侯爵令嬢の四十日間 ――均衡が国を変えるまで

ふわふわ

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第十二話 広がる不安

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第十二話 広がる不安

王都の市場は、今日も開いている。

人もいる。品も並んでいる。笑い声も、まだ消えてはいない。

けれど、どこか落ち着かない。

「また再発だって?」 「昨日祈ってもらった子が、今朝また熱を出したらしい」

声は小さい。

だが確実に広がっている。

熱病は命を奪うほどではない。だが、治っても数日で戻る。

聖女セシリアは連日祈祷を続けていた。

大聖堂の奥、彼女は椅子に座り、深く息を吐く。

「……また、広がっています」

側に控える司祭が小声で報告する。

「今朝は西区で十七名」

セシリアは目を閉じる。

「昨日は東区だったはずです」

「はい」

「……なぜ止まらないのでしょう」

彼女の声は震えていない。

だが、疲労は隠せない。

王太子アシュレイが歩み寄る。

「焦るな。民は君を信じている」

「ですが、効き目が短く……」

「回数を増やせばよい」

「殿下、私の魔力は有限です」

その言葉に、アシュレイは一瞬言葉を失う。

有限。

彼はそれを考えたことがなかった。

聖女の力は、常に尽きないものだと信じていた。

「……休め」

ようやく絞り出した声。

「休めば、戻るだろう」

だが彼の胸にも、焦燥が芽生え始めていた。

その頃、辺境伯領。

私は城下の商人と話していた。

「王都では倉庫火災が続いているとか」

「こちらでは一件もありません」

商人は笑う。

「今年は本当に順調です。北方からの毛皮も予定通り入りました」

「輸送路は安定しているのですね」

「ええ。不思議なほど」

私はうなずく。

王都では橋が沈み、馬が転び、倉庫が焼ける。

こちらでは、何も起きない。

午後、家令が帳簿を抱えてやって来た。

「今月の損失、過去最低です」

「事故率は?」

「前年の三分の一」

ディルクは静かに報告を聞く。

やがて、私に視線を向けた。

「王都の事故率は、上がっている」

「存じております」

「こちらは下がっている」

私は紅茶に口をつける。

「流れは、移ることがございますわ」

自分でもなぜそんな言葉が出たのか分からない。

ディルクはわずかに眉を上げる。

「移る?」

「ええ。悪い流れが抜ければ、良い流れが入ることも」

彼はしばらく沈黙し、やがて小さく頷いた。

夜。

王都では、ささやきが形を持ち始めていた。

「聖女様がいれば安心、だったはずなのに」 「でも止まらない」

「……あの令嬢が去ってからだ」

その言葉が、初めて明確に口に出された。

すぐに誰かが否定する。

「迷信だろう」

「関係あるわけがない」

だが、否定の声は強くない。

不安は、理由を探す。

理由が見つからなければ、物語を作る。

辺境の夜。

私は塔の上に立つ。

空は澄み、星がはっきり見える。

胸の奥の灯は、今日も穏やかだ。

強くもなく、弱くもない。

ただ、一定。

「……私は、ただここにいるだけ」

呟きは風に溶ける。

だが王都では、不安が風のように広がっている。

まだ誰も断言しない。

だが、問いは生まれた。

なぜ止まらないのか。

なぜ辺境は静かなのか。

そして――

なぜ、あの令嬢が去った直後からなのか。

広がるのは、病だけではない。

不安そのものが、王都を覆い始めていた。
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