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~第八章 合宿中の恋~
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『合宿中、誰かに恋をする』
滅茶苦茶な課題を与えられた僕は、音楽を流し手話の練習をしている間も落ち着かなかった。
実際、僕は誰かを真剣に好きになったことはない。だから、好きな人に向ける笑顔、愛情、照れ……それらが全然分からない。
でも、だからって擬似恋愛だとしても無理矢理このサークル内の人を好きになるなんてできるのだろうか……。
隣で手話をするチェリーを見てみる。
この人は、恥ずかしがりやだけど凄い人だ。音楽が流れた途端に人が変わり、堂々と表情、手話、体全体を使って奏でる。
ずっと僕に、丁寧に手話コーラスを教えてくれている。
僕は、この人が好きだ。
でも、それは恋愛感情ではない。
尊敬してて……憧れてる、という意味の好きなんだ。恋愛感情を向ける対象ではない……。
体育館で、愚図愚図そんなことを考えながら手話コーラスの練習をしていると、数人の知らない男女がガヤガヤ入ってきた。
「お、やってる、やってる」
誰だろう……?
でも、見たことがある人がいる。
確か、チェリーに見せてもらった去年の手話コーラスのビデオで……。
彼らを見た沙羅の顔が、一瞬曇った気がした。
「OBが私達の手話コーラスの指導に来てくれたのよ」
説明をする沙羅の顔が浮かない。
やはり、去年の先輩とは仲が悪かったのか。
そんなことを思っている時、OB達が恋唄班の所へも来た。
「ここは、恋唄かぁ。ラップ調だし、難しいよな」
長身の爽やかな男性が言う。
しかし、班内にどことなく不穏な空気が流れる。
「あ、君、新入生? 初めて見る顔だね」
「はい。僕、幸田 拓真って言います。このサークルでは、たっくんって呼ばれてます」
「ふーん」
男性は、目を細める。
「そのニックネーム、沙羅がつけただろ?」
「えっ?」
「だって、あいつ、自分の好みの男にはそういうあだ名つけるんだよ。先輩の俺にも、かっくんってあだ名つけたし」
「こら、余計なお喋りしない!」
沙羅が、かっくんというその男を睨む。
初めて見せる剣幕だが、瞳の中に少し寂しそうな色がある、複雑な表情に見えた。
「おー、怖い。相変わらずだな」
男がからかうように言うが、沙羅は表情を崩さない。
「そんな余計なことばかり言うなら、出てって。私達、真剣に練習してるの」
「はい、はい。分かりましたー。あ、俺、去年ここの部長やってた、坂本 甲斐
かい
。たっくん、よろしくな! じゃあ、恋唄、やってみて下さいな!」
甲斐がおどけて言うと、沙羅はプイッと目を逸らし、CDプレイヤーの調整をした。去年の部長、甲斐と沙羅……何だか、訳ありな関係みたいだ。
音楽が流れ、僕達は手話コーラスをした。
かっくん達、一年上のOBはそれを見る。
しかし、何だか反応が物足りない……というか、感動してくれているようには見えず、僕達の想いをどこか受け流されているような感じ……。
手話コーラス後の講評。かっくんが口を開いた。
「あそこまで、みんなで揃える必要、あんの?」
その場の空気が凍りつく。
(え、いや……OB……一年上の部長、一体、何を言った?)
「何か、ビシッ、ビシッとみんな同じ動きでさぁ、気持ちわりーよ」
「それが、『本物の手話コーラス』なのよ!」
かっくんの言葉を、沙羅の凛とした声が遮る。グッと眉を吊り上げ、鋭い眼差しで睨んでいる。
「おーこわ。学園祭なんだしさぁ、もっとみんな、自由に自分の好きなようにやろうぜ。こんなの、ダンスと変わらねぇだろ」
「私達がやってるのは、ダンスじゃない。『手話コーラス』よ! 邪魔するなら、出てって!」
沙羅は物凄い剣幕で怒鳴る。
「はい、はい。折角、休み中に来てやったのに、無礼な奴。他のグループの講評しに行ってくるよ」
かっくんがその場を離れると同時に、沙羅も立ち去り、体育館から出て行った。
「あの二人、相変わらずだな」
パンダが頭を掻き、バツが悪そうにヒソヒソと話す。
「うん……犬猿の仲……」
チェリーも、消え入りそうな声でそう呟いた。
「あの二人……昔、何かあったんですか?」
只ならなかった雰囲気。
心配になった僕が小声で二人に聞くと、パンダはより一層声を押し殺した。
「これはトップシークレットなんだけど……実はあの二人、付き合ってたんだよ」
「うそ!」
思わず叫んでしまう僕の口に、パンダは人差し指を当てる。
「本当にタブーな話だから、絶対に誰にも言ってはいけないよ。まぁ、今の二人の関係からは、全く想像もつかない話なんだけどな」
パンダは説明してくれた。
沙羅は二回生の頃、かっくんと付き合っていた。
サークル内での恋愛はそれほど大っぴらにはできないことだが、当時、最も手話の知識を持っていたこの二人はサークルの司令塔的な存在だった。
しかし……二人は、次第にサークルの目指す方向について対立するようになっていった。
かっくんは、『皆それぞれが自由に楽しむサークル』を目指し、沙羅は『聾者のことを第一に考え、聾者に伝えるためのサークル』を目指していた。
二人の間には喧嘩が絶えず、日に日に関係はこじれてゆき……最悪な雰囲気のまま別れたということだった。
「まぁ、先代部長のかっくんも、『いい部長』ではあるんだ。誰もが楽しめる、和やかなサークルを作ろうとしてくれていた。逆に、沙羅は真面目だけど融通のきかない所があるんだよなぁ」
パンダは苦笑いする。
そうなんだ。サークルのトップとして方向を決めていくって、やっぱり、凄く大変なんだろうな……。
しみじみとそう思った。
「そう言えば、沙羅……どっか行ったっきり戻って来ないな。どこ行ったんだろう?」
パンダが首を傾げる。
「あ、僕、探しに行ってきますよ!」
僕は体育館を出た。
練習していると気付かなかったが、もう夜の七時を回っている。辺りは真っ暗だ。
大学の通路脇にある街灯の照らす、街路樹なんかを探す。
「どこ行ったんだろう……?」
すると……いた!
社会福祉学部棟の入口に続く段差に座ってぼんやり上を見つめている。
「沙羅さん、何してるんですか? みんな、待ってますよ」
その時、気付いた。街灯に照らされた彼女の顔……目の下には、涙が伝った跡があったのだ。
「え、泣いてたん……ですか?」
見てはいけないものを見てしまった僕の顔は、恐らく引きつっているだろう。そんな僕を見て、沙羅は柔らかく微笑んだ。
「ここ、座って」
僕は、沙羅の横に腰かけた。
「私さぁ、私のやり方に自信が持てなくなった時……私の目指す方向、サークルの進む方向って、これでいいのかな、なんて思った時。ここでこうして、月を眺めるんだ。だってほら、ここから見える月って、凄く綺麗でしょ」
沙羅は上を見上げる。
ぼんやりとした月明かりに照らされた彼女の横顔はとても綺麗で……不覚にも僕はドキッとした。
「あいつ……かっくんのやり方。自由に誰もが楽しめるサークルを作っていくって考え方……それは絶対に間違ってなかったと思う。だって、あの時……去年、かっくん達が引退するまでは、サークルはすごく和気あいあいと楽しくて、笑顔が絶えなかった。でも、私が部長になってからは……勿論、サークル員はみんなすっごくいい子が集まってて、私に付いてきてくれて支えてくれるんだけど……何か、どこか無理しているように見えるの」
沙羅は涙声で虚空を見つめる。
「私……間違ってるのかなぁ。OB達が来て、講評してくれる度に、私……自分のやり方に自信が持てなくなるんだ」
沙羅は、体育座りをした自分の膝に顔を埋めた。
「いいえ、沙羅さんは、絶対に間違ってなんかないです」
僕が真っ直ぐ見つめて言うと、沙羅は驚いたように目を丸くしてこっちを向いた。
「沙羅さんは、僕に言って下さいましたよね。『音楽』は誰の心も震動させる……『本物の手話コーラス』では、それができるんだって。このサークルのみんな、同じ気持ちだと思います。みんな、聾者に『音楽』を伝えたい……心を震動させて、感動させたいって思ってます。だからこそ、みんな、沙羅さんを慕って付いてきてるんです」
僕が真っ直ぐに熱い気持ちを伝えると、月明かりに照らされた沙羅の頬は少し赤くなったような気がした。
「だから……沙羅さんは、自信を持って。みんなで、『本物の手話コーラス』を作り上げましょう。リーダーの沙羅さんが揺らいでいるようじゃ、みんなも不安になってしまいますよ」
つい、熱く心に込み上げる想いを語った。
しかし、言い終わってから、新参者の自分が部長に対して凄く偉そうなことを言ってしまったのではないかと思った。
だが……沙羅はいつものパワフルさが嘘のように潤んだ眼差しで僕を見つめる。
そんな彼女の表情を見て……
『ドクン……』
僕の中に、今まで響いたことのない鼓動が響いた。
(あれ……どうしたんだ? この気持ち……何だ?)
