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第三話 白い結婚という契約
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第三話 白い結婚という契約
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ディーン・フォン・アルベリオン公爵嫡男との初対面を終えてから、私の周囲は目に見えて慌ただしくなった。
公爵家との縁談が正式に進むと決まった途端、これまで静かだった侯爵家の屋敷には、仕立屋や宝飾商、礼装係といった来客が次々と訪れるようになった。婚礼衣装の仮縫い、持参金や持ち物の確認、形式的な顔合わせの調整――すべてが滞りなく、淡々と進められていく。
けれど、私はその中心にいながら、どこか一歩引いた場所に立っているような気分だった。
(結婚準備、というより……事務手続きのようですわね)
浮き立つことも、不安に揺れることもない。ただ決められた流れに従い、必要な確認を行い、署名をする。それだけだ。まるで家同士の契約に、私という名前が添えられているだけのような感覚だった。
もっとも、それは最初から分かっていたことでもある。
この結婚は、愛情を育むためのものではない。公爵家の体面と、侯爵家の利益、その均衡の上に成り立つ関係だ。そして何より――当事者である私自身が、それを望んで選んだ。
結婚条件について正式に話し合う場が設けられたのは、初対面から数日後のことだった。
場所はアルベリオン公爵家の応接室。前回と同じ、完璧に整えられた、どこか冷ややかな空間だ。ディーンは私の正面に座り、書類に視線を落としたまま淡々と説明を続けていた。
「結婚後、君は公爵夫人として屋敷に住む。ただし、私生活への干渉は一切しない。社交界への出席も、必要最低限で構わない」
「ありがたいお話ですわ」
私は即座にそう答えた。するとディーンの手が、ほんの一瞬だけ止まる。
「……理解が早いな」
「お互いに余計な負担を抱えずに済むのでしたら、その方が合理的ですもの」
私の言葉に、彼は軽く頷いた。
「その通りだ。こちらとしても、君が派手に振る舞うつもりがないのなら好都合だ。……無論、生活費や必要なものは公爵家が用意する」
「ええ。その点については、異存はありません」
淡々と交わされる言葉の数々は、婚姻というよりも契約内容の確認に近かった。けれど、不思議と私は嫌な気持ちにはならなかった。
(感情を要求されない、というのは……思っていた以上に楽ですわ)
期待されないこと。踏み込まれないこと。それは、私にとって「軽んじられている」というよりも、「自由を許されている」状態に近かった。
話し合いの最後に、ディーンは書類から顔を上げ、私を見た。
「念のために言っておく。私は君に夫としての情を向けるつもりはない」
「承知しております」
「君も、私にそれを求めないこと」
「ええ。お互いに干渉しない。それが、この結婚の前提ですもの」
そう答えた瞬間、彼の目にわずかな困惑が浮かんだ。
まるで、「本当にそれでいいのか」と言いたげな表情だった。
けれど私は迷わなかった。
私は誰かの愛情にしがみついて生きたいわけではない。ただ、自分の時間と心を守りたいだけなのだ。
こうして、私たちの結婚は正式に「白い結婚」として成立した。
その事実が周囲に伝わると、侯爵家でも公爵家でも、反応はさまざまだった。憐れむ者、同情する者、あるいは打算的に羨む者もいた。
「お気の毒に……愛のない結婚だなんて」
そんな言葉を、私は何度か耳にした。
だが、そのたびに思う。
(本当にお気の毒なのは、愛がなければ不幸だと思い込まされている人たちの方ではなくて?)
