只の歌詠みと侮る勿れ ~関ヶ原逸聞伝・弐~

佐倉伸哉

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五 : 戦雲到来

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 前田家をくだした家康は、その後から他の大老や奉行にはからず独断で決裁する事が増えた。
 十月一日、老齢を理由に隠居を申し出た堀尾吉晴よしはるに隠居料を与えたのを皮切りに複数の大名へ加増を決定。いずれも豊臣家蔵入地で、家康のふところが痛む事はなかった。そして――。
「加増、とな?」
 慶長五年〈一六〇〇年〉二月。京の幽斎に、“至急来て欲しい”と忠興から連絡が入った。忠興が明かした幽斎は小首をかしげる。
「はい。豊後・木付きつき(後の杵築きつき)とのこと」
 加増は武家にとって嬉しい事だ。ただ、忠興には加増されるいわれがなく、疑問しかない。
「どう思われます?」
「恐らく、昨年加賀大納言様と一触即発になった折に仲立ちした謝礼ではなかろうか」
 幽斎の見解に、忠興は“成る程”と頷く。
 昨年一月に伏見と大坂で緊張が高まった時、顔触れや人数などで劣る家康は武力衝突になれば確実に負けていた。利家が老いによる衰えや畿内の騒擾そうじょうを望まなかったのもあったが、戦の回避に向けて両者を仲介する者が居たのも大きな後押しとなった。実際、吉晴も仲裁に一役買っており、隠居料もこの時の御礼が含まれていると解釈するのが自然だろう。
「それにしても、木付か……」
 やや複雑な表情で呟く幽斎。
 長岡家が治める丹後国と木付の豊後国は遠く離れている。木付は有事の際に長岡家の救援は絶望的で、独力で対処する必要があった。
「誰に任せましょうか?」
「松井“佐渡”しかるまい」
 幽斎の口から出た名に、忠興も首肯しゅこうする。
 松井“佐渡守”康之やすゆき。天文十九年〈一五五〇年〉十一月一日生まれで五十一歳。幕臣の家に生まれた康之は義輝に仕えるも、永禄の変で義輝が討たれると藤孝と共に義昭の将軍擁立に尽力。幕府滅亡後は信長の家臣となり、その後長岡家の家臣となった。
 その康之が大活躍したのが、文禄四年七月。秀次事件の余波が忠興に及びそうになると、返済金の用立てや御長おちょうの返還に康之は奔走し、処分からまぬがれる事が出来た。この多大な功績に感謝した忠興は、自らの次女・古保こほを康之の次男で嫡男・興長おきながに娶らせている。
「あとは、武にけた者を何名か付けよう」
 これが泰平たいへいならば康之に優秀な文官を配置すれば済むが、情勢が不透明で戦の可能性もあり一定の配慮は必要だ。折角頂戴した土地をタダれてやる訳にもいかない。有事の際にも耐える体制の構築は急務である。
(……それにしても、豊後、か)
 国名を忠興から聞かされた時、幽斎の脳裏にある男の顔が浮かんだ。――黒田如水だ。
 黒田家が治める豊前国は木付の豊後国と隣接している。黒田家の当主・長政は忠興と同じ武断派に属し、昨年の三成襲撃事件でも行動を共にしている。利用する価値は、ある。
 暫し考え込んだ幽斎は、おもむろに口をひらく。
「万一に備え、“甲斐守(長政の官名)”と連携を取れるようにしておくとよかろう」
 幽斎の助言に忠興もその狙いをすぐに察知し、「分かりました」と応じた。
 あの食わせ者の如水や周辺の大名達の動向は読めないが、確実な味方は豊前の黒田長政と肥後の加藤清正くらい。清正は阿蘇山がそびえる為に難しいが、豊前なら連携も可能だ。
 武家たる者、最悪を想定して策を講じる必要がある。それを続けてきたからこそ、幽斎はこの歳まで生き永らえている。
 この先、天下がどう揺れ動くか、皆目かいもく見当けんとうが付かない。だからこそ備えておくべきだと、幽斎の勘がそうささやいていた。

