信忠 ~“奇妙”と呼ばれた男~

佐倉伸哉

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五 : 青葉 - (23) 左近将監

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 本願寺が織田方と和睦の方向で交渉が進められる中、自分達の国を守る為に織田勢と戦ってきた加賀の一向一揆は宙に浮いた状態になった。矛先が鈍ったのを好機と捉えた柴田勝家は、猛将で知られる佐久間盛政もりまさ(織田家筆頭家老・佐久間信盛は遠い親戚に当たる)を総大将とする軍勢で一気に攻勢をかけた。天正八年閏三月九日、一揆勢の最大拠点だった尾山御坊を攻略。この尾山御坊陥落により加賀の平野部は織田方のものとなり、残った一揆勢は白山ろくの鳥越城など幾つかの城に籠もるしかなかった。
 かつて“百姓の持ちたる国”として一向一揆勢力が支配していた体制も、終焉が近付いていた。

 播磨を平定した羽柴秀吉は、休む間もなく次へ向けて始動していた。播磨と平行して進めていた但馬侵攻に本腰を入れたのである。こちらは秀吉の弟・秀長(当時は“長秀”と名乗っていたと思われるが、織田家重臣である丹羽長秀と同名で混同を避ける為に“秀長”表記とする)が担当していたが、三木城を落とした事で但馬へ兵を送る余力が出来た。羽柴勢は但馬国内の城を次々と攻略していき、天正八年五月二十一日には但馬国守護である山名祐豊の居城である有子山ありこやま城を開城させ、但馬平定を成し遂げた。
 三月みつきの内に二つの国を平定した秀吉だが、その勢いは衰えない。翌六月には因幡いなば攻めに着手し、約三ヶ月に及ぶ兵糧攻めの末に鳥取城を開城させたのだ。しかし、開城を決めたのは城主の山名豊国の独断で、山名家重臣の中村春続はるつぐ・森下道誉どうよの両名は徹底抗戦を主張していた。
 一度は降伏したものの鳥取城を巡ってもう一波乱が起きるのだが、それはまた先の話。