今まで感じたことのない、切ないような……目の前のこの先輩を、抱き寄せたくて堪らなくなる、この気持ち……。
僕の目は沙羅の綺麗な瞳に吸い込まれる。
そして、僕の唇も沙羅の口元へ吸い込まれそうになる……。
「沙羅、たっくん! いた、いた。何してるん?」
声を掛けられ、はっと沙羅に近づけていた顔を離した。沙羅も慌てて立ち上がり、声の主の方を見る。
「もう! 二人とも、探したぞ。たっくんは、沙羅を探すって出てったきり、行方不明になるし」
鈍感なパンダは、僕達の間を流れていた空気に気付いていないようだ。
僕は胸を撫で下ろす。
「ごめん、ごめん。ちょい、気分転換してて」
いつもの調子を取り戻した沙羅は、少しベロを出す。
「もう。沙羅はみんなの部長なんだから。しっかりしろよ」
「へっへっ。申し訳なーい。さぁ、これから残り時間、ビシバシ鍛えてあげるわよ!」
沙羅はすっかりいつものパワフルな彼女に戻り、体育館に向けて歩き出した。
しかし……先に歩くパンダに付いて行く彼女は、僕の方をそっと振り返り、口だけ動かす。
『ありがとう』
僕に口話を伝え、そっと微笑んだ。
そんな彼女を見る僕の心は『ドクンドクン』と胸の扉を叩いていたのだった。
滅茶苦茶な課題を与えられた僕は、音楽を流し手話の練習をしている間も落ち着かなかった。
実際、僕は誰かを真剣に好きになったことはない。だから、好きな人に向ける笑顔、愛情、照れ……それらが全然分からない。
でも、だからって擬似恋愛だとしても無理矢理このサークル内の人を好きになるなんてできるのだろうか……。
隣で手話をするチェリーを見てみる。
この人は、恥ずかしがりやだけど凄い人だ。音楽が流れた途端に人が変わり、堂々と表情、手話、体全体を使って奏でる。
ずっと僕に、丁寧に手話コーラスを教えてくれている。
僕は、この人が好きだ。
でも、それは恋愛感情ではない。
尊敬してて……憧れてる、という意味の好きなんだ。恋愛感情を向ける対象ではない……。
体育館で、愚図愚図そんなことを考えながら手話コーラスの練習をしていると、数人の知らない男女がガヤガヤ入ってきた。
「お、やってる、やってる」
誰だろう……?
