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第四話 疑い
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「令嬢は大学で物理学を専攻しておられるとか」
「はい。バルヒェットからおいでになったユルゲン教授の下で研究をしております」
どうしてこうなったのだろう、とフェデリカは思う。隣で微笑みを浮かべる王弟を見れば自ずと分かることだが。
王弟はわざわざ案内を買って出たのである。
「あぁ、エメリヒ・ユルゲン教授か。光が波動であるという論文は非常に興味深いものだった」
「ええ! 革新的な理論です、これをより普遍的に証明することができれば――」
研究の話題になり、ついうっかりフェデリカは熱を入れて話してしまった。途中で我に返ったが、王弟は楽しそうに耳を傾けている。
「――令嬢は博識だな。私もまだまだ至らない」
「いえ、私は物理学しかできませんので」
女性に学問の自由が認められたのはつい1世紀ほど前。今もなお、女性は男性の後ろに下がり大人しくしているべきという考えが根強い。フェデリカが大学に進学し、実父にも養父にも文句を言われていないのは異質である。
「しかし、王宮図書館には大学図書館以上の資料はないと思うが」
「数学専攻のアルディーニ伯爵と光の回折に関する計算の検証をしようと約束しておりまして」
「なるほど……今回の騒動が落ち着くまでは、大学に戻るのも難しいだろう」
とても残念です、と言いかけて寸前で押し留めた。
「致し方ありません。国の大事ですから」
「保護者の一人として、今回の騒動には心を痛めている。様々な方面に影響を及ぼしてしまった」
お前の妹がうちの甥を誑かしやがって、という遠回しな批判だろうか。
「デアンジェリス令嬢の姉であった身として、彼女の軽率な振る舞いを謝罪いたします」
「令嬢に謝罪していただくには及ばない。恋とは二人で落ちるものゆえ」
それにしても、と王弟は口元だけで笑う。
「王太子としてはいただけないが、恋のために全てを捨てる覚悟があるというのもなかなかのものだ――宣誓書まで用意して」
「ええ。恋とはそれほどまでに素晴らしいものなのでしょうね」
「知恵を絞り共に歩む道を見出すほどに」
あらこれは、とフェデリカは笑みの裏側で冷や汗をかく。
「アンヌンツィアータ令嬢。あなたの妹御は、随分聡明なようだね?」
「元、ではありますが。彼女と会話をしたことは殆どありませんので、聡明かどうかは判じかねます」
「おや、そうか。王都に来て4年しか経っていない令嬢が、神殿法の隅を突くとはすごいものだと思ってね。大学で神学、法学を学んだ姉君を見習ったのかな」
大学では1年目に神学と法学を学ばされ、その後でようやく専攻を選ぶことが許される。
「……デアンジェリス嬢は、ただ王太子殿下の側にいるべく励んだのでしょう。褒められた努力ではありませんが」
「違いない」
王弟は喉の奥で笑った。
図書館は、もう見えていた。
「ご案内いただきましてありがとうございました。失礼致します」
「――あぁ。また、貴族議会で会おう」
***
「思ったより早かったな」
「計算は終わっていて?」
「終わった。若干の修正を加えておいた」
「そう、助かるわ」
フェデリカはカルミネから資料を受け取り嘆息する。数学専攻らしく、より分かりやすいものになっていた。
「それで、議会はどうなった」
フェデリカは議会でのことを掻い摘んで話した。途中、計算式に夢中になって聞いていなかったことは伏せておく。
「……王弟殿下が継承権の回復を望まれなかったということは、ロレンツィ侯か」
「そうなるでしょうね」
ロレンツィ侯は継承順位が王弟に継ぐ第二位だ。他の侯爵家の候補は女性であったり研究馬鹿であったりするので、無難な選択だろう。
「しかし、なぜ王弟殿下は王位を望まれないのだろうな」
「さぁ、どうしてかしらね」
「せめて資料から目を上げて言わんか……」
「同性愛者、虚弱、男性機能を欠く、根拠に乏しい噂なら枚挙にいとまがないわね」
「お前、噂なんぞを覚えているのか!?」
カルミネは目を見開いた。フェデリカという人間は、興味のないことは欠片ほども記憶に留めておかないのだと認識していた。社交界の噂にも流行にも疎いが、物理学や天文学の知識は教授ですら目を瞠るものがある。
「さっき聞いたばかりだもの。どうせあと1時間もすれば忘れるわよ」
「あぁ、そういう……」
「ラ・ヴァッレはいつ大学に戻る予定?」
カルミネは怪訝そうに眉を寄せた。研究馬鹿という称号がぴったりなフェデリカが、他者にどうでもいいことを聞くのは珍しいことだった。
「そうだな……新たな王太子が決まるまでは、出させてもらえんだろうな。暇だったら、この前メルセン教授が出した平均律に関する論文が面白いから読んでみるといい」
「気が向いたらね」
じゃあ、と手を振って立ち去るフェデリカを見送り、いよいよ様子がおかしい、とカルミネは首を傾げる。フェデリカは楽器を弾くのも意外と得意なので、メルセン教授の発表を楽しみにしていたはずなのだが。
