Re:Monster(リモンスター)――怪物転生鬼――

金斬 児狐

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1巻

1-8

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《三十三日目》

 目が覚めて起きあがろうとしたが、身体が重くて動かなかった。
 感覚的には腕を広げた大の字なのだが、両腕の感覚が鈍いのは何故だと疑問が。一先ず情報を得ようと左右に頭を振って確かめてみると、右にはゴブ美ちゃんの寝顔、左には赤髪ショートの寝顔がある。
 うん、所謂いわゆる腕枕である。腕の感覚が鈍いのは、二人の頭が載っている事によって血流などが邪魔されているからだ。
 どうしてこうなっている。
 本音を言えば感覚が薄くなっている腕を早く動かしたいのだが、すやすやと幸せそうに眠る二人を起こすのは忍びない。て言うかね、うん、ゴブ美ちゃん何時の間に入り込んできたのと言いたい。
 赤髪ショートは寝ぼけていたからうろ覚えだけど、それでも潜り込んできたのは覚えているからまだ納得できるけどさ。
 俺の【気配察知】でも感知できない程の高度な【隠れ身ハイディング】を持っているのか? いや、そんな訳が無い。
 恐らく、【気配察知】は相手が殺気を出してないとか敵意が無いとかだと反応がちょっと鈍いから、そんな感じで見過ごしたのだろう。
 とりあえず何とかしたいなーこの状況。と思っていたらホブせいさんが近くを通りかかった。
 助けてくれと目でお願い。ホブ星さんはくすりと小さく笑って、自作の道具箱に入れていた俺の愛読書の一つ――【魔術師入門・基礎魔術一覧 中巻】を拾い上げて、優雅に去って行きました。
 ――くそ。それ、ちゃんと返してくれよ。
 その次は朝練を自主的にするためか、クレセントアックスとタワーシールドを担いだゴブ吉くんが近くを通った。
 ホブ星さんと同じように目でお願い。しばらく悩んでいたけど、結局合掌して去って行きました。底抜けに明るい笑みが恨めしい。
 ――おーい。俺達の仲だろ、助けてくれ。
 ゴブ吉くんの次は眠たそうに欠伸あくびをしているゴブ江ちゃんだった。
 ピッケル装備で、最近では宝石みたいに綺麗な〝精霊石〟蒐集しゅうしゅうにハマり、他のメスゴブリン達と一緒に精霊石採掘クラブなるモノを結成したようなので、今は午前訓練前の趣味の時間なのかもしれない。
 すがる様に目でお願い。仕方ないなー、と言わんばかりに苦笑していたのでこれはいけるか、と思ったけど何かを見た途端冷や汗を流しだして、俺があれ? っと思っている間にそそくさと去って行った。
 ――そろそろ……助けてくれ……腕の感覚が……
 俺の願いは誰にも届く事無く、そのまま放置される事になった。
 ちらほらと俺達の様子を見ていく奴等もいたけど、誰も助けてくれなかったのである。



 そして俺が目覚めてから約一時間後に、二人はようやく目を覚ました。いや、流石にそろそろ腕が危ないなぁー、て身動みじろぎしてたからだろうけど。
 寝ている間ずっとの腕枕は、ハッキリ言って厳しいモノがある。しかも両腕は特に。腕の感覚がしばらくの間無かったくらいだ。
 起きた後は、姉妹さんが作ってくれた朝飯を喰ったら、午前訓練を開始。
 なんか皆、鬼気迫る程の迫力で取り組んでいた。
 あれぇー? と小首を傾げていたら、上のポスト――元リーダーの席だ――が一つ空いたからそこに滑り込みたいってのと、単純に俺のように強くなるためには本気を超えた力で取り組むしかないんだと理解したからだそうだ。
 これはゴブ吉くんからの情報だ。訓練を受け持つゴブリン達の話を纏めたら、そうなったんだとさ。
 ああ、そうそう。言ってなかったけど、ゴブリンの数がかなり増えたので最近は俺が全体の監督役にして進行役を務めている。
 ゴブ吉くんは特に攻撃力と防御力のあるメンバーで構成された、敵を正面から駆逐する為の重武装部隊《アンガー》の指導役兼部隊長に。
 今まで紹介されていなかった最後のホブゴブリンであるホブさとさんは、攻撃力と速度に特化した個体を集めてヒットアンドアウェイな戦法がとれる機動力重視な軽武装部隊《ヘイトリッド》の指導役兼部隊長に。
 ゴブ美ちゃんは接近戦に適性の無い個体を集め、ショートボウやクロスボウを主武装メインウェポンにした遠距離攻撃部隊《リグレット》の指導役兼部隊長に。
 ゴブ江ちゃんは上記の三つの部隊に入るには戦闘能力が不足していると俺が判断した個体を集め、自衛出来る程度には戦闘能力を保ちつつ、料理や裁縫など身の回りの仕事をこなす後方支援部隊《プレジャー》の指導役兼部隊長に。
 ホブ星さんはメイジの素質を持つ者が今の所俺以外居ないので個人特訓だけしかしていないが、魔法行使部隊《アゴニー》の部隊長になっている。
 ちなみに終了間際の俺との手合わせは総数五十九ゴブ――同年代ゴブリン三十九プラス年上組二十八マイナス殺した八ゴブの合計――となった今でも続けている。
 ただし今は俺一人に対して相手は木剣ありのバディーで行っている。
 まあ、このくらいのハンデありでも問題なく勝てているが。
 でもゴブ吉くんとかゴブ美ちゃん、ホブ星さんとか辺りでは流石に一対一だけども。アビリティ使えば俺対全員でも勝てるだろうが、それでは地力を上げる訓練にならないので。
 そして午後のハンティングである。今回は皆やる事があるとかで俺一人だった。
 ゴブ吉くんは指導しているゴブリン達にお願いされて午後も一緒に訓練をやるみたいだし、ゴブ美ちゃんはまだ階級とか大陸文字とか俺が考えた簡単なルールとかを覚えられていないゴブリン達の教師役をすると言っていたし、ゴブ江ちゃんはゴブ江ちゃんで〝精霊石〟をもっと大量に掘りだすべく採掘クラブのメンバーを伴っていそいそと奥に向かった。
 だから俺は一人で外にハンティング、である。
 森に出かけて、最初にオニグモを見つけた。
 以前と同じ手法で殺し、その甲殻を剥ぐ。オニグモの甲殻は軽くて頑丈な上、【甲殻防御】で硬度を上げられるので重宝できる。現に今も使っているくらいだし。


[ゴブ朗は〝高品質な甲殻〟を手に入れた!!]

 剥がした甲殻をバックパックに入れた後、残りの部分は全部喰った。


[能力名【視野拡張】のラーニング完了]

 新しいアビリティを得られたので味には目をつむり、気分を良くしながら次に。
 そして今度はトリプルホーンホースを見つけた。今回は昨日の様に二頭ではなく、一頭だけだ。
 丁度いいので俺が使う【終焉】系魔術の威力を見定める相手にする事にし、魔術を発動する準備を開始。
 魔術には、一般的に三つの要素が関係するとされているそうだ。
 うにゃうにゃと世界の理に干渉する【呪文スペル】を唱えるのがまず一つ目。 
 体内で使用したい魔術に必要な量の魔力を練り上げる【体内魔力制御オド・コントロール】を行うのが二つ目。
 そして体外――つまりは空気中に充満する魔力と形成する魔術そのもののコントロールを行う【外界魔力精密操作マナ・オペレーション】の、計三つだ。
 ちなみに三つ目の【外界魔力精密操作マナ・オペレーション】が先の二つよりも数倍は困難な為、魔杖などの外部補助装置を用意するのが一般的らしい。
 ただ俺は【体内魔力制御】も【外界魔力精密操作】も既にアビリティとして持っているので、杖を持っていなくても関係なく扱える。
 俺は魔術で生み出された漆黒の投げ槍――終焉系統第一階梯かいてい魔術《終わりの一槍ゲーディッヒ》という名称を持つ――を構え、勢い良く投擲。
 漆黒の投げ槍は狙い違わずトリプルホーンホースの太い首を捉え、そのまま直径二〇センチほどの範囲を綺麗に抉って消滅。衝撃によってブチブチと肉が千切れた首が宙を舞い、力が抜けてその場に崩れ落ちる身体、という光景はインパクトが強かった。
 うん、これ、こんなに威力高かったんだ、と慄く。
 いやさ、亜種になってから基礎魔術的なモノの呪文が何時の間にか記憶されていたってのは以前にも言ったと思うが、その呪文で精製したこの槍がココまで威力があるとは初めて知りました。
 グリーンスライムとかには使っていたからそこそこ使えるなとは思っていたんだけど、トリプルホーンホースクラスが相手でも大きく外さない限りは即死攻撃が可能とか、魔術って凄いな。
 それとも【終焉】系統魔術恐るべし、と言うのがいいのか? 魔術は最下位の第一階梯から最上位の第十階梯の全十段階で分類されているが、一番下の第一階梯魔術でコレかよ、と。
 まあ、威力が高過ぎて自爆しそうだからコレは奥の手にするべきだな、と思いつつ解体作業に勤しんだ。全身の鱗を剥ぎ、三本の角を斬り落とし、脚一本くらいは皆の土産にしてやるかって事で血抜きをする。血が抜けるまでの間に、俺は残りをボリボリ喰った。


[能力名【鎧鱗精製】のラーニング完了]
[能力名【強靭な骨格】のラーニング完了]

 鱗を造れる様になった。
 いや、うん、このアビリティは非常に優れているけど、見た目的にちょっと気持ち悪いので自重しようと思う。いや、試しに使ってみたんだけど、俺の腕に黒い鱗が一瞬でビッシリと……
 他人には早々見せられたモノじゃないな。
 一瞬で蜥蜴人リザードマンになった気分? と言えばいいのかもしれん。慣れたら大丈夫だろうけど、流石に、見た目的にちょっとキツかった。
 気を取り直し、獲物を求めて動きまわる。
 今度はグリーンスライムだった。サクサクと焼き、核をパクリと。


[能力名【形態変化メタモルフォーゼ】のラーニング完了] 

 腕を鞭のようにしならせる事ができるようになった。
 ほら、スライムって言ってしまえば粘液の塊である。だから骨とか関係無しに形を変えられるのは、簡単に理解できると思う。
 そこでこのアビリティ。骨がある俺がそのスライムと同じくらいの動きができる様にしてくれるのだ。身体全体をスライムのようにして水溜りみたいになることだってできるし、試しにホーンラビットを粘液化した身体の中に取り込んで【自己体液性質操作】を使って体質を酸性にして溶かしてみたら、ホーンラビットはそのまま栄養にできた。
 それに身体の一部が千切れても、攻撃受ける前にスライム状態になっていたら、飛び散った部分を取り込めば怪我を負う事はないようだ。
 限界はあるだろうけど、酷い仕様だと思う。なんて反則、とか思いつつ。
 使えるアビリティを得られたので悪い気はしない。これもヒトに見せる時には気をつけた方がいい様なシロモノだが。


 日も暮れたし、満足いく獲物も狩れていたので、そろそろ帰るかと思っていた俺はその時、トリプルホーンホースを狩猟している奴を発見――あるいは、出逢った。
 赤い体毛に包まれた巨岩、とでも言うべき巨躯を持つ〝レッドベアー〟に。
 体長は目測で四メートル以上はあるだろうか。レッドベアーは遠くから見かけただけで危険な生物だ、関わってはいけない強者だ、と誰もが理解できるような生まれついての捕食者である。
 赤い金属繊維のような体毛は俺のハルバードでもそう簡単には切り裂けないだろうし、仮に体毛を斬れたとしてもその下にある分厚い肉で勢いが止められる様は簡単に想像できる。
 普通なら逃げる。一目散に逃げる。そう選択するしかない様な存在だ。
 しかし気が付くと俺は隠れて様子見しながら、レッドベアーを殺す為のプランを立てていた。
 いや、転生してからこんなにヤバい相手とは闘っていないのだが、転生前はコレよりももっとヤバい奴と殺し合いを演じていたのだ。
 そしてその度に俺は相手を殺し、その肉を喰ってきた。
 だからだろうか、コイツと闘いたいと思うのは。
 それに喰ってアビリティを得たいと、本能が囁くと言うか何と言うか。
 まあ、そんな感じで、俺は俺が持てる全てでもってレッドベアーを殺しにかかったのだった。


==================


 夕暮れ時、夕焼けによって赤く染め上げられた森の中。
 普段ならば小さな虫の翅音はおとや巣へと戻る鳥たちのさえずり、吹き抜ける風になびいてざわめく木の葉歌などが聞こえるはずのその場所で、それ等の音を塗り潰すかのように、圧倒的な生命の波動を撒き散らす二体の獣が命を懸けた闘争を繰り広げていた。
 いや、闘争、という言葉は適切ではないだろう。
 何故なら今繰り広げられているのは、一方が遊ぶように攻め立てているのに対し、一方は相手が本気でもないのに反撃もできずにただ逃げ惑っている、ただの狩猟としか言えないからだ。

「ヒヒヒィィィイインッ!!」

 悲鳴のようにいなないて、全身傷だらけで赤く血に染まった馬型モンスター――額に縦に並んだ三本角と全身の鱗が特徴的なトリプルホーンホースが、森の中を駆けて行く。
 驚異的な事に、その速度は時速六十五キロを軽く超えていた。障害物の無い平原ならば最高時速八十キロを叩きだすトリプルホーンホースからすれば全力とは言えないが、今走っているのは樹木が生い茂る森の中だ。
 トリプルホーンホースは主食とする【カタラク草】が豊富に生い茂るここ、〝クーデルン大森林〟にて生息している為、森の中でも素早く動けるように適応進化しているが、それでも本来ならば、木々や植物が生い茂る森の中でそんな速度を出さない。
 というよりも、その巨躯故に出せないと言うのが真実だろう。
 あまり速く走り過ぎると森の不安定な足場に加えて、生い茂る植物や地上に飛びだした樹木の根を避けきれず、太い幹などに衝突して自滅する可能性が高いからだ。
 だが、トリプルホーンホースは時速六十五キロを超える速度で走っている。
 それはその身体に刻まれた痛々しい傷が物語るように、圧倒的強者に襲われているからに他ならない。
 不運な事に数分ほど前、湖の近くに生えていたカタラク草を食べていたこのトリプルホーンホースは捕食者に襲われた。風下からゆっくりと気配を殺して近づいてきていた捕食者に気が付くのが遅れ、奇襲を受け、捕食者の鋭爪で身体を深く抉られたのである。
 そのまま喰い殺されるかとも思われたが、捕食者の左腕を額の三本角で突き刺し、僅かにではあるがひるませた隙に辛くも逃げる事に成功した。
 それから現在に至り、なお逃走は続いている。
 口からダラダラと唾液を撒き散らし、血走った目で己が走るルートを必死に見極めながら、ジットリと汗を流し四肢の筋肉を躍動させて疾走し続ける。
 逃げ続けるトリプルホーンホースは理解していた。立ち止まれば死ぬと、諦めれば喰われるのだと。
 自滅するのを恐れていては追いつかれると判断し今こうして自滅覚悟で限界速度を出して、死の拒絶によって大量に分泌される脳内麻薬により普段以上に加速した思考でするすると木々の間をすり抜けていく。
 とはいえそんな状態でも樹木を完全に避けられているか、と言えばそうではない。
 避けきれない邪魔な樹木は疾走の勢いと鱗に護られた身体の頑丈さにものを言わせて木っ端にし、周囲にその残骸を散乱させ、地上に隆起した樹の根をその蹄で踏み潰す。
 時折傷口を枝に抉られて、肉を削り、ドクドクと止まる事無く溢れる己の血を樹木にまぶしながら突き進む。ただただ生存を懸けて、まるで風のように森の中を駆け抜けていく。
 しかし限界を超えた力を発揮して尚、トリプルホーンホースは己を狙い追走してくる捕食者を振りきれないでいた。
 捕食者はトリプルホーンホース以上の巨躯を誇っているのだが、森の中で出せる限界を超えた速度で疾走するトリプルホーンホース以上の素早さで追走し、徐々に徐々に距離を詰めてくるからだ。
 そして邪魔な樹木を避けるのではなく、その圧倒的な力と巨躯によって正面から粉砕する様はまるで掘削機のようだった。
 それにトリプルホーンホースの傷口から流れる血は多く、徐々に消費されていく体力が膨大だった事も大きい。命を削りながら走っているような状態だった。
 やがて口から溢れていた唾液はブクブクと泡となって口元を白く染め、呼吸が乱れて徐々に疾走速度が落ち始める。限界を超えた力をいつまでも持続させる事などできないのだから、必然の事と言えるだろう。
 そしてそれは同時に狩猟の終わりが近い事を意味していた。
 追いかけてきていた捕食者が、遊ぶのもここまでとでもいうように走る速度を上げ、ついにはトリプルホーンホースに追いついた。
 それと同時に名剣のような鋭さを誇る太い鋭爪の生える巨大な腕が振るわれる。

