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2 称賛の主語
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2 称賛の主語
大聖堂での祈りの後、王宮の回廊はいつもよりざわめいていた。
貴族たちが小声で語り合い、侍女たちが興奮を隠しきれない様子で行き交う。
「本日も奇跡が起きたそうですよ」 「北門の兵の傷が、あっという間に……」 「やはり聖女様のおかげですわ」
その言葉が、幾度となく繰り返される。
――聖女様のおかげ。
王太子ヴェインは、窓辺に立ち、庭園を見下ろしていた。
背後から聞こえる声に、表情は変えない。
むしろ、穏やかな微笑みさえ浮かべている。
「素晴らしいことだ」
そう答えながら、指先で窓枠を軽く叩く。
軽い音。
だが胸の奥では、別の音がしていた。
きしり、と。
王宮の庭園では、子供たちが遊んでいる。
侍女の一人が、別の侍女に言った。
「昨日も母が申しておりました。『聖女様がいる限り、この国は安泰だ』と」
安泰。
その言葉に、ヴェインの視線がわずかに鋭くなる。
この国が安泰なのは、王家があるからだ。
王が統治し、軍が守り、法律が秩序を保つ。
その頂点に立つのは、自分だ。
だが民衆の口にのぼるのは、聖女の名ばかり。
彼は振り返った。
「……最近、民の声はどうだ」
問いかけに、側近の一人が姿勢を正す。
「はっ。聖女様への信頼は、日に日に高まっております。教会への寄進も増え、巡礼者も王都へと……」
「王家への声は」
側近は一瞬言葉を詰まらせる。
「……安定しております」
曖昧な答え。
ヴェインは笑った。
「安定、か」
安定とは、熱狂ではない。
安定とは、静かな支持だ。
だが、今、熱狂は別の方向に向いている。
彼はゆっくりと歩き出す。
廊下の奥、王族専用の広間へと。
その途中、開け放たれた窓の外から、街の喧騒が聞こえた。
「聖女様のおかげで、子が助かりました」 「聖女様がいらっしゃる限り、この国は守られる」
まただ。
その主語。
聖女様。
自分ではない。
ヴェインは立ち止まる。
胸の奥に、説明のつかない違和感が広がる。
なぜ、そこに自分の名がないのか。
本来であれば、こう言うべきではないのか。
“王家の御威光のおかげで”。
“未来の国王陛下のお導きで”。
だが民衆は、王太子の名を挟まない。
まるで、彼女が国そのものを支えているかのように。
「殿下」
側近が声をかける。
「聖女様はあくまで王家に仕える立場。称賛が集まるのも、王家の権威あってのことかと」
慰めにも似た言葉。
だがそれが、逆に苛立ちを生む。
“あくまで仕える立場”。
では、なぜ仕える者が、これほどの熱を集めるのか。
ヴェインはゆっくりと振り返った。
「……称賛とは、誰に向けられるべきだと思う」
唐突な問い。
側近は慎重に答える。
「王家に、でございます」
「そうだ」
ヴェインは静かに頷く。
「国の中心は王家だ。奇跡も豊穣も平穏も、王のもとにある」
言葉にしながら、自らを納得させる。
だが胸の奥の棘は抜けない。
聖女フィートは、決して誇らない。
自分が中心だと主張しない。
だが民衆が勝手に中心にしている。
それが、気に入らない。
ふと、記憶がよみがえる。
幼い頃、庭園で転び、膝を擦りむいた。
母后は優しく抱きしめた。
「あなたは特別な子。いずれ、この国のすべてを背負うのです」
特別。
その言葉は、彼の核だった。
常に中心であること。
常に注目を浴びること。
それが当たり前。
それが当然。
だが今。
注目は別の場所にある。
王都の広場で、子供が叫んでいる。
「大きくなったら、聖女様みたいになりたい!」
その声が、風に乗って届く。
ヴェインの唇が、わずかに歪む。
「……聖女、か」
名を口にするだけで、胸がざわつく。
憎しみではない。
だが、落ち着かない。
称賛の主語が、自分ではない。
その事実が、じわりと彼の心を蝕み始めていた。
まだ小さな違和感。
まだ言葉にできない苛立ち。
だがそれは確実に、形を持ち始めている。
窓の外、青空は広い。
王都は今日も平穏。
人々は感謝を口にする。
――聖女様のおかげです。
その言葉が、何度も何度も、彼の耳に残る。
未来の王の名を置き去りにして。
大聖堂での祈りの後、王宮の回廊はいつもよりざわめいていた。
貴族たちが小声で語り合い、侍女たちが興奮を隠しきれない様子で行き交う。
「本日も奇跡が起きたそうですよ」 「北門の兵の傷が、あっという間に……」 「やはり聖女様のおかげですわ」
その言葉が、幾度となく繰り返される。
――聖女様のおかげ。
王太子ヴェインは、窓辺に立ち、庭園を見下ろしていた。
背後から聞こえる声に、表情は変えない。
むしろ、穏やかな微笑みさえ浮かべている。
「素晴らしいことだ」
そう答えながら、指先で窓枠を軽く叩く。
軽い音。
だが胸の奥では、別の音がしていた。
きしり、と。
王宮の庭園では、子供たちが遊んでいる。
侍女の一人が、別の侍女に言った。
「昨日も母が申しておりました。『聖女様がいる限り、この国は安泰だ』と」
安泰。
その言葉に、ヴェインの視線がわずかに鋭くなる。
この国が安泰なのは、王家があるからだ。
王が統治し、軍が守り、法律が秩序を保つ。
その頂点に立つのは、自分だ。
だが民衆の口にのぼるのは、聖女の名ばかり。
彼は振り返った。
「……最近、民の声はどうだ」
問いかけに、側近の一人が姿勢を正す。
「はっ。聖女様への信頼は、日に日に高まっております。教会への寄進も増え、巡礼者も王都へと……」
「王家への声は」
側近は一瞬言葉を詰まらせる。
「……安定しております」
曖昧な答え。
ヴェインは笑った。
「安定、か」
安定とは、熱狂ではない。
安定とは、静かな支持だ。
だが、今、熱狂は別の方向に向いている。
彼はゆっくりと歩き出す。
廊下の奥、王族専用の広間へと。
その途中、開け放たれた窓の外から、街の喧騒が聞こえた。
「聖女様のおかげで、子が助かりました」 「聖女様がいらっしゃる限り、この国は守られる」
まただ。
その主語。
聖女様。
自分ではない。
ヴェインは立ち止まる。
胸の奥に、説明のつかない違和感が広がる。
なぜ、そこに自分の名がないのか。
本来であれば、こう言うべきではないのか。
“王家の御威光のおかげで”。
“未来の国王陛下のお導きで”。
だが民衆は、王太子の名を挟まない。
まるで、彼女が国そのものを支えているかのように。
「殿下」
側近が声をかける。
「聖女様はあくまで王家に仕える立場。称賛が集まるのも、王家の権威あってのことかと」
慰めにも似た言葉。
だがそれが、逆に苛立ちを生む。
“あくまで仕える立場”。
では、なぜ仕える者が、これほどの熱を集めるのか。
ヴェインはゆっくりと振り返った。
「……称賛とは、誰に向けられるべきだと思う」
唐突な問い。
側近は慎重に答える。
「王家に、でございます」
「そうだ」
ヴェインは静かに頷く。
「国の中心は王家だ。奇跡も豊穣も平穏も、王のもとにある」
言葉にしながら、自らを納得させる。
だが胸の奥の棘は抜けない。
聖女フィートは、決して誇らない。
自分が中心だと主張しない。
だが民衆が勝手に中心にしている。
それが、気に入らない。
ふと、記憶がよみがえる。
幼い頃、庭園で転び、膝を擦りむいた。
母后は優しく抱きしめた。
「あなたは特別な子。いずれ、この国のすべてを背負うのです」
特別。
その言葉は、彼の核だった。
常に中心であること。
常に注目を浴びること。
それが当たり前。
それが当然。
だが今。
注目は別の場所にある。
王都の広場で、子供が叫んでいる。
「大きくなったら、聖女様みたいになりたい!」
その声が、風に乗って届く。
ヴェインの唇が、わずかに歪む。
「……聖女、か」
名を口にするだけで、胸がざわつく。
憎しみではない。
だが、落ち着かない。
称賛の主語が、自分ではない。
その事実が、じわりと彼の心を蝕み始めていた。
まだ小さな違和感。
まだ言葉にできない苛立ち。
だがそれは確実に、形を持ち始めている。
窓の外、青空は広い。
王都は今日も平穏。
人々は感謝を口にする。
――聖女様のおかげです。
その言葉が、何度も何度も、彼の耳に残る。
未来の王の名を置き去りにして。
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