「……何事かあったのか?」
「はい。バルヒェットからおいでになったユルゲン教授の下で研究をしております」
どうしてこうなったのだろう、とフェデリカは思う。隣で微笑みを浮かべる王弟を見れば自ずと分かることだが。
王弟はわざわざ案内を買って出たのである。
「あぁ、エメリヒ・ユルゲン教授か。光が波動であるという論文は非常に興味深いものだった」
「ええ! 革新的な理論です、これをより普遍的に証明することができれば――」
研究の話題になり、ついうっかりフェデリカは熱を入れて話してしまった。途中で我に返ったが、王弟は楽しそうに耳を傾けている。
「――令嬢は博識だな。私もまだまだ至らない」
「いえ、私は物理学しかできませんので」
女性に学問の自由が認められたのはつい1世紀ほど前。今もなお、女性は男性の後ろに下がり大人しくしているべきという考えが根強い。フェデリカが大学に進学し、実父にも養父にも文句を言われていないのは異質である。
「しかし、王宮図書館には大学図書館以上の資料はないと思うが」
「数学専攻のアルディーニ伯爵と光の回折に関する計算の検証をしようと約束しておりまして」
「なるほど……今回の騒動が落ち着くまでは、大学に戻るのも難しいだろう」
とても残念です、と言いかけて寸前で押し留めた。
「致し方ありません。国の大事ですから」
「保護者の一人として、今回の騒動には心を痛めている。様々な方面に影響を及ぼしてしまった」
お前の妹がうちの甥を誑かしやがって、という遠回しな批判だろうか。
「デアンジェリス令嬢の姉であった身として、彼女の軽率な振る舞いを謝罪いたします」
「令嬢に謝罪していただくには及ばない。恋とは二人で落ちるものゆえ」
それにしても、と王弟は口元だけで笑う。
「王太子としてはいただけないが、恋のために全てを捨てる覚悟があるというのもなかなかのものだ――宣誓書まで用意して」
「ええ。恋とはそれほどまでに素晴らしいものなのでしょうね」
「知恵を絞り共に歩む道を見出すほどに」
あらこれは、とフェデリカは笑みの裏側で冷や汗をかく。
「アンヌンツィアータ令嬢。あなたの妹御は、随分聡明なようだね?」
「元、ではありますが。彼女と会話をしたことは殆どありませんので、聡明かどうかは判じかねます」
「おや、そうか。王都に来て4年しか経っていない令嬢が、神殿法の隅を突くとはすごいものだと思ってね。大学で神学、法学を学んだ姉君を見習ったのかな」
大学では1年目に神学と法学を学ばされ、その後でようやく専攻を選ぶことが許される。
「……デアンジェリス嬢は、ただ王太子殿下の側にいるべく励んだのでしょう。褒められた努力ではありませんが」
「違いない」
王弟は喉の奥で笑った。
図書館は、もう見えていた。
「ご案内いただきましてありがとうございました。失礼致します」
「――あぁ。また、貴族議会で会おう」
***
「思ったより早かったな」
「計算は終わっていて?」
「終わった。若干の修正を加えておいた」
「そう、助かるわ」
フェデリカはカルミネから資料を受け取り嘆息する。数学専攻らしく、より分かりやすいものになっていた。
「それで、議会はどうなった」
フェデリカは議会でのことを掻い摘んで話した。途中、計算式に夢中になって聞いていなかったことは伏せておく。
「……王弟殿下が継承権の回復を望まれなかったということは、ロレンツィ侯か」
「そうなるでしょうね」
ロレンツィ侯は継承順位が王弟に継ぐ第二位だ。他の侯爵家の候補は女性であったり研究馬鹿であったりするので、無難な選択だろう。
「しかし、なぜ王弟殿下は王位を望まれないのだろうな」
「さぁ、どうしてかしらね」
「せめて資料から目を上げて言わんか……」
「同性愛者、虚弱、男性機能を欠く、根拠に乏しい噂なら枚挙にいとまがないわね」
「お前、噂なんぞを覚えているのか!?」
カルミネは目を見開いた。フェデリカという人間は、興味のないことは欠片ほども記憶に留めておかないのだと認識していた。社交界の噂にも流行にも疎いが、物理学や天文学の知識は教授ですら目を瞠るものがある。
「さっき聞いたばかりだもの。どうせあと1時間もすれば忘れるわよ」
「あぁ、そういう……」
「ラ・ヴァッレはいつ大学に戻る予定?」
カルミネは怪訝そうに眉を寄せた。研究馬鹿という称号がぴったりなフェデリカが、他者にどうでもいいことを聞くのは珍しいことだった。
「そうだな……新たな王太子が決まるまでは、出させてもらえんだろうな。暇だったら、この前メルセン教授が出した平均律に関する論文が面白いから読んでみるといい」
「気が向いたらね」
じゃあ、と手を振って立ち去るフェデリカを見送り、いよいよ様子がおかしい、とカルミネは首を傾げる。フェデリカは楽器を弾くのも意外と得意なので、メルセン教授の発表を楽しみにしていたはずなのだが。
「……何事かあったのか?」
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