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1巻
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しおりを挟む序章 貧民街の幼姉妹
ナディの家は、辺境の街・ストラスクライドを囲む高い壁の外――貧民街にある。
つまり、とてもボロい。もちろん、これは資本、労力に比して利益が多いとか儲けが多いことを意味する「ボロい」ではない。純粋に今にもぶっ壊れそうなのだ。
そんな粗悪な環境で、多分まだ十二歳であるナディは、必死に生きていた。
ちなみになぜ年齢が当て推量なのかというと、自分の正確な歳を知らないからだ。
何しろ両親なんて見たことがないし。
気付いたときには独りだったし。
おまけに肺患いで呼吸もままならなく、今にも死にそうだったし。
ついでにひどい脱水症だったから、全身筋肉痛でちっとも動けなかったし。
そこからどうやって生き存えたかは後に語るとして、ナディには五歳くらい離れた妹がいる。
妹といっても、血の繋がりはない。ナディが五歳くらいだった頃、家の前……当時は半分ほど倒壊していた小屋の前で保護した赤子である。
「五歳児がそこまでするか?」とか、「考えなしに拾ったんだな」とか、そういうツッコミは多いだろう。
だがとにかく、当時のナディに赤子を見捨てるという選択肢は微塵もなかった。
ナディはその子にレオノールと名付け、妹として受け入れる覚悟を決めてともに暮らすことにしたのである。
とはいえ、まだ首の据わらない赤子を連れた五歳児が、貧民街でまともに生きていけるのかと問われれば、間違いなく否であろう。頷く者など皆無だ。
だがそんな無理ゲーを引っ繰り返すだけの能力が、ナディにはあった。
彼女には前世の記憶があり、前々世の記憶もあって、前々々世の記憶すらあり、さらには朧気ながらその前の記憶まであったのだ。
今世に引き継いでいるのは記憶だけではない。転生を繰り返したことで跳ね上がった前世の能力や魔力までも、ナディは手にしている。
つまりは、強くてニューゲームである。
まぁ、無双する気はない。なぜなら記憶にある一番古い人生――一度目の人生で、地球から異世界転移したナディは有無を言わさず戦争に駆り出され、ひどい目に遭っていたからだ。
戦いの不毛さを痛感している彼女は平和主義者であり、争いは極力避けるようにしていた。
もっとも戦闘が避けられなかったり、平穏が理不尽に壊されようとしている場合は容赦しない。
ナディは平和主義者である以前に博愛主義者であり、さらには現実主義者だから。
自分自身や親しい人々を不幸にさせる要因を排除するためならば、物理的手段も辞さない覚悟を常に持っている。
ようするに平和を守る必要があれば、実力行使で解決するタイプなのだ。某戦隊やヒーローのように!
一方的に仕かけられたのなら、反撃して当然だとナディは思う。黙って殴られてやる義理はない。
そんな彼女に、「平和主義者とか博愛主義者とか絶対に嘘でしょ、発想がテロリストだよね?」といったツッコミをする者はここにはいない。
だからナディは、自分はそうだと本気で思っている。
「【地面操作】」
ナディの朝は、魔法で地面を波打たせて掃除することから始まる。
掃除する対象はゴミではない。ねぐらとしている廃屋前にぶっ倒れている、身包みを剝がされたゴロツキどもだ。
それらを荒れ放題の道の端に移動させたあと、今度は本来の意味で軽く掃除をし、ねぐらの前にある井戸から水を汲む。この世界にある多くの井戸は、桶を下ろして汲み上げるタイプで共用なのだが、ここのは手押しポンプ式だ。
作ったのはナディ、掘ったのもナディだから、専用である。
ねぐらの前にぶっ倒れていたゴロツキは、大抵はその手押しポンプの強奪か、ナディとレオノールの誘拐目的で来ている。
目論見を果たす前にナディの設置型魔法の餌食となり、意識を刈り取られているが。
貧民街の路傍で気を失うなんて隙を見せたのだから、身包みを剝がされるのは当然の結果だ。そのうち巡回の警邏が連行していくだろう。
道の端に寄せたゴロツキどもを見なかったことにして、ナディはいつもどおりに朝食の準備を始める。
ナディはちょっと立派な二口竈に水を入れた鍋を載せ、拾っておいた廃材に火をつけた。
ちなみに、井戸も二口竈も鍋も魔法で作った代物だ。着火も魔法でこなしている。
「おや、ナディちゃん。おはよう」
朝の支度をしていると、斜向かいの廃屋から出てきた男が声をかけてきた。
十代後半ほどの見た目をした男で、丸顔で目が細く、張りつけたような笑顔が胡散臭い。まともな職業人には見えない。
若作りな容姿と張りつけたような胡散臭い笑顔は、ハーフリング……草原妖精の血を引く証だ。年齢は見た目どおりではないだろう。
「おはよう、オットさん」
ナディはそんな見た目や胡散臭い笑顔など気にしない。
いつものように挨拶を返しつつ、軒下に干してある魚の骨を取って鍋に入れた。
「なんだか今朝はいつもよりゴロツキが多かったねぇ。しかも、見ねぇツラだ。よそから来たヤツらか?」
「そうみたい。昨日私が換金してるの見ていたらしくて、跡をつけてきたのよね。レオも一緒だったから、きっと私たちを捕まえて、奴隷商に売り飛ばそうとでもしていたんじゃない?」
まだ十二歳だが、ナディはすでに冒険者を済ませており、依頼をこなして報酬を受け取ったり、採取してきた物を商店などに卸したりしてた。
彼女は、この地方では珍しい青みを帯びた黒髪――濡烏色の髪と暗紫の瞳をしており、整った容貌をしている。十二歳にしてはちょっと発育もいいので、他より容姿がよく見えてしまうのだ。
そして妹のレオノールは、白金髪と翠瞳の超絶美少女である。そんな姉妹二人が連れ立っていれば、当然人攫いをホイホイするだろう。
「かー、身の程知らずだねぇ……ま、おかげでオレたちも儲かったが。あっ、これパンと腸詰め。レオちゃんに食わせてやんな」
笑顔は胡散臭いが気のいいご近所さん――オットが、大きめな袋を持って竈の傍に寄ってくる。
ちなみに、ここはすでにナディの設置型魔法結界の範囲内だ。
この結界は「悪意」に反応するよう設定されており、それがない者には効果はない。
どう見てもゴロツキの仲間かその元締めにしか見えないオットであるが、そういった加害の意思を持たないことは明らかだった。
「いつもありがとう、オットさん……うわぁ、なんか多くない?」
オットからの差し入れを見て、ナディは目を丸くした。
「いやいや、礼を言うのはこっちだ。いつも儲けさせてもらっているから、これくらいはしないと申し訳ないよ。それにこいつら、結構いい装備だったからねぇ。みんなで分けたよ」
そう言うと、オットは貧民街に住んでいるくせに妙に綺麗な歯をキラリとさせてサムズアップした。
そして、井戸端会議をしていたご近所の皆様も、同じくいい笑顔でサムズアップする。
ナディやレオノールを狙ってくるゴロツキはすべて魔法の餌食となり、漏れなくご近所さんたちの懐を潤している。
自己防衛の副産物であるから、ナディとしてはゴロツキどもの処遇に対して何か言うつもりはない。
しいて言うなら、身包みを剝がしたあとは警邏に一任するのではなく、どっかに持っていってほしいとは思っている。見苦しいから。
とはいえ、見せしめのためにわざと道端に放置しているといった理由もあるのだろう。
そんな考えを巡らせながら、ナディは慣れた手つきで鍋を撹拌する。
「なぁ、ナディちゃん。なんで干した魚の骨なんか茹でてるんだ?」
ナディの不可解な調理法に首を傾げ、オットが鍋を覗き込み、不思議そうに聞く。
質問されている間に、ナディは家の脇に植えていたハーブを取って鍋に加え、振り返りもせずに言う。
「魚の骨を干して煮ると、いい出汁――いい味になるの。本当は骨だけじゃなくて、身がある状態で干したほうがいいんだけど……このあたりでは手に入らないから」
川魚は泥臭いから、出汁を取るのには向かない。そう考えるナディである。
理屈を説明したところで、理解してもらえないだろう。この世界に「出汁」という概念はないから。
案の定、オットは怪訝な顔をした。
「そうなのかい? そいつは初耳だ。てか、美味いのかそれは?」
調味料がほぼ手に入らない貧民街では、料理の味など一切期待できず、期待する者もいない。
だが、ナディは違った。
あらゆる技術(前世技術)を使い、あらゆる知識(前世知識)を用い、あらゆる手段(物理的手段)を駆使して食生活の改善に努めた。そう、妹のために!
ナディはシスコンだった。四度目の人生で母親となった経験があるため、妹というより娘の面倒を見ているような気分だ。きっと五歳しか違わないけど。
かくして、貧民街で必死に生きるナディ。
彼女が前世の記憶を思い出したのは、まだ五歳の頃のこと。
時はレオノールと出会う数ヶ月前にまで遡る。
それは、当時のナディがちょっと行き倒れて、孤独死しかけているときだった――
一章 死にそうだった貧民少女は赤子を拾う
ナディが覚えている最初の記憶は、戦場だった。そんな戦場で「彼女」は、生き抜くために必死に逃げていた。
戦場にいたといっても、将軍やそれに類する役職持ちではなく、末端の一兵卒だ。
扱いは決してよくはなく、はっきり言ってしまえば使い捨ての駒でしかない。
それでも「彼女」は生き抜いた。戦った、ではなく生き抜いた。
生きて、元の世界に帰るために。
そう。「彼女」はこの世界の住人ではなかった。別の次元にある世界――地球から迷い込んだ人物であったのだ。
だが、帰還の願いは叶わなかった。そして異世界転移者という身の上ゆえに周囲と馴染めなかった「彼女」は、他者との関わりを避け続けた。
最期は誰にも看取られず、独りこの世を去ったのである。
ついで二度目の記憶では、身体能力に恵まれた。前世でのうっぷんを晴らすかのように、「彼女」は魔物を狩る者として頭角を現す。
実力はある一方で、ただ女であるという事実だけで他者に侮られ、苦しんでいた。
しかし、それは最初のうちだけだった。
「彼女」が目覚ましい功績を挙げるにつれ、蔑む者は徐々にいなくなっていく。そういうヤツらを物理的な手段で黙らせていた、という事情もあったが。
「彼女」は生涯独身で生涯現役だった。
晩年に差しかかったある日、「彼女」は突然消息を絶つ。
同じ頃、村や街を襲う災害として恐れられ、討伐不可能だと言われていた災厄級魔竜『燃え爆ぜる皇帝竜』の襲撃が途絶えた。そのまま目撃情報さえ上がらなくなったのである。
竜の襲来に怯えていた人々は、奇跡のような出来事に歓喜した。
彼らは姿を消した「彼女」を想い、つまりはあの人のおかげだろうと偲び、活躍を語り継いだという。
三度目の記憶は魔法使いであり、「彼女」は薬師として小さな街でちょっとした魔法薬を製造・販売する店を経営していた。
細々とした個人経営であったため、店員を雇うほどの収入はなく、素材の収集は自力で行っていた。なぜか二振りの小太刀を使った物理攻撃が得意だったのだ。魔法使いを自称してはいたけれど。
そのせいか、周囲から「冒険者が趣味で経営している魔法薬店」と認識されていた。本人は「あくまで自分は薬師であって、冒険者は副業」と言い張っていたそうだが。
そんな日々を数十年送り、「彼女」は小さな店舗兼自宅のベッドで、息を引き取っているところを発見された。
人当たりがよく、みんなから好かれていた「彼女」だが、強烈に求愛してくる変態に好意を持たれたせいか、他者と壁を作る悪癖があった。最初から最後まで、「彼女」は独りのままであった。
さらに、四度目の記憶。「彼女」は辺境の地に一介の村人として生まれた。
だが、転生を繰り返した記憶を有していたため、武術と魔法の双方の才能を遺憾なく発揮できた。「彼女」はただの村人に甘んじず、そこから順調に成り上がっていく。
ついには若くして『千剣姫』という異名で称えられるほどの実力を備えた、最上位冒険者になっていた。……なお、気付いたらそうなっていただけであるため、本人はこの二つ名をものすごく嫌がっていた。
「彼女」はひょんなことから、ヒト種が暮らすいくつかの国々が連名で発令した強制依頼により、魔王の討伐軍に加わる羽目になった。
次々と仲間が倒れ行く中にあっても決して怯まず、なんとソロで『不滅の魔王』を打ち倒す偉業を成し遂げたのである。
とはいえ、不滅と称される魔王が、その程度で滅びるはずもない。
そんな魔王と十数回戦い、「彼女」はすべてで勝利する。
そうした強さと屈しない心、そして雄姿に惚れ込んだ魔王が熱烈な求婚をしてきたのは、完全に予想外のことではあったが。
最初は困惑していた「彼女」だが、いろいろあってヒト種の王族やそれに連なる者どもに辟易し、根負けして求婚を受け入れた。
その後、本人もビックリするくらい幸せになったそうな。
魔王妃となった「彼女」は、とある理由でヒト種から変質して魔人となり、約三百歳まで生きて、天寿を全うした。
五度目の記憶――現在。
気付けば「彼女」は、孤児であった。
ある日、「彼女」は路地裏の片隅にある、薄汚れたボロ切れを集めた寝床にいた。
高熱と頭痛、強烈な倦怠感にさいなまれていると、追い打ちをかけるように意識が混濁していく。
そのとき、謎の光景が脳裏をよぎった。
『頭痛薬を作るには、まず《――の葉》六グラムと《――の根》四グラムを三百ミリリットルの清浄水に投入して加熱する。ゆっくり撹拌しつつ濁りがなくなるまで煮つめて、溶液が澄んだら完成。そこに《――の実》を一グラム加えて常温になるまでゆっくりと冷ます。色が変わったら、薬効に解熱作用も追加される。冷蔵してから果汁を加えると、えぐみがなくなって飲みやすくなる――』
(え? なんなのこれ?)
何か呟きながら薬を調合する手元が見えたものの、確認する間もなく「彼女」は意識を手放す。
『うん、いつもどおりに上出来ね。さすがは私』
ガラス窓に映る黒髪の女性と、それを嬉しそうに見つめる金髪碧眼の森妖精――エルフの男が見えた気がした。
再び目覚めたときには、夜の帳が下りていた。
冷たい風が吹きすさび、小さな身体から容赦なく体温を奪っていく。
(まずい。これ、死ぬ)
そう考えたものの、すでに身体が思うように動かず、呼吸さえも満足にできない状態だった。
(ああ、これは末期の肺患いか。埃だらけのところにずっといたせいね。熱もあるし、体力がなくなって動けないんだな)
朦朧としつつも、「彼女」は冷静に自分を分析した。
(まず肺患いを治さないと……【大治癒】。あと体力も賦活させる。【体力賦活】)
四度の人生で培った経験が、死にかけの孤児に力を貸した。
最大級の治癒魔法と体力賦活魔法を発動させる。
自身を蝕む苦痛が消え去り、さらに身体から力が湧いてきた。
(喉がカラカラ。水分も塩も足りない……【清浄水生成】【塩水生成】。あと温まらないと凍えて死ぬ。急に温めても消耗するだけだから、ゆっくり中から温まらないと。【常設炎】)
水の球体が二つ現れ混ざり、一つとなる。その真下で、火が燃え上がった。風が吹き荒れているにもかかわらず、炎は揺れないばかりか延焼さえしない。
火に炙られた水の球体はほどなくぬるま湯になり、「彼女」は躊躇なくそこに頭を突っ込んで、瞬く間に飲み干した。
「ああ、生き返った」
やっとまともに声が出せるようになり、大きく息を吸ってから、ゆっくりと大きく吐く。
それを数度繰り返し、やがて盛大に咽せ込んで、気道に残っていた血と痰をまとめて吐き出した。
(ところで、私はどうしてここにいるんだ? そもそもここはどこだ? 道端?)
繰り返された人生の記憶が怒涛のように蘇る中、「彼女」は状況を整理した。
(まず、思い出したことを確認しよう。えーと、最後は――アデライドだ)
最後の記憶で、アデライドは夫――魔王ヴァレリアや子どもや孫、玄孫やその他大勢に看取られて死んだはずだ。
(ああ、大往生でいい人生だった……魔王の嫁になったせいで、『ヒト種の裏切り者』とか呼ばれたけど。確か、ヴァレリア――ヴァルが生きている限り互いに不可侵を貫くことにして、ヒト種連合を納得させたんだよね。ヴァルって不滅の存在だから、魔王軍は二度と侵攻しないって約束なんだよね。軍は解体して、農作業に従事させてたし。まぁ、やれることはやったよね)
四度目の人生で巻き込まれたヒト種連合軍と魔王軍の争い。そもそもあれは、ヒト種の国々がちょっかいをかけたことで戦争に発展したのだ。
(魔族って言っても、魔法に長けている脳筋なだけの種族なんだけどね。いつの世もどの時代でも、権力者のくっだらない理想や政策に振り回されて苦労するのは、平民なんだよな……って、違う違う! 今気にするべきは現状だよ、現状の確認!)
彼女は周りを見回しながら、今の自分の記憶を探った。
まず思い出したのは、境遇のこと。五度目の「彼女」は、寄付金を横領する粗暴でアル中な修道女がいる孤児院から、みんなで逃げ出したのだ。
多くはすぐに捕まり、孤児院へ連れ戻された。どういうわけか「彼女」は潜伏や隠身が得意であったから逃げおおせたのだ。
今にして思えば、過去の転生の経験を知らず知らずのうちに発揮していたのかもしれない。
(今の私の名は――えっ、ない。いつも『おい』とか『それ』って呼ばれてた。……腹立つな。あの修道女、いつか殴る)
「【鏡躰】」
いろいろと思い出し、物騒なことを考えつつ魔法を使う。目の前に鏡映の自分が現れた。
(……濡烏色の髪と暗紫の瞳。へぇ。今の私はこんな感じか。顔立ちは違うけど、髪色が三度目にちょっと似ているからあの頃の名前で……いや、そのままだと芸がないな。ひとまず愛称のナディを名乗ればいいか。年齢は四、
五歳くらい? 栄養状態が悪くて発育もよくないみたいだから、もうちょっといってそうだけど……それにしても汚いな。野外で暮らしていたんだから、当然か)
「【清浄】」
まず身綺麗にしようと、「彼女」……ナディは魔法を発動させる。【清浄】の効果で、自分はもちろん、寝床に敷き詰めていたボロ切れ――ゴミ溜めから集めてきたため、薄汚れている――が一瞬で清潔になる。それどころか、路地裏の一角までもが輝かんばかりに綺麗になった。
明らかにやりすぎだが、本人に自覚はない。
(あとは寝床かな。雨は降らなさそうだから、とりあえずマットとシーツをなんとかしよう)
わずかに首を傾げながら思案を巡らせ、ナディは寝床に視線を向けた。
「【補修】【気体操作】【暖気】」
ボロ切れが修復されて大きな二枚の布になり、そのうちの一枚が袋状に再形成される。そこに温かい空気が流れ込んで膨らみ、そのまま固定された。
「寝てる間に誰かが来て、マットを盗られるのは嫌だから……【魔法素材生成】」
あたりに転がっている鉄屑や石コロに魔法をかけて小さな碑を五基ほど作り、自分の周りに配置して五芒星を形成する。
「【悪意感知】【忘却】【魔力強奪】【物質吸収】【魔結晶生成】」
そして作りたての碑に次々と魔法を付与していく。
やがてそれらが鈍い光を放って起動した。
「急造だからこの程度でいいかな。どうせ使い捨てだし。あと、うるさいのはごめんだから、【静寂】。ついでに【魔法効果延長】」
周囲に音が伝わらないようにして、その効果を延長させておく。
十分な準備が整ったところで……
「おやすみなさい」
とりあえず、ナディは眠ることにした。
❖ ◇ ❖
翌朝。病み上がりで消耗していたのか、ナディは思いのほかぐっすりと眠っていた。
ようやく目覚めて、眩暈がするもののなんとか身体を起こし――自身の周囲に散らばる魔結晶と、ゴロツキと思しき野郎どもが十数人ぶっ倒れているのに気付いて、ドン引きした。
昨夜眠る前に設置した魔法は、悪意に反応して発動し、対象者の記憶を曖昧させて魔力を根刮ぎ強奪して意識を刈り取るもの。おまけに、奪った魔力を収集して結晶化させるという代物だ。
「魔結晶が手に入ったからいいか。【魔法不活性化】【魔法解除】【収集】【収納】」
碑に付与した魔法を解除し、散らばっている魔結晶を収集魔法で集めてさっさと収納する。
こうした魔法は、三度目の人生で覚えたものだ。
ナディはなんでもないことだと言わんばかりに使っているが、世の魔術師が見たら大慌てするほどに高度なものだったりする。
現代は魔法ではなく、特定の呪文と魔術陣を要として発動させる、体系化された魔術が主流だ。呪文と魔術陣さえ覚えていれば、魔力制御ができる者であれば誰もが使える。
一方で魔法は、発動させる現象を理解し、理論立ててイメージを描かなければならない。学問としての側面が強いのだ。
その分、魔術よりも細かく効果が指定でき、強大な力を発揮できるのだが、ぶっちゃけてしまうと相当な努力が必要となる。
四度目の人生から数百年が経った今、そうした努力が必要な魔法は廃れてしまったのだが……ナディは知る由もない。
「あ、こいつらの身包み剝いでもいいよね。私に何かしようとしたんだろうし、これくらい慰謝料よ。服や装備は嵩張るから、お金だけでいいか……【探知】【収集】【収納】」
ナディはぶっ倒れているゴロツキに一切触れず、魔法を駆使して彼らの懐の財布から中身を抜き取った。
それだけでなく、衣服に縫い付けて隠している金銭まで根刮ぎ回収する。
「臨時収入、臨時収入っと。屋台でなんか買おう」
再び塩水と清浄水を合わせて希釈した水球を作り出し、一気に飲み干す。そうして空腹を紛らわせると、ナディは街と貧民街を隔てる壁の近くにある、屋台市へ向かった。
こうして、自らをナディと定義した少女の、五度目の人生が始まったのである。
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