信忠 ~“奇妙”と呼ばれた男~

佐倉伸哉

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二 : 立志 - (11) 毒

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 元亀三年一月下旬。奇妙丸は父に聞きたい事があり、新左を通してその旨を伝えてもらった。季節は冬で敵対する勢力の動きも鈍く、父は京と岐阜を往復する日々が続いていた。ただ、新左曰く『忙しいのは忙しいが、一時と比べれば大分落ち着いてきた』とのこと。
 父が京での仕置を終えて岐阜に戻って来た次の日、奇妙丸は呼び出しを受けた。指定された場所は、茶室。「一人で来い」と新左を介して言われたので、奇妙丸は単身で向かう。
 岐阜城の茶室は上方かみがたで流行している侘数寄風のものではなく、少し前に流行した書院風の造りをしていた。父はこの部屋で、一人で待っているという。
「失礼致します……」
 障子を開け、中へ入る奇妙丸。四畳半の部屋で、父は釜の前で正座していた。目を閉じて、水がポコポコと沸く音にじっと耳を傾けている様子だ。
「……奇妙か。そこに座れ」
 まぶたを上げた父は、あごで正客の位置に座るよう促す。自分が座ってもいいのか、と一瞬躊躇ためらったが、父が言うなら従うしかないと思い奇妙丸は示された場所に腰を下ろす。
 奇妙丸が着席するのを見届けた父は、柄杓ひしゃくを手に取り釜の中の湯をすくい茶碗にそそぐ。話を聞く前に亭主として茶を出すつもりのようだ。
 目の前で、粛々と点前てまえが進んでいく。その手付きは一分の隙も無いというか、極力余分な動きがはぶかれているように奇妙丸の目には映った。いつも父と対面する時は緊張するが、今日はさらに気持ちが引き締まるように感じる。例えるなら、抜き身の刀の切っ先をこちらに向けられているような感覚。変な動きをしたら斬られそうだ。
 奇妙丸自身、茶の湯の席に臨んだのは数える程度、しかも堺に滞在していた時以来だ。席に座りながら今井宗久から教わった事を必死に思い出そうとする。
 そんな時、真っ先に浮かんだのは宗久の言葉だった。
『今日初めての者なら多少の粗忽も目を瞑ってもらえるのですから、思い切り楽しめば良かったのに。所作など後から身に付ければ充分です』
 あれは、生まれて初めての茶の湯でガチガチに緊張していた奇妙丸が感想を述べた折、宗久がそう言ったのだ。失敗する事や恥を掻く事を極度に恐れるあまり、茶の味すらロクに覚えていない有様だった。宗久の言葉を受けて、次は肩の力を抜いて臨んだら、先程とは全く景色が違って見えた。心の持ちようでこんなにも差が出るのか、と当時は大変驚いた事も、今思い出した。
(……そうだ。恐れるのではなく、楽しむのだ)
 余程変な事をしない限り、許容されるのが茶の湯というものだ。相手が父でも、自分が多少見苦しい事をしても斬られる訳ではない。ならば、失敗してもいいやくらいの気持ちでこの席に臨んでみよう。
 瞼を閉じた奇妙丸は、静かに深呼吸をする。次に目を開けた時には……少しだけ、部屋が広くなったように感じた。亭主役の父の周りしか見えていなかったのが、部屋全体を眺められるようになったのだ。すると、息苦しさも消え、色々な音が耳に入ってくるようになり、辛さより楽しさが上回った。
 花瓶かびんに活けられた花や父の所作などを眺めている内に、茶を点て終えた父が茶碗を差し出してきた。一礼した奇妙丸は恭しく茶碗を受け取ると、そのまま口を付ける。
「……途中から変わったな。何があった?」
 父は自分が飲む茶を点てながら訊ねた。言葉数は少ないが、奇妙丸の心境の変化を指しているのだろう。
「宗久様から教わった事を思い出しました。『こまかな所作で間違う事を恐れるよりも楽しめ』と」
「……で、あるか」
 奇妙丸が答えると、父は茶筅を回しながら短く応えた。その顔は、奇妙丸の答えに納得しているようだった。
 やがて自分の茶を点て終わると、父は正座から胡坐に組み替えた。これを奇妙丸は話を聞く頃合と判断し、居住まいを正してから口を開いた。
「父上は――松永弾正をどのような人物と捉えておられるのですか?」
 奇妙丸が率直に訊ねると、父も少し考える仕草を見せる。
 昨年九月、延暦寺焼き討ちの折に沢彦から松永久秀のことについて聞いた。その時から、奇妙丸は気になっていた。「この人はどういう人なのだろう?」と。“将軍殺し”“東大寺焼き討ち”の悪業で注目を浴びながらも、今年六十五歳にして今なお現役の大名として第一線に立っている。様々な寺社勢力が混在し統治が難しいとされる大和国を一時は統一を果たしており、それは並大抵の器量では成し遂げられない事だ。
 そもそも、久秀は三好家に代々仕える家柄ではなく、素性すじょうすら定かでない身分から異例の出世を遂げている。織田家中でも尾張の水呑み百姓の生まれから一軍を率いるまでに出世した木下藤吉郎が居るが、一から戦国大名・幕臣まで成り上がった点では久秀の方が上だ。しかも、藤吉郎はその素性から譜代の家臣達からさげすまれているが、久秀には素性の後ろめたさを感じられない。もっとも、久秀の場合は素性云々うんぬんかすむ程の悪名が二つも付いているのだが。
