信忠 ~“奇妙”と呼ばれた男~

佐倉伸哉

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三 : 萌芽 - (17) 強右衛門

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 翌日の五月十五日。信忠は伝兵衛を連れて岡崎城内の陣中を視察した。
 兵達は戦に備え、準備に追われていた。特に目についたのは、消耗品である矢を作ったり鉄砲で用いる火薬と弾をあらかじめ一発分にまとめる“早合はやごう”を作る者達の姿だった。割合的には、早合を作っている者が圧倒的に多い。
「……此度は、鉄砲が多いな」
「はい。聞く所では武田との決戦の為に用意された鉄砲の数は、三千挺とも四千挺とも言われております」
 伝兵衛から伝えられた数字に、信忠も納得したように一つ頷く。
 天文十二年八月二十五日、種子島に漂着した唐船からふねに乗っていた南蛮の商人から伝わった二挺の鉄砲。それから三十年余りが経ち、鉄砲は伝来した種子島から遠く離れた東国の大名も戦で用いるまでになった。ここまで爆発的に普及した要因に挙げられるのは、種子島に鉄砲が渡って程なく、根来寺ねごろじの僧が鉄砲一挺を地元に持ち帰り、文化最先端の畿内に早い時期に持ち込まれた事だ。
 根来寺は真言宗の寺で、紀伊国では高野山こうやさんと肩を並べる程の一大勢力を誇り、僧兵一万を抱えていた。寺領内の火事場で鉄砲を製造して他国の大名へ販売するのと並行して自軍に配備・強化した。根来寺の僧兵や根来寺に属する土豪は俗に“根来衆”と呼ばれ、傭兵として各地の大名へ派遣されて収入を得ていた。その根来衆はまだあまり世の中に出回ってない鉄砲を逸早く取り入れた事で、まだ馴染みの薄い鉄砲を高い技術で扱える点で需要が次第に高まっていった。根来衆は雑賀さいか荘近在の地侍で構成される“雑賀衆”と共に、鉄砲の専門集団として名を馳せることとなる。
 これ以外にも、堺の商人・橘屋又三郎が種子島で鉄砲の製造技術を学び、それを堺に持ち帰り製造販売に乗り出した。又三郎をキッカケに他の商人達も鉄砲の製造販売に参入し、堺は日本有数の鉄砲生産地に発展していった。また、近江国国友村でも天文十三年から鉄砲の生産が始まるなど、畿内及びその近隣に鉄砲の主要な生産地が集中していた。
 織田家は、他家に先んじて鉄砲を手に入れていた。まだ量産化されておらず価格は高騰していたが、熱田や津島などから入る運上金もあり財政面でかなり余裕がある背景もあり、信秀が試しに購入していたのだ。それを信長が当主になると鉄砲の所持数を段階的に拡大していき、軍における鉄砲兵の割合を増やした。尾張の兵は周辺諸国と比べて弱かったのもあるが、鉄砲の威力と手軽さを重視し戦力と捉えた信長の考え方が反映されていた。殺傷能力が極めて高く狙いを定めて引き金を引くだけという扱いやすさは強みであるものの、鉄砲単体だけでなく火薬の原材料となる硝石しょうせきも非常に高価で経費がかさむ上に一発撃った後に再装填まで時間が掛かる欠点もあり、他の大名家では導入に消極的だった。
 年数が経つにつれて鉄砲本体の価格も下がり、鉄砲の有用性が認知されるようになると、各地の大名も鉄砲を軍の編成に組み込むようになった。ただ、それは鉄砲の入手が容易な畿内から西の大名ばかりで、畿内から遠く離れた東国ではまだ浸透していなかった。武田信玄や上杉謙信などは自前の兵が元々強いのもあり、鉄砲の所持数は少なく重視していなかった。
 信長は上洛を果たして間を置かず堺を支配下に置いたのも、堺が我が国随一の商業都市で莫大な運上金を見込めるのもあったが、鉄砲の一大生産地であるのに加えて南蛮船の入港が多いのも大きかった。鉄砲を撃つのに欠かせない硝石は国内で採取出来ず、海外からの輸入に依存していた。南蛮船は鎮西(九州)にも寄港するが、一番儲けが見込める堺の入港が圧倒的に多かった。信長は畿内の大半を手中に収めており、鉄砲と硝石もほぼ押さえた恰好だ。
 潤沢な資金力と豊富な物量を背景に鉄砲をどんどん組み入れていった織田家だが……今回はいつにも増して割合が多い。今回の徳川家救援の為に率いた三万の内、三千から四千が鉄砲を扱う兵。実に一割、これは異例だ。
 これだけの量の鉄砲を持ってきたとなれば武田との決戦の切り札に違いないけれど、父はどのように使うのだろうか。先述した通り、鉄砲は殺傷能力が高いが次に撃つまで時間を要する上に装填を完了させる間は反撃が出来ない無防備な状態になる。機動力を武器としている武田家の騎馬隊なら、発射から再装填の間で一気に距離を詰める事も充分に可能だ。その対策はどうするのか。
 あれこれ考えながら陣中を歩いていたら、向こうから野々村正成まさなりが信忠の姿を見つけると急いで駆け寄ってきた。
「いかがした、三十郎」
 野々村“三十郎”正成。信長の馬廻で、黒母衣衆にも選ばれた近臣だ。元は斎藤龍興に仕えていたが、斎藤家が滅亡した後に織田家へ仕官した。生年は不明だが、永禄四年の軽海かるみの戦いにも参加している事から二十代後半から三十代と思われる。
 父の側近くに居る筈の正成がやや息を切らして信忠を探していたとなれば、状況に変化があったと考えるのが自然だ。
「勘九郎様……長篠城より、急使が参りました。急ぎ、大広間まで」
 正成の言葉に、信忠も一瞬で緊張が走る。
 長篠城は、武田勝頼が率いる軍勢の猛攻に晒されている真っ最中。そこから急使が来た事は、何かあったに違いない。
「分かった。すぐに向かう」
 答えてすぐに歩き出した信忠。今はきたるべき時の事を考えるより、現状を把握するのが先だ。

