103 / 127
五 : 青葉 - (28) 馬揃え当日
しおりを挟む
天正九年二月二十八日。遂に、馬揃え当日を迎えた。
信長から馬揃え実施の意向を伝えられてから、朝廷側と内裏用地使用許可の交渉に始まり会場設営・参加者への案内・開催当日の人員配置に警護と幾つもの難題を解決してきた光秀の手腕は高く評価されてもいい。過去に前例のない一大事業は準備だけでも相当な苦労があったと推察されるが、よく約一月で実行に移されたと思う。
織田家の主立った面々が、自慢の愛馬に跨りこの日の為に用意した衣装で着飾っている。戦ではないので軍勢は連れてないが、供で参加する臣やその従者などでそれなりの人数になる。結果、待機場所は人馬でごった返していた。
先陣を切るのは、丹羽長秀と若狭衆・摂津衆など。次席家老ではあるが陰から支える役割が多い長秀に先頭の名誉を与えられたのは、信長なりの配慮の表れか。二番手は蜂屋頼隆と河内衆・和泉衆など。頼隆は信長の黒母衣衆を務めた一人で、武将・奉行として織田家を支えている。昨年の佐久間信盛追放で河内・和泉方面を任されていた。
三番手で登場したのは、明智光秀と大和衆・上山城衆の一部。言わずもがな、織田家を支える重臣だ。続けて、京都所司代・村井貞勝の長男・貞成と上山城衆の一部。
そして――次に出番が巡ってくるのは、信忠を筆頭とする連枝衆。信忠は自らの臣八十騎と与力の尾張衆・美濃衆を連れて登場となる。
順番を待つ信忠の目から見て、滞りなく進行しているように思う。明智家の者が随所に立ち、誘導や案内が行われている。それに従っているだけでいいので、気持ち的にはすごく楽だ。
最後の待機場所に馬を進めると、光秀の姿があった。自らの出番を終えて間もないのに、装束を脱いで簡素なものに着替えている。今日は裏方に徹するつもりのようだ。
「中将様、こちらでお待ち下さい」
光秀が近付いてきて声を掛ける。それに軽く頷く信忠。
「日向」
「はい」
馬上から、信忠が呼び掛ける。引き締まった表情をしている光秀へ、さらに続ける。
「此度の事、真に大儀である。礼を申す」
「……勿体無きお言葉」
信忠から労いの言葉を掛けられ、恐縮する光秀。だが、それだけで終わらない。
「皆、心の中で感謝している筈だ。今日この時を迎えられたのは、日向を始めとする明智家の者達の尽力があったからに他ならない。皆に晴れの舞台を用意してくれて、ありがとう」
「畏れ多きお言葉……家中の者達にも聞かせてやりたいです」
感謝の言葉を伝えられ、光秀は深く頭を垂れた。その肩は、微かに震えている。望外の喜びに感極まったのだろうか。
しかし、それも寸時のこと。すぐに顔を上げた光秀は、にこやかな笑みで告げた。
「……ささ、中将様の出番です。いってらっしゃいませ」
「うむ」
応じた信忠が、馬を進ませる。ゆったりとした歩みで進んでいく様を、光秀は頭を下げて見送った。
この後、近衛前久などの公家衆・柴田勝家を筆頭とする北陸衆・武井夕庵や松井友閑など文官の坊主衆などが続々と登場し、最後を飾ったのは天下人・信長だった。この日の為に用意した煌びやかな装束を身に纏い、帝や女官など見物人を前に堂々とした振る舞いだったという。
閲兵式の側面もあった馬揃えは混乱なく終了し、帝のお墨付きを得て織田家に箔を付ける目的を無事に果たせた。無位無官の身ながら、信長が朝廷への影響力を依然持っている事を内外に示した形だ。
信忠も織田家の一員として誇らしい気持ちになると共に、天下に轟く織田家の一人としてこれからも恥じない行いをせねばならないと気を引き締める思いだった。
信長が左義長に馬揃えにと賑やかに過ごす中、天下は少しずつ動いていた。
遠江では高天神城の包囲が続いており、敵中で孤立する城方は窮乏し餓死者も出始めていた。昨年には福富秀勝・猪子“兵助”高就・長谷川秀一・西尾吉次など信長の側近を家康の元へ陣中見舞いに送り、今後の方針や進捗について確認していた。守将の岡部元信は勝頼が必ず救援に来てくれると信じて懸命に堪えていたが、年が明けてもその兆しすら見られなかった。
天正九年三月二十五日。これ以上の籠城は困難と判断した元信は、別れの宴席を開いてから徳川勢へ突撃。死を決めた武田勢は散々に暴れ回り、激戦の末に元信を始めとする将兵六百八十八名が討死。横田尹松など生存した者は命を取らず、尹松のように甲斐へ送り返されたり徳川家に加わったりした。後日談として、無事に生還を果たした尹松へ勝頼は褒美に太刀を与えようとしたが、尹松は「祖父も父も勝って褒美を貰ったのに、負けて帰ってきた自分が褒美を貰うのは申し訳が立たない」と固辞した――とする逸話が『甲陽軍鑑』に記されている。
高天神城の落城で、遠江は完全に徳川領となった。また、味方の助けを待ちながら孤軍奮闘していた元信を諸般の事情もあり結果的に勝頼は見殺しにした事実は武田家中、特に寄騎としている中小の国人勢力に衝撃を与え、勝頼の求心力に大きく影響を及ぼすこととなる。
