13 / 39
第十三話 対面は、静かな庭で
しおりを挟む
第十三話 対面は、静かな庭で
約束の日は、思っていたよりも早く訪れた。
朝から空は澄み渡り、雲ひとつない穏やかな天気だった。まるで、この別邸の庭が持つ空気そのものが、そのまま空に広がったかのようだった。
私はいつも通りの時間に起き、いつも通りの身支度をした。特別な装いは選ばなかった。華美なドレスでも、王都向けの社交服でもない。淡い色合いの、動きやすく、それでいてきちんとした服装。それは「王族に会うための服」ではなく、「私が私でいるための服」だった。
管理人夫妻は、私以上に緊張しているようだった。
「奥様……本当に、この庭でよろしいのでしょうか」
「ええ。屋内より、こちらの方が落ち着きます」
私はそう答え、庭の一角に設えた小さなテーブルに目を向けた。ハーブティーの準備は、すでに整っている。香りは穏やかで、気持ちを落ち着かせてくれる。
やがて、門の方から馬車の音が聞こえた。
派手さのない、しかし無駄のない造りの馬車。護衛の数も最小限だった。威圧するための訪問ではないという意思が、そこからも読み取れた。
最初に姿を見せたのは、セドリックだった。彼は私を見つけると、軽く一礼し、その後ろへ視線を向ける。
そして――。
銀色の髪が、陽光を受けて静かに輝いた。
第二王子ジェラール・オルタシア殿下。
思っていたよりも背は高く、しかし威圧感はない。纏う空気は柔らかく、歩みは静かだった。その目が私を捉えた瞬間、彼は足を止め、深く、丁寧に頭を下げた。
「はじめまして、エリシア殿。今日はお時間をいただき、感謝します」
王族が、先に頭を下げた。
その事実に、管理人夫妻が息を呑むのが分かった。けれど私は、慌てなかった。ただ、同じように一礼を返した。
「こちらこそ。お越しいただき、ありがとうございます」
それだけのやり取りで、不思議と緊張は和らいだ。
ジェラール殿下は、護衛を少し離れた場所に待たせ、私の向かいに腰を下ろした。セドリックは、少し距離を取り、必要以上に会話に入らない位置に立つ。
「……噂以上に、穏やかな場所ですね」
殿下は、庭を見回しながら言った。
「はい。私にとっては、とても大切な場所です」
「だからこそ、ここで会っていただけて嬉しい」
その言葉に、社交辞令の響きはなかった。
「まず、はっきりお伝えしたいことがあります」
殿下は、私をまっすぐに見た。
「私は、あなたを王都に縛るつもりはありません。あなたの生活を壊すことは、本意ではない」
私は、黙って頷いた。
「そしてもうひとつ。あなたを“聖女”だの、“奇跡”だのと持ち上げるつもりもありません」
意外な言葉だった。
「人は、役割を与えられると、そこから逃げられなくなる。それが、どれほど残酷なことか……私は知っています」
その声音には、王族としてではなく、一人の人間としての実感がこもっていた。
「では……なぜ、私に?」
私がそう尋ねると、殿下は少しだけ視線を落とした。
「あなたは、“立場を持たずに人を救ってしまう”」
静かな言葉だった。
「それは、美徳であり、同時に危うさでもある。だから私は、あなたに選択肢を提示したい」
「選択肢……」
「ええ」
殿下は顔を上げ、穏やかに微笑んだ。
「私と、形式だけの婚姻関係を結ぶことです」
その言葉を、私は驚くほど冷静に受け止めていた。
「いわゆる……白い結婚、というものですね」
「はい」
殿下は、はっきりと頷いた。
「互いに干渉しない。生活は別。あなたの自由は、完全に尊重する。その代わり、あなたの背後に“王族の名”が立つ」
盾。
それは、セドリックの言った通りだった。
「……もし、私が断れば?」
「それも尊重します」
即答だった。
「ただ、その場合、私は別の形であなたを守る方法を探す。それだけです」
私は、彼の目を見つめた。
そこには、所有欲も、期待も、押し付けもなかった。ただ、静かな誠実さがある。
「殿下は……ご自身の自由は?」
ふと、そう問いかけた。
殿下は一瞬驚いたように目を瞬かせ、それから、少し苦笑した。
「……正直に言えば、私にも制約はあります」
それでも、と彼は続ける。
「私は、自分が選んだ形で責任を負いたい。他人を縛ることで成り立つ立場には、意味を見出せないのです」
その言葉を聞いた瞬間、私の中で、何かが静かに整った。
この人なら。
誰かの人生を、道具のようには扱わない。
私は、すぐには答えなかった。ただ、庭の花々に視線を向け、風の匂いを感じた。
「……少し、考える時間をください」
殿下は、微笑んだ。
「もちろんです。急ぐ必要はありません」
王族との対面は、思っていたよりも静かで、思っていた以上に誠実だった。
私はまだ、答えを出していない。
けれどひとつだけ、確信したことがある。
私はもう、誰かに決められる人生には戻らない。
選ぶのは、私自身だ。
この庭で、この空気の中で――私は、次の一歩を、自分の意志で踏み出そうとしていた。
約束の日は、思っていたよりも早く訪れた。
朝から空は澄み渡り、雲ひとつない穏やかな天気だった。まるで、この別邸の庭が持つ空気そのものが、そのまま空に広がったかのようだった。
私はいつも通りの時間に起き、いつも通りの身支度をした。特別な装いは選ばなかった。華美なドレスでも、王都向けの社交服でもない。淡い色合いの、動きやすく、それでいてきちんとした服装。それは「王族に会うための服」ではなく、「私が私でいるための服」だった。
管理人夫妻は、私以上に緊張しているようだった。
「奥様……本当に、この庭でよろしいのでしょうか」
「ええ。屋内より、こちらの方が落ち着きます」
私はそう答え、庭の一角に設えた小さなテーブルに目を向けた。ハーブティーの準備は、すでに整っている。香りは穏やかで、気持ちを落ち着かせてくれる。
やがて、門の方から馬車の音が聞こえた。
派手さのない、しかし無駄のない造りの馬車。護衛の数も最小限だった。威圧するための訪問ではないという意思が、そこからも読み取れた。
最初に姿を見せたのは、セドリックだった。彼は私を見つけると、軽く一礼し、その後ろへ視線を向ける。
そして――。
銀色の髪が、陽光を受けて静かに輝いた。
第二王子ジェラール・オルタシア殿下。
思っていたよりも背は高く、しかし威圧感はない。纏う空気は柔らかく、歩みは静かだった。その目が私を捉えた瞬間、彼は足を止め、深く、丁寧に頭を下げた。
「はじめまして、エリシア殿。今日はお時間をいただき、感謝します」
王族が、先に頭を下げた。
その事実に、管理人夫妻が息を呑むのが分かった。けれど私は、慌てなかった。ただ、同じように一礼を返した。
「こちらこそ。お越しいただき、ありがとうございます」
それだけのやり取りで、不思議と緊張は和らいだ。
ジェラール殿下は、護衛を少し離れた場所に待たせ、私の向かいに腰を下ろした。セドリックは、少し距離を取り、必要以上に会話に入らない位置に立つ。
「……噂以上に、穏やかな場所ですね」
殿下は、庭を見回しながら言った。
「はい。私にとっては、とても大切な場所です」
「だからこそ、ここで会っていただけて嬉しい」
その言葉に、社交辞令の響きはなかった。
「まず、はっきりお伝えしたいことがあります」
殿下は、私をまっすぐに見た。
「私は、あなたを王都に縛るつもりはありません。あなたの生活を壊すことは、本意ではない」
私は、黙って頷いた。
「そしてもうひとつ。あなたを“聖女”だの、“奇跡”だのと持ち上げるつもりもありません」
意外な言葉だった。
「人は、役割を与えられると、そこから逃げられなくなる。それが、どれほど残酷なことか……私は知っています」
その声音には、王族としてではなく、一人の人間としての実感がこもっていた。
「では……なぜ、私に?」
私がそう尋ねると、殿下は少しだけ視線を落とした。
「あなたは、“立場を持たずに人を救ってしまう”」
静かな言葉だった。
「それは、美徳であり、同時に危うさでもある。だから私は、あなたに選択肢を提示したい」
「選択肢……」
「ええ」
殿下は顔を上げ、穏やかに微笑んだ。
「私と、形式だけの婚姻関係を結ぶことです」
その言葉を、私は驚くほど冷静に受け止めていた。
「いわゆる……白い結婚、というものですね」
「はい」
殿下は、はっきりと頷いた。
「互いに干渉しない。生活は別。あなたの自由は、完全に尊重する。その代わり、あなたの背後に“王族の名”が立つ」
盾。
それは、セドリックの言った通りだった。
「……もし、私が断れば?」
「それも尊重します」
即答だった。
「ただ、その場合、私は別の形であなたを守る方法を探す。それだけです」
私は、彼の目を見つめた。
そこには、所有欲も、期待も、押し付けもなかった。ただ、静かな誠実さがある。
「殿下は……ご自身の自由は?」
ふと、そう問いかけた。
殿下は一瞬驚いたように目を瞬かせ、それから、少し苦笑した。
「……正直に言えば、私にも制約はあります」
それでも、と彼は続ける。
「私は、自分が選んだ形で責任を負いたい。他人を縛ることで成り立つ立場には、意味を見出せないのです」
その言葉を聞いた瞬間、私の中で、何かが静かに整った。
この人なら。
誰かの人生を、道具のようには扱わない。
私は、すぐには答えなかった。ただ、庭の花々に視線を向け、風の匂いを感じた。
「……少し、考える時間をください」
殿下は、微笑んだ。
「もちろんです。急ぐ必要はありません」
王族との対面は、思っていたよりも静かで、思っていた以上に誠実だった。
私はまだ、答えを出していない。
けれどひとつだけ、確信したことがある。
私はもう、誰かに決められる人生には戻らない。
選ぶのは、私自身だ。
この庭で、この空気の中で――私は、次の一歩を、自分の意志で踏み出そうとしていた。
11
あなたにおすすめの小説
公爵令嬢アナスタシアの華麗なる鉄槌
招杜羅147
ファンタジー
「婚約は破棄だ!」
毒殺容疑の冤罪で、婚約者の手によって投獄された公爵令嬢・アナスタシア。
彼女は獄中死し、それによって3年前に巻き戻る。
そして…。
婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!
みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。
幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、
いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。
そして――年末の舞踏会の夜。
「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」
エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、
王国の均衡は揺らぎ始める。
誇りを捨てず、誠実を貫く娘。
政の闇に挑む父。
陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。
そして――再び立ち上がる若き王女。
――沈黙は逃げではなく、力の証。
公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。
――荘厳で静謐な政略ロマンス。
(本作品は小説家になろうにも掲載中です)
結婚初夜、「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と夫に言われました
ましゅぺちーの
恋愛
侯爵令嬢のアリサは婚約者だった王太子テオドールと結婚した。
ちょうどその半年前、アリサの腹違いの妹のシアは不慮の事故で帰らぬ人となっていた。
王太子が婚約者の妹のシアを愛していたのは周知の事実だった。
そんな彼は、結婚初夜、アリサに冷たく言い放った。
「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と。
心の傷は癒えるもの?ええ。簡単に。
しゃーりん
恋愛
侯爵令嬢セラヴィは婚約者のトレッドから婚約を解消してほしいと言われた。
理由は他の女性を好きになってしまったから。
10年も婚約してきたのに、セラヴィよりもその女性を選ぶという。
意志の固いトレッドを見て、婚約解消を認めた。
ちょうど長期休暇に入ったことで学園でトレッドと顔を合わせずに済み、休暇明けまでに失恋の傷を癒しておくべきだと考えた友人ミンディーナが領地に誘ってくれた。
セラヴィと同じく婚約を解消した経験があるミンディーナの兄ライガーに話を聞いてもらっているうちに段々と心の傷は癒えていったというお話です。
【完結】私が愛されるのを見ていなさい
芹澤紗凪
恋愛
虐げられた少女の、最も残酷で最も華麗な復讐劇。(全6話の予定)
公爵家で、天使の仮面を被った義理の妹、ララフィーナに全てを奪われたディディアラ。
絶望の淵で、彼女は一族に伝わる「血縁者の姿と入れ替わる」という特殊能力に目覚める。
ディディアラは、憎き義妹と入れ替わることを決意。
完璧な令嬢として振る舞いながら、自分を陥れた者たちを内側から崩壊させていく。
立場と顔が入れ替わった二人の少女が織りなす、壮絶なダークファンタジー。
【完結】義姉上が悪役令嬢だと!?ふざけるな!姉を貶めたお前達を絶対に許さない!!
つくも茄子
ファンタジー
義姉は王家とこの国に殺された。
冤罪に末に毒杯だ。公爵令嬢である義姉上に対してこの仕打ち。笑顔の王太子夫妻が憎い。嘘の供述をした連中を許さない。我が子可愛さに隠蔽した国王。実の娘を信じなかった義父。
全ての復讐を終えたミゲルは義姉の墓前で報告をした直後に世界が歪む。目を覚ますとそこには亡くなった義姉の姿があった。過去に巻き戻った事を知ったミゲルは今度こそ義姉を守るために行動する。
巻き戻った世界は同じようで違う。その違いは吉とでるか凶とでるか……。
~春の国~片足の不自由な王妃様
クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。
春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。
街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。
それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。
しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。
花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??
どうぞお好きに
音無砂月
ファンタジー
公爵家に生まれたスカーレット・ミレイユ。
王命で第二王子であるセルフと婚約することになったけれど彼が商家の娘であるシャーベットを囲っているのはとても有名な話だった。そのせいか、なかなか婚約話が進まず、あまり野心のない公爵家にまで縁談話が来てしまった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる