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第十八話 静けさに差し込む圧力
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第十八話 静けさに差し込む圧力
朝の空は、どこか重たかった。
雲が低く垂れ込み、光はあるのに、はっきりとした影ができない。私はその空を一瞥してから、いつも通り庭に出た。土は昨夜の湿り気をまだ含んでおり、歩くたびに柔らかく沈む。
(……今日は、来る)
根拠のない予感ではなかった。昨日までの「確認」は、すでに終わっている。次に来るのは、より直接的な圧だ。
朝食の途中、管理人が慎重な表情で近づいてきた。
「エリシア様。王都から……再び使者が」
「今度は、どちらから?」
「外務府です。名目は……“協力要請”」
私は、ナイフを置いた。
「お通しして」
逃げる理由は、やはりない。
外務府の使者は、若い男だった。身なりは整い、声も柔らかい。だが、その柔らかさは、角を削った刃物のように感じられた。
「王子妃殿下。突然のお願いをお許しください」
「構いませんわ」
彼は一礼すると、すぐに本題に入った。
「近隣国との関係改善にあたり、殿下のお名前をお借りできないかと」
私は、瞬きひとつせずに聞いた。
「……具体的には?」
「親善の象徴として、慈善事業への関与を示していただければ。短い声明だけでも十分です」
来た、と思った。
これは依頼ではない。試しだ。受ければ次があり、断れば“非協力的”という評価が残る。
「どの慈善事業でしょうか」
「国境付近の難民支援です。現在、王家主導で――」
「王家主導、ですのね」
私は、穏やかに言葉を切った。
「では、なぜ私が?」
使者は、ほんの一瞬だけ言葉に詰まった。
「……王子妃殿下は、清廉で、政治色が薄い。象徴として、最適だと」
つまり、使いやすい。
私は、微笑んだ。
「申し訳ありませんが、お断りします」
即答だった。
使者の目が、わずかに見開かれる。
「理由を、お聞かせ願えますか」
「ええ」
私は、落ち着いて答えた。
「私は、政治に関与しないと決めています。善意を象徴に使われることも、望みません」
「ですが、声明だけで――」
「声明は、関与です」
それ以上でも、それ以下でもない。
沈黙が落ちた。
使者は、書類を整え、深く頭を下げた。
「……承知しました。本日の件は、そう報告いたします」
彼が去った後、部屋には静けさが戻った。
だがそれは、先ほどまでとは質が違う。
踏み込まれた。
私は、ゆっくりと息を吐いた。
(これで、“線”は見えたでしょう)
昼過ぎ、セドリックから急ぎの伝言が入った。
「外務府の件、すでに殿下の耳に入っています」
「反応は?」
「笑っておられました」
私は、思わず眉を上げた。
「笑って?」
「ええ。“彼女らしい”と」
その言葉に、胸の奥が少しだけ緩む。
「殿下は続けてこう仰いました。『彼女の断りは、私の断りだ』と」
私は、思わず小さく息を吐いた。
盾は、まだ機能している。
夕方、村の集会所に立ち寄ると、空気が少しだけざわついていた。
「エリシア様、王都の方が何人も来てるって……」
「何か、変なことにならないですよね?」
私は、彼らを見渡し、はっきりと言った。
「ここでの生活は、何も変わりません。誰かに何かを強制されることもありません」
その言葉に、村人たちは安堵の表情を見せた。
それを見て、私は確信する。
私が守るべきは、王家の体面ではない。
この静かな日常だ。
夜、机に向かい、私は手帳を開いた。
――外務府、接触。 ――象徴化の拒否。 ――盾、正常。
短い箇条書きだけで、十分だった。
圧は、これから強まる。
より巧妙に、より穏やかに、逃げ道を塞ごうとしてくるだろう。
けれど私は、動かない。
線を引いた者は、揺れない。
灯りを落とし、私は静かに目を閉じた。
白という距離は、まだ保たれている。
それを崩そうとする手が、いくつ伸びてこようとも――私は、ここに立ち続ける。
朝の空は、どこか重たかった。
雲が低く垂れ込み、光はあるのに、はっきりとした影ができない。私はその空を一瞥してから、いつも通り庭に出た。土は昨夜の湿り気をまだ含んでおり、歩くたびに柔らかく沈む。
(……今日は、来る)
根拠のない予感ではなかった。昨日までの「確認」は、すでに終わっている。次に来るのは、より直接的な圧だ。
朝食の途中、管理人が慎重な表情で近づいてきた。
「エリシア様。王都から……再び使者が」
「今度は、どちらから?」
「外務府です。名目は……“協力要請”」
私は、ナイフを置いた。
「お通しして」
逃げる理由は、やはりない。
外務府の使者は、若い男だった。身なりは整い、声も柔らかい。だが、その柔らかさは、角を削った刃物のように感じられた。
「王子妃殿下。突然のお願いをお許しください」
「構いませんわ」
彼は一礼すると、すぐに本題に入った。
「近隣国との関係改善にあたり、殿下のお名前をお借りできないかと」
私は、瞬きひとつせずに聞いた。
「……具体的には?」
「親善の象徴として、慈善事業への関与を示していただければ。短い声明だけでも十分です」
来た、と思った。
これは依頼ではない。試しだ。受ければ次があり、断れば“非協力的”という評価が残る。
「どの慈善事業でしょうか」
「国境付近の難民支援です。現在、王家主導で――」
「王家主導、ですのね」
私は、穏やかに言葉を切った。
「では、なぜ私が?」
使者は、ほんの一瞬だけ言葉に詰まった。
「……王子妃殿下は、清廉で、政治色が薄い。象徴として、最適だと」
つまり、使いやすい。
私は、微笑んだ。
「申し訳ありませんが、お断りします」
即答だった。
使者の目が、わずかに見開かれる。
「理由を、お聞かせ願えますか」
「ええ」
私は、落ち着いて答えた。
「私は、政治に関与しないと決めています。善意を象徴に使われることも、望みません」
「ですが、声明だけで――」
「声明は、関与です」
それ以上でも、それ以下でもない。
沈黙が落ちた。
使者は、書類を整え、深く頭を下げた。
「……承知しました。本日の件は、そう報告いたします」
彼が去った後、部屋には静けさが戻った。
だがそれは、先ほどまでとは質が違う。
踏み込まれた。
私は、ゆっくりと息を吐いた。
(これで、“線”は見えたでしょう)
昼過ぎ、セドリックから急ぎの伝言が入った。
「外務府の件、すでに殿下の耳に入っています」
「反応は?」
「笑っておられました」
私は、思わず眉を上げた。
「笑って?」
「ええ。“彼女らしい”と」
その言葉に、胸の奥が少しだけ緩む。
「殿下は続けてこう仰いました。『彼女の断りは、私の断りだ』と」
私は、思わず小さく息を吐いた。
盾は、まだ機能している。
夕方、村の集会所に立ち寄ると、空気が少しだけざわついていた。
「エリシア様、王都の方が何人も来てるって……」
「何か、変なことにならないですよね?」
私は、彼らを見渡し、はっきりと言った。
「ここでの生活は、何も変わりません。誰かに何かを強制されることもありません」
その言葉に、村人たちは安堵の表情を見せた。
それを見て、私は確信する。
私が守るべきは、王家の体面ではない。
この静かな日常だ。
夜、机に向かい、私は手帳を開いた。
――外務府、接触。 ――象徴化の拒否。 ――盾、正常。
短い箇条書きだけで、十分だった。
圧は、これから強まる。
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けれど私は、動かない。
線を引いた者は、揺れない。
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