スパダリ社長の狼くん

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第五章

七話

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 自室で一人で過ごしていると、ふとすれば瞬のことばかり考えている自分に気づいて苦笑してしまう。今まで曲がりなりにも30年以上の時間を生きてきて、こんなことは初めてだった。

 忍が己の容姿が妙に人を惹きつけるものなのだと気付いたのは、まだ幼稚園に通っていた頃だ。『親たち』も、兄も姉も、園の先生や近所の名も知らぬ人間までもが忍を可愛いと口を揃えて褒めた。一人で遊んでいようものなら、顔も知らない怪しい人間に連れ去られそうになることもよくあった。そして同じ園児までもがこぞって忍の隣にいたがり、しつこいほどに折り紙や粘土のプレゼントを持ってきた。
 小学校に上がってもそれは変わらず、むしろ徐々に女子としての自覚を持ち始めるクラスメイトたちは忍の困惑もお構い無しで取り合いを始めたり、四年生にもなると何をするわけでもないくせに『彼女』を名乗ったりもし出した。
 正直、辟易していた。忍は春香に語った通り、自分の複雑な一族を幼い頃から目の当たりにしており、殊更に親しい人間を作ることを避けるような子供だったのだ。いや、本音を言えばよその子供の母親のように笑って手を繋いでくれたり、時には叱ってくれたりするような親に愛されてみたかった。兄弟だって、東條家の子供たちのように幼いうちから意識が高く競争ばかり強いられるような関係ではない、もっと他愛のない遊びや喧嘩ができる兄や姉が欲しかった。けれど、いつからだろう。そんな言葉を口にしたら負けだと強迫観念のように意固地に心を閉ざすようになっていた。東條家の徹底した独立論は忍にも当然のように影響を与え、甘えたり頼ったり、弱さを見せるようなことをよしとはしない性格にさせていた。

 だから余計に、忍のそばを譲らず何でも話して、と迫る人間が苦手だったのだ。そもそもが忍は幼い頃から柔和な笑顔の裏で辛辣なことを考えていることが多かった。本音を話して、と言われてもそれを話せば怒り出すに違いない相手を冷めた瞳で眺めながら、言うわけがないだろうと冷ややかに口を閉ざしていた。そう、中学で徹底した痛みを叩き込まれるまで、忍はどちらかというと鼻持ちならない生意気な子供だった。生まれ持った容姿と頭脳に自惚れてさえいるような、他者の痛みなど顧みもしない冷たさを持っていたのだ。もちろん一生そのまま自分は強者として生きていくのだと信じていた。
 捻り込まれるように刷り込まれた弱者の立場と屈辱。逃げることは叶わず、反吐を吐いてでも耐えるしかなかった。初めのうちは呆然としていた忍の中に、ねばりついて離れないような怒りと絶望が染みつくのは早かった。
 それでも、それまで忍が貫いていた憎らしい態度のせいで、忍がどれほど訴えても周りは耳を貸さなかった。忍に同情するようなものも現れず、そこでようやく忍は自らの行動がいかに他者の逆鱗に触れてきたかを悟ったのだ。
 
 当時の忍に唯一褒められるべき点があるとすれば、忍は自らの過ちを悟れば反省する子供だったということか。忍は他人が抱く痛みを慮るようになり、他人の言葉を聞くようになり、同時に自分も痛みを抱えながらも人を癒すことを優先するようにもなって行った。今の忍の行動原理の礎だ。
 出せない悲鳴は、救いを求める誰かの口から聞くことでようやく何かが癒やされた。忍を求め、縋り、辛い心境を打ち明ける『誰か』が口にしてくれて初めて忍も自分では認識できなくなってしまった己の傷を思い出させてくれたのだ。

 瞬の持つ素直さ、容姿の良さ、特徴的な体、ひどいトラウマ……それらは全てが忍とは鏡写しに近かった。何も知らなかった頃の忍と全くの対極にあり、そして痛みというものを知った忍の本質に最も近い何か。忍は佑と瞬を似たもの同士と本人たちに言い聞かせたこともある。
 だが、本当は誰よりもわかっている。瞬は、忍の中で誰にも顧みられずに助けを求めてうずくまっている13歳の忍そのものなのだ。今の忍にはまだ、その声を直接聞いてやる強さがない。だからこそ、忍の代わりに素直に痛いと泣いてしまえる瞬が笑顔を見せてくれると、誰よりも……何よりも救われる。
 これは愛情なのだろうかと何度も自問してきた。
 けれど、最終的にはいつも同じ結論に辿り着く。
(僕と瞬が笑顔でいられるなら、それは紛れもない幸せなんだろう……)



 モルヒネを飲むようになって、二週間ほど。
 忍の年齢でのがんの進行は早い。日に日に蝕まれていくのがわかる。残された時間は刻一刻とすぎてゆく。
 そっとベッドを抜け出し、瞬の部屋のドアを開ける。涙の跡の光る頬を指先でなぞり、触れるだけのキスをする。
 片腕が布団を持ち上げ、薄く開いた瞼の奥に繊細な輝きが灯る。
「……一緒に寝るか?」
「……うん、そうしようかな……」
 潜り込んだ布団の温かさが眠気を誘う。抱きすくめるように絡められた腕の重みを感じながら、そっと瞼を閉じて開いた記憶の蓋を閉じた。
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