 天正八年六月。岐阜城の信忠の元に、とある人物が訪れた。
「殿。左近将監さこんのしょうげん様がお着きになられました」
「うむ。お通しせよ」
 程なくして、一人の男が入ってきた。がっちりとした体格で背丈はそれ程ではなく、顎は髭で覆われている。
 どっかと座った男は、ゆったりと頭を下げた。
「お久しゅうございます、中将様」
 だが、すぐに軽く頭を上げてから控え目に言った。
「……れど、こうして言葉を交わすのはいつ以来になりましょうか。それがし、とんと記憶にありませんな」
 その言葉に、信忠も思わずプッと笑みが漏れた。仕草や言い方が、どこか憎めない感じが出ていた。
「そうだな。陣中で顔を合わす事はあれど、面と向かって話す機会はなかったかも知れん」
 そう返すと、二人は顔を見合わせて笑った。
 滝川“左近将監”一益いちます(“かずまさ”とも)、大永五年(一五二五年)生まれで五十六歳。
 一益の素性すじょうについては、よく分からない点が多い。甲賀出身で“忍びの一族ではないか”と言われているが、定かではない。織田家に仕え始めた時期も史料により異なるが、少なくとも弘治年間には在籍したものと思われる。鉄砲の名手として知られ、その腕を信長に買われて仕官したとも伝わる。
 永禄年間から主に伊勢方面を担当し、北畠具教の弟・木造こづくり具政ともまさを調略で引き込むなど活躍した。伊勢が一段落した後は遊撃部隊として各地を転戦。九鬼嘉隆と共に鉄甲船を建造したり有岡城攻めで敵の内応を引き出したりと、着実に成果を挙げている。家中では“進むも滝川、退くも滝川”と称され、重宝されていた。
 これまであまり接点のなかった一益が訪ねて来たのは、ある理由があった。
「北条との取次を任されたとお伺いしました」
「はい。左様にございます」
 信忠が訊ねると、一益もそれを認めた。
 関東の雄・北条家は初代早雲以来、勢力を拡大させていた。その四代目・氏政は上杉謙信や武田信玄の侵攻を受けるもしりぞけ、勢力を下野しもつけ下総しもうさまで伸ばしていた。西の毛利家に匹敵する程の巨大な勢力圏を持つ北条家だが、今年の三月十日には信長へ使者を送るなど接触を試みていた。その対応を文官の武井夕庵せきあんと一益に一任されていたが――。
「先方は、何と仰っていましたか?」
「はっ。『織田家とは末永く良き関係を築きたい』、そう申しておりました」
「末永く良き関係……か」
 一益の回答に、信忠はそう呟く。
 敵の敵と手を結ぶのは、大名家同士の外交の基本だ。織田家と北条家は武田という共通の敵を持ち、東西から圧力を掛けたい思惑が透けて見える。
 直後、一益が付け加える。
「ただ、北条家は我等と干戈かんかを交えるのは願わくば避けたいみたいで」
「……ほう?」
 思いがけない言葉に、信忠も興味を示す。
 武力衝突は避けたい、これは大名家皆が思っている。しかし、領土の拡張が御家の繁栄に直結する現状、外交だけで大名間の問題を解決するのは不可能と言わざるを得ない。戦国乱世も年数を重ね、大きな勢力が別の大きな勢力と隣接する事が多くなったからだ。互いに自領を削りたくないので譲る気は更々なく、妥協点が存在しないのだ。結果、遠国おんごく同士の大名間で結ばれた同盟は、両者が接近すると破綻する例が大勢を占める。
 しかし……一益は“北条家は織田と戦をしたくない”と言う。多少の領土の割譲を呑んでも北条家は家名の存続を選ぶというのだ。これは天下布武を目指す織田家にとっては朗報と言える。
 敵国を侵攻する場合、主君に反感を抱く者や皆殺しにされるのを恐れた者が寝返るのは見込めるが、全ての者がそうではない。長きに渡り善政をいてきた北条家をしたう民や忠誠心の高い家臣も多く、関東へ攻め込めば数年は掛かり切りになるだろう。勝てない相手ではないが、攻略に時間を要するのは織田家にとっても勘弁してほしいものだ。
 対する北条家も関東の大部分を押さえ東国屈指の勢力を誇るものの、織田家と比べれば遥かに規模は小さい。尾張・美濃・近江など米の獲れ高が多い肥沃な土地を持つだけでなく、堺や伊勢・安濃津あのうつ、越前・敦賀、尾張・津島や熱田など主要な港も押さえ、さらには鉄砲の一大生産地である堺や近江・国友村も支配に置き、とどめに京を丸抱えしている。米もあり、商業都市からの運上金も莫大、その数の多寡たかが戦の勝敗を左右すると言われる鉄砲も(硝石を含め)優位に立ち、大義名分も自由自在。この国の富と権力が集中する中央を地盤とする織田家とは対照的に、十ヶ国に迫る版図を持つ北条家の地盤は東国の関東。居城の小田原は栄えているが、所詮は東国での話。京や堺と比べれば田舎だ。
 もし織田家が侵攻してくれば、数年は持ち堪えられる自負は北条家もあった。かの上杉謙信や武田信玄が小田原城へ押し寄せたが、いずれも斥けている。守りの堅い惣構えの小田原城に兵糧攻めを仕掛けたが、長期間に渡る滞陣に掛かる経費が嵩んだところに敵対する勢力の動きが活発になったことで撤退を余儀なくされたのだ。言うなれば根くらべに持ち込んで勝利を掴んできた訳だが、織田家に同じ手が通用するとは思わない。十万を超える軍勢を自在に動かせる織田家は西や領国の押さえに兵を半分割いたとしても五万。その五万の将兵が小田原城を囲んだとしても食うに困らせないだけの兵糧もあれば兵站を安定的に供給する体制も整っている、兵糧攻めが長期間に及んでも賄えるだけの金も潤沢にある、さらに言えば兵農分離が済んだ織田方の兵は農閑期であろうと城攻めに従事出来る。数年耐えても勝ち目が無いのは、堅城で知られる有岡城や三木城の落城が証明していた。
 様々な観点から、武門の意地を示す事は出来ても長期的には北条家の敗北は必定だった。
よしみを通ずるということは、甲斐へ攻め込むとなれば北条も兵を出すと捉えていいのだな?」
「はっ。恐らくは」
 信忠が確認すると、一益も頷いた。
 武田方面を担う信忠にとって、北条家の動向はとても重要だった。手を切ったとは言え、武田家と北条家は繋がりが深い。死別している(信玄による駿河侵攻に怒った先代・氏康により離縁・甲斐へ送り返された説もある)が当主・氏政の正室である黄梅院おうばいいんは武田信玄の長女であり、嫡男・氏直うじなおは武田の血を引いている。勝頼による御館の乱への対応に反発した氏政は武田家と結んでいた同盟を破棄したが、織田家の侵攻で勝頼が泣き付いた時に窮地に立つ武田家へ助力する可能性を信忠は危惧していた。
 ただ、一益はそれはないと見ていた。関東の大部分を手中に収める北条家だが、上総かずさ安房あわ国の里見家や常陸国の佐竹義重など頑強に抵抗を続ける勢力を幾つも抱えており、武田に手を差し伸べれば織田家が北条家と敵対する勢力と手を結んで攻め込んでくる恐れがある。そうなれば次に狙われるのは広大な領地を持つ北条家だ。それだけは是が非でも避けたいのが北条家の本音だろう。
「上様は、関東の事を某に一任するお考えのようです。同じ方角の者同士、中将様とは今後手を取り合って進めていきとうございます」
 そう言って深々と頭を下げる一益。信忠の方も悪い話ではなかった。便利使いされているが重臣で実力者である一益が味方になるのは心強い。一益の交渉次第で武田攻め、その先にある東国攻めがグッと楽になる。
「これからよろしく頼むぞ、左近」
 信忠が上座から声を掛けると、一益は「ははっ」とさらに頭を深く垂れた。
 北条家の方から誼を通じてきたのは、信忠にとって好材料だった。あと一歩、あと一押しあれば武田攻めに動ける。風は確実に信忠を後押しするように吹いていた。
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