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第十七話 試されるのは、静かな立場
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第十七話 試されるのは、静かな立場
朝の庭は、いつもと同じだった。
鳥の声、湿った土の匂い、ゆっくりと昇る陽光。私は湯を沸かし、ハーブを選び、静かな朝の支度を整えた。名が立ったからといって、日々の手順を変えるつもりはない。
――そのはずだった。
朝食を終えた頃、門の外がわずかに騒がしくなった。管理人が様子を見に行き、ほどなく戻ってくる。
「エリシア様。王都からの使者が参りました」
「……どなた?」
「内務府の監察官だと名乗っています。随行が三名。視察という名目ですが……」
私は、手を止めた。
来た、と思った。祝意でも挨拶でもない。確認だ。名が立った以上、必ず通る道でもある。
「お通しして」
逃げる理由はない。
応接に通された監察官は、年配の男だった。無駄のない身なり、慎重な言葉遣い。だが視線は鋭く、部屋の隅々までを静かに測っている。
「第二王子殿下の婚姻に際し、居住地の実情を確認するよう命を受けまして」
「確認、ですか」
「ええ。王家として、不都合がないかどうかを」
その言葉に、私は微笑んだ。
「不都合とは、具体的に?」
監察官は、一瞬だけ言葉を選んだ。
「……安全面、経済面、周辺への影響などです」
「ご安心ください。ここは、私の私費で維持しています。王家の資金は使っておりませんし、周辺の村とも無理のない関係です」
事実だった。
彼は、頷きながら帳面に何かを書き留める。
「では、王子妃としての公的な役割については?」
「現時点では、担っておりません」
はっきりと答えた。
「殿下とも合意しています。私がこの地に留まる以上、形式以上の役割は求められない、と」
監察官の眉が、わずかに動いた。
「……その合意は、文書で?」
「ええ。正式に」
私は、準備してあった写しを差し出した。彼は目を通し、深く息を吐いた。
「なるほど……」
それ以上、彼は踏み込まなかった。
だが、試しは続いた。
「村の者から、困窮の相談が持ち込まれた場合、どのように対応なさいますか?」
「内容によります」
「例えば、凶作で納税が難しい、と」
「それは領主の管轄です」
即答だった。
「私は、代行しません。必要であれば、領主へ繋ぎます」
善意で越境しない。
それが、私の引いた線だ。
監察官は、ようやく小さく頷いた。
「……余計な介入をしない、というわけですね」
「はい。ここでの生活は、私のものですが、統治ではありません」
視察は、昼前に終わった。監察官は立ち上がり、丁寧に一礼した。
「ご協力に感謝します。――正直に申し上げて、想定していた“王子妃像”とは違いました」
「よく言われます」
私がそう返すと、彼はかすかに笑った。
彼らが去った後、庭に出ると、村の娘が不安そうに立っていた。
「エリシア様……あの、すみません」
「どうしました?」
「さっき、役人の方に話しかけられて……。私たち、何か悪いことをしたんでしょうか」
私は、首を振った。
「いいえ。確認に来ただけです」
「……なら、よかった」
その安堵の表情を見て、私は改めて思う。
ここで私が過剰に動けば、彼女たちを巻き込む。
守るということは、前に出ることだけではない。
夕方、セドリックから報告が届いた。
「内務府の件、殿下のもとにも届いています」
「反応は?」
「『想定内だ』と。――それと、もう一つ」
彼は言葉を区切った。
「殿下は、“最初の試しが終わっただけ”だと仰っていました」
私は、庭の向こうを見た。
空は穏やかで、雲はゆっくりと流れている。
「ええ。そうでしょうね」
名が立てば、試される。
力を示すか、従うか、越えるか。
けれど私は、そのどれも選ばない。
選ぶのは、距離だ。
この場所から動かず、線を守り、必要なときだけ声を出す。
それが、私の立場。
夜、灯りを落とす前、私は手帳に一行だけ書き留めた。
――試しは終わった。次は、圧だ。
静かな暮らしは、まだ守れている。
だからこそ、私は今日も、変わらぬ眠りについた。
嵐は近づいているが、まだ、踏み込ませない。
朝の庭は、いつもと同じだった。
鳥の声、湿った土の匂い、ゆっくりと昇る陽光。私は湯を沸かし、ハーブを選び、静かな朝の支度を整えた。名が立ったからといって、日々の手順を変えるつもりはない。
――そのはずだった。
朝食を終えた頃、門の外がわずかに騒がしくなった。管理人が様子を見に行き、ほどなく戻ってくる。
「エリシア様。王都からの使者が参りました」
「……どなた?」
「内務府の監察官だと名乗っています。随行が三名。視察という名目ですが……」
私は、手を止めた。
来た、と思った。祝意でも挨拶でもない。確認だ。名が立った以上、必ず通る道でもある。
「お通しして」
逃げる理由はない。
応接に通された監察官は、年配の男だった。無駄のない身なり、慎重な言葉遣い。だが視線は鋭く、部屋の隅々までを静かに測っている。
「第二王子殿下の婚姻に際し、居住地の実情を確認するよう命を受けまして」
「確認、ですか」
「ええ。王家として、不都合がないかどうかを」
その言葉に、私は微笑んだ。
「不都合とは、具体的に?」
監察官は、一瞬だけ言葉を選んだ。
「……安全面、経済面、周辺への影響などです」
「ご安心ください。ここは、私の私費で維持しています。王家の資金は使っておりませんし、周辺の村とも無理のない関係です」
事実だった。
彼は、頷きながら帳面に何かを書き留める。
「では、王子妃としての公的な役割については?」
「現時点では、担っておりません」
はっきりと答えた。
「殿下とも合意しています。私がこの地に留まる以上、形式以上の役割は求められない、と」
監察官の眉が、わずかに動いた。
「……その合意は、文書で?」
「ええ。正式に」
私は、準備してあった写しを差し出した。彼は目を通し、深く息を吐いた。
「なるほど……」
それ以上、彼は踏み込まなかった。
だが、試しは続いた。
「村の者から、困窮の相談が持ち込まれた場合、どのように対応なさいますか?」
「内容によります」
「例えば、凶作で納税が難しい、と」
「それは領主の管轄です」
即答だった。
「私は、代行しません。必要であれば、領主へ繋ぎます」
善意で越境しない。
それが、私の引いた線だ。
監察官は、ようやく小さく頷いた。
「……余計な介入をしない、というわけですね」
「はい。ここでの生活は、私のものですが、統治ではありません」
視察は、昼前に終わった。監察官は立ち上がり、丁寧に一礼した。
「ご協力に感謝します。――正直に申し上げて、想定していた“王子妃像”とは違いました」
「よく言われます」
私がそう返すと、彼はかすかに笑った。
彼らが去った後、庭に出ると、村の娘が不安そうに立っていた。
「エリシア様……あの、すみません」
「どうしました?」
「さっき、役人の方に話しかけられて……。私たち、何か悪いことをしたんでしょうか」
私は、首を振った。
「いいえ。確認に来ただけです」
「……なら、よかった」
その安堵の表情を見て、私は改めて思う。
ここで私が過剰に動けば、彼女たちを巻き込む。
守るということは、前に出ることだけではない。
夕方、セドリックから報告が届いた。
「内務府の件、殿下のもとにも届いています」
「反応は?」
「『想定内だ』と。――それと、もう一つ」
彼は言葉を区切った。
「殿下は、“最初の試しが終わっただけ”だと仰っていました」
私は、庭の向こうを見た。
空は穏やかで、雲はゆっくりと流れている。
「ええ。そうでしょうね」
名が立てば、試される。
力を示すか、従うか、越えるか。
けれど私は、そのどれも選ばない。
選ぶのは、距離だ。
この場所から動かず、線を守り、必要なときだけ声を出す。
それが、私の立場。
夜、灯りを落とす前、私は手帳に一行だけ書き留めた。
――試しは終わった。次は、圧だ。
静かな暮らしは、まだ守れている。
だからこそ、私は今日も、変わらぬ眠りについた。
嵐は近づいているが、まだ、踏み込ませない。
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