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1 祈りの公爵令嬢
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1 祈りの公爵令嬢
王都の鐘が三度鳴り響くと、大聖堂の扉が静かに開かれた。
朝の光が長い回廊を照らし、その先に立つ一人の少女を浮かび上がらせる。
フィート・セインテス公爵令嬢。
王国が誇る聖女である。
白い祭服に身を包み、胸元には細い銀の鎖。その先に揺れる小さな祈り石が、柔らかな光を反射している。飾りはそれだけ。豪奢さはない。だが、彼女の立つ姿そのものが、何よりの威厳だった。
聖堂の外には、既に多くの民が集まっている。
農夫、職人、兵士の家族、貴婦人、子供。
彼らは静かに頭を垂れ、彼女が歩み出るのを待っていた。
誰もが知っている。
この少女が、祈るとき。
熱にうなされた子が目を覚まし、
折れた骨が癒え、
疫病が静まり、
戦場に出た息子が生きて帰る。
奇跡は、噂ではない。
彼らは、救われたのだ。
フィートは一人一人を見渡した。
目を合わせる。
笑わない。
誇らない。
ただ、静かに頷く。
「本日は、豊穣と平穏を祈ります」
澄んだ声が広がる。
聖堂の空気が変わる。
彼女が膝を折り、両手を組むと、祈り石が淡く光を帯びる。光は強くはない。眩しくもない。ただ、温かい。
集まった人々の肩から、力が抜ける。
不安が和らぐ。
涙ぐむ者もいる。
派手な閃光も轟音もない。ただ静かな、確かな安らぎ。
それがフィートの祈りだった。
やがて彼女は立ち上がる。
祈りは終わった。
だが人々は動かない。
一人の老婆が震える足で前に出た。
「聖女様……あの子が、歩けるようになりました」
かつて足を悪くし、医師に匙を投げられた孫。
フィートはその子の名を呼び、祈った。
奇跡という言葉がふさわしい出来事だった。
「それは、その子の生きる力が強かったのです」
フィートはそう答える。
決して自分の功績にしない。
だが老婆は首を振る。
「いいえ、聖女様のおかげです」
その言葉が、周囲に広がる。
「聖女様のおかげで今年は豊作でした」
「夫が戦場から戻りました」
「子が熱から助かりました」
“聖女様のおかげ”。
それが合言葉のように繰り返される。
フィートは目を伏せた。
称賛を受け取るために祈っているのではない。
祈りは義務でも、見返りのためでもない。
ただ、そこに苦しむ者がいるから。
彼女は、祈る。
だが、その様子を遠くから見つめる視線があった。
王太子ヴェイン・ヴァニティ。
未来の国王。
黄金の装束に身を包み、整えられた金髪を揺らしながら、彼は聖堂の柱の影に立っている。
表情は穏やかだった。
だが、その目は笑っていない。
耳に届く言葉。
「聖女様のおかげです」
その主語に、彼の名はない。
本来であれば。
豊穣も平穏も、王家の威光のもとにあるはずだ。
奇跡も、王家の加護の象徴であるはずだ。
それなのに。
人々の視線は、王太子ではなく、聖女へ向けられている。
彼はゆっくりと息を吐いた。
胸の奥に、微かな棘が刺さる。
まだ小さい。
だが確かに存在する違和感。
なぜ、あれほどの称賛が。
未来の王ではなく、あの公爵令嬢に向くのか。
フィートが聖堂を去ると、人々は深く頭を下げた。
その様子は、まるで王に対する礼のようだった。
ヴェインの指が、わずかに強く握られる。
自分は王太子だ。
この国の中心。
すべては王家のもとにある。
そう教えられてきた。
そう信じてきた。
だが今。
王都の心は、別の存在に向いている。
フィートは聖堂の奥へと戻る。
振り返らない。
王太子の視線に気づいているのか、いないのか。
祈り石の光は、すでに消えていた。
残ったのは、安堵と感謝に満ちた空気。
そして、中心に立てない男の、かすかな苛立ち。
この日、まだ誰も知らない。
祈りの光の陰で、
虚栄が芽吹いたことを。
その芽がやがて、
一人の男のすべてを焼き尽くすことを。
王都は穏やかだった。
空は高く、雲は白い。
フィートは今日も祈る。
そしてヴェインは、微笑みながら見つめる。
その微笑みの奥に、静かな嫉妬を宿したまま。
王都の鐘が三度鳴り響くと、大聖堂の扉が静かに開かれた。
朝の光が長い回廊を照らし、その先に立つ一人の少女を浮かび上がらせる。
フィート・セインテス公爵令嬢。
王国が誇る聖女である。
白い祭服に身を包み、胸元には細い銀の鎖。その先に揺れる小さな祈り石が、柔らかな光を反射している。飾りはそれだけ。豪奢さはない。だが、彼女の立つ姿そのものが、何よりの威厳だった。
聖堂の外には、既に多くの民が集まっている。
農夫、職人、兵士の家族、貴婦人、子供。
彼らは静かに頭を垂れ、彼女が歩み出るのを待っていた。
誰もが知っている。
この少女が、祈るとき。
熱にうなされた子が目を覚まし、
折れた骨が癒え、
疫病が静まり、
戦場に出た息子が生きて帰る。
奇跡は、噂ではない。
彼らは、救われたのだ。
フィートは一人一人を見渡した。
目を合わせる。
笑わない。
誇らない。
ただ、静かに頷く。
「本日は、豊穣と平穏を祈ります」
澄んだ声が広がる。
聖堂の空気が変わる。
彼女が膝を折り、両手を組むと、祈り石が淡く光を帯びる。光は強くはない。眩しくもない。ただ、温かい。
集まった人々の肩から、力が抜ける。
不安が和らぐ。
涙ぐむ者もいる。
派手な閃光も轟音もない。ただ静かな、確かな安らぎ。
それがフィートの祈りだった。
やがて彼女は立ち上がる。
祈りは終わった。
だが人々は動かない。
一人の老婆が震える足で前に出た。
「聖女様……あの子が、歩けるようになりました」
かつて足を悪くし、医師に匙を投げられた孫。
フィートはその子の名を呼び、祈った。
奇跡という言葉がふさわしい出来事だった。
「それは、その子の生きる力が強かったのです」
フィートはそう答える。
決して自分の功績にしない。
だが老婆は首を振る。
「いいえ、聖女様のおかげです」
その言葉が、周囲に広がる。
「聖女様のおかげで今年は豊作でした」
「夫が戦場から戻りました」
「子が熱から助かりました」
“聖女様のおかげ”。
それが合言葉のように繰り返される。
フィートは目を伏せた。
称賛を受け取るために祈っているのではない。
祈りは義務でも、見返りのためでもない。
ただ、そこに苦しむ者がいるから。
彼女は、祈る。
だが、その様子を遠くから見つめる視線があった。
王太子ヴェイン・ヴァニティ。
未来の国王。
黄金の装束に身を包み、整えられた金髪を揺らしながら、彼は聖堂の柱の影に立っている。
表情は穏やかだった。
だが、その目は笑っていない。
耳に届く言葉。
「聖女様のおかげです」
その主語に、彼の名はない。
本来であれば。
豊穣も平穏も、王家の威光のもとにあるはずだ。
奇跡も、王家の加護の象徴であるはずだ。
それなのに。
人々の視線は、王太子ではなく、聖女へ向けられている。
彼はゆっくりと息を吐いた。
胸の奥に、微かな棘が刺さる。
まだ小さい。
だが確かに存在する違和感。
なぜ、あれほどの称賛が。
未来の王ではなく、あの公爵令嬢に向くのか。
フィートが聖堂を去ると、人々は深く頭を下げた。
その様子は、まるで王に対する礼のようだった。
ヴェインの指が、わずかに強く握られる。
自分は王太子だ。
この国の中心。
すべては王家のもとにある。
そう教えられてきた。
そう信じてきた。
だが今。
王都の心は、別の存在に向いている。
フィートは聖堂の奥へと戻る。
振り返らない。
王太子の視線に気づいているのか、いないのか。
祈り石の光は、すでに消えていた。
残ったのは、安堵と感謝に満ちた空気。
そして、中心に立てない男の、かすかな苛立ち。
この日、まだ誰も知らない。
祈りの光の陰で、
虚栄が芽吹いたことを。
その芽がやがて、
一人の男のすべてを焼き尽くすことを。
王都は穏やかだった。
空は高く、雲は白い。
フィートは今日も祈る。
そしてヴェインは、微笑みながら見つめる。
その微笑みの奥に、静かな嫉妬を宿したまま。
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