4 / 40
4 嫉妬
しおりを挟む
4 嫉妬
王都最大の祈祷式の日。
大聖堂前の広場は、まだ朝だというのに人で埋め尽くされていた。
農夫たちは収穫前の麦束を抱え、商人たちは布や香料を持ち寄り、兵士の家族は祈りの札を胸に押し当てている。子どもたちは背伸びをし、大人の隙間から前を覗こうとしていた。
広場の中心に設けられた祭壇には、純白の布がかけられている。
その前に立つのは――フィート・セインテス。
聖女。
王国の祈りの象徴。
王太子ヴェインは、聖堂の高窓の奥からその光景を見下ろしていた。
彼のために用意された特別席。
本来なら、民衆は王太子の姿を見て歓声を上げるべきだった。
だが。
「聖女様だ……!」
「お姿を……!」
ざわめきは、祭壇へと集中している。
フィートがゆっくりと両手を掲げる。
それだけで、広場は水を打ったように静まった。
彼女は何も誇示しない。
声を張り上げることもない。
ただ静かに、目を閉じる。
その瞬間。
淡い光が、彼女の足元から広がった。
広場を包む、温かな光。
誰もが息を呑む。
祈りの石が淡く輝き、空気がやわらかく震える。
光は強くない。
だが確かに、そこにある。
涙を流す女。
両手を組む兵士。
額を地面につける老人。
「聖女様……!」
その声は、歓声ではない。
救われた者の、安堵の声だ。
ヴェインは、無言でその様子を見つめていた。
光が揺らぐたび、民衆の心が彼女へ傾いていくのがわかる。
それは、力ではない。
恐怖でもない。
信頼。
自発的な信頼。
王家が与える威厳とは違う。
王家の権威は、生まれながらにある。
だが聖女の信頼は、積み重ねられている。
その違いが、胸を刺した。
やがて祈りは終わる。
フィートは静かに頭を下げる。
その瞬間。
広場は大きな拍手と歓声に包まれた。
「聖女様、万歳!」
「聖女様に祝福を!」
万歳。
その言葉は、王に向けられるべきものだ。
王族に。
未来の王に。
ヴェインの喉の奥で、何かがひりついた。
拍手は鳴り止まない。
広場の熱は冷めない。
彼はゆっくりと拳を握る。
なぜ。
なぜ、あれほどの熱が。
王家ではなく、彼女へ向けられる。
フィートは顔を上げ、民衆を見渡した。
その目に誇りはない。
傲慢もない。
ただ、柔らかい光。
それが余計に腹立たしい。
もし彼女が驕っていれば、責める理由があった。
もし彼女が権力を求めていれば、断罪も容易だった。
だが彼女は何も求めていない。
それなのに、民が勝手に彼女を持ち上げる。
その構図が、許せない。
「……殿下」
側近が小声で呼ぶ。
「見事な祈りでございましたな」
見事。
その言葉に、ヴェインの視線が冷たくなる。
「奇跡など、検証不能だ」
低い声。
側近は戸惑う。
「ですが、実際に救われた者が……」
「偶然だ」
即答だった。
「人は信じたいものを信じる」
だが、その言葉は自分に向けられているようでもあった。
広場では、子どもが叫ぶ。
「聖女様みたいになりたい!」
その声が、空に響く。
ヴェインの胸の奥で、何かが決定的に歪む。
未来の王。
中心。
太陽。
それは自分であるはずだ。
なのに。
今、王都の中心に立っているのは、別の存在。
彼は目を細めた。
フィートの姿が、小さく見える。
だが、その存在感は、あまりにも大きい。
嫉妬。
その言葉を、彼はまだ認めない。
これは秩序への懸念だ。
王家の威光を守るための思考だ。
そう言い聞かせる。
だが胸の奥の熱は、静かに燃え続けている。
広場の歓声は、やがて波のように引いていく。
フィートは祭壇を降り、教会の奥へと姿を消す。
人々は名残惜しそうに見送る。
その視線に、王太子の姿はない。
ヴェインは背を向ける。
回廊を歩きながら、唇を噛む。
太陽は一つでなければならない。
二つあれば、秩序は乱れる。