 久秀のこれまでの歩みは決して万事順調だった訳ではない。大和国を巡り寺社勢力や筒井順慶と激しく争い、三好三人衆と畿内の覇権を争い、劣勢に立たされた事も一度や二度ではなかった。特に、永禄十一年には居城の信貴山城が落とされるなど、かなり追い詰められた。上洛前に久秀の方から父に接触してきたが、この時点で『義輝公殺害に関わっているから』と断る事も出来た筈だ。父が担いでいるのは殺された義輝の弟・義昭。義昭からすれば兄のかたきであり、味方に加えるなど論外だろう。それでも、父は義昭の反対を押し切ってまで味方に引き入れた。それは一体どうしてだろうか。
 奇妙丸自身、久秀について色々と調べてみた。沢彦を始め、様々な人から話を聞いてきた。けれど、どういう人物なのか掴めなかった。考えても調べても聞いてみても分からない以上、松永久秀を買っているように見える父に訊ねてみようと思った。他人と違う観点を持ち、父しか持ってない情報を握っているかも知れない。
 父は茶を一口飲むと、おもむろに話し始める。
「誤解されているが、彼奴きやつはなかなか有能な忠臣だぞ。それに、風雅も分かり革新的な考え方も持っている」
 久秀が信用ならない理由の一つに挙げられるのが“状況によって主君をコロコロ変える”と見られている事だ。しかし、久秀が三好家に仕え始めてから裏切った事は一度も無く、三好三人衆と対立した際に主君の義継が三人衆方に付いたが故に不本意ながら刃を向けざるを得なかった事情がある。主家を凌ぐ勢力になっても、久秀は三好家をないがしろにする事は決してしなかった。織田家に属してからも、金ヶ崎からの退却では敵か味方か判別のつかない朽木元網の元へ危険をかえりみず説得役を買って出たし、元亀元年に織田家が四方に敵を抱える苦しい状況にあっても離反する事なく織田方として戦っている。どんなに過去の恩義がある相手でも形勢が悪くなれば裏切られても文句を言えない弱肉強食の戦国乱世で、久秀は仕える家を裏切った方が少ないのだ。
 永禄三年、久秀は信貴山城を居城にするに当たり、四層の天守を建造した。この“天守”は摂津の伊丹城に次いで作られたもので、当時の日本ではまだ珍しかった。久秀は大和国の人々に自らの影響力を示す狙いで天守を作ったとされる。
 また、久秀は武野紹鷗の弟子として知られ、天下の名物『古天明平蜘蛛』の茶釜を始めとした多数の名物茶器を所有する当代随一の茶人の顔も持っていた。茶の湯は爆発的な流行の真っ只中にあり、茶の湯のたしなみがあれば文化人として評価された。
「……父上は弾正を買っておられるのですね」
「当然だ。使えるか使えないかで言えば間違いなく使える奴だ。入れ替わりの激しい畿内で何十年も第一線でしぶとく生き抜いてきたのは伊達ではない」
 京は帝が居て将軍も居る、権力が集中している地だ。当然ながら『我こそは権力の頂点に立つ!』という者がこぞって集まり、熾烈しれつな権力闘争が繰り広げられる。様々な思惑を持つ者達が生き残りを賭けて争うが為に、顔触れはコロコロと変わる。そんな環境の中で、盛衰せいすいありながらも久秀は滅ぶ事なく生き残り続けた。運もあっただろうが、久秀自身の才覚と努力があったからに他ならない。
 ここまでの話を聞いていると、世間一般の久秀像とは一線を画しているように奇妙丸は感じた。そんな奇妙丸の心の内を見透かすように、父は低い声で「だが」と付け加える。
「奴はおのれに正直な男だ。目的の為なら手段は選ばんし、多少の苦難も耐え抜くしぶとさもある。味方にすれば頼もしいが敵に回すとこの上なく厄介だ。かと言って、気を許してはならぬ。隙を見せれば――喰われる」
 そう言うなり、父は茶を一息にあおる。飲み干した父は苦り切った表情をしていた。
「例えるならば、弾正は“毒”だ。上手く使えば薬になるが、使い方を誤れば我が身を滅ぼす事になる。この腐り切った世を立て直す為には、彼奴みたいな存在が必要なのだ」
「毒……」
 奇妙丸は父の言葉を口の中で呟いた。ただ、その表現は的を得ているように感じた。
 久秀という人は、必要悪なのかも知れない。長く続いている体制や慣習が時代にそぐわず、社会には閉塞感が漂っている。民の間には小さな不満が蓄積され、変革を求める動きが一部で出てきている。久秀はそうした時代のうねりを機敏に察知して、前例や仕来しきたりに囚われず世の中を作り替えようとしているのだ。だから、“将軍殺し”や“東大寺焼き討ち”の悪名があっても、極悪人の評判があっても、久秀は六十五歳になった今も健在なのだ。……これで奇妙丸の中にあった疑問はけた。恐らく。
 奇妙丸も父にならい、茶碗の中の茶を一気に飲み干す。口中に苦味が広がったが、これくらいで音を上げていては久秀のような癖者くせものぎょする事は出来ないと思い、懸命に我慢しようと試みた。その奇妙丸の顔を見て、父は口元をかすかに緩めたような気がした。
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