選ばれ続ける場所で、私は決めない』

鍛高譚

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第十二話 名を呼ばれるということ

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第十二話 名を呼ばれるということ

 王都と向き合うと決めた夜から、私は眠りが浅くなった。

 恐怖で眠れない、というわけではない。ただ、考えることが増えただけだ。これまでの私は、考えないことで自分を守ってきた。望まれない妻、不要な公爵夫人。その役割に感情を持ち込まなければ、傷つかずに済んだからだ。

 だが今は違う。

 私は、考えることを選んだ。

 翌朝、管理人が私のもとを訪れた。

「奥様、王都からの使者が……」

 その一言で、心臓がわずかに跳ねた。

「お通ししてください」

 声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。

 応接室に現れたのは、見覚えのある人物だった。先日、名乗らずに忠告を残していった男――セドリックである。

「再びお目にかかれて光栄です、エリシア様」

 彼は、以前よりも丁重に一礼した。

「今回は、名を隠しません」

 そう言って、彼は懐から紋章入りの書状を取り出した。

「私は第二王子ジェラール殿下の側近です。非公式ではありますが、殿下の意思を代弁する立場にあります」

 ついに、正体を明かしたのか。

 私は深く息を吸い、静かに言った。

「殿下からのご用件を、伺いましょう」

 セドリックは一瞬だけ、ほっとしたように目を細めた。

「ありがとうございます。殿下は――あなたと直接お話ししたいと望んでおられます」

「直接、ですか」

「はい。強制ではありません。ですが……」

 彼は言葉を選ぶように続けた。

「殿下は、あなたを“守る立場を与えたい”とお考えです」

 守る。

 その言葉に、私は小さく笑った。

「私を守るために、立場が必要なのですか?」

「ええ。残念ながら」

 セドリックは率直だった。

「あなたはもう、隠れて生きられる存在ではありません。善意であれ、無自覚であれ、人はあなたの周囲に“意味”を見出し始めている」

 噂、視線、探るような気配。

 すべてが、一本の線で繋がった。

「殿下は、あなたを王都へ呼び戻すつもりなのですか?」

「いいえ」

 即答だった。

「殿下は、あなたの生活を尊重すると明言されています。王都に縛るつもりはありません」

 私は、思わず彼の顔を見つめた。

「……それは、本当ですか?」

「はい。むしろ、あなたがこの別邸で暮らし続けることを前提に話を進めたい、と」

 予想外だった。

 王族とは、中央に集め、管理する存在だと思っていたからだ。

「殿下はこう仰っています。“彼女が息苦しさを感じるなら、その時点で意味がない”と」

 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が、じんわりと温かくなった。

 誰かが、私の“息苦しさ”を前提に考えている。

 それだけで、十分すぎるほどだった。

「……殿下は、私に何を望んでいるのですか?」

 セドリックは、ほんの少し間を置いてから答えた。

「名を、貸してほしいと」

「名を?」

「ええ。あなたがこの地にいることを、王家が知っており、認めている。その事実だけで、多くの者は手を出せなくなります」

 つまり――盾だ。

 私自身が前に立つ必要はない。ただ、後ろに“名”があるだけでいい。

「殿下は、あなたを所有したいのではありません。利用するつもりもない」

 彼は、はっきりと言った。

「殿下は、あなたに選ばれたいのです」

 その言葉は、私の心に深く刺さった。

 選ばれるのではなく、選ぶ。

 それは、私がこの数日間、ずっと考えてきたことだった。

 私は立ち上がり、窓の外を見た。

 変わらない庭。風に揺れる草花。守りたい日常。

「……殿下と、直接お話しできる場を設けてください」

 セドリックの目が、わずかに見開かれた。

「それは……」

「ただし、条件があります」

「伺います」

 私は、はっきりと告げた。

「私は、誰かの妻としてではなく、一人の人間として会います」

「……承知しました」

「もうひとつ。ここを離れるつもりはありません」

「それも、殿下の意向通りです」

 私は、ゆっくりと頷いた。

 逃げるのではない。

 縛られるのでもない。

 私は、この場所に立ったまま、外と向き合う。

「では、日時を」

「ありがとうございます、エリシア様」

 セドリックは深く頭を下げ、部屋を後にした。

 一人になった応接室で、私はそっと胸に手を当てた。

 怖くない、と言えば嘘になる。

 けれど、それ以上に――。

(私は、名を呼ばれる存在になったのね)

 誰かの妻でも、誰かの付属物でもない。

 エリシア・フォン・ラヴェルという、一人の人間として。

 その事実が、静かに、しかし確かに、私の背筋を伸ばしていた。

 次に王族と会う時、私はきっと、俯かない。

 この静かな生活を守るために、私は自分の名で、立つ。

 それが、第十二話の終わりに辿り着いた、私の答えだった。
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