王国に中心は一つ。
それは王であるべきだ。
彼は自分に言い聞かせる。
これは嫉妬ではない。
王権を守るための思考だ。
だが胸の奥で、確かに生まれた感情は。
静かに、しかし確実に。
彼の理性を侵食し始めていた。
王都最大の祈祷式の日。
大聖堂前の広場は、まだ朝だというのに人で埋め尽くされていた。
農夫たちは収穫前の麦束を抱え、商人たちは布や香料を持ち寄り、兵士の家族は祈りの札を胸に押し当てている。子どもたちは背伸びをし、大人の隙間から前を覗こうとしていた。
広場の中心に設けられた祭壇には、純白の布がかけられている。
その前に立つのは――フィート・セインテス。
聖女。
王国の祈りの象徴。
王太子ヴェインは、聖堂の高窓の奥からその光景を見下ろしていた。
彼のために用意された特別席。
本来なら、民衆は王太子の姿を見て歓声を上げるべきだった。
だが。
「聖女様だ……!」
「お姿を……!」
ざわめきは、祭壇へと集中している。
フィートがゆっくりと両手を掲げる。
それだけで、広場は水を打ったように静まった。
彼女は何も誇示しない。
声を張り上げることもない。
ただ静かに、目を閉じる。
その瞬間。
淡い光が、彼女の足元から広がった。
広場を包む、温かな光。
誰もが息を呑む。
祈りの石が淡く輝き、空気がやわらかく震える。
光は強くない。
だが確かに、そこにある。
涙を流す女。
両手を組む兵士。
額を地面につける老人。
「聖女様……!」
その声は、歓声ではない。
救われた者の、安堵の声だ。
ヴェインは、無言でその様子を見つめていた。
光が揺らぐたび、民衆の心が彼女へ傾いていくのがわかる。
それは、力ではない。
恐怖でもない。
信頼。
自発的な信頼。
王家が与える威厳とは違う。
王家の権威は、生まれながらにある。
だが聖女の信頼は、積み重ねられている。
その違いが、胸を刺した。
やがて祈りは終わる。
フィートは静かに頭を下げる。
その瞬間。
広場は大きな拍手と歓声に包まれた。
「聖女様、万歳!」
「聖女様に祝福を!」
万歳。
その言葉は、王に向けられるべきものだ。
王族に。
未来の王に。
ヴェインの喉の奥で、何かがひりついた。
拍手は鳴り止まない。
広場の熱は冷めない。
彼はゆっくりと拳を握る。
なぜ。
なぜ、あれほどの熱が。
王家ではなく、彼女へ向けられる。
フィートは顔を上げ、民衆を見渡した。
その目に誇りはない。
傲慢もない。
ただ、柔らかい光。
それが余計に腹立たしい。
もし彼女が驕っていれば、責める理由があった。
もし彼女が権力を求めていれば、断罪も容易だった。
だが彼女は何も求めていない。
それなのに、民が勝手に彼女を持ち上げる。
その構図が、許せない。
「……殿下」
側近が小声で呼ぶ。
「見事な祈りでございましたな」
見事。
その言葉に、ヴェインの視線が冷たくなる。
「奇跡など、検証不能だ」
低い声。
側近は戸惑う。
「ですが、実際に救われた者が……」
「偶然だ」
即答だった。
「人は信じたいものを信じる」
だが、その言葉は自分に向けられているようでもあった。
広場では、子どもが叫ぶ。
「聖女様みたいになりたい!」
その声が、空に響く。
ヴェインの胸の奥で、何かが決定的に歪む。
未来の王。
中心。
太陽。
それは自分であるはずだ。
なのに。
今、王都の中心に立っているのは、別の存在。
彼は目を細めた。
フィートの姿が、小さく見える。
だが、その存在感は、あまりにも大きい。
嫉妬。
その言葉を、彼はまだ認めない。
これは秩序への懸念だ。
王家の威光を守るための思考だ。
そう言い聞かせる。
だが胸の奥の熱は、静かに燃え続けている。
広場の歓声は、やがて波のように引いていく。
フィートは祭壇を降り、教会の奥へと姿を消す。
