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外伝
外伝-4
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「オガ吉、お前……」
ふと、声が聞こえた。オガ朗の声だった。背後を振り返る。しかしそこには誰もいない。小首を傾げた。
どこから声が聞こえたのだろうか? 分からない。まだ思考がハッキリとしない。
「なんだ、それは」
再び声がした。どうやら下から聞こえたように感じられ、頭を下げてみた。
そこに居たのは、己の半分程度に縮んでしまった〝心象の仇敵〟だった。
ん? 小さくなった、だと? 訳が分からず混乱してきた。が、取りあえず言える事がある。
敵が、あんなにも圧倒的だった敵が、酷く弱々しく感じられるようになっているのだ。
その理由は分からない。思考が未だにハッキリしない為、何がどうなっているのかと。
だが、まあいい。無駄な事を考える必要はない。
結局、やるべき事は一つなのだ。
ただ〝心象の仇敵〟を殺せばいい。何故か形の変わった愛斧で、叩き殺せばいいのだ。
それが、今の己がすべき事なのだ。恐らく、きっと。
【直感】もそう言っている。だから、殺せばイイ。そうだ、殺そう。今すぐに。
斧の柄を強く握る。以前よりも手に馴染む気がする。これなら、本物のオガ朗を相手にしてもいい勝負になるかもしれない。まあ、そんな訳がないだろうが。
甘い幻想は一旦振り払い、目の前の敵を見る。今は邪魔になると思ったので、盾は床に突き刺さった状態のままで放置する。
斧を肩に担ぐ。先ほどまでの余裕が無くなり、ただ驚いているだけの小さな敵に向けて、何も考えずに走った。
ひずめが踏み砕いた床が爆ぜ、黄金色の雷光が迸る。
それは一瞬だった。
今までに無いほどの加速により、己以外が酷くゆっくりと動いていくように感じる世界の中で、普段通りの速さで振り下ろした斧は、抵抗すら許さずに〝心象の仇敵〟を両断した。
斧の一振りと同時に黄金の雷光が走り、刀身から白い炎が噴出して敵の身を焼いた。
かつてハルバードだった棒で防ごうとしていたが意味は無く、ただ一撃で、ただ一瞬で〝心象の仇敵〟の身体が蒸発した。
こうして勝負は呆気なく終わり、そして、己の意識が再度消えていくような感覚に襲われた。
ただ今回のは、眠るような、という表現が近い。
足から力が抜けて、地面が近づいてくる。
ふと視界の隅に、涙を流しながら駆け寄ってくるアス江の姿が見えた。唇からは微かに血が流れているように見える。己の不甲斐なさに怒っているのか、あるいは己を心配してくれているのか。
己としては後者であって欲しいモノだが、今はある一つの思いで頭が一杯だった。
「オガ朗……絶対に追いついテヤる……ゾ」
先ほどの溢れ出るような力の奔流はまぎれもなく己のモノなのだと、何となく理解していた。
故に床に倒れて意識が飛ぶ最後に己は、オガ朗のような〝力〟を得たのだ、という実感を得たのだった。
[辺境詩篇〔試練の自鏡〕のクリア条件【単独撃破】【心敵超越】【不挫心意】が達成されました]
[達成者であるケラウノスには希少能力【殺戮戦域】が付与されました]
[達成者であるケラウノスには【白転心象の御霊石】が贈られました]
[達成者であるケラウノスには【試練突破祝い品〔初回限定豪華版〕】が贈られました]
《マグルは見た》
【デュシス迷廊】地下十八階。
そこでオガ吉の旦那は、初めて遭遇した〝赤中鬼剣鋭〟を、その斧で容易く両断しやした。
その時にアッシが抱いた素直な感想を言わせてもらえば、そんな馬鹿な、でやした。
そう思った理由は幾つかありヤスが、大きいところで二つ。
〝赤中鬼剣鋭〟はホブゴブリン種でありながら、オーガに迫る戦闘能力を持っているはずというのがまず一点。
そして【派生ダンジョン】の内部で出会った個体だ、というのがもう一点。
なぜ【派生ダンジョン】云々が理由なのか。
【神代ダンジョン】からある日突然枝分かれして生まれる【派生ダンジョン】には、『内部で生産したモンスターの強化』という能力がありやす。
そして【神代ダンジョン】に現れるモンスターは通常の二段階上の種族相当、【派生ダンジョン】では一段階上の種族相当の戦闘能力があるとされていやす。
【神代ダンジョン】に比べて【派生ダンジョン】の強化率が低いのは、当然色んな〝規格〟が劣化しているからでやしょう。
アッシは学者でも何でもないので小難しい話は知りやせん。が、とにかく、【派生ダンジョン】ではゴブリンがホブゴブリン相当の戦闘能力を有していると言えば、少しはアッシの思いを理解してもらえるでしょうか。
元々オーガに迫る戦闘能力を持ち、それが更に一段階強化された〝赤中鬼剣鋭〟を、オガ吉の旦那は簡単に屠ったのでやす。
