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第十一話 選ばぬ自由は、奪われる自由
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第十一話 選ばぬ自由は、奪われる自由
セドリックという名の男が去ってから、別邸には再び静けさが戻った。
けれど、それは以前と同じ静けさではなかった。耳を澄ませば、何も聞こえないはずなのに、胸の奥では絶えず何かがざわめいている。風の音、木々の揺れ、遠くの鳥の声――それらすべてが、以前よりもはっきりと意識に入り込んでくる。
私は、自分が初めて「考えることを強いられている」状態に置かれているのだと気づいた。
今までは違った。
公爵家にいた頃は、考える必要がなかった。考えても無駄だったからだ。何を言っても、何を望んでも、決定権は私にはなかった。だから私は考えることをやめ、与えられた役割の中で静かに息をしていた。
別邸に移ってからも同じだ。考えなくてよかった。ただ静かに生きる。それだけで、心は満たされていた。
けれど今は違う。
(立場を持たなければ、自由は奪われる……)
セドリックの言葉が、何度も脳裏で繰り返される。
私は庭に出た。土は柔らかく、春に向けた芽吹きの気配がある。ハーブの葉に触れ、深く息を吸い込む。それでも、心は落ち着かなかった。
「奥様……」
背後から、管理人の控えめな声がした。
「何かありましたか?」
振り返ると、彼は少し躊躇ったあと、正直に言った。
「最近……見知らぬ者が、村の周囲をうろついていると報告がありました」
やはり、か。
「危険そうな様子でしたか?」
「いいえ。武器を持っている様子はありません。ただ……こちらを探っているような」
私は、小さく頷いた。
「ありがとうございます。知らせてくださって」
管理人は、それ以上何も言わなかった。けれど、その表情には不安が浮かんでいる。
彼らにとって、この別邸は仕事場だ。けれど同時に、生活の場でもある。私の選択が、彼らの暮らしにも影響することを、私は初めて強く意識した。
夜、書斎で一人、蝋燭の灯りのもと考え続けた。
完全に隠れる。
それは、村を離れ、さらに人の目につかない場所へ移ることを意味するだろう。名を捨て、身分を捨て、何者でもなくなる。だが、その選択は本当に「安全」なのだろうか。
名を捨てた者は、守られない。
それは、私が誰よりも知っている事実だった。
では、立場を持つ?
王都、王族、貴族社会。
そのどれもが、私にとっては息苦しい場所だ。再びそこに足を踏み入れることを想像するだけで、胸が締めつけられる。
(……本当に、他に道はないの?)
私は机の引き出しから、一通の古い書簡を取り出した。
それは、離縁の手続きが終わった直後、父から送られてきたものだった。簡潔な内容だが、そこには確かに、私を案じる言葉があった。
「戻る場所は、いつでもある」
その一文が、今になって重くのしかかる。
けれど私は、首を横に振った。
戻ることはできない。戻らないと決めたのだ。
私は自分の人生を、他人の都合で再び縛られるつもりはない。
その時、ふと、別の顔が思い浮かんだ。
柔らかな銀髪、穏やかな声音。第二王子ジェラール殿下。
セドリックの口からその名が出た時、私の心が揺れたのは事実だ。
彼は、王族だ。
だが、私が知る限り、彼の評判は悪くない。強引さや尊大さとは無縁で、調整役として動くことが多い人物だと聞いたことがある。
(……もし、立場を持つとしたら)
私は、初めて具体的に考え始めていた。
誰かの所有物としてではなく。
誰かに命じられる存在としてでもなく。
互いに干渉せず、それぞれの自由を尊重する関係。
そんな立場が、あり得るのだろうか。
自分でも驚くほど、その思考は自然だった。
翌朝、私は管理人を呼び、ひとつの指示を出した。
「もし、また王都からの使者が来たら……追い返さず、私に知らせてください」
「よろしいのですか?」
「ええ。話を聞くだけです」
管理人は、深く頭を下げた。
その背中を見送りながら、私は覚悟を固めていた。
私は、争いたくない。
けれど、逃げ続けるつもりもない。
自分の人生を守るために、私は選ぶ。
選ばされるのではなく、自分の意志で。
この別邸での静かな生活は、私が守りたいものだ。
そのために必要なら――。
(……一度だけ、王都と向き合いましょう)
