スパダリ社長の狼くん

soirée

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第三章

十五話

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夜通しうなされていた瞬の隣で寄り添ってやっていた忍がカーテンから差し込む光を一瞥する。徹夜になってしまったせいで目がハレーションを起こす。

 離れないでくれと言うように忍の部屋着の裾を握りしめたまま顔を歪めている瞬の頬を指先で辿る。獣人化は起こしていないが、今日は無理に出社をさせないほうがいい。ベッド脇のスマートフォンを取り上げて、槙野に有給を使うと連絡を入れる。瞬の研修につきあうために忍もこの5ヶ月有給は一度も使っていない。本来ならば総務から苦情が来る案件である。消化も兼ねて、瞬と共に五日間の申請を代理で頼むと言う旨を記して送信し、そのままブラウザを開いて、取引先との付き合いで契約せざるを得なかった会員制リゾートをいくつか眺めた。布団がモゾモゾと動く。成長と共に見事な長毛に育ったピー助が忍の手に頭を押し付け、指先が滑る。ふっと微笑んで、自然と止まったページでそのまま予約をとった。ペット可のスイートを四泊五日で押さえる。
リゾートとはいえ、個室ごとにオーシャンビューの露天風呂があるようなホテルだ。たしか前に訪れた際に、ホテルの中だけでもバーやプール、ショッピングモールなども併設されていた。レストランももちろんあるが、スイートでは使う客などほとんどいないにも関わらず洒落たキッチンも備えている。気晴らしにちょうどいいし、MRIを耐えたご褒美もまだだった。目を覚ましたら準備をして連れて行ってやろうと思いながらピー助の喉もくすぐってやると、ゴロゴロという甘い音が瞬の瞼を開かせた。
一瞬怯えるように目を見開いた瞬だったが、やはり記憶は曖昧になっているようで、なぜこれほど混乱しているのかわからないと言うように身を起こして困惑を滲ませた。冷や汗に濡れたシャツに不快感を覚えたように身じろぎしながら忍を振り返る。
「……あ、ごめん……俺、朝寝坊した? 飯作らないと。遅刻する」
 困惑しながらもきちんと現実に帰ってきている瞬に安堵の色を見せた忍の瞳が、優しく細められた。
「いいんだ。僕が勝手に有給を申請した。ごめんね。旅行に行こうかなって思って」
「え?!」
 瞬が忍を心配そうに見つめてくる。大丈夫、と首を振る。
「大したことはないんだよ。少し咳が出るだけだ。それを口実に大手を振って休めるじゃないか。たまには僕の我儘だって通していいだろう?」
 珍しく甘えるようなことを言う忍に、瞬がつい顔を綻ばせる。少しだけ背を伸ばしてその唇を忍が塞ぎ、蕩けるようなキスを落とす。しなやかな忍の背に腕を回して抱き止めた瞬が求めてくるままに舌を絡めて、よく頑張ったと言葉にはしないまま褒めてやる。
「さぁ、準備をしよう。ピー助も初めてのお出かけだね。四泊だけど、必要なものはほとんど揃ってる。着替えとスマホの充電くらいがあれば十分だよ。朝食はたまには車で食べながら行こうか」
「んじゃ、十分だけ待って。ワッフルと簡単な付け合わせ作るから。あとお前はちゃんとスムージー飲めよ。ビタミン大事だぞ、風邪引いてるなら」
 ピー助が文句を言うように瞬の体に背を寄せる。撫でてやりながら笑った瞬が、大丈夫だよと話しかける。
「お前のもある。昨日買い込んじまったカルパッチョ用の刺身、お前の朝飯に使ってやるからな」
「じゃあできるものは僕が揃えておいてあげるよ。下着とかは別にこだわりないよね?」
 何気なく問いかけた忍に瞬が一瞬で首まで赤くなる。察した忍がちらりとクローゼットを一瞥した。
「なるほど。今夜が楽しみだな」
「~~~~、違う、そんなエロいヤツじゃないんだよ、ただ少し大人っぽいのにしただけで……」
 消え入りそうな声で呟く瞬に、「ふうん?」と忍が意地の悪い顔をする。
「でも瞬は背伸びをしてくれたんだよね? 嬉しいな。ゆっくり見せてもらわないと」
 艶っぽい声が耳元に囁きかけてくる。恥ずかしさで消えたくなると瞬が逃げるようにキッチンに向かう。思わずくすっと笑みが漏れる。それならぜひ、瞬に自分で脱いで見せてもらいたいな……とクローゼットはあえて開かず自室へ向かい、手早く荷物を整える。ゴムを手にして考えてしまう。
(……足りる?)
 たとえ何があっても瞬の体に負担を強いるようなことはしたくない。しばらく悩んで二箱放り込む。いくつかアダルトグッズも放り込んで、隠すわけでもなくそのまま荷物も詰める。
 
 私服の忍は他人にとっては見慣れないものだろうが、それなりにハイセンスだ。シンプルなベージュのスプリングニットにネックレスを添え、カジュアルダウンしすぎない程度にシルエットのいいクロップドパンツを合わせる。足首は見せたまま、革ベースのスニーカーをセレクトして玄関に用意する。もちろんジャケットは羽織る。会員制リゾートにそこまで砕けた格好では行けないのだ。なにせ取引先の重役と出会してもおかしくない。ノバチェックの裏地が覗く黒のジャケットの袖を軽く折り返す。瞬の真っ赤な顔を思い出して、つい下着を確認するが、元からそこまでセンスの悪いものは着けていない。多分その手の工夫をしてくるのは瞬だからこそ盛り上がるのだろう、と畳んでしまい直す。その下に平然と控えているアダルトグッズの方が忍の仕事だ。
 旅行バッグはブランド物は避けている。あまりこれでもかというようなブランドものを身につけるのは好まないのだ。シンプルな黒のスーツケースに、いざという時のためにタブレットをしまったラップトップ。
 

 部屋を出ると、ピー助が早くよこせと言わんばかりにまとわりつくのをどうにか誤魔化しながら瞬が三人分の朝食をパッキングしてくれていた。紙袋に入れて、忍に渡す。
「ごめん、ピー助我慢できないから持ってて。強奪されちまう」
 苦笑する瞬から受け取った袋はほんのり温かい。食欲をそそる香りに、つい忍も中を覗く。
「お前も? しょーがねえな。急いで準備するからちょっとだけ待ってて」
 ちらりと覗く、アーリーレッドの紫色とパンプキンクリームの黄色、新鮮なレタスの緑が目に鮮やかだ。テイクアウトカップに入れてくれるスムージーは今日は鮮やかなオレンジ色。視線で問いかけると、エプロンを外しながら教えてくれる。
「オレンジとレモンとニンジン。少しだけセロリ」
 苦手なものを使ったなと眉を寄せる忍に瞬が吹き出す。
「大丈夫だよ、そんな青臭くねぇから。俺の腕を信じろ」
 そして忍のコーディネートをつくづくと眺めた。
「あんまいい加減な格好しない方がいいのか?」
「君は大丈夫だよ。僕は仕事の相手に出くわしちゃう可能性があるからどうしてもこうなるけど」
「……なら俺もそれなりのカッコする。お前の横に並んでも堂々としてたい」
 憮然とした表情で拗ねたように忍を見返す赤銅色の瞳がどうにも愛しい。深夜のパニックの影響はなさそうだが、深層心理で傷を抱えている瞬にとって負担がなかったわけがない。目一杯甘やかしてやろうと頬が緩む。
 
 自室に消えた瞬が荷物を整える頃には、忍も文句を言うピー助をケージになんとか入らせて玄関で待っていた。並んでエレベーターのボタンを押す。毎日通勤で使ういつもどおりの通路さえ、今日は妙に新鮮に見える。弾んでしまう心を抑えられないといった瞬の首のチョーカーを軽く引いて、掠めるように唇を合わせる。
 乗り込んだ車を発進させ、ピー助も自由にしてやって朝食を食べながら目指すのは、伊豆。
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