オーバーライド          THE FICTIONAL WORLD

星野響

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日常生活動作

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 わたしの朝は父がつけたテレビから流れてくるアナウンサーの「おはようございます」の声で始まる。いつも同じ時間、同じ色、同じトーンの声。
 そうやって目を覚ましたわたしはしばらくベッドの上でぼーっとしてしまい、今日大学があることを再発見し、慌てて毛布をはねのける。
 ニ〇ニ三年十月二十六日、東京都三鷹市の自宅でいつもの何も変わらぬ一日が、また始まった。
 いそいそとパジャマを脱ぎ、前日から用意を済ませていた外出用の私服に着替え、階段をテンポよく駆け下りた。
 洗面所に駆け込んで顔を洗う。キュ、パシャパシャ、キュ。
 夫の弁当を詰めている母に「おはよ」と声をかけ、ニュースを見ながら新聞を読むという情報の同時受領をこなす父にも同じ朝の挨拶をする。
 二人とも今日は心地よく挨拶を返してくれた。これが進路の話とかでケンカした翌日だと「ああ」という生返事になる。もう、根に持つんだから。過去にとらわれてもいい目を見ることは一度もないことはわたしの二十年にも届かない人生の中ででも実感できているのに。
 わたしが起き出したときには、母が作った朝食が食卓に並んでいる。
 世間が男女共同参画だとか雇用機会均等だとかなんだかんだ言っても、まだ日本の家事は全国のママさんの役目のままだ。わたしだって目玉焼きや野菜炒めくらいなら自分で作れるのに、「美久には学校もバイトもあるんだから」と言って母は手伝わせてくれない。
 なんだか申し訳無いな、なんて思いながらも実際には口に出せていない。
 椅子を引いて座って「いただきます」。
 このひとことで全部伝わってたらいいなと思いながら、目玉焼きをご飯にのせてお箸でちびちび食べていたら、台所の方から「講義に遅れるよ」と笑い混じりに言われた。
 わたしが哲学にもなりきらない思考世界に迷い込んでしまうのも、物心ついた頃からのいつもの話。

 中央線で快速に揺られて十五分。国立駅か
ら徒歩七分。家からそう遠くない場所にわたしの通う大学がある。国立駅から伸びる大学通りと呼ばれる道には桜並木が続く。秋の今は葉がなんとなく色づき始め、日に日にその面積を増やしていく。
 ここだけが現代の喧騒を外れ、ゆったりと季節が流れていくようだった。
 なんだか幸せだな、と目を閉じる。
 わたしはクソがつくほど真面目な人間だから、高校生だった去年までは学校側に急かされるまま受験勉強に追われて、なに一つ人間らしい生活を遅れた記憶がない。
 社会人になったらなったで、会社の流れに押されて時の流れなんかに気を取られている暇はないのだろう。
 つまり、何かに考えをめぐらす時間が与えられている今この大学時代は、人生の数少ないインターバル期間といえるだろう。
 もちろん研究は大変だし、たまに教授からは手厳しいことも言われるけど、わたしはこの大学で人間行動学を学ぶのが好きだった。
 キャンパスは近代日本を感じさせるローマ風の造りが残っているし、教授の方々もなんだかんだ言って熱心だし講義はわかりやすい。なにより、陰気で、中高と「めんどくさいやつ」と周りから見られていたわたしにも、友達ができた。さすがに彼氏はまだいないけど、いつかは、なんて夢見ている自分もどこかにいる。
 家族じゃない誰かと遊びに出かけるのは新鮮な体験で、どこかやったこともないイタズラをしているような気になって、少しドキドキする。
 友人の望と真希と、大正時代の人よろしく銀座でぶらぶらしたときのことを思い出し、ニヤニヤしていたところに。
「ミぃクちゃん」
「うわぁ!」
 突然の後ろからの平手打ちもどきに大声をあげてしまった。当然ながら、わたしを「ミクちゃん」と呼んだ長髪の女の子を逆に固まらせてしまう。
「ご、ゴメン、真希。ちょっと、びっくりしちゃって」
「うん、それは十分すぎるほど伝わってきたんだけどね……なにに集中してたらそんな反応になるわけ?」
 真希はくすくすと笑う。
 ほんと、ミクちゃんのそういうちょっと変わったとこ好きだなあ。
 真希本人からすればさりげない一言だったのだろうけど、わたしはその時心の奥底に生まれたホワンとした温かいものを意識した。
 まだ十分人間関係に慣れきってないな、わたし。
    顔が火照ってないことを祈りつつ、今日の講義についての雑談に花を咲かせる。
 ふと、真希が、あっ、と何かに気づいたような声を上げた。
「そういえばさあ、今日って他の学部から学生が来て、いっしょにディスカッションするんだっけ。最近プログラムに組み込まれたっていう」
 言われて初めて、わたしも思い出した。
 うちの大学は総じて学部間の壁が薄い。時間割は全学部共通だし、他の学部の科目も自由に履修することができる。
 それだけでも他大学からすれば考えられない話だろうが、教師陣は飽き足らずに大学院生まで織り交ぜて繰り広げる『全校ディスカッション』なる時間を近頃設けた。そしてわたしたち一回生にとっては初めてとなるそのイベントが、まさに今日開かれるというわけだ。
「確かに、予定表にそんなの書いた気がする。午後からであってたよね」
「あってるけど、あんた予定表なんてつくってるの。うわあ、いいなそんな真面目になれるのって。……でも、『気がする』ってことは、あんまり見てなかったりして」
 ギクッ。
「……くう、図星」
 真希がひゅう、と口笛を吹く。
「新発見、ミクちゃんも結構抜けてるとこあるんだね」
「う、うるさいよ」
 気を取り直して、よいしょと話題をディスカッションに戻す。
「それで、参加する学部って、正真正銘の全学部でしょ。大学院生も参加するんだっけ……イノベーション研究とか」
「うへ、理系チックな人たちじゃん。一回質問しただけで計算とかバンバンされて話についていけなさそう」
 早くも疲れたような顔を見せる真希。
「いやあ、そうでもないんじゃない? うち基本文系の大学だし」
「だといいんだけどねえ」
 真希の真意のこもった声に苦笑いする。実のところ、わたしも数学が得意な方ではなく、テクノロジーについての議論は極力避けたいところだった。
 高校時代に数学の成績が伸び悩み、赤点の答案が返ってきたときのショックを生々しく思い出しつつ、大学の正門をくぐる。
「ミクちゃんは動画編集の経験あるらしいから、イノベーション研究の人たちにもついていけそうじゃん。どうせプログラミングとかかじってたり――」
「ストップ、ストップ! そんなにたいしたこともしてないって。そ・れ・と、黒歴史だから開封禁止ってば!」
 困り果て、頬を膨らますわたしを見て、真希はわははと笑う。決して馬鹿にしているわけではないとわかる、無邪気な笑い声だ。
 それがわかったから、わたしは「もう」とそっぽを向くだけで勘弁しておいた。
 朝の光が斜めに差す廊下で真希と別れる。
 もっと突っ込んどいたほうがよかったのかな。もう少しねちっこくなったほうが自然なのかな。内心腕を組んで考え込む。
 わたしの一限目の講義は真希が選択していない情報社会基礎だ。彼女と会うのは百分と少し後になる。
 まだまだ人付き合いに慣れきらないわたしのもうひとりの友だちである望も、情報社会は取っていないため、わたしは完全にひとりになってしまう。もっと友だちが多ければとため息をつきたいのは山々だけれど、正直なところいつも大人数でガヤガヤするのもあまり好かない。
 結局ひとりが落ち着くのかな、わたし。
 講義開始時間の十分前でも、扇形に並べられた講義室の席はそこそこは埋まっていた。皆、談笑したり、本を読んだりして各々に時間を潰している。
 わたしも、人がまばらで邪魔が入らなさそうな入り口近くにある端っこの木製椅子にドサッと座り込んで参考書を開く。
「百十五ページ……」
 今日の授業内容、『未来論:AIが引き起こすであろう社会的課題』についての頁を開く。大学とはいえ、まさか入学半年あまりで高度なAIについての考察に入るとは思ってもみなかったけれど、この際もとから興味のあった人工知能について社会学の面から意見交換をするのもありかな。
 基礎知識をつけるべく本文を流し読みする。
「…………シンギュラリティ仮説……トップダウン設計……汎用AI……?」
 一度くらい聞いたことがあるものの、意味を説明しろと言われると固まってしまいそうな語句がズラリと居並んでいたので、ところどころ読み飛ばす他なかった。
 そうやって見開き一ページを五割ほど理解したところで、録音された鐘の音が軽やかに始業を告げる。
 あとは情報の名物准教授の説明に任せよう。
 カツカツと洒落た革靴で床を奏でながら教壇に上がった赤縁眼鏡の男性、名物こと芦田准教授は、朝の挨拶も手短に、早速「えー」と口を開いた。
「皆さん。AI、人工知能についてどのようなイメージを持っていますか。……っと答えなくていい。君たちに聞くと、すぐに正解が出てしまいそうだから」
 わたしはうつむいてノートに『AIのイメージ』と走り書きしただけだったが、離れたところではちらほらとクスクス笑いが起こった。
 准教授は特に気に留めた様子もなく話を続ける。
「あるAIの研究家は言います。AIは無限の可能性を持っている。将来は人間と違わぬ程の、またはそれ以上の知性を持ち、この社会をより便利で、快適なものにしてくれる、と。一方である社会学者は言います。AIは我々の職を奪う。人間と同等の知性を持つのなら、いずれAIは自ら権利さえも訴え始めるかもしれない。AIをもっと恐れるべきだ、とね」
 准教授の手に握られたペンがくるっと一回転する。
「君たちは、どちらが正しいと思う?」
 すぐさまいくつかの手が講義室の各所で手のひらが天井向けて、ぴんと掲げられた。
 わたしも一瞬だけ遅れて右手を控えめにもたげる。
 そのとき、気づいた。講義室中程の人口密度の低い場所でポツンと座っていた少し小柄な男が、何を思ったのか、半ば挙げかけていた腕を、躊躇したように下げた。
 見かけた記憶のない青年だった。これまで海外留学をしていたとか、不登校とかそこらへんの理由だろう。座高から見て身長はかなり高そうだった。縒れたTシャツを着て、薄汚れたジャンパーを椅子に引っ掛けている。斜め後から見てとれる情報だけから考えても、お世辞にも清潔感が溢れているとは言い難い。
 そんな青年の腕が三十センチくらい挙がるという些細な行動が芦田准教授の目に留まるはずもなかった。というのも、准教授は普段「意欲に欠けている」らしい私が挙手したことで意識中がいっぱいの様子だったからだ。
「おお、珍しいじゃないか、自分から発表しようとするなんて。市来君、AIに興味あったりするの?」
「……ええと、まあ」
 普段の行いのせいで名指しされてしまったわたしは、青年から無理に視線を青年から准教授に移したために、年長に対する返答にあるまじき言葉遣いをしてしまった。
「へえ意外だね……さて、そのことについては後で聞くとして、じゃあ向かって左の方から順に意見をどうぞ」
 それから、私は何を発表したのだろう。正直はっきりしない。
 ずっと彼の、どことなく寂しげな背中が、頭から離れない。
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