「ヒヒヒィィィイイインツ!!」

 苦痛に染まった嘶きが響く。
 夕日に照らされて赤く輝いた鋭爪がトリプルホーンホースの尻尾を切り飛ばし、頑丈な筈の鱗を容易く切断しつつ太い右後ろ足を深く抉った。
 鋭爪に抉られた肉片が宙を飛び、おびただしい血が傷口から溢れ出る。後ろ足に深いダメージを受けた事で体勢が大きく崩れるが、だがトリプルホーンホースはそれでも必死に逃げようと力を込めて地面を蹴り上げ、倒される事を拒絶した。
 だが全てはもう遅い。

「ゴガァアアアアアッ!!」

 トリプルホーンホースを追走していた捕食者――赤く金属繊維のような剛毛で全身を包んだ体長四〇〇センチ、体高一八〇センチにもなる巨熊が、トリプルホーンホースがまた逃げようとするのを見た瞬間、爆発音のような咆哮を上げた。
 その一声には赤い巨熊の殺意が籠り、溢れんばかりの生命の波動と魔力が乗せられた。


 それによってもはやただの咆哮ではなく、声が届く範囲の己よりも弱き者を一瞬で【畏怖】させたり、【萎縮】や【失神】など様々な【状態異常バッドステータス】を発生させる音速の攻撃と化している。
 赤い巨熊――正式名称を知らないゴブ朗から勝手に〝レッドベアー〟と名付けられた個体――の咆哮による攻撃は、今まさにその命を奪い、血肉を喰らい己が糧とせんとしていたトリプルホーンホースを【硬直】状態にして自由を奪い取る。
 後ろ足を抉られて尚も逃げ走ろうとした瞬間、肉体が自分の支配下から外れてしまえば、どうなるかなど明白だ。
【硬直】したトリプルホーンホースは脚をもつれさせ、速度の乗った状態で地面に転んだ。直前の速度が速度なだけに地面を激しく転がり、その巨躯が高く跳ね、地面や草木を身で削り転倒のわだちを森に刻みながら進む事しばし。
 十数メートル程も転がってようやく止まった血だらけのトリプルホーンホースは、それでもバッドステータスから解放されずに動けない。何とか動こうとするが、意思とは裏腹にその肉体は微動だにしなかった。
 そして動けないという状況は、命を懸けた生存競争を原則とする自然の中では〝死〟を意味する。
 動けないトリプルホーンホースに対し、無造作に近づくレッドベアー。
 レッドベアーは決して急がず慌てず、ノッシノッシとゆっくりとした動作で、しかしその巨躯故にあっという間に距離を詰めた。
 自らの間合いに獲物を捉えた捕食者レッドベアーは、地面に転がったままのトリプルホーンホースの頭部に向けて、丸太のような太さがある右腕を勢い良く振り下ろす。
 ドゴッ、とまるでハンマーで鉄を叩いた様な鈍い音が響き、深く陥没する地面。
 尋常ではない膂力と重量から繰り出されたレッドベアーの踏み潰しはトリプルホーンホースの頭部ごと地面を大きく陥没させ、その頑丈なはずの頭蓋を容易く砕いた。
 砕かれた頭蓋の亀裂から脳漿が周囲に飛び散り、毛のついたままの肉片がレッドベアーの腕に付着した。コロコロと神経などが引き千切れて頭部から飛び出た眼球が地面を転がり、夥しい量の鮮血が周囲を赤く染めていく。
 今日の狩りを終えたレッドベアーは己が潰した頭部に顔を近づけ、巨大な口を開けた。大好物である脳の挽肉を喰う為だ。
 ギラリと夕日に照らされて赤く輝く、巨大な鋭牙が剥き出しになる。
 右腕で砕いた頭部を一口で頬張り、ゴリゴリと音をたてながら骨や肉を噛み砕いて嚥下えんかし、次いで頭部を失い地面に横たわっている胴体の腹部に口をつける。
 トリプルホーンホースは全身を頑丈な鱗で覆っているが、レッドベアーの鋭牙はそれを容易く噛み砕き、鱗の下にあるしなやかな肉を食む。口の中で広がる生肉の味に食欲を刺激されたのか、ガツガツと勢い良く喰い貪っていく。
 狩りを終えたのならば、その後に待っているのは食事である。
 強者が喰らい、弱者が喰われる。
 まさに弱肉強食の光景はしばらく続き、瞬く間に死肉の半分を喰い終えた所で中断された。
 風下の少々離れた茂みの中から、レッドベアー目掛けて漆黒の槍が飛来したからだ。



 それはほぼ完璧な奇襲だった。
 直前まで奇襲の前兆――茂みを揺らす音、呼吸音、殺意の漏洩ろうえいなど――を一切さとらせず、攻撃も槍がほんの僅かに空を切る音が聞こえる程度しか気配が無い。レッドベアーの死角を縫う様に投擲されたそれは、まるでいしゆみによって放たれた矢のような速度で迫る。
 普通の生物ならば漆黒の槍の直撃を避けられなかっただろう。
 だが類稀なる能力を有するレッドベアーはその微かな気配を本能で察知し、その巨躯からは想像できない程の速さで身を捻った。瞬間的に加えられた力によってぜた地面が、その動きをする為に生じたエネルギーの大きさを如実に表している。
 だがそれでも一瞬遅く、胴体部に直撃こそ受けなかったものの太い右腕に漆黒の槍が突き刺さり、貫通した。骨こそ穿たれなかったが、切断する事は困難であるはずの強靭な筋肉は容易く切り裂かれ、周囲に鮮血が撒き散った。
 とはいえこれでレッドベアーに痛打を与えられたかと言えば、そうではない。この程度、優れた再生能力を持つレッドベアーからすれば即座に治るダメージでしかない。
 ただし右腕を貫通した漆黒の槍が普通の槍ならば、である。
 漆黒の槍が突き刺さって一秒後、ゴバ、と槍が消滅するのと同時に槍を中心とした直径二〇センチ程度の空間が消滅した。
 その消滅に伴い、レッドベアーの右前腕部が千切れ飛ぶ。傷口から、鮮血が噴水のように噴き出した。

「グルゥゥゥゴォォオオオオオオッ!!」

 レッドベアーの右腕に突き刺さったのは、終焉系統第一階梯魔術《終わりの一槍ゲーディッヒ》と呼ばれる魔術によって生み出された槍だった。
 最弱の第一階梯から最強の第十階梯まで分類される魔術の中では最弱の第一階梯魔術ではあるが、行使できる者が限られている【終焉】系統に分類される《終わりの一槍》は【防御力無視】という特性を備え、穿った点から直径二〇センチ程度の空間を消滅させるという効果を持つ。
 その効果があるからこそ、太く強靭なレッドベアーの右腕すら一撃で奪われたのだ。



 だがそんな事を知らないレッドベアーは右腕を失うという経験した事のなかった激痛によって、後ろ足二本で立ち上がって苦痛にまみれた叫びを上げる。
 周囲は叫びの音撃によってビリビリと震え、樹木の葉が大量に舞い落ちる。夕日の空を慌てて飛び去る鳥たちが彩り、潜んでいた虫達が一斉に逃げだした。
 右腕を押さえるような格好でヨタヨタと数歩よろめき、やがて右腕消失という激痛よりも右腕を奪われたという怒りがレッドベアーの中で勝る。怒りによって大量に分泌された脳内麻薬が激痛を打ち消し、普段は肉体を傷つけないように科せられている脳のリミッターが解除されていく。
 ――自然と止まる血、研ぎ澄まされる感覚、切り替わる思考、増幅される殺意。
 激怒した事で普段以上に手強い存在となったレッドベアーは、血走った目で己の敵を探そうと周囲を見回し、すぐにそれを発見した。
 少しだけ離れた風下の茂みの奥から飛び出して、あろうことか真正面からレッドベアーに突っ込んできた漆黒の槍を投擲した下手人を。

「――ッシ」

 下手人――柄まで鋼鉄で製造されたハルバードを両手で構え、腰や背中にエストックやナイフを装備し、黒い革製の防具を着た黒いホブゴブリン亜種バリアント=ゴブ朗は、レッドベアーが右腕を失った激痛でやや怯んだ隙に既に距離を詰めていた。
 既に発動している【突進力強化】や【血流操作パンプ・アップ】などで強化されたホブゴブリン亜種の肉体は、普通のホブゴブリンを遥かに超えた力と速度を発揮する。
 それ故にレッドベアーが反応するよりも速く距離を詰める事ができたゴブ朗は、レッドベアーの無防備な眉間を目掛け、ハルバードの斧頭を叩きこんだ。強化された肉体で振り回されるハルバートは重量と遠心力によって加速し、凄まじい勢いを伴ってレッドベアーが回避する間も与えずに眉間に直撃する。
 トリプルホーンホース程度のモンスターならば一撃で両断できてしまうほどの一撃は、しかしレッドベアーという存在を殺すには些か足りなかった。
 まるで金属と金属が衝突した時のような甲高く耳障りな音が響き、ハルバードは僅かに皮膚を数センチ程度切断した所で止められた。

「――ッ! 想像以上に、硬いな」

 ゴブ朗は予想していたよりも硬かったレッドベアーに驚きつつ、素早くバックステップで距離をとる。
 その一瞬後に今さっきまでゴブ朗が居た場所を薙ぐ巨腕が生み出す轟風を全身で浴びながら、高速で思考を巡らせつつ一瞬たりとも立ち留まらずに動き続けた。
 左から右へと振るわれた巨腕は四肢を使って地に伏せ、頭上から迫る振り下ろしは横に飛退き、正面からの噛みつきはレッドベアーの鼻を蹴り、ついでに踏み台にする事で後方に跳躍して回避した。


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