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2話
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公爵家との縁談を承諾してからというもの、屋敷の空気は微妙に変わった。
使用人たちは表向きいつも通りに振る舞っていたが、視線の端々に含まれる緊張や、言葉を選ぶ様子から、私がこれまでとは違う立場になりつつあることを感じ取っているようだった。父もまた、必要以上に私に干渉しないよう気を配っているのが分かった。
その配慮がありがたい反面、私はどこか他人事のような感覚を抱いていた。
(本当に、私が公爵家へ嫁ぐのね……)
実感が湧かない、というのが正直なところだった。これまで縁談の一つもなく、将来について深く考えたこともなかった私が、突然「公爵夫人候補」になったのだ。心が追いつかなくて当然だろう。
だが、私の心を占めていたのは、不安よりもむしろ冷静な計算だった。
公爵家に嫁ぐ以上、最低限の礼儀と体裁は求められるだろう。しかし、相手が最初から私に期待していないのなら、過度な役割を押し付けられることもないはずだ。感情のやり取りが不要な結婚ほど、合理的なものはない。
そう考えることで、私は自分を落ち着かせていた。
数日後、私は正式にアルベリオン公爵家の屋敷へと招かれた。
初対面の場として用意された応接間は、広く、豪奢で、どこか冷たい印象を与える空間だった。磨き上げられた床、大きな窓から差し込む光、高価そうな調度品――どれもが完璧に整えられているのに、人の温もりが感じられない。
私は背筋を伸ばし、静かに椅子に腰を下ろした。
ほどなくして、扉が開く。
現れたのが、ディーン・フォン・アルベリオン公爵嫡男だった。
噂通りの容姿だった。整った顔立ち、淡い金色の髪、鋭さを帯びた青い瞳。立ち居振る舞いは洗練されており、誰もが「貴族の理想像」と思い描く姿そのものだろう。
だが、その視線が私に向けられた瞬間、胸の奥がひやりと冷えた。
そこには、好意も興味もなかった。
あるのは、値踏みと無関心だけ。
「君が、ラヴェル侯爵家の令嬢か」
彼は挨拶もそこそこに、淡々とそう言った。
「エリシア・フォン・ラヴェルでございます。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
私は形式通りに頭を下げた。すると彼は小さく鼻で笑い、椅子に腰を下ろす。
「礼儀は問題ないようだな。だが、最初にはっきり言っておく」
その声は冷たく、感情の起伏が感じられなかった。
「私は君に興味がない。この結婚は、互いに都合のためだけのものだ。勘違いされては困る」
あまりにも率直な言葉だった。だが私は、驚きよりも安堵を覚えていた。
(……ええ、ええ。とても分かりやすいですわ)
私はゆっくりと顔を上げ、穏やかに微笑んだ。
「承知しております。干渉なさらない、ということですね?」
ディーンは一瞬、言葉を失ったように眉をひそめた。
「……そうだ」
「でしたら、私もあなた様の自由を妨げるつもりはございません。お互い、必要以上に踏み込まない関係でいられれば、それで十分ですわ」
私の返答は、彼の想定を超えていたのだろう。ディーンはじっと私を見つめ、少しだけ探るような視線を向けてきた。
「妙に物分かりがいいな。普通なら、ここで泣くか、怒るかするものだが」
「望まれている形を理解しているだけですわ」
そう答えると、彼は小さく息を吐いた。
「……まあいい。余計な感情を持たれない方が、こちらとしても助かる」
その言葉に、私は内心で深く頷いた。
(本当に、話が早くて助かります)
こうして、私たちの結婚の方向性は、最初の対面で完全に決まった。
愛情は不要。期待も不要。必要なのは、形式と沈黙だけ。
公爵家を出る頃には、私は不思議なほど気持ちが軽くなっていた。これならば、余計な軋轢も生まれないだろう。むしろ、静かに自分の時間を守ることができる。
馬車に揺られながら、私は窓の外を眺めていた。
(この結婚は、私にとって「檻」ではない)
そう、確信していた。
少なくとも、この時点では――。
使用人たちは表向きいつも通りに振る舞っていたが、視線の端々に含まれる緊張や、言葉を選ぶ様子から、私がこれまでとは違う立場になりつつあることを感じ取っているようだった。父もまた、必要以上に私に干渉しないよう気を配っているのが分かった。
その配慮がありがたい反面、私はどこか他人事のような感覚を抱いていた。
(本当に、私が公爵家へ嫁ぐのね……)
実感が湧かない、というのが正直なところだった。これまで縁談の一つもなく、将来について深く考えたこともなかった私が、突然「公爵夫人候補」になったのだ。心が追いつかなくて当然だろう。
だが、私の心を占めていたのは、不安よりもむしろ冷静な計算だった。
公爵家に嫁ぐ以上、最低限の礼儀と体裁は求められるだろう。しかし、相手が最初から私に期待していないのなら、過度な役割を押し付けられることもないはずだ。感情のやり取りが不要な結婚ほど、合理的なものはない。
そう考えることで、私は自分を落ち着かせていた。
数日後、私は正式にアルベリオン公爵家の屋敷へと招かれた。
初対面の場として用意された応接間は、広く、豪奢で、どこか冷たい印象を与える空間だった。磨き上げられた床、大きな窓から差し込む光、高価そうな調度品――どれもが完璧に整えられているのに、人の温もりが感じられない。
私は背筋を伸ばし、静かに椅子に腰を下ろした。
ほどなくして、扉が開く。
現れたのが、ディーン・フォン・アルベリオン公爵嫡男だった。
噂通りの容姿だった。整った顔立ち、淡い金色の髪、鋭さを帯びた青い瞳。立ち居振る舞いは洗練されており、誰もが「貴族の理想像」と思い描く姿そのものだろう。
だが、その視線が私に向けられた瞬間、胸の奥がひやりと冷えた。
そこには、好意も興味もなかった。
あるのは、値踏みと無関心だけ。
「君が、ラヴェル侯爵家の令嬢か」
彼は挨拶もそこそこに、淡々とそう言った。
「エリシア・フォン・ラヴェルでございます。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
私は形式通りに頭を下げた。すると彼は小さく鼻で笑い、椅子に腰を下ろす。
「礼儀は問題ないようだな。だが、最初にはっきり言っておく」
その声は冷たく、感情の起伏が感じられなかった。
「私は君に興味がない。この結婚は、互いに都合のためだけのものだ。勘違いされては困る」
あまりにも率直な言葉だった。だが私は、驚きよりも安堵を覚えていた。
(……ええ、ええ。とても分かりやすいですわ)
私はゆっくりと顔を上げ、穏やかに微笑んだ。
「承知しております。干渉なさらない、ということですね?」
ディーンは一瞬、言葉を失ったように眉をひそめた。
「……そうだ」
「でしたら、私もあなた様の自由を妨げるつもりはございません。お互い、必要以上に踏み込まない関係でいられれば、それで十分ですわ」
私の返答は、彼の想定を超えていたのだろう。ディーンはじっと私を見つめ、少しだけ探るような視線を向けてきた。
「妙に物分かりがいいな。普通なら、ここで泣くか、怒るかするものだが」
「望まれている形を理解しているだけですわ」
そう答えると、彼は小さく息を吐いた。
「……まあいい。余計な感情を持たれない方が、こちらとしても助かる」
その言葉に、私は内心で深く頷いた。
(本当に、話が早くて助かります)
こうして、私たちの結婚の方向性は、最初の対面で完全に決まった。
愛情は不要。期待も不要。必要なのは、形式と沈黙だけ。
公爵家を出る頃には、私は不思議なほど気持ちが軽くなっていた。これならば、余計な軋轢も生まれないだろう。むしろ、静かに自分の時間を守ることができる。
馬車に揺られながら、私は窓の外を眺めていた。
(この結婚は、私にとって「檻」ではない)
そう、確信していた。
少なくとも、この時点では――。
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