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5 虚栄心
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5 虚栄心
祈祷式の翌日、王宮はいつもと変わらぬ静けさに包まれていた。
だがその静けさの裏で、王太子ヴェインの胸の内だけが騒がしかった。
彼は私室の机に向かい、王都各地から上がってくる報告書に目を通している。
豊作の見込み。
疫病の沈静。
戦地からの無事帰還。
そのどれもに、同じ文言が記されていた。
――聖女フィートの祈りにより。
ペンを持つ手が止まる。
ゆっくりと、机に置く。
報告書の束を閉じ、背もたれに身を預ける。
「……当然のことだ」
小さく呟く。
聖女は王家に仕える存在だ。
その力もまた、王家の威光の延長。
ゆえに、称賛は巡り巡って王家に戻るべきもの。
理屈は通っている。
だが現実は違う。
称賛は、直接、彼女へ向かう。
王家を経由せずに。
彼は立ち上がり、窓辺に歩み寄る。
王都の屋根が広がる景色。
遠くで、教会の鐘が鳴る。
その音が鳴るたび、人々は聖女を思い浮かべるのだろう。
王をではなく。
王太子をではなく。
「殿下」
側近が控えめに声をかける。
「何だ」
「先日の祈祷式についてですが……王都での評判は、非常に高く」
「それは知っている」
言葉を遮る。
側近は言葉を選びながら続けた。
「民は、聖女様を“国の光”と呼び始めております」
国の光。
その言葉が、胸に刺さる。
光は一つでよい。
いや、一つでなければならない。
王国の光は、王家であるべきだ。
ヴェインは振り返る。
「……光は、誰が与えるものだ」
唐突な問い。
側近は即座に答える。
「王家にございます」
「そうだ」
ゆっくりと頷く。
「奇跡も豊穣も、王の統治あってこそ。聖女の祈りも、王家の庇護があればこそ」
理屈は正しい。
だがそれでも。
民は、王家ではなく聖女の名を呼ぶ。
その事実が、どうしても飲み込めない。
彼は歩き出す。
回廊を抜け、王族専用の応接室へ。
重厚な扉を閉めると、静寂が広がった。
「……称賛は、王に向くべきだ」
低い声。
側近は息を呑む。
「殿下……?」
「王とは、国の象徴だ。民は王を仰ぎ、王は民を導く。そうでなければ秩序は保てぬ」
その言葉には、理性がある。
だがその奥に、別の感情が混じっている。
「聖女はあくまで仕える立場。王家のもとにある存在だ」
そこまで言って、わずかに言葉が強くなる。
「それが、あたかも王家と並ぶかのような扱いは……正しくない」
正しくない。
そうだ、これは正しさの問題だ。
決して個人的な感情ではない。
秩序の維持。
王権の安定。
国家のため。
自分にそう言い聞かせる。
だが、胸の奥の本音は、もっと単純だった。
なぜ自分ではないのか。
未来の王である自分ではなく、
公爵令嬢に、あれほどの視線が集まるのか。
ヴェインは拳を握る。
幼い頃から、彼は特別だった。
祝福を受け、教育を受け、王となる運命を与えられた。
特別であることは、当然だった。
それが揺らぐことなど、考えたこともなかった。
だが今。
王都の空気は、別の存在を中心に回っている。
それが、耐えがたい。
「殿下……」
側近が慎重に口を開く。
「聖女様の力は、王家の威光をより強めるものかと」
「強める?」
ヴェインの瞳が細くなる。
「王家の威光は、他者に強めてもらうものではない」
その声は静かだが、冷たい。
彼の中で、何かが固まりつつあった。
聖女は悪意を持っていない。
王家を脅かそうとしているわけでもない。
だが。
結果として、民の心は彼女へ傾いている。
それは事実。
ならば。
正さなければならない。
秩序を。
中心を。
光を。
ヴェインは窓の外を見る。
王都は今日も穏やかだ。
人々は祈り、感謝し、明日を信じている。
その中心に、自分がいないことを除けば。
「……称賛は、王に向くべきだ」
再び呟く。
それは信念のようでいて、
実のところは願望に近かった。
虚栄心は、まだ理屈の衣をまとっている。
だがその衣の内側で、
確実に肥大していた。
自分こそが中心であるべきだという、揺るがぬ思いが。