 政情は不安定になると予想した幽斎は的中する。上杉家家臣・藤田信吉が出奔し、『景勝が戦の準備をしている』と訴え出たのだ。
 慶長三年、上杉景勝は百二十万石へ加増の上で会津へ転封された。会津は“家康の牽制”と“奥羽の油断ならない大名の監視”の両方が求められ、生半なまなかな者に任せられず景勝を充てた。しかし、越後から年貢全てを持ち出した件で堀家と、庄内地方の領有権を巡って最上家と、それぞれ問題が生じていた。両家はしきりに“上杉家に不穏な動きがある”と家康へ密告したが、係争相手だけに取り合わなかった。だが、直近までの上杉家家臣なら別だ。
 領国に戻った景勝は長らく滞っていた道や橋の整備・城砦じょうさいの修繕など内政に着手した。並行し諸国から牢人を雇い、その中には名をとどろかす勇士も含まれていた。年が明け、景勝は家宰かさい・直江兼続に神指こうざしに新たな城を築くよう命じた。これが戦支度に該当すると訴えた。
 信吉の話から家康はまず景勝から話を聞く為、四月一日に豊臣家の外交僧・西笑承兌さいしょうじょうたい弾劾だんがい状をたずさえた問罪使を派遣。五月三日に兼続からの返書が家康の元に届けられたが――。
 曰く『国替え直後に上洛し、やっと帰って来れたのにまた来いと言う。いつまつりごとをすればいいのか』『景勝に逆心が無いのに上洛出来なくするよう仕組まれては仕方ありません。太閤殿下の遺言に反し秀頼公を敵に回して勝ちましても(暗に“家康など相手にならない”と皮肉)悪人扱いされますのでやりませんから、ご安心を。ただ、讒言ざんげんする者の話ばかり聞くなら、こちらにも考えがあります』等々……。
 俗に“直江状”と呼ばれる返書に家康は憤慨ふんがいしたとされる。あまりに出来過ぎた内容に後世の創作・改竄かいざんを疑われる(原本は発見されてない)が、別の史料で『兼続から送られてきた書状で家康は激怒した』と記述がある事から、挑発的な返書はあったと思われる。
 ただ、上杉景勝が家康に喧嘩を売った事に変わりはない。家康は『景勝に逆心あり!!』と断じ、上杉征伐へ向け動き出した!

 五月中旬、大坂がにわかに騒がしくなった事を嗅ぎ取った幽斎は、京から移動。忠興から今回の戦に至る経緯いきさつを伝えられ、納得した。
「成る程。これで内府様待望の戦になるな」
「はい。私も内府様より先鋒せんぽううけたまわりました!」
 鼻息荒く答える息子に、素っ気ない反応の幽斎。そんな事より先に考えるべきは……。
「で、兵はどれくらい連れて行くつもりだ?」
「それは勿論、長岡家の総力を挙げた陣容にしようかと! そうですな、キリ良く一万!」
 意気軒昂いきけんこうに答える忠興に、幽斎は“お前はアホか”と明白あからさまな表情で溜め息をいた。
 舞い上がる息子へ、冷淡な声で幽斎は問う。
「では、丹後も木付もからにし、借財を重ねて長岡家の金蔵かなぐらを傾けてまで兵をつのるのだな?」
 冷や水を浴びせ掛ける幽斎の指摘に、ハッとする忠興。冷たい視線を送りながら続ける。
武士もののふほまれは分かるが、おのが身の丈をわきまえろ。長岡家十八万石でどの程度の兵が出せる?」
「……およそ、四千五百」
 萎縮いしゅくしながら答える忠興。一万石当たり二百五十名の計算で実際はもう少し上振れするが、丹後や木付に押さえの兵を残す必要があるので、多くても五千程度になると思われる。
 幽斎は勢いそのままに忠興へ畳み掛ける。
「数を揃えたとして、兵糧は如何いかがする? 戦わなくとも三食は与えねばならぬし、米だけという訳にもいくまい。味噌に酒、干し魚や漬物も要る。人だけではない。馬や牛もかすみを食って生きてる筈がない。まぐさに水も必要だ。さらに言えば、食えば出す物も出る。糞尿ふんにょうの処理は避けて通れないぞ。それを毎日欠かさず物資を運ぶ為の手立ては考えてあるのか?」
 怒涛の質問の嵐に、忠興は「あの、えっと……」と答えられずにいた。その反応を受け、トドメを刺すように幽斎は言い放つ。
武辺ぶへん一辺倒いっぺんとうの者は兎角とかく兵站へいたんを軽視する。必要な数の物資を揃え、遅れず途切れず届ける。その重要性を異国の地で身に沁みて味わったのではないのか!?」
 一喝する幽斎に、返す言葉のない忠興。
 信長や秀吉が成功を収めたのは、兵站を重視した点だ。能吏のうりが必要な物資を確保し、前線へ途切れなく届ける手配をする。こうしたえんの下の力持ちが居たからこそ、大軍勢が長期間に渡り出征する事を可能にした。それを武断派と呼ばれる者達は“当たり前”と捉え、不備があれば“役立たず”と罵声を浴びせ、文治派の方も“猪武者が……”と軽蔑する。こうした不和が、豊臣家にひびを入れたのだ。
 幽斎は地味で苦労の絶えない裏方仕事の大変さをよく存じていた。世間知らずの公方様は“命じれば勝手に動く”と勘違いしていた所為せいで、そのしわ寄せや微調整は全て藤孝や光秀がになった。あの無茶苦茶な上司と比べれば、はるかに恵まれている事を若い者達は知らない。
 まぁ、説教はこの辺りで切り上げ、咳払いを挟んだ幽斎は改まった口調で本題に入る。
「丹後には儂が入る。その分の兵は回せ」
「父上が、ですか?」
 思いがけない申し出に、驚きを見せる忠興。
 忠興の所領とは別に、幽斎も隠居料として幾許いくばくかの知行を得ている。兄・藤英の次男・三渕光行みつゆきなど幽斎は独自の家臣を抱えていた。
「あの、その……本当によろしいのですか?」
 恐る恐るお伺いを立てる忠興。
 幽斎が最後に戦へ出たのは、天正十五年の島津征伐。実に十三年振りの実践復帰となる。勘のにぶりや加齢による衰えなどの不安はある。
 息子の懸念にムッと顔をしかめる幽斎。
「失敬な。戦場いくさばに立った数ならお主にだって負けておらぬぞ。それにな……」
 一旦言葉を区切った幽斎は、はきと告げる。
「厳しい戦いに限れば、お主にまさる自信がある」
 織田・豊臣(羽柴)と勝勢に乗った戦の数が多い忠興に対し、落ち目で苦しい戦いの連続だった足利に四方を敵に囲まれ苦境にあえいだ織田と修羅場を踏んだ数の違いを主張する幽斎。その言葉の重みに、忠興も沈黙する。
 隠居していた父が加勢すれば、連れて行ける兵が増える上に大将として守ってくれる。戦の指揮・采配は個人の器量はあれど経験の数が重要で、下手な者に任せるよりは安心だ。
 猶も不安気な表情を浮かべる忠興に、幽斎は微笑みかけながら付け加える。
「安心しろ。お主の足を引っ張る事はしない」
 父の意思は固いを悟った忠興は、答えた。
「……分かりました。くれぐれも無理だけはなさらないで下さいよ?」
「おう。任せろ」
 忠興の心配に軽い調子でこたえる幽斎。この時の幽斎が“戦を引き延ばす秘策”を胸中に秘めていた事を、忠興は知るよしもなかった。
 上杉征伐の意向を示した家康へ奉行達は中止するよう訴えたが、無視。自らの天下獲りに向けて、家康は大勝負に出る覚悟を固めた。
 慶長五年六月六日、大坂城西ノ丸にて上杉征伐の軍議が開催。参加する大名達は既に戦の支度を進めており、最早止められなかった。
 六月十六日。家康は大坂城から出陣。東国の大名や家康に近い大名も順次出発した。
 豊臣家を牛耳っていた絶対的権力者の家康が畿内から離れた事で、それを良しとしない勢力がうごめき始めた。その動きはやがて地方へと波及し、戦の火種がかれるのだった――。
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