BLUE SKY~裸足の女神~

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第六章 裸足の女神

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「すっごい感動した! ジンベエザメが見れるなんて、本当にラッキーだって、インストラクターの人も言ってたよ」
 ホテルに戻って売店を歩いている間も、星羅は大はしゃぎだった。
「うん。本当に、あんなに大きいんだね」
 月並みな表現だけど、僕の口からはそんな言葉しか出なかった。
 この世界にはあんなに大きな生き物がいたんだ……図鑑で見たことはあったけど。ゆっくりと、僕達の目の前を通り過ぎた。
 それを目の当たりにしたあの時間が、繰り返し僕の頭の中で反芻していた。
「本当にね……。あ、これ、綺麗で素敵!」
 彼女は売店の店頭に並ぶネックレスを見て目を輝かせた。
 チェーンの先についていたのは、緑色に光るペリドット。ジルコニアだと思うが、まるで朝露のように透明に煌めき、吸い込まれそうな輝きを放っていた。
「値段は……五千ペソ、かぁ。こんなの買ったら、他のお土産買うお金、なくなっちゃうよね」
「うん……」
 僕は考えた。星羅は兎も角、僕にはお土産を買う相手なんかいない。
 だったら……。
「僕が買おうか?」
「えっ?」
 彼女は、円らな瞳を丸くして僕を見た。
「だって、僕にはお土産買う相手なんかいないし……」
「いや、両親に買いなよ。それに、五千ペソは流石にキツいでしょ。そこまで払わせたら悪いし。それよりさ、あそこにジンベエザメのストラップあるよ。あっち行こ!」
 彼女は気を遣ってか、僕の言葉をジョークと思ったのか、はぐらかして他の並びに行った。
(本気……なんだけどなぁ)
 それに、僕は覚えている。今日は……彼女にとって、初めてのスキューバダイビングを体験した以上に特別な日なんだ。
 僕は店頭で孤独に光り輝くペリドットを見つめた。
「あぁ、気持ち良かった。うわっ、美味しそう~」
 シャワー室から出て清々しい顔をした星羅は、部屋の前の海沿い……僕が向かっているテーブルを見て目を輝かせた。
 カルボナーラのスパゲティ二つに、色とりどりの、マンゴーにスイカ、メロン、バナナ……南国のフルーツの盛り合わせを用意していたのだ。
「あれ、でも……カルボナーラは、このホテルのディナーでつくって言ってたけど、こんなに沢山のフルーツ、ついてたっけ?」
 星羅は少し不思議そうに首を傾げた。
「僕には……このくらいしかできないからさ」
「えっ?」
「星羅の誕生日……今日だったでしょ」
 僕は色とりどりのフルーツの前で彼女を見つめた。
「わぁ、嬉しい! ホテルに頼んでくれたの? 私の誕生日……覚えててくれたんだ」
 彼女は無邪気に笑ってテーブルについた。
「それとさ」
「えっ?」
「星羅がシャワーに入ってる間、あの店で買ったんだ」
 僕は細長いケースをそっと差し出した。
「ペリドットのネックレス」
「え、そんな……いいって言ったのに」
 星羅は目を丸くし、少し慌てた。
「だって、ペリドット。八月の誕生石だからさ。ぴったりじゃん」
 彼女はそっとケースを開けた。
 吸い込まれそうなほどに透明な緑に光るペリドット。それを見る彼女の瞳は涙で滲んだ。
「ありがとう。凄く嬉しい……」
 そして、潤んだ瞳をそっと僕に向けた。
「ねぇ、蒼」
 ネックレスをギュッと握りしめる彼女は、透き通る声で僕に尋ねる。
「どうして、そんなに優しいの?」
 ネックレスの先の緑色に光るペリドットをじっと見つめた。
「だって、私、こんななのに。私、ここに来る前……」
 彼女のその言葉は、僕の心の奥の透明な部分にそっと突き刺さって……僕は、自分の気持ちを隠すことができなかった。思わず、僕の口をついて真っ直ぐな想いが飛び出す。
「星羅が好きだから」
「えっ?」
 涙で潤んだ瞳は僕を真っ直ぐに見つめて止まった。
「昔から……小学生の頃から、じゃりん子だった頃から……僕は星羅が好きだったんだ。誰よりも大事で、だから、笑った顔が見たくて……」
 クールには決まらないけれど、僕の口からは、何も飾らない本当の想いが飛び出した。
「本当に……?」
 彼女は信じられないというように目を見開いていた。
「だって、私の初恋の相談とか乗ってくれてたし、私のことなんて何とも思ってないのかって……」
「あの時……」
 僕の口から、あの時は素直になれなかった本当の想いが出る。
「本当は、苦しかった。いつも一緒にいるのが当たり前だった星羅の目に僕が映らなくなるかと思うと、心のこの部分が凄く痛くなって……その時、僕は星羅のことが好きで堪らないんだって分かったんだ」
「嬉しい……ありがとう。でも……」
 星羅の輝く瞳から涙が溢れた。
「私、蒼が思ってるような子じゃないんだよ」
 彼女は、少し震える声で続けた。
「私……中学生の時、知ってたんだ。蒼がクラスでハブられてたの。でもね、私……あなたのクラスの子に何も言えなくて。怖かったの、あなたのクラスの子達が。だから、あなたを守れなかった」
 手を目に押し当て、彼女は溢れ出る涙を押し潰した。
「だから……私、あなたに好きになってもらう資格なんてないの」
「そんなことない……」
 僕の口は、溢れでる想いを抑えることができなかった。
「あの時……あの時も、星羅がいつも通りに僕に接してくれて。いつも通りの笑顔を僕に向けてくれて……それが、僕を救ってくれていた。僕は星羅の笑顔がこの世界で一番好きなんだ」
星羅は目を押さえる手をどけて、茶色く澄んだ瞳を僕に向けた。僕はその瞳に吸い込まれるように……彼女に近付いた。
 僕が肩を掴むと、彼女は静かに目を瞑った。僕も目を瞑り、彼女の唇にそっと唇を重ねる……。
「子供の時……幼稚園の時以来だね」
 顔を離して言うと、彼女はいつものように悪戯にニッと目を細めた。
「うん。確か年少の時……蒼の家のゴムプールでチューして以来だよね」
 あの頃より大人になって……人を愛する、ということを少しだけ理解した僕達は柔らかく微笑み合った。

「ねぇ、ネックレス……つけてもらっていい?」
「うん」
 ペリドットはその胸元で、まるで彼女の笑顔のように眩いばかりの輝きを放っていた。



「蒼! 起きて、起きて。朝よ!」

 翌朝も、星羅の元気な声が響いた。
 朝から気が逸る彼女は、既に白いビキニとエメラルドグリーンのパレオを身につけていた。その胸元には、緑色に吸い込まれそうなほどに澄んだペリドットが煌めいている。

「今日もいい天気!」
 グーンと伸びをする彼女と、サンドイッチの乗ったテーブルで向かい合う。
「でも、それにしても……」
 星羅はいつものように悪戯っ子な眼差しを僕に向けた。
「付き合うことになったその日に、それも二人きりなのに何もしないなんてさ。蒼、ホントに男?」
「いや……したじゃん。キ……」
「普通、男だったら、エッチしたいとか思うものよ」
 その言葉に、僕の顔はカーっと熱くなっていった。
「そ……そんなことは、結婚してからだよ」
「いや、何時代!?」
 星羅はそう突っ込みながらも、にっこりと笑って言った。
「ま、そんな真面目なところも、蒼らしいけどね」
 そして、彼女も真面目な瞳を僕に向けた。
「蒼。本当に、気持ち、変わらない? 私を……ずっと好きでいてくれる?」
「もちろん……」
 今まで直視できなかったほどに眩しい笑顔が僕の前にあって……僕はもう一度、永遠の愛を誓うキスを彼女と交わした。
「星羅、好きだよ。これからも、ずっと。将来、結婚してからも」
 僕が真っ直ぐ見つめると、彼女は照れ臭そうに頬を桃色にした。
「やだもー、蒼。キャラ変してるよ。そんなこと言える奴じゃなかったじゃん」
 そして、僕から離れ、ホテルに面する海に裸足で入って行った。
「この島、今日で最後なんだから。とことん、楽しまないとね!」
 星羅は遥か彼方の水平線を指差した。

 青い空、金色に照らす太陽。
 果てしなく続く水平線……。
 真っ白な砂浜を裸足で歩く彼女は、白い歯を見せる。キラキラと輝くそれは、僕のこの世で一番愛する星羅の笑顔だ。
 僕の心が求めていたのは、彼女なんだ。
 そう、彼女こそ、裸足の女神……。

「星羅、ストップ!」
「えっ?」
 僕はキャンバスと油絵の具を取り出した。
 そして、不思議そうな表情を浮かべてそのままの格好で止まる彼女をキャンバスに描き始めた。
 青い空、白い砂浜、透明な海。金色に光り輝く太陽が照らす、裸足の女神……。
 僕の筆はそれら全てをキャンバスに映し出した。
 果てしなく広がる青い空の下でペリドットを胸元に、眩く光り輝く裸足の女神。
 決して薄まることのないそれはあまりに鮮明で、僕は確固たる自分の存在を感じながらキャンバスに没頭する。
 僕の魂は僕の描く風景……果てしなく広がる青い空と、白い砂浜と、そして。僕の愛おしくて堪らない『裸足の女神』と一つになる……。

「ちょっと、蒼。こんな陽射しの下にずっといると、肌にシミができるんだけど」
 ついに我慢が限界に達した星羅がふくれ面で踵を返した瞬間、僕は筆を置いた。
「できた……」
「できたって?」
 彼女はキャンバスを覗き込み、そして。
「綺麗……」
 その言葉を漏らした。
「すごい、綺麗。私が今まで見てきた蒼の、どんな絵よりも……」
「僕が本当に描きたかったのは、この絵なんだ」
 僕は彼女を見つめる。
「僕の心の中にはずっと星羅がいて、でも、描く勇気がなくて……。だから、どんな絵を描いても満たされなかった。この絵なら……この『裸足の女神』は、僕の心を完全に描ききることができた」
「蒼、ありがとう」
 彼女の瞳にはじんわりと涙が浮かぶ。
「私のことを、こんなに綺麗に描いてくれて。私……すごく嬉しい。ねぇ、蒼。これからも、ずっと……私を描いて」
 僕は、涙を潤ませてキャンバスを見つめる彼女の肩をそっと抱き寄せた。そして……返事の代わりに、また、熱いキスを交わしたのだった。
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