私にとってこの結婚は、檻ではない。少なくとも、息苦しさを感じるようなものではなかった。
結婚式は、ごく簡素に行われることが決まった。豪華な披露宴も、大勢の招待客もない。形式だけを整えた、小さな儀式。
それを聞いた時、私はほっと胸を撫で下ろした。
目立つことなく、騒がれることなく、新しい立場へ移る。それは、私の望む形そのものだった。
婚礼衣装の最終確認を終え、控室で一人になった時、鏡に映る自分の姿をじっと見つめた。
純白のドレスに身を包んだ私は、確かに「花嫁」だった。けれど、その表情は、世間が想像するような幸福に酔ったものではない。
落ち着いていて、静かで、どこか覚悟を決めた顔。
(私は、私の選択をしている)
誰かに流されたわけではない。誰かの期待に応えようとしているわけでもない。
私は、自分が楽に生きられる道を選んだだけだ。
この結婚が、どんな未来をもたらすのかは分からない。けれど少なくとも、今の私は不幸ではない。
そう思いながら、私は静かに息を整えた。
この白い結婚が、私の人生を大きく動かすことになる――その予感だけが、胸の奥に微かに残っていた。
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ディーン・フォン・アルベリオン公爵嫡男との初対面を終えてから、私の周囲は目に見えて慌ただしくなった。
公爵家との縁談が正式に進むと決まった途端、これまで静かだった侯爵家の屋敷には、仕立屋や宝飾商、礼装係といった来客が次々と訪れるようになった。婚礼衣装の仮縫い、持参金や持ち物の確認、形式的な顔合わせの調整――すべてが滞りなく、淡々と進められていく。
けれど、私はその中心にいながら、どこか一歩引いた場所に立っているような気分だった。
(結婚準備、というより……事務手続きのようですわね)
浮き立つことも、不安に揺れることもない。ただ決められた流れに従い、必要な確認を行い、署名をする。それだけだ。まるで家同士の契約に、私という名前が添えられているだけのような感覚だった。
もっとも、それは最初から分かっていたことでもある。
この結婚は、愛情を育むためのものではない。公爵家の体面と、侯爵家の利益、その均衡の上に成り立つ関係だ。そして何より――当事者である私自身が、それを望んで選んだ。
結婚条件について正式に話し合う場が設けられたのは、初対面から数日後のことだった。
場所はアルベリオン公爵家の応接室。前回と同じ、完璧に整えられた、どこか冷ややかな空間だ。ディーンは私の正面に座り、書類に視線を落としたまま淡々と説明を続けていた。
「結婚後、君は公爵夫人として屋敷に住む。ただし、私生活への干渉は一切しない。社交界への出席も、必要最低限で構わない」
「ありがたいお話ですわ」
私は即座にそう答えた。するとディーンの手が、ほんの一瞬だけ止まる。
「……理解が早いな」
「お互いに余計な負担を抱えずに済むのでしたら、その方が合理的ですもの」
私の言葉に、彼は軽く頷いた。
「その通りだ。こちらとしても、君が派手に振る舞うつもりがないのなら好都合だ。……無論、生活費や必要なものは公爵家が用意する」
「ええ。その点については、異存はありません」
淡々と交わされる言葉の数々は、婚姻というよりも契約内容の確認に近かった。けれど、不思議と私は嫌な気持ちにはならなかった。
(感情を要求されない、というのは……思っていた以上に楽ですわ)
期待されないこと。踏み込まれないこと。それは、私にとって「軽んじられている」というよりも、「自由を許されている」状態に近かった。
話し合いの最後に、ディーンは書類から顔を上げ、私を見た。
「念のために言っておく。私は君に夫としての情を向けるつもりはない」
「承知しております」
「君も、私にそれを求めないこと」
「ええ。お互いに干渉しない。それが、この結婚の前提ですもの」
そう答えた瞬間、彼の目にわずかな困惑が浮かんだ。
まるで、「本当にそれでいいのか」と言いたげな表情だった。
けれど私は迷わなかった。
私は誰かの愛情にしがみついて生きたいわけではない。ただ、自分の時間と心を守りたいだけなのだ。
こうして、私たちの結婚は正式に「白い結婚」として成立した。
その事実が周囲に伝わると、侯爵家でも公爵家でも、反応はさまざまだった。憐れむ者、同情する者、あるいは打算的に羨む者もいた。
「お気の毒に……愛のない結婚だなんて」
そんな言葉を、私は何度か耳にした。
だが、そのたびに思う。
(本当にお気の毒なのは、愛がなければ不幸だと思い込まされている人たちの方ではなくて?)
私にとってこの結婚は、檻ではない。少なくとも、息苦しさを感じるようなものではなかった。
結婚式は、ごく簡素に行われることが決まった。豪華な披露宴も、大勢の招待客もない。形式だけを整えた、小さな儀式。
それを聞いた時、私はほっと胸を撫で下ろした。
目立つことなく、騒がれることなく、新しい立場へ移る。それは、私の望む形そのものだった。
婚礼衣装の最終確認を終え、控室で一人になった時、鏡に映る自分の姿をじっと見つめた。
純白のドレスに身を包んだ私は、確かに「花嫁」だった。けれど、その表情は、世間が想像するような幸福に酔ったものではない。
落ち着いていて、静かで、どこか覚悟を決めた顔。
(私は、私の選択をしている)
誰かに流されたわけではない。誰かの期待に応えようとしているわけでもない。
私は、自分が楽に生きられる道を選んだだけだ。
この結婚が、どんな未来をもたらすのかは分からない。けれど少なくとも、今の私は不幸ではない。
そう思いながら、私は静かに息を整えた。
この白い結婚が、私の人生を大きく動かすことになる――その予感だけが、胸の奥に微かに残っていた。
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