そしてその思いは、やがて――
取り返しのつかない選択へと、彼を導くことになる。
祈祷式の翌日、王宮はいつもと変わらぬ静けさに包まれていた。
だがその静けさの裏で、王太子ヴェインの胸の内だけが騒がしかった。
彼は私室の机に向かい、王都各地から上がってくる報告書に目を通している。
豊作の見込み。
疫病の沈静。
戦地からの無事帰還。
そのどれもに、同じ文言が記されていた。
――聖女フィートの祈りにより。
ペンを持つ手が止まる。
ゆっくりと、机に置く。
報告書の束を閉じ、背もたれに身を預ける。
「……当然のことだ」
小さく呟く。
聖女は王家に仕える存在だ。
その力もまた、王家の威光の延長。
ゆえに、称賛は巡り巡って王家に戻るべきもの。
理屈は通っている。
だが現実は違う。
称賛は、直接、彼女へ向かう。
王家を経由せずに。
彼は立ち上がり、窓辺に歩み寄る。
王都の屋根が広がる景色。
遠くで、教会の鐘が鳴る。
その音が鳴るたび、人々は聖女を思い浮かべるのだろう。
王をではなく。
王太子をではなく。
「殿下」
側近が控えめに声をかける。
「何だ」
「先日の祈祷式についてですが……王都での評判は、非常に高く」
「それは知っている」
言葉を遮る。
側近は言葉を選びながら続けた。
「民は、聖女様を“国の光”と呼び始めております」
国の光。
その言葉が、胸に刺さる。
光は一つでよい。
いや、一つでなければならない。
王国の光は、王家であるべきだ。
ヴェインは振り返る。
「……光は、誰が与えるものだ」
唐突な問い。
側近は即座に答える。
「王家にございます」
「そうだ」
ゆっくりと頷く。
「奇跡も豊穣も、王の統治あってこそ。聖女の祈りも、王家の庇護があればこそ」
理屈は正しい。
だがそれでも。
民は、王家ではなく聖女の名を呼ぶ。
その事実が、どうしても飲み込めない。
彼は歩き出す。
回廊を抜け、王族専用の応接室へ。
重厚な扉を閉めると、静寂が広がった。
「……称賛は、王に向くべきだ」
低い声。
側近は息を呑む。
「殿下……?」
「王とは、国の象徴だ。民は王を仰ぎ、王は民を導く。そうでなければ秩序は保てぬ」
その言葉には、理性がある。
だがその奥に、別の感情が混じっている。
「聖女はあくまで仕える立場。王家のもとにある存在だ」
そこまで言って、わずかに言葉が強くなる。
「それが、あたかも王家と並ぶかのような扱いは……正しくない」
正しくない。
そうだ、これは正しさの問題だ。
決して個人的な感情ではない。
秩序の維持。
王権の安定。
国家のため。
自分にそう言い聞かせる。
だが、胸の奥の本音は、もっと単純だった。
なぜ自分ではないのか。
未来の王である自分ではなく、
公爵令嬢に、あれほどの視線が集まるのか。
ヴェインは拳を握る。
幼い頃から、彼は特別だった。
祝福を受け、教育を受け、王となる運命を与えられた。
特別であることは、当然だった。
それが揺らぐことなど、考えたこともなかった。
だが今。
王都の空気は、別の存在を中心に回っている。
それが、耐えがたい。
「殿下……」
側近が慎重に口を開く。
「聖女様の力は、王家の威光をより強めるものかと」
「強める?」
ヴェインの瞳が細くなる。
「王家の威光は、他者に強めてもらうものではない」
その声は静かだが、冷たい。
彼の中で、何かが固まりつつあった。
聖女は悪意を持っていない。
王家を脅かそうとしているわけでもない。
だが。
結果として、民の心は彼女へ傾いている。
それは事実。
ならば。
正さなければならない。
秩序を。
中心を。
光を。
ヴェインは窓の外を見る。
王都は今日も穏やかだ。
人々は祈り、感謝し、明日を信じている。
その中心に、自分がいないことを除けば。
「……称賛は、王に向くべきだ」
再び呟く。
それは信念のようでいて、
実のところは願望に近かった。
虚栄心は、まだ理屈の衣をまとっている。
だがその衣の内側で、
確実に肥大していた。
自分こそが中心であるべきだという、揺るがぬ思いが。
そしてその思いは、やがて――
取り返しのつかない選択へと、彼を導くことになる。
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