また、同じ頃に北陸方面でも大きな動きがあった。謙信存命時から越中を任されていた上杉家家臣・河田長親が三月二十四日に病死したのだ。享年三十九。天正六年十月に斎藤利治が飛騨経由で越中に侵攻してきてから防戦一方ながらも粘り強く抵抗を続けてこられたのは、偏に長親の手腕に拠る所が大きく、主柱を失った上杉方は織田方の攻勢もあり越中の大部分を失うこととなる。後日、越中は佐々成政に与えられた。
さらに、去年降伏した能登でも動きがあった。信長の側近である菅屋長頼が七尾城を接収し、暫く統治に関わる事務に追われていたが……天正九年六月二十七日、旧畠山家臣を城へ呼び出すと、登城してきた遊佐続光・盛光父子、伊丹孫三郎などを捕縛。天正五年の折に親織田派だった長続連を始めとする長一族を謀殺した罪で処刑したのだ。同じく主導的な役割を担った温井景隆・三宅長盛兄弟は危険を察知して出仕せず、そのまま出奔してしまった。四年前に反旗を翻した事を忘れていなかった信長が、この機に向背定まらぬ連中を一掃したのだ。八月、前田利家に能登一国を与えられ、長連龍など旧畠山家臣は与力として付けられた。利家は堅牢ながらも山城である七尾城を廃し、港に近い小丸山に城を築く事にした。
能登は完全に織田家の支配下とし、越中でも主導権を握った。一時は越前まで迫られた状況も過去の話、北陸方面で次の標的は越中東部の牙城・魚津城に定めた。
信長から馬揃え実施の意向を伝えられてから、朝廷側と内裏用地使用許可の交渉に始まり会場設営・参加者への案内・開催当日の人員配置に警護と幾つもの難題を解決してきた光秀の手腕は高く評価されてもいい。過去に前例のない一大事業は準備だけでも相当な苦労があったと推察されるが、よく約一月で実行に移されたと思う。
織田家の主立った面々が、自慢の愛馬に跨りこの日の為に用意した衣装で着飾っている。戦ではないので軍勢は連れてないが、供で参加する臣やその従者などでそれなりの人数になる。結果、待機場所は人馬でごった返していた。
先陣を切るのは、丹羽長秀と若狭衆・摂津衆など。次席家老ではあるが陰から支える役割が多い長秀に先頭の名誉を与えられたのは、信長なりの配慮の表れか。二番手は蜂屋頼隆と河内衆・和泉衆など。頼隆は信長の黒母衣衆を務めた一人で、武将・奉行として織田家を支えている。昨年の佐久間信盛追放で河内・和泉方面を任されていた。
三番手で登場したのは、明智光秀と大和衆・上山城衆の一部。言わずもがな、織田家を支える重臣だ。続けて、京都所司代・村井貞勝の長男・貞成と上山城衆の一部。
そして――次に出番が巡ってくるのは、信忠を筆頭とする連枝衆。信忠は自らの臣八十騎と与力の尾張衆・美濃衆を連れて登場となる。
順番を待つ信忠の目から見て、滞りなく進行しているように思う。明智家の者が随所に立ち、誘導や案内が行われている。それに従っているだけでいいので、気持ち的にはすごく楽だ。
最後の待機場所に馬を進めると、光秀の姿があった。自らの出番を終えて間もないのに、装束を脱いで簡素なものに着替えている。今日は裏方に徹するつもりのようだ。
「中将様、こちらでお待ち下さい」
光秀が近付いてきて声を掛ける。それに軽く頷く信忠。
「日向」
「はい」
馬上から、信忠が呼び掛ける。引き締まった表情をしている光秀へ、さらに続ける。
「此度の事、真に大儀である。礼を申す」
「……勿体無きお言葉」
信忠から労いの言葉を掛けられ、恐縮する光秀。だが、それだけで終わらない。
「皆、心の中で感謝している筈だ。今日この時を迎えられたのは、日向を始めとする明智家の者達の尽力があったからに他ならない。皆に晴れの舞台を用意してくれて、ありがとう」
「畏れ多きお言葉……家中の者達にも聞かせてやりたいです」
感謝の言葉を伝えられ、光秀は深く頭を垂れた。その肩は、微かに震えている。望外の喜びに感極まったのだろうか。
しかし、それも寸時のこと。すぐに顔を上げた光秀は、にこやかな笑みで告げた。
「……ささ、中将様の出番です。いってらっしゃいませ」
「うむ」
応じた信忠が、馬を進ませる。ゆったりとした歩みで進んでいく様を、光秀は頭を下げて見送った。
この後、近衛前久などの公家衆・柴田勝家を筆頭とする北陸衆・武井夕庵や松井友閑など文官の坊主衆などが続々と登場し、最後を飾ったのは天下人・信長だった。この日の為に用意した煌びやかな装束を身に纏い、帝や女官など見物人を前に堂々とした振る舞いだったという。
閲兵式の側面もあった馬揃えは混乱なく終了し、帝のお墨付きを得て織田家に箔を付ける目的を無事に果たせた。無位無官の身ながら、信長が朝廷への影響力を依然持っている事を内外に示した形だ。
信忠も織田家の一員として誇らしい気持ちになると共に、天下に轟く織田家の一人としてこれからも恥じない行いをせねばならないと気を引き締める思いだった。
信長が左義長に馬揃えにと賑やかに過ごす中、天下は少しずつ動いていた。
遠江では高天神城の包囲が続いており、敵中で孤立する城方は窮乏し餓死者も出始めていた。昨年には福富秀勝・猪子“兵助”高就・長谷川秀一・西尾吉次など信長の側近を家康の元へ陣中見舞いに送り、今後の方針や進捗について確認していた。守将の岡部元信は勝頼が必ず救援に来てくれると信じて懸命に堪えていたが、年が明けてもその兆しすら見られなかった。
天正九年三月二十五日。これ以上の籠城は困難と判断した元信は、別れの宴席を開いてから徳川勢へ突撃。死を決めた武田勢は散々に暴れ回り、激戦の末に元信を始めとする将兵六百八十八名が討死。横田尹松など生存した者は命を取らず、尹松のように甲斐へ送り返されたり徳川家に加わったりした。後日談として、無事に生還を果たした尹松へ勝頼は褒美に太刀を与えようとしたが、尹松は「祖父も父も勝って褒美を貰ったのに、負けて帰ってきた自分が褒美を貰うのは申し訳が立たない」と固辞した――とする逸話が『甲陽軍鑑』に記されている。
高天神城の落城で、遠江は完全に徳川領となった。また、味方の助けを待ちながら孤軍奮闘していた元信を諸般の事情もあり結果的に勝頼は見殺しにした事実は武田家中、特に寄騎としている中小の国人勢力に衝撃を与え、勝頼の求心力に大きく影響を及ぼすこととなる。
また、同じ頃に北陸方面でも大きな動きがあった。謙信存命時から越中を任されていた上杉家家臣・河田長親が三月二十四日に病死したのだ。享年三十九。天正六年十月に斎藤利治が飛騨経由で越中に侵攻してきてから防戦一方ながらも粘り強く抵抗を続けてこられたのは、偏に長親の手腕に拠る所が大きく、主柱を失った上杉方は織田方の攻勢もあり越中の大部分を失うこととなる。後日、越中は佐々成政に与えられた。
さらに、去年降伏した能登でも動きがあった。信長の側近である菅屋長頼が七尾城を接収し、暫く統治に関わる事務に追われていたが……天正九年六月二十七日、旧畠山家臣を城へ呼び出すと、登城してきた遊佐続光・盛光父子、伊丹孫三郎などを捕縛。天正五年の折に親織田派だった長続連を始めとする長一族を謀殺した罪で処刑したのだ。同じく主導的な役割を担った温井景隆・三宅長盛兄弟は危険を察知して出仕せず、そのまま出奔してしまった。四年前に反旗を翻した事を忘れていなかった信長が、この機に向背定まらぬ連中を一掃したのだ。八月、前田利家に能登一国を与えられ、長連龍など旧畠山家臣は与力として付けられた。利家は堅牢ながらも山城である七尾城を廃し、港に近い小丸山に城を築く事にした。
能登は完全に織田家の支配下とし、越中でも主導権を握った。一時は越前まで迫られた状況も過去の話、北陸方面で次の標的は越中東部の牙城・魚津城に定めた。
0
あなたにおすすめの小説
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
小日本帝国
ypaaaaaaa
歴史・時代
日露戦争で判定勝ちを得た日本は韓国などを併合することなく独立させ経済的な植民地とした。これは直接的な併合を主張した大日本主義の対局であるから小日本主義と呼称された。
大日本帝国ならぬ小日本帝国はこうして経済を盤石としてさらなる高みを目指していく…
戦線拡大が甚だしいですが、何卒!
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
天竜川で逢いましょう 〜日本史教師が石田三成とか無理なので平和な世界を目指します〜
岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。
けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。
髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。
戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!!???
そもそも現代人が生首とか無理なので、平和な世の中を目指そうと思います。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
国を、民を守るために、武田信玄は独裁者を目指す。
独裁国家が民主国家を数で上回っている現代だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 純粋に国を、民を憂う思いが、粛清の嵐を巻き起こす
【第弐章 川中島合戦】 甲斐の虎と越後の龍、激突す
【第参章 戦争の黒幕】 京の都が、二人の英雄を不倶戴天の敵と成す
【第四章 織田信長の愛娘】 清廉潔白な人々が、武器商人への憎悪を燃やす
【最終章 西上作戦】 武田家を滅ぼす策略に抗うべく、信長と家康打倒を決断す
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です))
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる