけ残っている。
0
あなたにおすすめの小説
あなたへの恋心を消し去りました
鍋
恋愛
私には両親に決められた素敵な婚約者がいる。
私は彼のことが大好き。少し顔を見るだけで幸せな気持ちになる。
だけど、彼には私の気持ちが重いみたい。
今、彼には憧れの人がいる。その人は大人びた雰囲気をもつ二つ上の先輩。
彼は心は自由でいたい言っていた。
その女性と話す時、私には見せない楽しそうな笑顔を向ける貴方を見て、胸が張り裂けそうになる。
友人たちは言う。お互いに干渉しない割り切った夫婦のほうが気が楽だって……。
だから私は彼が自由になれるように、魔女にこの激しい気持ちを封印してもらったの。
※このお話はハッピーエンドではありません。
※短いお話でサクサクと進めたいと思います。
【完結】恋は、終わったのです
楽歩
恋愛
幼い頃に決められた婚約者、セオドアと共に歩む未来。それは決定事項だった。しかし、いつしか冷たい現実が訪れ、彼の隣には別の令嬢の笑顔が輝くようになる。
今のような関係になったのは、いつからだったのだろう。
『分からないだろうな、お前のようなでかくて、エマのように可愛げのない女には』
身長を追い越してしまった時からだろうか。
それとも、特進クラスに私だけが入った時だろうか。
あるいは――あの子に出会った時からだろうか。
――それでも、リディアは平然を装い続ける。胸に秘めた思いを隠しながら。
報われない恋の行方〜いつかあなたは私だけを見てくれますか〜
矢野りと
恋愛
『少しだけ私に時間をくれないだろうか……』
彼はいつだって誠実な婚約者だった。
嘘はつかず私に自分の気持ちを打ち明け、学園にいる間だけ想い人のこともその目に映したいと告げた。
『想いを告げることはしない。ただ見ていたいんだ。どうか、許して欲しい』
『……分かりました、ロイド様』
私は彼に恋をしていた。だから、嫌われたくなくて……それを許した。
結婚後、彼は約束通りその瞳に私だけを映してくれ嬉しかった。彼は誠実な夫となり、私は幸せな妻になれた。
なのに、ある日――彼の瞳に映るのはまた二人になっていた……。
※この作品の設定は架空のものです。
※お話の内容があわないは時はそっと閉じてくださいませ。
不実なあなたに感謝を
黒木メイ
恋愛
王太子妃であるベアトリーチェと踊るのは最初のダンスのみ。落ち人のアンナとは望まれるまま何度も踊るのに。王太子であるマルコが誰に好意を寄せているかははたから見れば一目瞭然だ。けれど、マルコが心から愛しているのはベアトリーチェだけだった。そのことに気づいていながらも受け入れられないベアトリーチェ。そんな時、マルコとアンナがとうとう一線を越えたことを知る。――――不実なあなたを恨んだ回数は数知れず。けれど、今では感謝すらしている。愚かなあなたのおかげで『幸せ』を取り戻すことができたのだから。
※異世界転移をしている登場人物がいますが主人公ではないためタグを外しています。
※曖昧設定。
※一旦完結。
※性描写は匂わせ程度。
※小説家になろう様、カクヨム様にも掲載予定。
【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜
高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。
婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。
それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。
何故、そんな事に。
優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。
婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。
リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。
悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。
【完結】忘れてください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。
貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。
夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。
貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。
もういいの。
私は貴方を解放する覚悟を決めた。
貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。
私の事は忘れてください。
※6月26日初回完結
7月12日2回目完結しました。
お読みいただきありがとうございます。
寡黙な貴方は今も彼女を想う
MOMO-tank
恋愛
婚約者以外の女性に夢中になり、婚約者を蔑ろにしたうえ婚約破棄した。
ーーそんな過去を持つ私の旦那様は、今もなお後悔し続け、元婚約者を想っている。
シドニーは王宮で側妃付きの侍女として働く18歳の子爵令嬢。見た目が色っぽいシドニーは文官にしつこくされているところを眼光鋭い年上の騎士に助けられる。その男性とは辺境で騎士として12年、数々の武勲をあげ一代限りの男爵位を授かったクライブ・ノックスだった。二人はこの時を境に会えば挨拶を交わすようになり、いつしか婚約話が持ち上がり結婚する。
言葉少ないながらも彼の優しさに幸せを感じていたある日、クライブの元婚約者で現在は未亡人となった美しく儚げなステラ・コンウォール前伯爵夫人と夜会で再会する。
※設定はゆるいです。
※溺愛タグ追加しました。
〈完結〉だってあなたは彼女が好きでしょう?
ごろごろみかん。
恋愛
「だってあなたは彼女が好きでしょう?」
その言葉に、私の婚約者は頷いて答えた。
「うん。僕は彼女を愛している。もちろん、きみのことも」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる