32 / 270
2巻
2-16
しおりを挟む
約束の二分の内、一分が過ぎた。しかしその為に払った代償は、決して安くは無かった。
ハルバードの斧頭から発生した水刃で縦に両断され、臓腑を撒き散らした者。銀腕で胴を貫かれ、頭部を喰われた者。額の角で串刺しになり、仲間と共に押し潰された者。突如発生した焔に包まれ、炭となって崩れた者。ハルバードの穂先から迸った雷槍に貫かれ、内臓を焼かれた者。
ただ黒オーガを止める為だけで生み出された死屍累々。
重軽症者も数知れず、黒オーガによってもたらされた被害は甚大だった。
今や黒オーガの前に立っているのは、私だけである。
シミターを砕かれたレビィアスは血塗れで地に倒れ、体内魔力を使い過ぎたベーンは〝魔力欠乏症〟によって気を失っている。他の兵士も、地に倒れてうめき声を上げていた。
だと言うのに、黒オーガは悠然とそこに立っている。掠り傷一つない状態でだ。私達の攻撃は全て、見た事も無い動きや技法によって叩き落とされていた。
「貴女の指揮は適切だった。前後左右から、攻撃部位を散らばらせた一斉攻撃は、捌くのが難しい。だから、これほど時間がかった。けど、これでお終いだ」
黒オーガは言う。事実を、淡々と、私に向けて。
その声音には嘲笑の色は無く、不可思議な事に、称賛の色があった。
「貴様は、何故、そんなにも強い」
レビィアス達同様、私も無傷ではない。全身各所に数え切れないほど細かい切り傷があるし、利き腕である右腕には深い裂傷があり、大腿部には小さなナイフが刺さっていた。ナイフは、黒オーガが何処からともなく取り出して投げてきたものだ。
既にベーン達神官団が倒れた後だったので、回復も見込めない。余力があればナイフを抜いて自分で治すのだが、その余裕は無いと考えるべきだ。治療行為を行えば、即座に黒オーガが攻めてくるだろう。
私が率いる部隊は、既に崩壊したと言っても過言では無い。周囲では掃討戦が繰り広げられている。いや、狂宴/饗宴と言った方が良いかもしれない。
今の私達の野営地は、悲鳴と雄叫びと剣戟の音楽に彩られ、血の香りで充満しているのだから。殺された者は喰われ、奪われ、逃げる者も続々と殺されている。
黒と赤銅のオーガ達が現れて、たった数分で戦況が一変してしまった。たった数分で、こうなった。
圧倒的過ぎる。あまりにも、理不尽過ぎる。
「なぜ、そんなにもお前は強い?」
私は無意識の内に嗤いながら、黒オーガに再び同じ質問を投げかけていた。
嗤っていたのは、そうするしか精神を保てなかったから、かもしれない。
「そう感じるのは、お前達が弱いからだ。日々の鍛錬が足りず、ただレベルによる肉体強化や戦技などの派手な技に頼る戦い方がそうさせた」
「私達の鍛えが、足りない? 日々汗を流し、土や血に塗れたあの日々が、無駄だと言うのかッ!!」
「ああ、無駄だ。無駄だった。お前達は、無為な時を過ごしていたとしか思えない。そもそも、根本的な所で他者が作った法則に振り回されているお前達が強いモノか。他人に頼る戦い方しかできない奴が、強いモノか。強くなりたいのなら、得た力の本質を識り自分の一部になるまで鍛え抜け」
黒オーガのその言葉に、私から嗤いは消え、怒りが溢れる。
ココで怒らねば、ココで動かねば、私が強くなる為に過ごしてきた日々は否定され、強くなる為に教えを乞うた人達の全てが否定され、我々が積み重ねてきた思いが否定されると思ったからだ。
私だけならばともかく、尊敬する人達まで否定されるのは、我慢ならない。
無くなりかけていた力が、気力が、怒りによって充填される。
「それ以上、何も言うなァアアアアアアアッ!!」
大腿部のナイフを引き抜く。激痛が走る。目眩がした。
血が飛び出る。激痛が走る。意識がぼやける。
私は走る。激痛が走る。視界が霞む。
大腿部の切れかけていた筋肉がブチブチと千切れる。激痛が走る。足の感覚があやふやになる。
無理をしたせいで大腿部の骨に入った亀裂が更に大きくなる。激痛が走る。感情の力だけで無理やり動かす。
激痛を無視して、走る。例え足が壊れようとも、走らねばならない。
手にした魔剣【月の風】の銀鉄の刀身に、激痛で軋む身体に、殺意に燃える意思が籠る。
刀身には赤い光が、身体には白い光が灯った。
[テレーゼ・E・エッケルマンは戦技【聖域の祭壇】を繰り出した]
[テレーゼ・E・エッケルマンは戦技【風の奇襲】を繰り出した]
[魔剣【月の風】の固有能力【銀月の暴風】が発動しました]
最高の技に、疾走速度を飛躍的に上昇させる、身体能力強化系戦技【風の奇襲】を上乗せする。
大腿部の負傷のせいで、万全な状態の私が出せる最速よりも遥かに遅いが、それでも戦技が風のような速度を私に与えた。
通常ではあり得ない高速移動に対応すべく、同じく加速した思考。後方に飛んでいくような視界、その中心にハルバードを構えた黒オーガの姿がある。
その双眸を再度見て、更に燃え上がる憎悪の炎。
殺す、という単純な戦意ではなく、殺さねばならない、という脅迫観念に近い思いに突き動かされながら、私は駆ける。一〇メルトルはあった距離を踏破するのに、一秒も必要としなかった。
魔剣【月の風】を突き出す。赤い光を宿した刀身には銀色の風の螺旋が巻き付き、刺突の威力を爆発的に上げている。
愛剣の能力と戦技を上乗せした、正真正銘、今の私が出せる最強の一撃。威力も、速度も、最高の攻撃。
それを、黒オーガはハルバードを放り捨てた銀腕で事も無げに掴み取った。
大きな五指が、火花を散らしつつもしっかり剣を掴んでいる。
その事実に、私の中から何かが急激に抜けていく。
しかし勢いが完全に止まる事は無く、剣尖が、黒オーガの分厚い胸筋に僅かに刺さった。
血が、流れた。私達と同じ赤い血が、僅かに。それは、それは、それは。
私の攻撃は、確かに届いたという証拠だ。その事に、安堵した自分がいる。魂魄を攻撃する【霊光】の光は黒オーガを殺すには至らなかったようだが、それでも、私の攻撃は通った。
「これは、無駄と言ったのは、撤回しないといけないだろうな。少なくとも、貴女の積み重ねたモノは俺に届いたんだから」
気力と体力を消耗し過ぎて重だるい身体に鞭を打ち、黒オーガの顔を見上げると、そこには微笑があった。
黒オーガの顔は怖い。人を喰らう、凶暴な面をしている。しかしその微笑は、何処か優しかった。
「テレーゼ殿、伏せてくださいッ」
私と黒オーガだけの空間に、ワイスリィ殿の声が響いた。約束の二分が過ぎたようだ。途中から、その事を忘れていた。そんな事を考える余裕が無かった。
後方から、途轍もない破壊を秘めた魔術が飛んできているのが、何となく分かった。それほどまでに、撒き散らされる魔力の波動が強い。
ワイスリィ殿は伏せろと言う。伏せれば私が被る損害が最低限に収まるように調整されているのだろう。普通の術者にならそんな事はできない筈だが、きっと【高位魔術師】であるワイスリィ殿なら可能だろう。
だが、私にはもう動くだけの体力も気力も無かった。このまま巻き込まれれば死んでしまうかもしれない。いや、十中八九そうなるだろう。
しかしそれでもいいと思ってしまうのは、なぜだろうか。
自分でも分からない。分からないけど、胸にあるのは後悔でも懺悔でも無く、ただ満足感のみだった。
可笑しい話だ。大切な部下を殺され、こうして自分も殺されそうになっているのに、満足感だけが胸にある。
私は見る。銀腕で魔剣【月の風】を掴んだままの、黒オーガを。
自然と、言葉が出た。
「どうだ、見たか、化物。傷は私からの贈り物だ、しかと刻め」
「ああ、見た。そして、受け取った。だから、とても魅力的な貴女を死なせるつもりは、俺には無い」
何を言っているのか、という疑問が浮かぶ前に、私の腰に黒オーガの太い腕を回される。
突然の行動に何が起きたのか理解できなかったが、この動きには覚えがあった。そう、まるでダンスのような、動きだった。私と黒オーガのサイズは違い過ぎると言うのに、その動きは、とても様になっていた。
クルリと私の体ごと回った黒オーガの背後から、ワイスリィ殿の魔術が迫る。
そこでようやく、私はワイスリィ殿が生み出した魔術を、黒オーガの体格にほぼ全体が隠されながらも見た。
それは、白い炎で造られた蛇のように細長い胴の竜だった。
私が予想していた第四階梯よりも更に上、混合系統第五階梯魔術〝白き炎の竜〟である。確かに、奥の手と言える魔術だと、私は納得した。
混合系統第五階梯魔術〝白き炎の竜〟は、【炎熱】と【風塵】の二系統魔術を掛け合わせた合成魔術の一つである。確か、一定時間内ならば発動者の意思によって自由自在に動かせるという特性を持つモノだ。
以前父に連れられて行った戦場で一度見た事があったが、白炎の竜が千の敵兵を数秒で薙ぎ払ったあの光景を、私は忘れていない。
幼いながらも尊敬と畏怖を感じたあの魔術が、私に向かって来ている。
最後の光景がこれほど壮観ならば、悪くないとも思った。死ぬには、光栄に思うほどの魔術である。既に回避できる距離ではない。私は黒オーガと共に死ぬのだ――
「何を諦めた表情をしている。自分が死ぬとでも思っているのか?」
「え?」
思わず、呆けた顔をした。
「言っただろう。貴女を死なせるつもりが俺にはないと。悪いが、俺が勝負に勝ったんだ。貴女の生殺与奪の権利は、俺にある」
そう言って、黒オーガは首を動かして背後を見る。
その腕の中にいる私は、抵抗する事もできず、ただ成り行きに身を任せるしかできない。
白炎の竜は止まりはしない。ワイスリィ殿も、最早私を助けるのは無理と判断したのだろう。
最後に残っていた躊躇いも無くなり、最高速度で竜がコチラに突っ込んでくる。正しい判断だと私も思う。むしろココで躊躇ったりすれば、私はワイスリィ殿を侮蔑せずに居られなかっただろう。
さしもの黒オーガとて無事では済まないだろう熱量を秘めた竜の顎が開かれ、白炎の牙が突き立てられる。
黒オーガの血肉は一瞬で蒸発し、骨も残さずにこの世から消え去るだろう。
そうなれば当然私もこの世から消える。それで終わりだ。
亜種とは言え、オーガ程度ではどうする事もできないはずの破壊がそこにある。
しかし、だけど、やはりと言うか、この黒オーガは私の想像を遥かに超えていた。
この時何をどうしたのかは、ただ茫然と見ていただけの私では理解する事ができなかった。
だが事実として、黒オーガの背面から迫ってきていた白炎の竜は、黒オーガの攻撃によって消滅してしまったのである。その光景は言葉として表現するのは、私には到底不可能だ。
ただ、黒オーガが背中を向けたままで何かをし、その結果として白炎の竜が爆ぜた事は間違いない。白炎は散り、その残り火が私の視界を染めていた。まるで竜の断末魔のように、轟音を響かせて。
その光景を見た人間は、私と〝魔力欠乏症〟によってよろめくワイスリィ殿と、顔を上げていたレビィアスの三人だけである。
ただ、私はそこで気を失ってしまったので、その後はよく覚えていない。
確実に言えるのは、私と黒オーガの戦は、黒オーガの圧倒的な勝利で終わった、という事だけだ。
◆◆◆
後にオガ朗から聞いた話だが、白炎の竜を屠ったのは、とある流派の技である〝貼山靠〟――別名〝鉄山靠〟に、終焉系統魔術、【背撃】など、幾つものアビリティを上乗せした攻撃だそうだ。
詳細を説明すると、まず【水流操作能力】で水の膜を体表に張り巡らし、水の膜からちょっと離れた場所に【大気操作能力】を使って、真空の膜を用意する。
そしてその二重の防御膜の上に銀腕の能力の一つである【属性反響】を用いて強化発動した終焉系統第三階梯魔術〝我が闇は全を滅す〟、と呼ばれる三角錐状の盾を被せる。
これら三つは、盾であると同時に矛だった、そうだ。
そしてオガ朗はその三つの盾を、【背撃】などで強化した〝貼山靠〟を使って高速で押し出し、白炎の竜を真正面から粉砕した、らしい。
つくづく、化物だと思う。いや、化物としか言えないだろう。常識が全く当てはまらないし、こうして説明している私でさえ、冗談にしか思えないのだから。
とは言え、私は負けた。ならばこの身は、約束通りオガ朗のモノである。騎士は約束を破らない。少なくとも、私の騎士道はそうなっている。
故に、私はこの命が消えるまでオガ朗に尽くす。
ま、まあ、最初はあんなに激しくされるとは思っていなかったので動揺し、心臓をナイフで刺してしまったが……その程度の攻撃は問題にされなかったし、その罰はすでに受けた。
それに今では、オガ朗と共にいるのも悪くないと思っている私がいる。
オガ朗は、触れていると、言葉を交わすと、何と言うか、案外良い奴だと理解できたから。
オガ朗を見ていると、何だか胸が温かくなるような錯覚もある。
貴族として感じていた息苦しさが、いつの間にか和らげられた気さえする。
私は初めて抱くこの感情に、小首を傾げた。
ハルバードの斧頭から発生した水刃で縦に両断され、臓腑を撒き散らした者。銀腕で胴を貫かれ、頭部を喰われた者。額の角で串刺しになり、仲間と共に押し潰された者。突如発生した焔に包まれ、炭となって崩れた者。ハルバードの穂先から迸った雷槍に貫かれ、内臓を焼かれた者。
ただ黒オーガを止める為だけで生み出された死屍累々。
重軽症者も数知れず、黒オーガによってもたらされた被害は甚大だった。
今や黒オーガの前に立っているのは、私だけである。
シミターを砕かれたレビィアスは血塗れで地に倒れ、体内魔力を使い過ぎたベーンは〝魔力欠乏症〟によって気を失っている。他の兵士も、地に倒れてうめき声を上げていた。
だと言うのに、黒オーガは悠然とそこに立っている。掠り傷一つない状態でだ。私達の攻撃は全て、見た事も無い動きや技法によって叩き落とされていた。
「貴女の指揮は適切だった。前後左右から、攻撃部位を散らばらせた一斉攻撃は、捌くのが難しい。だから、これほど時間がかった。けど、これでお終いだ」
黒オーガは言う。事実を、淡々と、私に向けて。
その声音には嘲笑の色は無く、不可思議な事に、称賛の色があった。
「貴様は、何故、そんなにも強い」
レビィアス達同様、私も無傷ではない。全身各所に数え切れないほど細かい切り傷があるし、利き腕である右腕には深い裂傷があり、大腿部には小さなナイフが刺さっていた。ナイフは、黒オーガが何処からともなく取り出して投げてきたものだ。
既にベーン達神官団が倒れた後だったので、回復も見込めない。余力があればナイフを抜いて自分で治すのだが、その余裕は無いと考えるべきだ。治療行為を行えば、即座に黒オーガが攻めてくるだろう。
私が率いる部隊は、既に崩壊したと言っても過言では無い。周囲では掃討戦が繰り広げられている。いや、狂宴/饗宴と言った方が良いかもしれない。
今の私達の野営地は、悲鳴と雄叫びと剣戟の音楽に彩られ、血の香りで充満しているのだから。殺された者は喰われ、奪われ、逃げる者も続々と殺されている。
黒と赤銅のオーガ達が現れて、たった数分で戦況が一変してしまった。たった数分で、こうなった。
圧倒的過ぎる。あまりにも、理不尽過ぎる。
「なぜ、そんなにもお前は強い?」
私は無意識の内に嗤いながら、黒オーガに再び同じ質問を投げかけていた。
嗤っていたのは、そうするしか精神を保てなかったから、かもしれない。
「そう感じるのは、お前達が弱いからだ。日々の鍛錬が足りず、ただレベルによる肉体強化や戦技などの派手な技に頼る戦い方がそうさせた」
「私達の鍛えが、足りない? 日々汗を流し、土や血に塗れたあの日々が、無駄だと言うのかッ!!」
「ああ、無駄だ。無駄だった。お前達は、無為な時を過ごしていたとしか思えない。そもそも、根本的な所で他者が作った法則に振り回されているお前達が強いモノか。他人に頼る戦い方しかできない奴が、強いモノか。強くなりたいのなら、得た力の本質を識り自分の一部になるまで鍛え抜け」
黒オーガのその言葉に、私から嗤いは消え、怒りが溢れる。
ココで怒らねば、ココで動かねば、私が強くなる為に過ごしてきた日々は否定され、強くなる為に教えを乞うた人達の全てが否定され、我々が積み重ねてきた思いが否定されると思ったからだ。
私だけならばともかく、尊敬する人達まで否定されるのは、我慢ならない。
無くなりかけていた力が、気力が、怒りによって充填される。
「それ以上、何も言うなァアアアアアアアッ!!」
大腿部のナイフを引き抜く。激痛が走る。目眩がした。
血が飛び出る。激痛が走る。意識がぼやける。
私は走る。激痛が走る。視界が霞む。
大腿部の切れかけていた筋肉がブチブチと千切れる。激痛が走る。足の感覚があやふやになる。
無理をしたせいで大腿部の骨に入った亀裂が更に大きくなる。激痛が走る。感情の力だけで無理やり動かす。
激痛を無視して、走る。例え足が壊れようとも、走らねばならない。
手にした魔剣【月の風】の銀鉄の刀身に、激痛で軋む身体に、殺意に燃える意思が籠る。
刀身には赤い光が、身体には白い光が灯った。
[テレーゼ・E・エッケルマンは戦技【聖域の祭壇】を繰り出した]
[テレーゼ・E・エッケルマンは戦技【風の奇襲】を繰り出した]
[魔剣【月の風】の固有能力【銀月の暴風】が発動しました]
最高の技に、疾走速度を飛躍的に上昇させる、身体能力強化系戦技【風の奇襲】を上乗せする。
大腿部の負傷のせいで、万全な状態の私が出せる最速よりも遥かに遅いが、それでも戦技が風のような速度を私に与えた。
通常ではあり得ない高速移動に対応すべく、同じく加速した思考。後方に飛んでいくような視界、その中心にハルバードを構えた黒オーガの姿がある。
その双眸を再度見て、更に燃え上がる憎悪の炎。
殺す、という単純な戦意ではなく、殺さねばならない、という脅迫観念に近い思いに突き動かされながら、私は駆ける。一〇メルトルはあった距離を踏破するのに、一秒も必要としなかった。
魔剣【月の風】を突き出す。赤い光を宿した刀身には銀色の風の螺旋が巻き付き、刺突の威力を爆発的に上げている。
愛剣の能力と戦技を上乗せした、正真正銘、今の私が出せる最強の一撃。威力も、速度も、最高の攻撃。
それを、黒オーガはハルバードを放り捨てた銀腕で事も無げに掴み取った。
大きな五指が、火花を散らしつつもしっかり剣を掴んでいる。
その事実に、私の中から何かが急激に抜けていく。
しかし勢いが完全に止まる事は無く、剣尖が、黒オーガの分厚い胸筋に僅かに刺さった。
血が、流れた。私達と同じ赤い血が、僅かに。それは、それは、それは。
私の攻撃は、確かに届いたという証拠だ。その事に、安堵した自分がいる。魂魄を攻撃する【霊光】の光は黒オーガを殺すには至らなかったようだが、それでも、私の攻撃は通った。
「これは、無駄と言ったのは、撤回しないといけないだろうな。少なくとも、貴女の積み重ねたモノは俺に届いたんだから」
気力と体力を消耗し過ぎて重だるい身体に鞭を打ち、黒オーガの顔を見上げると、そこには微笑があった。
黒オーガの顔は怖い。人を喰らう、凶暴な面をしている。しかしその微笑は、何処か優しかった。
「テレーゼ殿、伏せてくださいッ」
私と黒オーガだけの空間に、ワイスリィ殿の声が響いた。約束の二分が過ぎたようだ。途中から、その事を忘れていた。そんな事を考える余裕が無かった。
後方から、途轍もない破壊を秘めた魔術が飛んできているのが、何となく分かった。それほどまでに、撒き散らされる魔力の波動が強い。