でも、見たことがある人がいる。
確か、チェリーに見せてもらった去年の手話コーラスのビデオで……。
彼らを見た沙羅の顔が、一瞬曇った気がした。
「OBが私達の手話コーラスの指導に来てくれたのよ」
説明をする沙羅の顔が浮かない。
やはり、去年の先輩とは仲が悪かったのか。
そんなことを思っている時、OB達が恋唄班の所へも来た。
「ここは、恋唄かぁ。ラップ調だし、難しいよな」
長身の爽やかな男性が言う。
しかし、班内にどことなく不穏な空気が流れる。
「あ、君、新入生? 初めて見る顔だね」
「はい。僕、幸田 拓真って言います。このサークルでは、たっくんって呼ばれてます」
「ふーん」
男性は、目を細める。
「そのニックネーム、沙羅がつけただろ?」
「えっ?」
「だって、あいつ、自分の好みの男にはそういうあだ名つけるんだよ。先輩の俺にも、かっくんってあだ名つけたし」
「こら、余計なお喋りしない!」
沙羅が、かっくんというその男を睨む。
初めて見せる剣幕だが、瞳の中に少し寂しそうな色がある、複雑な表情に見えた。
「おー、怖い。相変わらずだな」
男がからかうように言うが、沙羅は表情を崩さない。
「そんな余計なことばかり言うなら、出てって。私達、真剣に練習してるの」
「はい、はい。分かりましたー。あ、俺、去年ここの部長やってた、坂本 甲斐
かい
。たっくん、よろしくな! じゃあ、恋唄、やってみて下さいな!」
甲斐がおどけて言うと、沙羅はプイッと目を逸らし、CDプレイヤーの調整をした。去年の部長、甲斐と沙羅……何だか、訳ありな関係みたいだ。
音楽が流れ、僕達は手話コーラスをした。
かっくん達、一年上のOBはそれを見る。
しかし、何だか反応が物足りない……というか、感動してくれているようには見えず、僕達の想いをどこか受け流されているような感じ……。
手話コーラス後の講評。かっくんが口を開いた。
「あそこまで、みんなで揃える必要、あんの?」
その場の空気が凍りつく。
(え、いや……OB……一年上の部長、一体、何を言った?)
「何か、ビシッ、ビシッとみんな同じ動きでさぁ、気持ちわりーよ」
「それが、『本物の手話コーラス』なのよ!」
かっくんの言葉を、沙羅の凛とした声が遮る。グッと眉を吊り上げ、鋭い眼差しで睨んでいる。
「おーこわ。学園祭なんだしさぁ、もっとみんな、自由に自分の好きなようにやろうぜ。こんなの、ダンスと変わらねぇだろ」
「私達がやってるのは、ダンスじゃない。『手話コーラス』よ! 邪魔するなら、出てって!」
沙羅は物凄い剣幕で怒鳴る。
「はい、はい。折角、休み中に来てやったのに、無礼な奴。他のグループの講評しに行ってくるよ」
かっくんがその場を離れると同時に、沙羅も立ち去り、体育館から出て行った。
「あの二人、相変わらずだな」
パンダが頭を掻き、バツが悪そうにヒソヒソと話す。
「うん……犬猿の仲……」
チェリーも、消え入りそうな声でそう呟いた。
「あの二人……昔、何かあったんですか?」
只ならなかった雰囲気。
心配になった僕が小声で二人に聞くと、パンダはより一層声を押し殺した。
「これはトップシークレットなんだけど……実はあの二人、付き合ってたんだよ」
「うそ!」
思わず叫んでしまう僕の口に、パンダは人差し指を当てる。
「本当にタブーな話だから、絶対に誰にも言ってはいけないよ。まぁ、今の二人の関係からは、全く想像もつかない話なんだけどな」
パンダは説明してくれた。
沙羅は二回生の頃、かっくんと付き合っていた。
サークル内での恋愛はそれほど大っぴらにはできないことだが、当時、最も手話の知識を持っていたこの二人はサークルの司令塔的な存在だった。
しかし……二人は、次第にサークルの目指す方向について対立するようになっていった。
かっくんは、『皆それぞれが自由に楽しむサークル』を目指し、沙羅は『聾者のことを第一に考え、聾者に伝えるためのサークル』を目指していた。
二人の間には喧嘩が絶えず、日に日に関係はこじれてゆき……最悪な雰囲気のまま別れたということだった。
「まぁ、先代部長のかっくんも、『いい部長』ではあるんだ。誰もが楽しめる、和やかなサークルを作ろうとしてくれていた。逆に、沙羅は真面目だけど融通のきかない所があるんだよなぁ」
パンダは苦笑いする。
そうなんだ。サークルのトップとして方向を決めていくって、やっぱり、凄く大変なんだろうな……。
しみじみとそう思った。
「そう言えば、沙羅……どっか行ったっきり戻って来ないな。どこ行ったんだろう?」
パンダが首を傾げる。
「あ、僕、探しに行ってきますよ!」
僕は体育館を出た。
練習していると気付かなかったが、もう夜の七時を回っている。辺りは真っ暗だ。
大学の通路脇にある街灯の照らす、街路樹なんかを探す。
「どこ行ったんだろう……?」
すると……いた!