 大広間に到着すると、織田・徳川両家の主立った家臣が続々と集まっていた。真ん中には一人の男が座っており、恐らくはこの者が長篠城からの急使だろう。
 服だけでなく顔や髪の毛、肌に至るまで泥やほこりで汚れており、武田方の厳しい監視をくぐり抜けてきた事の過酷さや大変さを物語っている。
 やがて、父と家康が揃って大広間に姿を現した。全員が一斉にこうべを垂れる。
「奥平家家臣、鳥居強右衛門すねえもんにございます」
 上座の二人が座るのを待ち、強右衛門が名乗りを上げる。その声には見た目とは裏腹に力強さを感じられた。
 鳥居“強右衛門”勝商かつあき、天文九年の生まれで、齢三十六。一説には奥平家の直臣ではなく陪臣と言われる。
 さらに、強右衛門は続ける。
「我等奥平勢は武田勢を相手に善戦しておりましたが、二日前に敵が放った火矢で兵糧蔵が全焼。兵糧の大半を焼失してしまいました……!!」
 口惜しそうに顔を歪める強右衛門の言葉に、居並ぶ家臣達の表情も強張る。防城戦で兵糧は生命線で、食べ物が底を尽けば抗う事は出来なくなる。多くの銃火器を予め運び入れて善戦していた奥平勢だが、兵糧を失った事で一転し窮地に立たされた。
 この危機的状況に城主・奥平貞昌は『このままでは保たない』と判断。岡崎城へ救援の密使を送る事を決めた。しかし、長篠城の周りは武田方が厳重に警備をいており、この包囲網を突破するのは極めて難しかった。失敗すれば命は無い、そんな危険な役目を買って出たのが、強右衛門だった。
 五月十四日夜、下水口から城を脱け出した強右衛門は川を潜り泳ぐ事で武田の監視をすり抜けた。翌朝に長篠城からも見える雁峰山がんぽうさんから脱出の成功を知らせる狼煙のろしを上げ、それから駆けに駆けて同日午後に岡崎城へ辿り着いた次第である。
「将兵の士気がすこぶる高いですが、このままでは落城必死。何卒、味方をお助け下され!!」
 言うなりガバリと頭を下げる強右衛門。今もなお懸命に戦っている長篠城の将兵の命が懸かっているのだ。何としても『援軍を送る』の言質げんちを取りたいという執念が、信忠もヒシヒシと感じ取っていた。
 だが、そう簡単に答えられない事情もある。兵糧を失った以上、長期に渡る抗戦は難しくなった。武田勢にこの情報が洩れれば損害覚悟で猛攻を仕掛けてくるだろう。そうなれば、兵数で元々劣る奥平勢に抗う術はない。そして、長篠城へ救援に向かっている途上で長篠城が落城すれば、徒労に終わるだけでなく奥平勢を救えなかった織田・徳川の評判はさらに落ちる。それならば、いっそ割り切って“無駄足を踏むくらいなら救援に行かない”という選択肢を採っても不思議でない。情だけで動く訳にはいかないのが当主という立場なのだ。
 果たして、決断は如何いかに――皆が固唾を呑んで成り行きを見守る中、沈黙を破るようにある人物が声を上げた。
「――相分かった!!」
 力強い声ではっきりと告げたのは、上座に座る父・信長。直後、つかつかと強右衛門の元に歩み寄った父は、その手を取ってさらに続ける。
「強右衛門よ、よくぞ知らせてくれた。感謝致す。其方そのほうの頑張り、決して無駄にはしないぞ。明日にはこの岡崎を発ち、四万の兵で長篠の者達を救ってみせよう」
 熱く語る父の言葉に、強右衛門も感極まり俯きながら肩を震わせている。この光景を、信忠はやや驚きを持って受け止めた。
 普段の父は、家臣達の前だと言葉数が少なく苛立っている時を除けば感情をあまり表に出さない事が多かった。公務の時の顔ばかり見てきた信忠は、普段とあまり落差が大きい今日の父の姿に戸惑いを覚えていた。
 そこへ、家康も強右衛門の側に寄ってきて、優しく声を掛ける。
「強右衛門、真に大儀であった。さぞ疲れたことだろう、今日はゆっくり休むがいい」
 家康の言葉に、強右衛門は静かに首を振る。
「お気持ちは大変ありがたいですが、それがしは一刻も早く城へ戻って皆にこの事を伝えとうございます」
 昨晩からずっと走り通していた強右衛門は疲れている筈なのに、家康の厚意を固辞した。兵糧を失い救援を心待ちにしている長篠の仲間達に『味方は間もなく来る』の報せは、何物にも代えがたい後押しになると分かっているからだ。
 強右衛門の強い希望もあり、家康も無理に引き留める事はしなかった。今この場に居る者の中で長篠までの道のりを最も知っているのは強右衛門の他に居らず、武田方の監視の目がどこにあるかも把握していた。疲れを考慮したとしても、この吉報を届けるのに適任だった。
 そして、父は全員を見回してから力強く宣言した。
「皆の者! 明日の出陣に送れないよう、万事支度を怠らぬように!」
「ははっ!!」
 父の締めの言葉に、織田・徳川の家臣達が一斉に頭を下げる。信忠も、武田との決戦が近いことを肌で感じ取っていた。

