Воющий Xати ―月を追う者―

星野響

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狼の初仕事

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 ドアノブをそっと回転させ、木製扉を押し開ける。周囲をさっと見回す。
「異常見られず。行動を開始する」
了解パニャートナ。時期はそちらに任せる』
 音声を聞き取りやすいようイヤホン型無線機にそえていた指先を離し、俺はコンクリート舗装が為された公道に繰り出す。
 扉が開く音に反応したのか、通行人のうち何人かの目線がこちらへ向いた。が、彼らはすぐに正面を向き、立ち止まるどころか、二度見すらしてこない。
 それもそのはず。今、俺の身につけているのは、この国の男性の至極一般的な服装。つまり動きやすく通気性に優れたTシャツとジーンズである。ロシア人の、金髪や白い肌色、更にはネアンデルタール人の血を受け継ぐ顔立ちは、シリアの人々からすれば随分と異質なものなのだろうが、そこは目深に被った野球帽でカバーしていた。
 すれ違いのひげを頬一面にはやした地元男性にアラビア語で挨拶され、俺はうろ覚えの返事をする。発音には全くもって自信がなかったが、幸い男はこれといって違和感を感じなかったようだ。にこやかに俺の脇を通り過ぎていく。
 今のところ、俺が肩にかけたスポーツバッグを目に留める者はいない。万にひとつの可能性もないものの、この場で中身をぶっちゃけた場合、俺を中心に半径五十メートル以内の人間が手荷物すら投げ捨てて逃げ出していくであろうという確信はある。だが、黒い袋状の化学繊維にすっぽりと梱包されていては、X線にでも通さない限り、誰も警戒の色を見せることはない。
 彼らから送られてくるのは、休日にスポーツを楽しみに出かける健全な地元社会人に対する和やかな視線のみだ。一時間もしないうちに、ここから一キロと離れていない場所が殺人の現場になることなど、露も知らないでいる。
 カフェが軒を並べる曲がり角を左折し、裏路地に入った。くつろいでいた野良犬が一匹、俺の姿を見るなり早足で逃げ去っていく。見上げれば、複雑に入り組んだ電線が家々から伸び、思いの外カラフルなひさしが、強く日が照りつけ乾燥した空気に心地よい日陰を作り出している。
「チェックポイント1に到達。盗聴者はいません」
了解パニャートナ。手筈通りに進めろ。この任務の成否に、ロシアとシリアの国家関係がかかっていると思え』
「わかっています。失敗は致しません。《ミェーチ》少佐」
 俺の返答を聞くなり、《ミェーチ》少佐はうんともすんとも言わずに一方的に通信を切った。相も変わらず、淡々を具現化したような上司だ。
 込み上げてきた苦笑とともに、俺は裏路地の奥へと分け入っていく。途中で顔を合わせた地元住民は、皆俺に声をかけるか笑顔で片手を上げてくれる。その都度俺はしっかりと応じた。誰もが俺のことを近頃近所に引っ越してきた青年だとしか認識していないのだろう。無論俺の方もそのように見られるよう振る舞ってきたのだから、怪しまれないのは当たり前だと言えよう。
「チェックポイント2を目視。中肉の中年の男が待機中」
 そう手短に報告したのは、ツル植物とひし形の紋様が刻まれた茶色の扉と、そのすぐ脇に立ち辺りをしきりに見回す男の姿が、細い石畳の突き当たりに見えたときだった。
『そいつの腕を確認しろ。タトゥーがあるはずだ』
「ダー、星と月と花の模様が、大きくひとつずつです」
『間違いない、やつが協力者だ。ここからは通信を気取られる可能性が高まるだろうから、私は手を引く。状況次第で、自己判断で行動せよ。ぬかるなよ』
 またも一方的な通信切断を食らった俺は、しかし今度は真顔を保ったままでいることに成功する。身を潜めていた曲がり角から何気なく進み出て、男の視界に入った。
 目が悪いのか、中年男はどんぐり眼を横から見た物差しほどまで細めてから、こちらに控えめに片手をあげた。が、俺が応じないでいると人違いを案じたのか自信なさげにどんどん腕が下がっていく。
 が、俺が帽子を脱いだ途端、その腕は自信たっぷりにもとの高さにもたげられた。
 そして俺が扉の前まで歩み寄ると、頭より上に掲げられていた手が目前に差し出される。
 握手でも求められているのかと思い、同じように手を差し伸ばすと、ノーノーと押し返された。
 男の意図に考えを巡らせ、結論に辿り着く。
「……か」
 俺の拙いアラビア語が通じたようで、中年男の表情が一気に和らぐ。彼は俺がポケットから取り出した紙幣の束をありがたそうに押しいただいた。
「こういうのは、はじめてかい。おとうさん」
 たどたどしい問いかけに、中年男は小刻みに何度も首肯する。
「そうか……たいおうとしては、まずまずだったな。だいいちに、てをあげたのがよくなかった」
「そ、そうなのですか。以後、気をつけます」
 生真面目に返答をする男に、俺は本日二度目の苦笑を顔に貼り付ける。
「そのが、にどと、こないことをいのるよ」
 こういったものは万国共通のジョークだったらしい。アミルもお人好しそうな顔に苦笑を貼り付け俺に返した。
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