普通に考えればオーガ亜種であるオガ吉の旦那といい勝負ができるだけのモンスターでやしたのに、それがああも簡単に殺されると、色々とアッシの常識も狂いやして。
などと思うのは早かった。どうやらオガ吉の旦那を甘く見ていたようでやす。
常識外の出来事は、まだまだまだまだあったのでありやす。
深い階層に潜れば潜るほど、オガ吉の旦那の異常性を理解できるというモノでした。
遭遇した敵との戦いとドロップ品を纏めると、こんな感じになりやすね。
[〝赤中鬼剣鋭〟が二体現れた]
オガ吉の旦那は盾で敵の一体を激しく殴打、壁際に追い込んで頭突きを繰り出し、頭部を潰しやした。
残りの一体は斧で四肢を斬り落として床に這い蹲らせ、踏みつけで首の骨を折ったのでやす。
[オガ吉は〝赤中鬼剣鋭〟を二体倒した]
[〝黒鉄の軽装鎧〟×2がドロップした]
[〝炎波の大剣〟×2がドロップした]
[〝炎膜の布〟がドロップした]
[〝青中鬼槍鋭〟が二体現れた]
オガ吉の旦那は槍の突きを盾で防いで、無造作に近づき、一体の首を斧の一閃で刎ね飛ばしやした。
残る一体は後方に下がって再び突きを繰り出したのでやすが、先ほどと同じパターンで首を刎ねられ終了。
[オガ吉は〝青中鬼槍鋭〟を二体倒した]
[〝水膜鋼の軽装鎧〟×2がドロップした]
[〝三水の槍〟×2がドロップした]
[〝水膜の布切れ〟×3がドロップした]
[〝青い眼球〟がドロップした]
[〝黄中鬼槌鋭〟が一体現れた]
オガ吉の旦那は棍棒の一撃を受け止め、その直後に体当たりを喰らわせて敵の体勢を崩し、盾の角で頭部を叩き潰しやした。肉がまるで弾けるように飛び散ったのでやす。
[オガ吉は〝黄中鬼槌鋭〟を一体倒した]
[〝金砕棒〟がドロップした]
[〝デュシス鉱石のインゴット〟×2がドロップした]
[〝赤、青、黄の混成精鋭部隊〟がそれぞれ三体ずつ現れた]
オガ吉の旦那は盾を前に押し出し、斧を振り、口から炎を吐き出したりして、敵の精鋭部隊を三分ほどで殲滅しやした。それなりに名の知れた冒険者ですら一対一でも苦戦する相手が、こんなにもいるというのに、余裕すらあるように感じられやした。
[オガ吉は〝赤中鬼剣鋭〟を三体倒した]
[オガ吉は〝青中鬼槍鋭〟を三体倒した]
[オガ吉は〝黄中鬼槌鋭〟を三体倒した]
[〝鴉の嘴〟×2がドロップした]
[〝鉄鞭〟がドロップした]
[〝グレイブ〟がドロップした]
[〝管槍〟がドロップした]
[〝方天戟〟がドロップした]
[〝磁鋼の重層鎧〟×3がドロップした]
[〝水膜鋼の軽装鎧の燃えカス〟×3がドロップした]
[〝中鬼精鋭の鋭牙〟×7がドロップした]
[〝銀鉄鋼〟×3がドロップした]
[〝トリアリウム鉱石〟×4がドロップした]
[〝未鑑定の腕輪〟×2がドロップした]
[〝鋼鉄猪〟が一体現れた]
狭い通路を埋め尽くすような巨躯の猪を、オガ吉の旦那は斧に高温の炎を纏わせて真正面から両断しちまいやした。
体毛と皮膚が鋼鉄となってやすスティールボアを、高熱を宿した斧の刃がまるでバターのように切断するのは、圧巻でやした。
[オガ吉は〝鋼鉄猪〟を一体倒した]
[〝鋼鉄猪の鋼皮〟がドロップした]
[〝鋼鉄猪の鋼牙〟×2がドロップした]
[〝鋼鉄猪の匂い袋〟がドロップした]
[〝灰鉄大鬼〟が三体現れた]
こいつらはオーガ種の一つで、その皮膚は鉄と同程度の硬度がある上、三体とも全身に精鋭達が持っていた武器や防具を装備していやした。恐らく奴らを殺して奪ったと思われやす。
恐らくココまでで最も強いモンスターを前にしても、オガ吉の旦那は恐れる事もなく正面から突き進みやした。そして苦戦しながらもたった一鬼でアイアンオーガ達の四肢を斬り落とし、盾で顔面を潰し、首を刎ねていきやした。
[オガ吉は〝灰鉄大鬼〟を三体倒した]
[〝灰鉄大鬼の鋭牙〟×5がドロップした]
[〝容量の大きい道具袋〟がドロップした]
[〝灰鉄大鬼の鋭角〟×2がドロップした]
[〝大金砕棒〟×2がドロップした]
[〝オーガの腰布〟がドロップした]
この他にも、常識を超えた殺戮が何度も何度も繰り広げられたのでやす。
いやはや、オガ吉の旦那はもうオーガとかいう枠組みの外にいやすね。アッシの常識は木っ端微塵ですわ。
それに、オガ吉の旦那の戦果が凄過ぎて忘れがちでやすが、アス江の姐御やホブ水の姉さん、柴犬の兄さん達も十分可笑しい戦闘能力がありやした。
アス江の姐御のウォーハンマーの一撃は〝鋼鉄猪〟の突進を真正面から叩き潰し、その身を潰しちまいやした。かなりの速度で向かってくる八○○キトルはある巨大な鋼鉄の塊を、一撃でペチャンコにしちまったんでさ。
アッシは【半地雷鬼】についてそこまで知りやせんが、コレは異常でしょうよ。と言うか、アス江の姐御が特別だからこそなんだと思いたいくらいの迫力でやした。
ホブ水の姉さんは回復技能に優れていて、敵の攻撃を避け損ねて肉を抉られ、骨が見えるような状態になったアッシの腕を、見事に繋いでくれやした。今じゃあ違和感すらありやせん。むしろ調子がいいくらいでさ。
それに柴犬の兄さんの〝生体槍〟の刺突と言ったら、一瞬穂先が霞むほど速いんでさ。槍の長さを活かして【赤中鬼剣鋭】を何体か串刺しにしちまいやした。流石に槍使いの【青中鬼槍鋭】には槍の扱いで負けていやしたが、柴犬の兄さんがまだ足軽コボルドだという事を考えると、今後【存在進化】すれば容易く殺せるようになるでしょうよ。
いやはや、本当に皆さん全然普通ではありやせん。
コレが最初から備えていた能力だというのなら、アッシ等人間はとっくの昔にモンスターに滅ぼされていたか、あるいは家畜扱いで何とか生存していたぐらいかもしれやせんねェ。
いやー、こりゃ負けますわな。あの森での戦争でアッシ達が捕虜兼奴隷になるのも仕方ない、と納得せざるを得ない状況に立たされていやす。
まあ捕虜兼奴隷と言っても、虐待とかはありやせんし、ある程度自由な生活が保障されていやす。イヤーカフスを着けるまでは全員牢に入れられていやしたが、拠点にはいまや個人のベッドまでありやすしねェ。
捕虜兼奴隷の女全員と一部の男達は他の兄さん姉さん達に抱かれたりはしていやすが、それでも一週間七日のうちの二日は夜の営みはしなくて良いと、オガ朗の大旦那に確約されていやす。
誰かに抱かれなきゃいけない時も基本的に一対一。しかも五日のうち二日は本人の意思で抱かれる抱かれないを多少決められるようになっていやす。
それに性病対策なんでしょうが、一週に一回は全員の健康診断がされるという制度とかもありやすね。
もう捕虜兼奴隷の待遇じゃないですって、コレ。
それどころか真面目に働けば働いた分だけ評価されて、飯とか嗜好品とかがある程度融通されるようになりやす。極めつけは、信頼を獲得するとアッシ達の意思で傭兵団の正式メンバーになるか、あるいは元の生活に戻るかを選択できるんだそうで。クソッタレ貴族共の馬鹿な命令のせいで無駄死にさせられかねない王国の軍に居るよりも、断然やりがいがあるってなもんでさ。
アッシには生まれ育った村に残してきた家族がいやすんで、ココらで頑張って入団して身分を得て、早く迎えに行きたいでやすねェ。
オガ吉の旦那、アッシはアンタについていきやすぜ。
ただ、モンスターの焼き肉を突然喰えって言われても困りヤスがね!!
アッシにも、覚悟ってのは必要なんでさァ。
◆◆◆
最下層にあるボス部屋に敷かれた【召喚式】ダンジョン共通の円陣。この部屋で戦う事になるのは全部で三通りのモンスターでありやす。
最も出現頻度が高いミノタウロスは、斧と強靭な肉体で戦う接近戦型として有名なモンスターで、下手な前衛しかいない場合は即座に殲滅されかねないなんて話で。
ミノタウロスに次いで出現頻度が高いラミアは、蛇の下半身による締め付けに加え、強力な魔術を行使してくる為に、ある意味ではミノタウロスを超えるほど厄介な敵だそうでやす。
そして今回【召喚】されたのは最も厄介で、最も遭遇する確率が低い〝心象の仇敵〟でありやした。
集めた情報によると〝心象の仇敵〟とは、白いヒト型の何かで、対峙した者が最も強いと思っている存在に変化するという特徴があるそうでやす。しかも対峙者の苦手意識が影響して本物以上の強さになる事もあるそうで。大半の場合はコイツが出たら逃げるか、あるいは連携してギリギリ殺せるかどうか、といったモンスターなのだとか。
つまりは一対一ではかなりヤバい相手であると言うのに――
「オガ吉の旦那、苦戦してやすね」
アッシの呟きに、当然といった風にアス江の姐御が答えやす。
「オガ朗に化けてるから、そりゃ苦戦するってもんや。オガ朗は、そらもう馬鹿みたいに強いわァ」
オガ吉の旦那は一人で戦っていやした。
オガ朗の大旦那に化けた〝心象の仇敵〟に正面から、たった一鬼で。しかし遠くからその戦いを見ているアッシ等には、両者の間に大きな隔たりがあるのだと良く分かりやす。
「同期のメンバーで、総帥よりも強い存在を想像できる奴は居ないと思いますです、はい」
とホブ水の姉さんが事も無げに言い、それに柴犬の兄さんが頷きやした。
「同意。如何にオガ吉殿といえど、一鬼では殿に勝てる道理無し」
オガ吉の旦那の攻撃は大半が避けられたり防がれたりしていやすが、何回かは決まっていやす。腕を斬り落としたりする事もありやした。
それでも、敵は即座に回復していくのだからどうしようもありやせん。
アッシの目からは、オガ吉の旦那に勝機があるようには見えやせんでした。
一番前で、ジッと戦いを見ていたアス江の姐御を仰ぎ見て、我慢できずに聞いてみやした。
「アス江の姐御。助けなくて、いいんでやすか?」
「助けんでええ、手出し無用や。吉やんがヤル言うんなら、ウチ等は黙って見とればええ。コッチに退避してきたら、治療はするけどな」
「でやすが、そろそろ殺されかねやせんぜ? オガ吉の旦那、かなりボロボロになっていやすが」
「それでもや、ウチ等から助けはせん。吉やんが全力で戦った結果、ココで死ぬんなら仕方ない。そこまでの鬼やったんやって、ウチも思うようにする。やけどまだ戦ってるんや、吉やんの意思で。それを邪魔するんやない。やから今は、吉やんの勝利を祈って黙っときィな」
キッパリ言いきったアス江の姐御に何かを言えるはずもなく、アッシ等は戦いの行く末をただ見守りやした。
オガ吉の旦那が血を流し、それでも諦めないその様を。
見ていて痛々しいのに、惹きつけられる何かを孕んだ戦いを。
そして、ついに終わりがきやした。
〝心象の仇敵〟が本気でオガ吉の旦那を殺しにかかったのでやす。
アッシの目では捉えきれないほどの速度で撃ち込まれた拳は、盾もろともオガ吉の旦那を存分に殴りつけやした。その後も繰り出される連打を、既にボロボロになっていたオガ吉の旦那に防げるはずもなく……無抵抗で撃ち込まれていくばかりでやす。
アッシ等のいる所まで響いてくるほどの、圧倒的破壊を想像させる肉袋を殴るような鈍い打撃音。
咄嗟に駆け出そうとした柴犬の兄さんを、アス江の姐御が手だけで制しやした。
一体何を考えているのか、とアス江の姐御の正気を疑ってしまうほどの頑なさでやしたね。
「手ェ出すんやない。ウチ等は吉やんが完全に動かんようになるか、助けを求めてくるまで待つんや」
「ですがこのままでは!」
「黙っとけ! 吉やんの最後になるかもしれん戦いを穢すンは誰やっても容赦せんッ。それに吉やんの底力を侮るんやないでッ」
そう言いながら、唇を噛みしめているアス江の姐御を見てしまうと、反論なんてできるはずがありやせん。この中で一番最初に駆け出したいはずの人が我慢しているのに、アッシ達が何かを言えるはずがありやせんよ。
そして一際鈍い音が響き、オガ吉の旦那の巨体が吹き飛んだのでやした。
床をゴロゴロと転がっていくその巨躯は、床に突き刺さっていた盾に当たって止まりやした。身体のアチコチが陥没していて、どう見ても死んでいるようにしか見えやせん。
コレはもう行くしか、と思った時、やはりアス江の姐御がアッシ等を止めやした。
「あと五秒だけ待ちい。五秒だけでええから、待ってや。そっからは、イクで」
ウォーハンマーを肩に担ぎ、静かに〝心象の仇敵〟を見据えながら呟かれたその声に、ブルリと寒気が走りやした。
そしてとうとう五秒が過ぎ、オガ吉の旦那を助けようと部屋に入ろうとした直前、雷光がオガ吉の旦那の肉体から発せられやした。驚くアッシ等の足は止まる一方、部屋の中の変化は急速に進んでいきやす。
オガ吉の旦那の肉体が、膨れ上がりやした。
十数秒後、一体何が起きたのか、呆然とその成り行きを見ていたアッシ等の視線の先で、変化が終わると――死にそうになっていたはずなのに、何の怪我もしていないような自然な動作で、オガ吉の旦那は起き上がりやした。
オーガとしてではなく、牛頭の巨鬼――【牛頭鬼】として、でやすが。
変化したオガ吉の旦那の身の丈は優に五メルトルほどもありやした。平均的なミノタウロスよりも一メルトルは大きいでしょう。元々亜種だったオガ吉の旦那なら、この程度は当然かも知れやせん。
今まで通りの赤銅色の肌はともかくとして、下半身に生えた黄金の体毛やら、黒と黄金の刺青やら、黄金に輝く頭部の双角やら、アッシの知るミノタウロスではありやせん。亜種だとしても、こんなのは聞いた事すらありやせん。
それに加えて斧と盾すらオガ吉の旦那のサイズに合わせたかのように変化していたりとか、アッシはもう何が何やら分からなくなりやした。
そしてアッシの混乱を余所に、オガ吉の旦那は三メルトルを超える両手斧を軽々と片手で担ぎ上げて――次の瞬間には爆音が響き、〝心象の仇敵〟が居たところに黄金色の雷光と白い業火が発生しやした。
その近くには、斧を振り下ろしたオガ吉の旦那の姿が。
黄金雷と白炎の中に斧を振り下ろした状態で佇むその姿は、まるで神話で語られる豪傑のように神々しくありやした。
まるで時間が瞬間的に飛んでしまったような光景に、ホブ水の姉さんや柴犬の兄さん達も呆気にとられていやす。あるいは、オガ吉の旦那に見惚れてしまったのかもしれやせん。
その中でアス江の姐御だけが、とんでもない速度で部屋に駆けこんで行きやした。
やっとアッシも我に返って状況を確認すると、〝心象の仇敵〟は影も形も無く、オガ吉の旦那がゆっくりと倒れていくのが見えやす。
どうにか、オガ吉の旦那が勝ったんだ、とは理解出来やしたが。
突然【存在進化】したり、一時は殺されかけた敵を瞬殺したり、もう本当に訳が分かりやせん。
とにかく言えるのは、オガ朗の大旦那に負けず劣らず、オガ吉の旦那も十分規格外って事でヤスかねェ。
いや本当に、アッシはどこまでもついて行かせてもらいヤスよー。
ふと、声が聞こえた。オガ朗の声だった。背後を振り返る。しかしそこには誰もいない。小首を傾げた。
どこから声が聞こえたのだろうか? 分からない。まだ思考がハッキリとしない。
「なんだ、それは」
再び声がした。どうやら下から聞こえたように感じられ、頭を下げてみた。
そこに居たのは、己の半分程度に縮んでしまった〝心象の仇敵〟だった。
ん? 小さくなった、だと? 訳が分からず混乱してきた。が、取りあえず言える事がある。
敵が、あんなにも圧倒的だった敵が、酷く弱々しく感じられるようになっているのだ。
その理由は分からない。思考が未だにハッキリしない為、何がどうなっているのかと。
だが、まあいい。無駄な事を考える必要はない。
結局、やるべき事は一つなのだ。
ただ〝心象の仇敵〟を殺せばいい。何故か形の変わった愛斧で、叩き殺せばいいのだ。
それが、今の己がすべき事なのだ。恐らく、きっと。
【直感】もそう言っている。だから、殺せばイイ。そうだ、殺そう。今すぐに。
斧の柄を強く握る。以前よりも手に馴染む気がする。これなら、本物のオガ朗を相手にしてもいい勝負になるかもしれない。まあ、そんな訳がないだろうが。
甘い幻想は一旦振り払い、目の前の敵を見る。今は邪魔になると思ったので、盾は床に突き刺さった状態のままで放置する。
斧を肩に担ぐ。先ほどまでの余裕が無くなり、ただ驚いているだけの小さな敵に向けて、何も考えずに走った。
ひずめが踏み砕いた床が爆ぜ、黄金色の雷光が迸る。
それは一瞬だった。
今までに無いほどの加速により、己以外が酷くゆっくりと動いていくように感じる世界の中で、普段通りの速さで振り下ろした斧は、抵抗すら許さずに〝心象の仇敵〟を両断した。
斧の一振りと同時に黄金の雷光が走り、刀身から白い炎が噴出して敵の身を焼いた。
かつてハルバードだった棒で防ごうとしていたが意味は無く、ただ一撃で、ただ一瞬で〝心象の仇敵〟の身体が蒸発した。
こうして勝負は呆気なく終わり、そして、己の意識が再度消えていくような感覚に襲われた。
ただ今回のは、眠るような、という表現が近い。
足から力が抜けて、地面が近づいてくる。
ふと視界の隅に、涙を流しながら駆け寄ってくるアス江の姿が見えた。唇からは微かに血が流れているように見える。己の不甲斐なさに怒っているのか、あるいは己を心配してくれているのか。
己としては後者であって欲しいモノだが、今はある一つの思いで頭が一杯だった。
「オガ朗……絶対に追いついテヤる……ゾ」
先ほどの溢れ出るような力の奔流はまぎれもなく己のモノなのだと、何となく理解していた。
故に床に倒れて意識が飛ぶ最後に己は、オガ朗のような〝力〟を得たのだ、という実感を得たのだった。
[辺境詩篇〔試練の自鏡〕のクリア条件【単独撃破】【心敵超越】【不挫心意】が達成されました]
[達成者であるケラウノスには希少能力【殺戮戦域】が付与されました]
[達成者であるケラウノスには【白転心象の御霊石】が贈られました]
[達成者であるケラウノスには【試練突破祝い品〔初回限定豪華版〕】が贈られました]
《マグルは見た》
【デュシス迷廊】地下十八階。
そこでオガ吉の旦那は、初めて遭遇した〝赤中鬼剣鋭〟を、その斧で容易く両断しやした。
その時にアッシが抱いた素直な感想を言わせてもらえば、そんな馬鹿な、でやした。
そう思った理由は幾つかありヤスが、大きいところで二つ。
〝赤中鬼剣鋭〟はホブゴブリン種でありながら、オーガに迫る戦闘能力を持っているはずというのがまず一点。
そして【派生ダンジョン】の内部で出会った個体だ、というのがもう一点。
なぜ【派生ダンジョン】云々が理由なのか。
【神代ダンジョン】からある日突然枝分かれして生まれる【派生ダンジョン】には、『内部で生産したモンスターの強化』という能力がありやす。
そして【神代ダンジョン】に現れるモンスターは通常の二段階上の種族相当、【派生ダンジョン】では一段階上の種族相当の戦闘能力があるとされていやす。
【神代ダンジョン】に比べて【派生ダンジョン】の強化率が低いのは、当然色んな〝規格〟が劣化しているからでやしょう。
アッシは学者でも何でもないので小難しい話は知りやせん。が、とにかく、【派生ダンジョン】ではゴブリンがホブゴブリン相当の戦闘能力を有していると言えば、少しはアッシの思いを理解してもらえるでしょうか。
元々オーガに迫る戦闘能力を持ち、それが更に一段階強化された〝赤中鬼剣鋭〟を、オガ吉の旦那は簡単に屠ったのでやす。
普通に考えればオーガ亜種であるオガ吉の旦那といい勝負ができるだけのモンスターでやしたのに、それがああも簡単に殺されると、色々とアッシの常識も狂いやして。
などと思うのは早かった。どうやらオガ吉の旦那を甘く見ていたようでやす。
常識外の出来事は、まだまだまだまだあったのでありやす。
深い階層に潜れば潜るほど、オガ吉の旦那の異常性を理解できるというモノでした。
遭遇した敵との戦いとドロップ品を纏めると、こんな感じになりやすね。
[〝赤中鬼剣鋭〟が二体現れた]
オガ吉の旦那は盾で敵の一体を激しく殴打、壁際に追い込んで頭突きを繰り出し、頭部を潰しやした。
残りの一体は斧で四肢を斬り落として床に這い蹲らせ、踏みつけで首の骨を折ったのでやす。
[オガ吉は〝赤中鬼剣鋭〟を二体倒した]
[〝黒鉄の軽装鎧〟×2がドロップした]
[〝炎波の大剣〟×2がドロップした]
[〝炎膜の布〟がドロップした]
[〝青中鬼槍鋭〟が二体現れた]
オガ吉の旦那は槍の突きを盾で防いで、無造作に近づき、一体の首を斧の一閃で刎ね飛ばしやした。
残る一体は後方に下がって再び突きを繰り出したのでやすが、先ほどと同じパターンで首を刎ねられ終了。
[オガ吉は〝青中鬼槍鋭〟を二体倒した]
[〝水膜鋼の軽装鎧〟×2がドロップした]
[〝三水の槍〟×2がドロップした]
[〝水膜の布切れ〟×3がドロップした]
[〝青い眼球〟がドロップした]
[〝黄中鬼槌鋭〟が一体現れた]
オガ吉の旦那は棍棒の一撃を受け止め、その直後に体当たりを喰らわせて敵の体勢を崩し、盾の角で頭部を叩き潰しやした。肉がまるで弾けるように飛び散ったのでやす。
[オガ吉は〝黄中鬼槌鋭〟を一体倒した]
[〝金砕棒〟がドロップした]
[〝デュシス鉱石のインゴット〟×2がドロップした]
[〝赤、青、黄の混成精鋭部隊〟がそれぞれ三体ずつ現れた]
オガ吉の旦那は盾を前に押し出し、斧を振り、口から炎を吐き出したりして、敵の精鋭部隊を三分ほどで殲滅しやした。それなりに名の知れた冒険者ですら一対一でも苦戦する相手が、こんなにもいるというのに、余裕すらあるように感じられやした。
[オガ吉は〝赤中鬼剣鋭〟を三体倒した]
[オガ吉は〝青中鬼槍鋭〟を三体倒した]
[オガ吉は〝黄中鬼槌鋭〟を三体倒した]
[〝鴉の嘴〟×2がドロップした]
[〝鉄鞭〟がドロップした]
[〝グレイブ〟がドロップした]
[〝管槍〟がドロップした]
[〝方天戟〟がドロップした]
[〝磁鋼の重層鎧〟×3がドロップした]
[〝水膜鋼の軽装鎧の燃えカス〟×3がドロップした]
[〝中鬼精鋭の鋭牙〟×7がドロップした]
[〝銀鉄鋼〟×3がドロップした]
[〝トリアリウム鉱石〟×4がドロップした]
[〝未鑑定の腕輪〟×2がドロップした]
[〝鋼鉄猪〟が一体現れた]
狭い通路を埋め尽くすような巨躯の猪を、オガ吉の旦那は斧に高温の炎を纏わせて真正面から両断しちまいやした。
体毛と皮膚が鋼鉄となってやすスティールボアを、高熱を宿した斧の刃がまるでバターのように切断するのは、圧巻でやした。
[オガ吉は〝鋼鉄猪〟を一体倒した]
[〝鋼鉄猪の鋼皮〟がドロップした]
[〝鋼鉄猪の鋼牙〟×2がドロップした]
[〝鋼鉄猪の匂い袋〟がドロップした]
[〝灰鉄大鬼〟が三体現れた]
こいつらはオーガ種の一つで、その皮膚は鉄と同程度の硬度がある上、三体とも全身に精鋭達が持っていた武器や防具を装備していやした。恐らく奴らを殺して奪ったと思われやす。
恐らくココまでで最も強いモンスターを前にしても、オガ吉の旦那は恐れる事もなく正面から突き進みやした。そして苦戦しながらもたった一鬼でアイアンオーガ達の四肢を斬り落とし、盾で顔面を潰し、首を刎ねていきやした。
[オガ吉は〝灰鉄大鬼〟を三体倒した]
[〝灰鉄大鬼の鋭牙〟×5がドロップした]
[〝容量の大きい道具袋〟がドロップした]
[〝灰鉄大鬼の鋭角〟×2がドロップした]
[〝大金砕棒〟×2がドロップした]
[〝オーガの腰布〟がドロップした]
この他にも、常識を超えた殺戮が何度も何度も繰り広げられたのでやす。
いやはや、オガ吉の旦那はもうオーガとかいう枠組みの外にいやすね。アッシの常識は木っ端微塵ですわ。
それに、オガ吉の旦那の戦果が凄過ぎて忘れがちでやすが、アス江の姐御やホブ水の姉さん、柴犬の兄さん達も十分可笑しい戦闘能力がありやした。
アス江の姐御のウォーハンマーの一撃は〝鋼鉄猪〟の突進を真正面から叩き潰し、その身を潰しちまいやした。かなりの速度で向かってくる八○○キトルはある巨大な鋼鉄の塊を、一撃でペチャンコにしちまったんでさ。
アッシは【半地雷鬼】についてそこまで知りやせんが、コレは異常でしょうよ。と言うか、アス江の姐御が特別だからこそなんだと思いたいくらいの迫力でやした。
ホブ水の姉さんは回復技能に優れていて、敵の攻撃を避け損ねて肉を抉られ、骨が見えるような状態になったアッシの腕を、見事に繋いでくれやした。今じゃあ違和感すらありやせん。むしろ調子がいいくらいでさ。
それに柴犬の兄さんの〝生体槍〟の刺突と言ったら、一瞬穂先が霞むほど速いんでさ。槍の長さを活かして【赤中鬼剣鋭】を何体か串刺しにしちまいやした。流石に槍使いの【青中鬼槍鋭】には槍の扱いで負けていやしたが、柴犬の兄さんがまだ足軽コボルドだという事を考えると、今後【存在進化】すれば容易く殺せるようになるでしょうよ。
いやはや、本当に皆さん全然普通ではありやせん。
コレが最初から備えていた能力だというのなら、アッシ等人間はとっくの昔にモンスターに滅ぼされていたか、あるいは家畜扱いで何とか生存していたぐらいかもしれやせんねェ。
いやー、こりゃ負けますわな。あの森での戦争でアッシ達が捕虜兼奴隷になるのも仕方ない、と納得せざるを得ない状況に立たされていやす。
まあ捕虜兼奴隷と言っても、虐待とかはありやせんし、ある程度自由な生活が保障されていやす。イヤーカフスを着けるまでは全員牢に入れられていやしたが、拠点にはいまや個人のベッドまでありやすしねェ。
捕虜兼奴隷の女全員と一部の男達は他の兄さん姉さん達に抱かれたりはしていやすが、それでも一週間七日のうちの二日は夜の営みはしなくて良いと、オガ朗の大旦那に確約されていやす。
誰かに抱かれなきゃいけない時も基本的に一対一。しかも五日のうち二日は本人の意思で抱かれる抱かれないを多少決められるようになっていやす。
それに性病対策なんでしょうが、一週に一回は全員の健康診断がされるという制度とかもありやすね。
もう捕虜兼奴隷の待遇じゃないですって、コレ。
それどころか真面目に働けば働いた分だけ評価されて、飯とか嗜好品とかがある程度融通されるようになりやす。極めつけは、信頼を獲得するとアッシ達の意思で傭兵団の正式メンバーになるか、あるいは元の生活に戻るかを選択できるんだそうで。クソッタレ貴族共の馬鹿な命令のせいで無駄死にさせられかねない王国の軍に居るよりも、断然やりがいがあるってなもんでさ。
アッシには生まれ育った村に残してきた家族がいやすんで、ココらで頑張って入団して身分を得て、早く迎えに行きたいでやすねェ。
オガ吉の旦那、アッシはアンタについていきやすぜ。
ただ、モンスターの焼き肉を突然喰えって言われても困りヤスがね!!
アッシにも、覚悟ってのは必要なんでさァ。
◆◆◆
最下層にあるボス部屋に敷かれた【召喚式】ダンジョン共通の円陣。この部屋で戦う事になるのは全部で三通りのモンスターでありやす。
最も出現頻度が高いミノタウロスは、斧と強靭な肉体で戦う接近戦型として有名なモンスターで、下手な前衛しかいない場合は即座に殲滅されかねないなんて話で。
ミノタウロスに次いで出現頻度が高いラミアは、蛇の下半身による締め付けに加え、強力な魔術を行使してくる為に、ある意味ではミノタウロスを超えるほど厄介な敵だそうでやす。
そして今回【召喚】されたのは最も厄介で、最も遭遇する確率が低い〝心象の仇敵〟でありやした。
集めた情報によると〝心象の仇敵〟とは、白いヒト型の何かで、対峙した者が最も強いと思っている存在に変化するという特徴があるそうでやす。しかも対峙者の苦手意識が影響して本物以上の強さになる事もあるそうで。大半の場合はコイツが出たら逃げるか、あるいは連携してギリギリ殺せるかどうか、といったモンスターなのだとか。
つまりは一対一ではかなりヤバい相手であると言うのに――
「オガ吉の旦那、苦戦してやすね」
アッシの呟きに、当然といった風にアス江の姐御が答えやす。
「オガ朗に化けてるから、そりゃ苦戦するってもんや。オガ朗は、そらもう馬鹿みたいに強いわァ」
オガ吉の旦那は一人で戦っていやした。
オガ朗の大旦那に化けた〝心象の仇敵〟に正面から、たった一鬼で。しかし遠くからその戦いを見ているアッシ等には、両者の間に大きな隔たりがあるのだと良く分かりやす。
「同期のメンバーで、総帥よりも強い存在を想像できる奴は居ないと思いますです、はい」
とホブ水の姉さんが事も無げに言い、それに柴犬の兄さんが頷きやした。
「同意。如何にオガ吉殿といえど、一鬼では殿に勝てる道理無し」
オガ吉の旦那の攻撃は大半が避けられたり防がれたりしていやすが、何回かは決まっていやす。腕を斬り落としたりする事もありやした。
それでも、敵は即座に回復していくのだからどうしようもありやせん。
アッシの目からは、オガ吉の旦那に勝機があるようには見えやせんでした。
一番前で、ジッと戦いを見ていたアス江の姐御を仰ぎ見て、我慢できずに聞いてみやした。
「アス江の姐御。助けなくて、いいんでやすか?」
「助けんでええ、手出し無用や。吉やんがヤル言うんなら、ウチ等は黙って見とればええ。コッチに退避してきたら、治療はするけどな」
「でやすが、そろそろ殺されかねやせんぜ? オガ吉の旦那、かなりボロボロになっていやすが」
「それでもや、ウチ等から助けはせん。吉やんが全力で戦った結果、ココで死ぬんなら仕方ない。そこまでの鬼やったんやって、ウチも思うようにする。やけどまだ戦ってるんや、吉やんの意思で。それを邪魔するんやない。やから今は、吉やんの勝利を祈って黙っときィな」
キッパリ言いきったアス江の姐御に何かを言えるはずもなく、アッシ等は戦いの行く末をただ見守りやした。
オガ吉の旦那が血を流し、それでも諦めないその様を。
見ていて痛々しいのに、惹きつけられる何かを孕んだ戦いを。
そして、ついに終わりがきやした。
〝心象の仇敵〟が本気でオガ吉の旦那を殺しにかかったのでやす。
アッシの目では捉えきれないほどの速度で撃ち込まれた拳は、盾もろともオガ吉の旦那を存分に殴りつけやした。その後も繰り出される連打を、既にボロボロになっていたオガ吉の旦那に防げるはずもなく……無抵抗で撃ち込まれていくばかりでやす。
アッシ等のいる所まで響いてくるほどの、圧倒的破壊を想像させる肉袋を殴るような鈍い打撃音。
咄嗟に駆け出そうとした柴犬の兄さんを、アス江の姐御が手だけで制しやした。
一体何を考えているのか、とアス江の姐御の正気を疑ってしまうほどの頑なさでやしたね。
「手ェ出すんやない。ウチ等は吉やんが完全に動かんようになるか、助けを求めてくるまで待つんや」
「ですがこのままでは!」
「黙っとけ! 吉やんの最後になるかもしれん戦いを穢すンは誰やっても容赦せんッ。それに吉やんの底力を侮るんやないでッ」
そう言いながら、唇を噛みしめているアス江の姐御を見てしまうと、反論なんてできるはずがありやせん。この中で一番最初に駆け出したいはずの人が我慢しているのに、アッシ達が何かを言えるはずがありやせんよ。
そして一際鈍い音が響き、オガ吉の旦那の巨体が吹き飛んだのでやした。
床をゴロゴロと転がっていくその巨躯は、床に突き刺さっていた盾に当たって止まりやした。身体のアチコチが陥没していて、どう見ても死んでいるようにしか見えやせん。
コレはもう行くしか、と思った時、やはりアス江の姐御がアッシ等を止めやした。
「あと五秒だけ待ちい。五秒だけでええから、待ってや。そっからは、イクで」
ウォーハンマーを肩に担ぎ、静かに〝心象の仇敵〟を見据えながら呟かれたその声に、ブルリと寒気が走りやした。
そしてとうとう五秒が過ぎ、オガ吉の旦那を助けようと部屋に入ろうとした直前、雷光がオガ吉の旦那の肉体から発せられやした。驚くアッシ等の足は止まる一方、部屋の中の変化は急速に進んでいきやす。
オガ吉の旦那の肉体が、膨れ上がりやした。
十数秒後、一体何が起きたのか、呆然とその成り行きを見ていたアッシ等の視線の先で、変化が終わると――死にそうになっていたはずなのに、何の怪我もしていないような自然な動作で、オガ吉の旦那は起き上がりやした。
オーガとしてではなく、牛頭の巨鬼――【牛頭鬼】として、でやすが。
変化したオガ吉の旦那の身の丈は優に五メルトルほどもありやした。平均的なミノタウロスよりも一メルトルは大きいでしょう。元々亜種だったオガ吉の旦那なら、この程度は当然かも知れやせん。
今まで通りの赤銅色の肌はともかくとして、下半身に生えた黄金の体毛やら、黒と黄金の刺青やら、黄金に輝く頭部の双角やら、アッシの知るミノタウロスではありやせん。亜種だとしても、こんなのは聞いた事すらありやせん。
それに加えて斧と盾すらオガ吉の旦那のサイズに合わせたかのように変化していたりとか、アッシはもう何が何やら分からなくなりやした。
そしてアッシの混乱を余所に、オガ吉の旦那は三メルトルを超える両手斧を軽々と片手で担ぎ上げて――次の瞬間には爆音が響き、〝心象の仇敵〟が居たところに黄金色の雷光と白い業火が発生しやした。
その近くには、斧を振り下ろしたオガ吉の旦那の姿が。
黄金雷と白炎の中に斧を振り下ろした状態で佇むその姿は、まるで神話で語られる豪傑のように神々しくありやした。
まるで時間が瞬間的に飛んでしまったような光景に、ホブ水の姉さんや柴犬の兄さん達も呆気にとられていやす。あるいは、オガ吉の旦那に見惚れてしまったのかもしれやせん。
その中でアス江の姐御だけが、とんでもない速度で部屋に駆けこんで行きやした。
やっとアッシも我に返って状況を確認すると、〝心象の仇敵〟は影も形も無く、オガ吉の旦那がゆっくりと倒れていくのが見えやす。
どうにか、オガ吉の旦那が勝ったんだ、とは理解出来やしたが。
突然【存在進化】したり、一時は殺されかけた敵を瞬殺したり、もう本当に訳が分かりやせん。
とにかく言えるのは、オガ朗の大旦那に負けず劣らず、オガ吉の旦那も十分規格外って事でヤスかねェ。
いや本当に、アッシはどこまでもついて行かせてもらいヤスよー。
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