そしてふたりは深海で

月並

文字の大きさ
8 / 15

そして白鬼は海上へ

しおりを挟む
 深い海の底に光はほとんど届きません。そのため、白鬼は底に沈んでからどのくらいの時間が経ったのか、分かりませんでした。
 白鬼には、長い長い時をひとりぼっちで過ごした経験が何度かあったので、海の底に沈んでも平気でした。それどころか、自分は水の中でも呼吸できるのかという新たな発見を得て感心していました。
 白鬼にとって気がかりなのは、ファイルヒェンが幸せに暮らしているかどうかでした。それが知れたらいいのになぁと思いながら時折海面を見上げるのですが、足枷が邪魔をして、白鬼をそこに連れて行ってくれません。


 そんな風にぼんやり過ごしていたある日のこと。白鬼の前に、1匹の紫色の魚が現れました。
 紫の魚は何か言いたげに白鬼の目の前で、尾びれや胸びれを動かすのですが、今の白鬼には何を伝えたいのかさっぱりわかりませんでした。刀を取り戻してふたたび鬼に戻れたら、その魚ともコミュニケーションが取れるのですが。
 やがて紫の魚はひれを動かすことを諦めて、白鬼の周りをすいすいと泳ぎ始めました。泳ぎつかれると、彼の髪の中に潜り込んで休憩を取ります。

「お前、一緒にいてくれるのか?」

 紫の魚は、頭の上で尾びれをひらりと動かしました。それが首肯のような気がして、白鬼は嬉しくなりました。



 紫の魚が白鬼の傍にいるようになってから、しばらく時が経った頃でした。
 白鬼はいつものように揺蕩いながら、紫の魚が自分の周りをすいすいと泳ぎ回るのを眺めていました。その時、大きな鮫が現れて、白鬼の真横を通り過ぎていきました。こういうことはよくあるので、白鬼はその日も、紫の魚が飛んでいかないように庇いました。
 しかし、今日は少し違いました。鮫が横を通ったその時に起きた海流で、白鬼を海底に縛り付けていた鎖が崩れ落ちました。ずっと海水に浸かっていたせいで、錆びて脆くなっていたようでした。
 途端に、白鬼の体が浮かび上がっていきます。それに気づいた紫の魚も、白鬼について行きます。
 
 そして白鬼は久しぶりに海の外に出ました。太陽が白鬼の頭の上で、ギラギラと輝いています。
 ふと周りを見ますと、あちこちに大小様々な木切れや布が浮かんでいました。まるで嵐が去った後のようでした。

 白鬼は泳いで、砂浜に上がりました。久しぶりに地に足をつけたので、歩きづらい気がしました。
 ふと海を見ると、紫の魚が白鬼をじっと見ていました。

「一緒に来るか?」

 その問いに、紫の魚は頷くように尾びれを1回振りました。
 白鬼が砂浜を見回すと、ちょうど持つのに手ごろな小さい壺が落ちていたので、海水と一緒に紫の魚をそこに入れました。

 砂浜をえっちらおっちら歩いていると、遠くから子供たちのはしゃぐ声が聞こえてきました。そちらを見ますと、ひとりの修道女と5人くらいの男女の子供たちが、砂浜で遊んでいました。

「おにーさん、こんにちは!」

 子供のひとりが白鬼に気づいて挨拶をすると、他の子供たちも続けて「こんにちは!」と挨拶しました。いい子たちだなと白鬼が感心していると、修道女が顔を上げて目を丸くしました。

「あら大変! びしょ濡れじゃないですか! どうされたんですか!?」

 修道女は慌てた様子で白鬼に駆け寄ってきました。白鬼は彼女の顔を見て、息を呑みました。彼女は生き写しと言っていいほど、ファイルヒェンにそっくりだったのです。

「あの、これ。子供たちが塗れては困ると思って持ってきていたものです。使ってください」

 修道女は白鬼にタオルを渡してくれました。白鬼は「どうも」とまごついた返事をして、壺を床に置いて体を拭きます。

「差支えがなければ、どうしてここにいるのか教えてもらってもいいでしょうか? もしかして、嵐で流されてきたのではありませんか?」

 修道女の問いに、白鬼は頷いておくことにしました。まさか、ずっと海の中にいたと言うわけにはいきません。

「あ、申し遅れました。私はティグレです。向こうに見える教会で、修道女をやっております」

 ティグレの指さした方を見ると、確かにそこには質素な佇まいの教会がありました。

「俺は、その……」

 白鬼は困りました。ここは自分の名前を教えるべきところなのですが、白鬼には名前がありません。お城で使っていた『ミタマ』という名前は、ファイルヒェンにつけてもらった名前ですので、ここで使うのをためらってしまったのです。

「もしかして、昔のことを思い出せないのですか?」

 言いあぐねていると、ティグレが勘違いをしてくれたので、白鬼はまた頷いておくことにしました。名前以外にも、過去のことを聞かれても答えられないのですから、記憶喪失ということにしておいた方が都合がいいと思ったのです。

「そうですか……それでは帰る家も分かりませんね。もしよければ、何か思い出すまで教会で暮らしませんか?」
「え? 教会で?」
「はい。子供たちの世話なんかを手伝ってくださると、嬉しいです」

 ティグレの笑顔に、白鬼の胸が高鳴りました。
 そこに、足元から水音が聞こえました。見下ろすと、紫の魚が壺の中で激しく暴れていました。

「もちろん、お魚さんもいらしてください」

 ティグレは微笑んだままそう言いました。
 こうして白鬼は、教会で暮らすことになりました。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

勘違い令嬢の心の声

にのまえ
恋愛
僕の婚約者 シンシアの心の声が聞こえた。 シア、それは君の勘違いだ。

拝啓、婚約者さま

松本雀
恋愛
――静かな藤棚の令嬢ウィステリア。 婚約破棄を告げられた令嬢は、静かに「そう」と答えるだけだった。その冷静な一言が、後に彼の心を深く抉ることになるとも知らずに。

旦那様の愛が重い

おきょう
恋愛
マリーナの旦那様は愛情表現がはげしい。 毎朝毎晩「愛してる」と耳元でささやき、隣にいれば腰を抱き寄せてくる。 他人は大切にされていて羨ましいと言うけれど、マリーナには怖いばかり。 甘いばかりの言葉も、優しい視線も、どうにも嘘くさいと思ってしまう。 本心の分からない人の心を、一体どうやって信じればいいのだろう。

すべてはあなたの為だった~狂愛~

矢野りと
恋愛
膨大な魔力を有する魔術師アレクサンダーは政略結婚で娶った妻をいつしか愛するようになっていた。だが三年経っても子に恵まれない夫妻に周りは離縁するようにと圧力を掛けてくる。 愛しているのは君だけ…。 大切なのも君だけ…。 『何があってもどんなことをしても君だけは離さない』 ※設定はゆるいです。 ※お話が合わないときは、そっと閉じてくださいませ。

有名俳優の妻

うちこ
恋愛
誰もが羨む結婚と遺伝子が欲しかった そこに愛はいらない

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

処理中です...