蝋燭の火が、静かに揺れた。
それは、私の中で何かが変わった証のように、確かに、そこに灯っていた。
セドリックという名の男が去ってから、別邸には再び静けさが戻った。
けれど、それは以前と同じ静けさではなかった。耳を澄ませば、何も聞こえないはずなのに、胸の奥では絶えず何かがざわめいている。風の音、木々の揺れ、遠くの鳥の声――それらすべてが、以前よりもはっきりと意識に入り込んでくる。
私は、自分が初めて「考えることを強いられている」状態に置かれているのだと気づいた。
今までは違った。
公爵家にいた頃は、考える必要がなかった。考えても無駄だったからだ。何を言っても、何を望んでも、決定権は私にはなかった。だから私は考えることをやめ、与えられた役割の中で静かに息をしていた。
別邸に移ってからも同じだ。考えなくてよかった。ただ静かに生きる。それだけで、心は満たされていた。
けれど今は違う。
(立場を持たなければ、自由は奪われる……)
セドリックの言葉が、何度も脳裏で繰り返される。
私は庭に出た。土は柔らかく、春に向けた芽吹きの気配がある。ハーブの葉に触れ、深く息を吸い込む。それでも、心は落ち着かなかった。
「奥様……」
背後から、管理人の控えめな声がした。
「何かありましたか?」
振り返ると、彼は少し躊躇ったあと、正直に言った。
「最近……見知らぬ者が、村の周囲をうろついていると報告がありました」
やはり、か。
「危険そうな様子でしたか?」
「いいえ。武器を持っている様子はありません。ただ……こちらを探っているような」
私は、小さく頷いた。
「ありがとうございます。知らせてくださって」
管理人は、それ以上何も言わなかった。けれど、その表情には不安が浮かんでいる。
彼らにとって、この別邸は仕事場だ。けれど同時に、生活の場でもある。私の選択が、彼らの暮らしにも影響することを、私は初めて強く意識した。
夜、書斎で一人、蝋燭の灯りのもと考え続けた。
完全に隠れる。
それは、村を離れ、さらに人の目につかない場所へ移ることを意味するだろう。名を捨て、身分を捨て、何者でもなくなる。だが、その選択は本当に「安全」なのだろうか。
名を捨てた者は、守られない。
それは、私が誰よりも知っている事実だった。
では、立場を持つ?
王都、王族、貴族社会。
そのどれもが、私にとっては息苦しい場所だ。再びそこに足を踏み入れることを想像するだけで、胸が締めつけられる。
(……本当に、他に道はないの?)
私は机の引き出しから、一通の古い書簡を取り出した。
それは、離縁の手続きが終わった直後、父から送られてきたものだった。簡潔な内容だが、そこには確かに、私を案じる言葉があった。
「戻る場所は、いつでもある」
その一文が、今になって重くのしかかる。
けれど私は、首を横に振った。
戻ることはできない。戻らないと決めたのだ。
私は自分の人生を、他人の都合で再び縛られるつもりはない。
その時、ふと、別の顔が思い浮かんだ。
柔らかな銀髪、穏やかな声音。第二王子ジェラール殿下。
セドリックの口からその名が出た時、私の心が揺れたのは事実だ。
彼は、王族だ。
だが、私が知る限り、彼の評判は悪くない。強引さや尊大さとは無縁で、調整役として動くことが多い人物だと聞いたことがある。
(……もし、立場を持つとしたら)
私は、初めて具体的に考え始めていた。
誰かの所有物としてではなく。
誰かに命じられる存在としてでもなく。
互いに干渉せず、それぞれの自由を尊重する関係。
そんな立場が、あり得るのだろうか。
自分でも驚くほど、その思考は自然だった。
翌朝、私は管理人を呼び、ひとつの指示を出した。
「もし、また王都からの使者が来たら……追い返さず、私に知らせてください」
「よろしいのですか?」
「ええ。話を聞くだけです」
管理人は、深く頭を下げた。
その背中を見送りながら、私は覚悟を固めていた。
私は、争いたくない。
けれど、逃げ続けるつもりもない。
自分の人生を守るために、私は選ぶ。
選ばされるのではなく、自分の意志で。
この別邸での静かな生活は、私が守りたいものだ。
そのために必要なら――。
(……一度だけ、王都と向き合いましょう)
蝋燭の火が、静かに揺れた。
それは、私の中で何かが変わった証のように、確かに、そこに灯っていた。
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