 岡崎城で少し休憩をした強右衛門は、来た道を急いで引き返していった。夜通しで駆けた強右衛門は翌十六日早朝に再び雁峰山から狼煙を上げて長篠城の味方に自らの無事を伝えてから、長篠城の西に位置する有海あるみ村に移動した。そこで城へ戻る場所を探っていたのだが、周辺を警戒していた武田方の兵に見つかり捕縛されてしまった。雁峰山から連日上がる狼煙を不審に思った武田方が監視を強化していたのだ。
 武田方による厳しい取り調べの結果、織田信長率いる織田勢三万が既に岡崎へ到達していること、さらに徳川勢を加えた総勢四万の兵が今日岡崎城を出て長篠へ向かうことが判明した。これを知った武田方の総大将・武田勝頼は、織田・徳川の援軍が来る前に何としても城を落とす必要に迫られ、状況を打開すべく勝頼は一計を案じることにした。
 勝頼は強右衛門に対し『「援軍は来ない、諦めて開城すべき」と偽りの情報を長篠城の味方へ伝えれば、命は助けてやる。さらに、武田家に召し抱えてそれなりに処遇する』と持ち掛けた。本来であれば捕まった時点で即刻首をねられてもおかしくないが、裏切れば罪を免じるだけでなく褒美を与えるというのだ。断れば斬られる状況で、強右衛門は勝頼の提案に迷わず応じた。
 五月十七日、長篠城の西側の対岸に引き立てられた強右衛門は磔にされた状態でこう叫んだとされる。
「あと二、三日で味方が大軍を率いてやってくる! それまで何としても持ち堪えるのだ!」
 言うまでもなく、勝頼との交換条件に反して真実の内容を伝えたのである。強右衛門の意趣返しに激怒した勝頼は見せしめにその場で串刺しにしたが、時既に遅し。強右衛門が命懸けで届けてくれた情報に長篠城の将兵は息を吹き返し、犠牲になった強右衛門の死を無駄にしまいと士気がさらに上がった。
 一方で、武田家の内部では命をかえりみず忠義を貫いた強右衛門の勇気ある行動に、助命を求める家臣も少なからず存在した。しかし、勝頼はこうした意見が幾つも上がっているのを知りながら、意見を無視する形で処刑してしまった、勝頼の義理にもとる振る舞いに将兵達の士気は低下、長篠城攻めにも悪影響を及ぼした。
 戦後、強右衛門の行動を知った信長は、忠義を尽くしてくれた強右衛門の為に立派な墓を建立したとされる。また、家康も強右衛門の遺子を丁重に扱い、奥平家の直臣に取り立てている。
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