ワイスリィ殿は伏せろと言う。伏せれば私が被る損害が最低限に収まるように調整されているのだろう。普通の術者にならそんな事はできない筈だが、きっと【高位魔術師】であるワイスリィ殿なら可能だろう。
だが、私にはもう動くだけの体力も気力も無かった。このまま巻き込まれれば死んでしまうかもしれない。いや、十中八九そうなるだろう。
しかしそれでもいいと思ってしまうのは、なぜだろうか。
自分でも分からない。分からないけど、胸にあるのは後悔でも懺悔でも無く、ただ満足感のみだった。
可笑しい話だ。大切な部下を殺され、こうして自分も殺されそうになっているのに、満足感だけが胸にある。
私は見る。銀腕で魔剣【月の風】を掴んだままの、黒オーガを。
自然と、言葉が出た。
「どうだ、見たか、化物。傷は私からの贈り物だ、しかと刻め」
「ああ、見た。そして、受け取った。だから、とても魅力的な貴女を死なせるつもりは、俺には無い」
何を言っているのか、という疑問が浮かぶ前に、私の腰に黒オーガの太い腕を回される。
突然の行動に何が起きたのか理解できなかったが、この動きには覚えがあった。そう、まるでダンスのような、動きだった。私と黒オーガのサイズは違い過ぎると言うのに、その動きは、とても様になっていた。
クルリと私の体ごと回った黒オーガの背後から、ワイスリィ殿の魔術が迫る。
そこでようやく、私はワイスリィ殿が生み出した魔術を、黒オーガの体格にほぼ全体が隠されながらも見た。
それは、白い炎で造られた蛇のように細長い胴の竜だった。
私が予想していた第四階梯よりも更に上、混合系統第五階梯魔術〝白き炎の竜〟である。確かに、奥の手と言える魔術だと、私は納得した。
混合系統第五階梯魔術〝白き炎の竜〟は、【炎熱】と【風塵】の二系統魔術を掛け合わせた合成魔術の一つである。確か、一定時間内ならば発動者の意思によって自由自在に動かせるという特性を持つモノだ。
以前父に連れられて行った戦場で一度見た事があったが、白炎の竜が千の敵兵を数秒で薙ぎ払ったあの光景を、私は忘れていない。
幼いながらも尊敬と畏怖を感じたあの魔術が、私に向かって来ている。
最後の光景がこれほど壮観ならば、悪くないとも思った。死ぬには、光栄に思うほどの魔術である。既に回避できる距離ではない。私は黒オーガと共に死ぬのだ――
「何を諦めた表情をしている。自分が死ぬとでも思っているのか?」
「え?」
思わず、呆けた顔をした。
「言っただろう。貴女を死なせるつもりが俺にはないと。悪いが、俺が勝負に勝ったんだ。貴女の生殺与奪の権利は、俺にある」
そう言って、黒オーガは首を動かして背後を見る。
その腕の中にいる私は、抵抗する事もできず、ただ成り行きに身を任せるしかできない。
白炎の竜は止まりはしない。ワイスリィ殿も、最早私を助けるのは無理と判断したのだろう。
最後に残っていた躊躇いも無くなり、最高速度で竜がコチラに突っ込んでくる。正しい判断だと私も思う。むしろココで躊躇ったりすれば、私はワイスリィ殿を侮蔑せずに居られなかっただろう。
さしもの黒オーガとて無事では済まないだろう熱量を秘めた竜の顎が開かれ、白炎の牙が突き立てられる。
黒オーガの血肉は一瞬で蒸発し、骨も残さずにこの世から消え去るだろう。
そうなれば当然私もこの世から消える。それで終わりだ。
亜種とは言え、オーガ程度ではどうする事もできないはずの破壊がそこにある。
しかし、だけど、やはりと言うか、この黒オーガは私の想像を遥かに超えていた。
この時何をどうしたのかは、ただ茫然と見ていただけの私では理解する事ができなかった。
だが事実として、黒オーガの背面から迫ってきていた白炎の竜は、黒オーガの攻撃によって消滅してしまったのである。その光景は言葉として表現するのは、私には到底不可能だ。
ただ、黒オーガが背中を向けたままで何かをし、その結果として白炎の竜が爆ぜた事は間違いない。白炎は散り、その残り火が私の視界を染めていた。まるで竜の断末魔のように、轟音を響かせて。
その光景を見た人間は、私と〝魔力欠乏症〟によってよろめくワイスリィ殿と、顔を上げていたレビィアスの三人だけである。
ただ、私はそこで気を失ってしまったので、その後はよく覚えていない。
確実に言えるのは、私と黒オーガの戦は、黒オーガの圧倒的な勝利で終わった、という事だけだ。
◆◆◆
後にオガ朗から聞いた話だが、白炎の竜を屠ったのは、とある流派の技である〝貼山靠〟――別名〝鉄山靠〟に、終焉系統魔術、【背撃】など、幾つものアビリティを上乗せした攻撃だそうだ。
詳細を説明すると、まず【水流操作能力】で水の膜を体表に張り巡らし、水の膜からちょっと離れた場所に【大気操作能力】を使って、真空の膜を用意する。
そしてその二重の防御膜の上に銀腕の能力の一つである【属性反響】を用いて強化発動した終焉系統第三階梯魔術〝我が闇は全を滅す〟、と呼ばれる三角錐状の盾を被せる。
これら三つは、盾であると同時に矛だった、そうだ。
そしてオガ朗はその三つの盾を、【背撃】などで強化した〝貼山靠〟を使って高速で押し出し、白炎の竜を真正面から粉砕した、らしい。
つくづく、化物だと思う。いや、化物としか言えないだろう。常識が全く当てはまらないし、こうして説明している私でさえ、冗談にしか思えないのだから。
とは言え、私は負けた。ならばこの身は、約束通りオガ朗のモノである。騎士は約束を破らない。少なくとも、私の騎士道はそうなっている。
故に、私はこの命が消えるまでオガ朗に尽くす。
ま、まあ、最初はあんなに激しくされるとは思っていなかったので動揺し、心臓をナイフで刺してしまったが……その程度の攻撃は問題にされなかったし、その罰はすでに受けた。
それに今では、オガ朗と共にいるのも悪くないと思っている私がいる。
オガ朗は、触れていると、言葉を交わすと、何と言うか、案外良い奴だと理解できたから。
オガ朗を見ていると、何だか胸が温かくなるような錯覚もある。
貴族として感じていた息苦しさが、いつの間にか和らげられた気さえする。
私は初めて抱くこの感情に、小首を傾げた。
247
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件
さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。
数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、
今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、
わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。
彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。
それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。
今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。
「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」
「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」
「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」
「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」
命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!?
順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場――
ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。
これは――
【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と
【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、
“甘くて逃げ場のない生活”の物語。
――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。
※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。
強くてニューサーガ
阿部正行
ファンタジー
人族と魔族が争い続ける世界で魔王が大侵攻と言われる総攻撃を仕掛けてきた。
滅びかける人族が最後の賭けとも言うべき反撃をする。
激闘の末、ほとんど相撃ちで魔王を倒した人族の魔法剣士カイル。
自らの命も消えかけ、後悔のなか死を迎えようとしている時ふと目に入ったのは赤い宝石。
次に気づいたときは滅んだはずの故郷の自分の部屋。
そして死んだはずの人たちとの再会…… イベント戦闘で全て負け、選択肢を全て間違え最終決戦で仲間全員が死に限りなくバッドエンドに近いエンディングを迎えてしまった主人公がもう一度やり直す時、一体どんな結末を迎えるのか? 強くてニューゲームファンタジー!
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2巻決定しました!
【書籍版 大ヒット御礼!オリコン18位&続刊決定!】
皆様の熱狂的な応援のおかげで、書籍版『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』が、オリコン週間ライトノベルランキング18位、そしてアルファポリス様の書店売上ランキングでトップ10入りを記録しました!
本当に、本当にありがとうございます!
皆様の応援が、最高の形で「続刊(2巻)」へと繋がりました。
市丸きすけ先生による、素晴らしい書影も必見です!
【作品紹介】
欲望に取りつかれた権力者が企んだ「スキル強奪」のための勇者召喚。
だが、その儀式に巻き込まれたのは、どこにでもいる普通のサラリーマン――白河小次郎、45歳。
彼に与えられたのは、派手な攻撃魔法ではない。
【鑑定】【いんたーねっと?】【異世界売買】【テイマー】…etc.
その一つ一つが、世界の理すら書き換えかねない、規格外の「便利スキル」だった。
欲望者から逃げ切るか、それとも、サラリーマンとして培った「知識」と、チート級のスキルを武器に、反撃の狼煙を上げるか。
気のいいおっさんの、優しくて、ずる賢い、まったり異世界サバイバルが、今、始まる!
【書誌情報】
タイトル: 『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』
著者: よっしぃ
イラスト: 市丸きすけ 先生
出版社: アルファポリス
ご購入はこちらから:
Amazon: https://www.amazon.co.jp/dp/4434364235/
楽天ブックス: https://books.rakuten.co.jp/rb/18361791/
【作者より、感謝を込めて】
この日を迎えられたのは、長年にわたり、Webで私の拙い物語を応援し続けてくださった、読者の皆様のおかげです。
そして、この物語を見つけ出し、最高の形で世に送り出してくださる、担当編集者様、イラストレーターの市丸きすけ先生、全ての関係者の皆様に、心からの感謝を。
本当に、ありがとうございます。
【これまでの主な実績】
アルファポリス ファンタジー部門 1位獲得
小説家になろう 異世界転移/転移ジャンル(日間) 5位獲得
アルファポリス 第16回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞
第6回カクヨムWeb小説コンテスト 中間選考通過
復活の大カクヨムチャレンジカップ 9位入賞
ファミ通文庫大賞 一次選考通過
魔王を倒した手柄を横取りされたけど、俺を処刑するのは無理じゃないかな
七辻ゆゆ
ファンタジー
「では罪人よ。おまえはあくまで自分が勇者であり、魔王を倒したと言うのだな?」
「そうそう」
茶番にも飽きてきた。処刑できるというのなら、ぜひやってみてほしい。
無理だと思うけど。
友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。
石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。
だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった
何故なら、彼は『転生者』だから…
今度は違う切り口からのアプローチ。
追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。
こうご期待。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
私に姉など居ませんが?
山葵
恋愛
「ごめんよ、クリス。僕は君よりお姉さんの方が好きになってしまったんだ。だから婚約を解消して欲しい」
「婚約破棄という事で宜しいですか?では、構いませんよ」
「ありがとう」
私は婚約者スティーブと結婚破棄した。
書類にサインをし、慰謝料も請求した。
「ところでスティーブ様、私には姉はおりませんが、一体誰と婚約をするのですか?」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
