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20 痛みに慣れすぎていると言われました
しおりを挟むいつもと同じように、私は診察のために国谷先生の元を訪れていた。ソファーに座ると、国谷先生はコーヒーを淹れてくれる。いつもと同じで、香ばしくて良い匂い。
「桜井さんのお父さんから頂いた豆は、飲めるまでもう少し掛かるから、今日は違う豆になるけどいいかな?」
「いえいえ、気にならさないでください。こちらこそ、生豆ですみません」
そこまでコーヒー好きなら、生豆の方が絶対良いって友達に言われたらしいわ。国谷先生が喜んでくれてるのなら、それでいいけど。
「始めから自分が関われるのは、とても楽しいことだよ」
「そうなんですね。よかったです」
コーヒーの世界は深いわね。
「それはそうと、山中君から聞いたよ。大丈夫かい? ショックだっただろう」
国谷先生は私の向かいに座り、そう要点切り出した。
訊かれるとは思っていたけど、いざ訊かれると、わずかに顔を歪めてしまう。
「……はい。急に現実味をおびてきて、怖くなりました」
私は正直に答えた。
頭では理解していても、その目で現実に直面したことも、さらに深く詳しく聞いたことも、これまで一度もなかった。何もかもが初めてだった。
再度この島を訪れてから、日向さんの姿は見ていない。
その意味を知って、こんなに身体と心の芯が冷たく、凍り付くような恐怖を感じるなんて………今も、気を抜いたら震えてしまう。でも大丈夫。これくらいならまだ平気。
「それが普通の反応だよ。君はおかしくない。だから、無理をしてはいけない。無理をし続けると、いずれ、桜井さん自身が壊れてしまうよ」
壊れる? 私が?
もしかして、精神的面を心配されてるの? 話の流れ的にはそうよね。でも私は、
「……特に、無理なんてしていませんが」
本当にしているつもりはないわ。正直に怖いことは怖いっていってるし。
「昨夜……未歩ちゃんが桜井さんの所に行ったそうだね」
ええ。枕を持って来たけど、それが何か問題でもあったの? 疑問に思いながらも、私は認める。
「はい。きましたが……」
「それで、君は普通に彼女を部屋に迎え入れた」
だから?
国谷先生が言おうとしていることがわからない。
部屋に入れたのが悪かったの? そんな規則なかったよね。
首を傾げる私に、国谷先生は優しさと悲しみがこもった目で私を見る。ますます、わからなくなる。
どうして、そんな目で見られるの?
「未歩ちゃんは、桜井さんの恐怖を少しでも取り除いてあげたかったそうだよ。でも……君はいつもと変わらなかった。反対に、自分に気を使ってた。そして、ありがとうって微笑みながら言ったって、それが、悲しくて辛いと言っていたよ」
国谷先生にそこまで言われても、私は何もわからなかった。どうして、未歩ちゃんが悲しいくて辛いと思ったの?
「えっ……私は未歩ちゃんの気持ちが嬉しかったのですが……反対に、不快にさせましたか」
なら、謝罪しないといけないわね。
あの時、心配掛けたことを悪いなと思いつつ、嬉しかったの。だから、私は「ありがとう」って微笑んだ。
「そうだね、桜井さんなら、そう思うだろね」
私の知らない何かを見透かされたようで、少しイラッした。
「どういう意味ですか?」
イラッとしたけど、それを表に出すことなく尋ねる。
「痛みに慣れすぎると、痛みに鈍くなる。だからといって、傷がないわけではないんだよ。放っている分だけ治りも悪くなる。桜井さんの心は痛みに慣れ過ぎているんじゃないかな? ……私も未歩ちゃんも、そう感じたから、悲しくて辛いと思ったんだよ」
咄嗟に否定する言葉が見付からない。
事実、私の心は元家族たちのせいで何度も傷付き、その度に、同じ回数だけ諦めてきた。痛みになれているのは、自分でもわかっていた。でもそれは、自己防衛をしてるだけにすぎない。
それが悪かったの……でもそうしないと、私は壊れて今ここにはいなかった。
「…………」
一言でも言葉を発せば、これまでの自分を否定することになりそうで、私は素直に今思ったことを口にすることはできなかった。
弱味を見せることができなかった。
「桜井さん、君の周りにいる私たちは、君を決して見捨てないし、君を嫌がらない者たちばかりだ。そのことだけは、覚えていて欲しい」
今日の診察は、国谷先生のその言葉で終わった。
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