人々は名残惜しそうに見送る。
その視線に、王太子の姿はない。
ヴェインは背を向ける。
回廊を歩きながら、唇を噛む。
太陽は一つでなければならない。
二つあれば、秩序は乱れる。
王国に中心は一つ。
それは王であるべきだ。
彼は自分に言い聞かせる。
これは嫉妬ではない。
王権を守るための思考だ。
だが胸の奥で、確かに生まれた感情は。
静かに、しかし確実に。
彼の理性を侵食し始めていた。
0
あなたにおすすめの小説
「エリアーナ? ああ、あの穀潰しか」と蔑んだ元婚約者へ。今、私は氷帝陛下の隣で大陸一の幸せを掴んでいます。
椎名シナ
恋愛
「エリアーナ? ああ、あの穀潰しか」
ーーかつて私、エリアーナ・フォン・クライネルは、婚約者であったクラウヴェルト王国第一王子アルフォンスにそう蔑まれ、偽りの聖女マリアベルの奸計によって全てを奪われ、追放されましたわ。ええ、ええ、あの時の絶望と屈辱、今でも鮮明に覚えていますとも。
ですが、ご心配なく。そんな私を拾い上げ、その凍てつくような瞳の奥に熱い情熱を秘めた隣国ヴァルエンデ帝国の若き皇帝、カイザー陛下が「お前こそが、我が探し求めた唯一無二の宝だ」と、それはもう、息もできないほどの熱烈な求愛と、とろけるような溺愛で私を包み込んでくださっているのですもの。
今ではヴァルエンデ帝国の皇后として、かつて「無能」と罵られた私の知識と才能は大陸全土を驚かせ、帝国にかつてない繁栄をもたらしていますのよ。あら、風の噂では、私を捨てたクラウヴェルト王国は、偽聖女の力が消え失せ、今や滅亡寸前だとか? 「エリアーナさえいれば」ですって?
これは、どん底に突き落とされた令嬢が、絶対的な権力と愛を手に入れ、かつて自分を見下した愚か者たちに華麗なる鉄槌を下し、大陸一の幸せを掴み取る、痛快極まりない逆転ざまぁ&極甘溺愛ストーリー。
さあ、元婚約者のアルフォンス様? 私の「穀潰し」ぶりが、どれほどのものだったか、その目でとくとご覧にいれますわ。もっとも、今のあなたに、その資格があるのかしら?
――え? ヴァルエンデ帝国からの公式声明? 「エリアーナ皇女殿下のご生誕を祝福し、クラウヴェルト王国には『適切な対応』を求める」ですって……?
「不細工なお前とは婚約破棄したい」と言ってみたら、秒で破棄されました。
桜乃
ファンタジー
ロイ王子の婚約者は、不細工と言われているテレーゼ・ハイウォール公爵令嬢。彼女からの愛を確かめたくて、思ってもいない事を言ってしまう。
「不細工なお前とは婚約破棄したい」
この一言が重要な言葉だなんて思いもよらずに。
※短編です。11/21に完結いたします。
※1回の投稿文字数は少な目です。
※前半と後半はストーリーの雰囲気が変わります。
表紙は「かんたん表紙メーカー2」にて作成いたしました。
❇❇❇❇❇❇❇❇❇
2024年10月追記
お読みいただき、ありがとうございます。
こちらの作品は完結しておりますが、10月20日より「番外編 バストリー・アルマンの事情」を追加投稿致しますので、一旦、表記が連載中になります。ご了承ください。
1ページの文字数は少な目です。
約4800文字程度の番外編です。
バストリー・アルマンって誰やねん……という読者様のお声が聞こえてきそう……(;´∀`)
ロイ王子の側近です。(←言っちゃう作者 笑)
※番外編投稿後は完結表記に致します。再び、番外編等を投稿する際には連載表記となりますこと、ご容赦いただけますと幸いです。
【完結】悪役令嬢ですが、元官僚スキルで断罪も陰謀も処理します。
かおり
ファンタジー
異世界で悪役令嬢に転生した元官僚。婚約破棄? 断罪? 全部ルールと書類で処理します。
謝罪してないのに謝ったことになる“限定謝罪”で、婚約者も貴族も黙らせる――バリキャリ令嬢の逆転劇!
※読んでいただき、ありがとうございます。ささやかな物語ですが、どこか少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
追放された私の代わりに入った女、三日で国を滅ぼしたらしいですよ?
タマ マコト
ファンタジー
王国直属の宮廷魔導師・セレス・アルトレイン。
白銀の髪に琥珀の瞳を持つ、稀代の天才。
しかし、その才能はあまりに“美しすぎた”。
王妃リディアの嫉妬。
王太子レオンの盲信。
そして、セレスを庇うはずだった上官の沈黙。
「あなたの魔法は冷たい。心がこもっていないわ」
そう言われ、セレスは**『無能』の烙印**を押され、王国から追放される。
彼女はただ一言だけ残した。
「――この国の炎は、三日で尽きるでしょう。」
誰もそれを脅しとは受け取らなかった。
だがそれは、彼女が未来を見通す“預言魔法”の言葉だったのだ。
「では、ごきげんよう」と去った悪役令嬢は破滅すら置き去りにして
東雲れいな
恋愛
「悪役令嬢」と噂される伯爵令嬢・ローズ。王太子殿下の婚約者候補だというのに、ヒロインから王子を奪おうなんて野心はまるでありません。むしろ彼女は、“わたくしはわたくしらしく”と胸を張り、周囲の冷たい視線にも毅然と立ち向かいます。
破滅を甘受する覚悟すらあった彼女が、誇り高く戦い抜くとき、運命は大きく動きだす。
もう私、好きなようにさせていただきますね? 〜とりあえず、元婚約者はコテンパン〜
野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
「婚約破棄ですね、はいどうぞ」
婚約者から、婚約破棄を言い渡されたので、そういう対応を致しました。
もう面倒だし、食い下がる事も辞めたのですが、まぁ家族が許してくれたから全ては大団円ですね。
……え? いまさら何ですか? 殿下。
そんな虫のいいお話に、まさか私が「はい分かりました」と頷くとは思っていませんよね?
もう私の、使い潰されるだけの生活からは解放されたのです。
だって私はもう貴方の婚約者ではありませんから。
これはそうやって、自らが得た自由の為に戦う令嬢の物語。
※本作はそれぞれ違うタイプのざまぁをお届けする、『野菜の夏休みざまぁ』作品、4作の内の1作です。
他作品は検索画面で『野菜の夏休みざまぁ』と打つとヒット致します。
だから聖女はいなくなった
澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
「聖女ラティアーナよ。君との婚約を破棄することをここに宣言する」
レオンクル王国の王太子であるキンバリーが婚約破棄を告げた相手は聖女ラティアーナである。
彼女はその婚約破棄を黙って受け入れた。さらに彼女は、新たにキンバリーと婚約したアイニスに聖女の証である首飾りを手渡すと姿を消した。
だが、ラティアーナがいなくなってから彼女のありがたみに気づいたキンバリーだが、すでにその姿はどこにもない。
キンバリーの弟であるサディアスが、兄のためにもラティアーナを探し始める。だが、彼女を探していくうちに、なぜ彼女がキンバリーとの婚約破棄を受け入れ、聖女という地位を退いたのかの理由を知る――。
※7万字程度の中編です。
どうも、死んだはずの悪役令嬢です。
西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。
皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。
アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。
「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」
こっそり呟いた瞬間、
《願いを聞き届けてあげるよ!》
何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。
「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」
義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。
今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで…
ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。
はたしてアシュレイは元に戻れるのか?
剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。
ざまあが書きたかった。それだけです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる