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窮奇1
しおりを挟む宵藍の番になったからといって、なにか変わるわけではない。朝は釣りに行き、火焔から雑用を押し付けられた七生の手伝いなどをする。夜の宵藍との逢瀬が濃厚になったこと以外は変わらなかった。
だけれど、知らなきゃいけないことはいくつかある。
窮奇。度々聞くようになったその妖魔は、しばらく姿をくらましていたらしい。
蓮が窮奇に出会した際は、ちょうど宵藍が弱っているときだった。おぞましい存在であることは肌で感じてはいたものの、今のところ蓮を殺すつもりはないだろう。ああいうのは、そう――愉快犯だ。単純なことはしてこない。
そして、奴が言っていたことも気になっていた。
(記憶を、消されてる、ね)
窮奇と会ったのは1回きりだが、以前にも会っているのかも知れない。
窮奇とは、を尋ねれば帰ってくる答えは――負の塊、歩く災害、死なない化け物。
蓮が釣った魚を齧りながら七生は言った。
「窮奇を見つけたら迷わず殺せ」
「死なないなら殺せないのでは?」
「致命傷を負わせれば、しばらくは動けなくなる。そうするしかねぇんだよ。死なないんだから」
宵藍が幾度となく戦った相手。その決着は永遠に着かない。死なないのだから。
「大将がいなければ、仙人や妖仙は滅んでるし、人間は窮奇の玩具になっているさ。まともに窮奇とやり合えるのは大将しかいねぇ」
宵藍は戦いに永遠に縛られる。だから、蓮を縛り付けたくないのだと言った。
「一度でも窮奇の依代になった奴は、死ぬまでアイツの玩具だ。飽きるまで操られる。だから封じるしかないんだ。しばらくは」
「呪家がそうってことね。」
呪杏里はどういうわけかその封印が解かれてしまった。蒼火と桃火が監視を続けていると言う話しではあったが、火焔邸では大人しく火焔さんの駒として働いているという。
「あのクソ犬共が再封印しないってことは、問題がないってことだと思う」
「あのわんちゃんたちは?」
「対窮奇用の猟犬。窮奇の気配があれば察知できる。あの2匹が杏里から離れないのは、多分、あれだ」
七生が言いづらそうにしたが、ため息を吐いて続けた。
「杏里に自分たちの気を入れて上書きしてる」
そこで、犬が上から降ってきて、綺麗に着地し、くるんと振り返った。桃色の髪をふわりと靡かせた桃火はにこにこと言う。
「正解だよ。また窮奇に入られたら嫌だもの。ぎゅーってしたり、ぺろぺろしたりするだけで馴染みから。それに、杏里くん、可愛いし」
「最後が一番の理由だろ」
「うん」
「これだから、妖は。すぐ気に入った奴を自分のものにしようとする」
「やだなーそこまでじゃないよ!まだね」
パチンと片目を瞑るが、七生はジト目で桃火を見た。
「杏里くんを殺すよりは、誤魔化しながらでも気を入れて、窮奇に入られないようにするしかないからさ」
桃火はふふと笑いながら言った。それには蓮と七生は顔を見合わせる。
「昔はね、窮奇に身体を乗っ取られたら殺すしかなかったんだよ。だけど最近は封印して、窮奇の気配がなくなったら解除するって方法が取れるようになってきた。杏里くんの封印は解除されちゃったからね。本当であれば殺してあげた方がよかったんだけど、あんなオドオドされたら殺せないでしょ」
杏里のビクビクオドオドした態度を思い出した。
それに、と桃火は続けて言った。
「杏里くんなら良いかなぁって……」
突如振り返り、ポンと桃火が犬に戻った。
「桃ちゃん!」
杏里の声がして、そのあとすぐに蓮たちに気づき「あ」と口が固まる。
「すみません。散歩の途中で、桃ちゃんがどこかに行っちゃったんで探してたんです…………」
青ウサギのぬいぐるみを抱えた杏里が俯き加減で言い、犬になった桃火がきゅうんと杏里の足に擦り寄った。足元にいた犬、蒼火は桃火を見てから蓮たちを見て、小さく頭を下げた。
七生が低い声で尋ねる。
「桃、ちゃん?」
「…………ハクノさんに名前教えてもらったんです。桃に火だから、桃ちゃん、蒼い火だから、蒼くんって呼んでます」
「あ、そう……」
犬2匹は嬉しそうにワンと吠えた。
「ところで、護衛も付けずに釣りですか?」
「護衛ならいるだろ、ここに」
七生が指を自分に向ける。
「いや、ほら、もっとさ。蓮さん、要人でしょ」
蓮は森の奥を指差して言った。
「もう1人いるよ。あそこに」
木陰で手紙やらを広げている宝凛は、こちらの様子に構ってられないと何やら集中している。
「宝家からの課題が降ってきたみたいで、ウンウン唸ってる。宝凛、集中すると周りが見えなくなるみたいだね」
「護衛の意味あります……?」
「七生も、宝凛も拙の友だちだから、護衛は二の次」
ふわりと言った蓮に、杏里は口を尖らせてぬいぐるみに顔を埋めた。
「ぬいぐるみ、気に入っているようだね」
「落ち着くんです。こう何か持ってないと不安で。何年も杖を持っていたんですけど、壊れてしまったので……ちょうどいいんです」
杖があれば呪術を安定して使うことができる、とのことだ。蓮の呪術を解呪した時に壊れてしまった。
蓮は釣りをしながら尋ねる。
「杏里くんさえよければ、教えて欲しいんだけど」
「はい、なんでしょう?」
「窮奇ににとっとられた時、どんな感じだった?」
犬2匹と七生はぴくりと耳を動かした。
「どんな、って……えぇと、最初は気づかないです。普通に過ごしてました。おれは、師父の命令で人間に呪術をかけてて、もともとそういう人だったし、おれも慣れていた。違和感に気づいたのは貴方を呪った時。自分では思うはずがないことを思った。そこで気づいたんです。おれは、一部を乗っ取られてるって。一度気づいてしまえば、あとはもう操り人形です。……運が良かったんです。おれは、一瞬でも理性を取り戻せたから」
小さな声で「師父は、もう」と呟き、ぬいぐるみをぎゅっとする。
七生が口を開く。
「窮奇に乗っ取らられば、封印されたとして、大半は廃人だからな」
「それでも、生かしておくんだ?」
「殺さなくて良い命を、無闇に殺す必要はない。大将の指示だ」
「ふぅん。結構甘いんだね」
蓮がなんて事なしに素直に言うと、杏里はさらに顔を暗くした。
「窮奇とは人を脅かす悪意であり、狂者。人で遊び、人を殺す。ねぇ、宵藍にとって窮奇って何?」
露台で涼んでいた蓮が、宵藍と顔を合わせるなり尋ねる。宵藍は眉をひそめながらも端的に答えてはくれた。
「彼奴に関わるもの全てを排除するのが、我が使命」
「死なないから、排除ね」
「彼奴は、姿が1つではなく、性質も1つではない。多種多様だ」
「1つではない。たくさんいるってことかな。元は1つでも他人の身体を乗っ取れば、いけるのか」
宵藍は、呆れて言う。
「お前に、彼奴には関わってほしくない」
「知ってるよ」
そうでなければ、わざわざ記憶を消すなどすることはないだろう。窮奇の言っていたことを鵜呑みにするわけではないが、それはおそらく真実で、窮奇の記憶は蓮の中に残したくないのだろう。
――窮奇に関して排除する、がどこまでのことかはわからないが。
「それで、何を聞いた?」
「ん?七生たちに窮奇について何を聞いた、ということ?盗み聞きとかはしないのか。拙のことを視てるって言うならある程度は聞こえてるものかと思ってた」
「……視てはいるが、我とて全てを知ることはできない」
そう、と窮奇について聞いたことを話した。宵藍は「そうか」とだけ言う。
「我は、甘いわけではない。窮奇に限らずとも無駄な殺生は争いを生む。……それに彼奴は一度乗っ取ってから捨てた者に興味がない。そもそも覚えてはいない」
よほどのことがない限り、再度乗っ取ることはしない。するとしたら、気まぐれに身体ごと破壊するくらいだ。封印は再度乗っ取られることを防ぐより、窮奇に無惨に殺されることを防止するためのものとのことだ。
「拙も乗っ取られる可能性はある?」
「奪われないために、我の気で満たしている」
「…………そうだったね」
宵藍は当たり前のように言ってくるが、普通の会話で急にそういう方向のものを入れられると、困ってしまう。
会話が終わりなら、部屋に入れと言わんばかりの視線を投げかけられる。蓮は首に手をやり、軽く息を吐いた。寝台に入れば、距離が縮まる。
「弁解しておくが、気を満たすのは二の次だ。我はお前にこうしたい。だから、している」
「うん、わかってる、わかってるから……真顔で言わないで。照れくさい」
あまりわかっていなさそうな宵藍の肩口に、顔を埋める。
結局、窮奇は、歩く災害のようなものなのだろう。なくなりはしない。
(どんな者だろうと、宵藍の敵は拙の敵)
蓮はふふと笑った。
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