社会福祉学部棟の入口に続く段差に座ってぼんやり上を見つめている。
「沙羅さん、何してるんですか? みんな、待ってますよ」
その時、気付いた。街灯に照らされた彼女の顔……目の下には、涙が伝った跡があったのだ。
「え、泣いてたん……ですか?」
見てはいけないものを見てしまった僕の顔は、恐らく引きつっているだろう。そんな僕を見て、沙羅は柔らかく微笑んだ。
「ここ、座って」
僕は、沙羅の横に腰かけた。
「私さぁ、私のやり方に自信が持てなくなった時……私の目指す方向、サークルの進む方向って、これでいいのかな、なんて思った時。ここでこうして、月を眺めるんだ。だってほら、ここから見える月って、凄く綺麗でしょ」
沙羅は上を見上げる。
ぼんやりとした月明かりに照らされた彼女の横顔はとても綺麗で……不覚にも僕はドキッとした。
「あいつ……かっくんのやり方。自由に誰もが楽しめるサークルを作っていくって考え方……それは絶対に間違ってなかったと思う。だって、あの時……去年、かっくん達が引退するまでは、サークルはすごく和気あいあいと楽しくて、笑顔が絶えなかった。でも、私が部長になってからは……勿論、サークル員はみんなすっごくいい子が集まってて、私に付いてきてくれて支えてくれるんだけど……何か、どこか無理しているように見えるの」
沙羅は涙声で虚空を見つめる。
「私……間違ってるのかなぁ。OB達が来て、講評してくれる度に、私……自分のやり方に自信が持てなくなるんだ」
沙羅は、体育座りをした自分の膝に顔を埋めた。
「いいえ、沙羅さんは、絶対に間違ってなんかないです」
僕が真っ直ぐ見つめて言うと、沙羅は驚いたように目を丸くしてこっちを向いた。
「沙羅さんは、僕に言って下さいましたよね。『音楽』は誰の心も震動させる……『本物の手話コーラス』では、それができるんだって。このサークルのみんな、同じ気持ちだと思います。みんな、聾者に『音楽』を伝えたい……心を震動させて、感動させたいって思ってます。だからこそ、みんな、沙羅さんを慕って付いてきてるんです」
僕が真っ直ぐに熱い気持ちを伝えると、月明かりに照らされた沙羅の頬は少し赤くなったような気がした。
「だから……沙羅さんは、自信を持って。みんなで、『本物の手話コーラス』を作り上げましょう。リーダーの沙羅さんが揺らいでいるようじゃ、みんなも不安になってしまいますよ」
つい、熱く心に込み上げる想いを語った。
しかし、言い終わってから、新参者の自分が部長に対して凄く偉そうなことを言ってしまったのではないかと思った。
だが……沙羅はいつものパワフルさが嘘のように潤んだ眼差しで僕を見つめる。
そんな彼女の表情を見て……
『ドクン……』
僕の中に、今まで響いたことのない鼓動が響いた。
(あれ……どうしたんだ? この気持ち……何だ?)
今まで感じたことのない、切ないような……目の前のこの先輩を、抱き寄せたくて堪らなくなる、この気持ち……。
僕の目は沙羅の綺麗な瞳に吸い込まれる。
そして、僕の唇も沙羅の口元へ吸い込まれそうになる……。
「沙羅、たっくん! いた、いた。何してるん?」
声を掛けられ、はっと沙羅に近づけていた顔を離した。沙羅も慌てて立ち上がり、声の主の方を見る。
「もう! 二人とも、探したぞ。たっくんは、沙羅を探すって出てったきり、行方不明になるし」
鈍感なパンダは、僕達の間を流れていた空気に気付いていないようだ。
僕は胸を撫で下ろす。
「ごめん、ごめん。ちょい、気分転換してて」
いつもの調子を取り戻した沙羅は、少しベロを出す。
「もう。沙羅はみんなの部長なんだから。しっかりしろよ」
「へっへっ。申し訳なーい。さぁ、これから残り時間、ビシバシ鍛えてあげるわよ!」
沙羅はすっかりいつものパワフルな彼女に戻り、体育館に向けて歩き出した。
しかし……先に歩くパンダに付いて行く彼女は、僕の方をそっと振り返り、口だけ動かす。
『ありがとう』
僕に口話を伝え、そっと微笑んだ。
そんな彼女を見る僕の心は『ドクンドクン』と胸の扉を叩いていたのだった。
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