ただ今ヒツジ電話番

夏目はるの

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眠れない夜はあなたのせいじゃない

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期末テストの出来は最悪だった。さすがに勉強頑張らなきゃなあと思いつつ、気づけばスマホをいじってしまっている。はあ、と自分にため息をついて机に突っ伏した。ピコン、と通知音が鳴って開けば加奈子からのLINEだ。そのまましばらくLINEでやり取りをしていたら、下の部屋からママに呼ばれる。夜ご飯だろうか。

相変わらず眠れない夜は続いていたけど、電話をかけたのは最初の一度きりだった。何度もしようとは思ったけどしなかった。ううん、本当は出来なかった。もしこれで繋がらなかったらどうしようなんて思ってしまったのだ。そうしたら希望がなくなってしまうような気がして、暗くて寂しい夜の出口がもう見つからなくなってしまう気がして、怖かったのだ。このまま電話がつながる場所があるんだと、そう思っているだけで十分心が救われた。

ママにもう一度呼ばれて階段を下りていく。その日は珍しくパパの帰りも早くて、とても久しぶりに3人でテーブルを囲んだ。なんとなく、異変は感じていた。最近ママとパパの夜の喧嘩が減っていた。仲良くなったのかな?なんて単純に期待できるほど私はもう子供ではなくて、なんとなく、ほんとに何となく気づいていた。重い空気の中、ママが口を開く。あのね、朝霞。

「ママたち、離婚しようと思ってるの。」

不思議と悲しい気持ちは無かった。不自然なくらいに心は凪いでいて、でもそんな私にもママたちは気づいていなかった。ママはポロポロと涙を流して、パパは腕を組んで険しい顔でそっぽを向いている。私の事なんて全然見ていなかった。だから私も2人の事を見ないまま、お味噌汁を一口すする。味がしない。

「朝霞に、決めて欲しいの。」
「・・・何を?」
「ママは田舎のおばあちゃんのお家に戻る事にしたの。パパは、このままこのアパートに住む事になると思う。」

田舎のおばあちゃん家といってもここから車で3、40分ほどで、高校にも電車で通えそうだ。だから距離的にはどっちでも構わないか、あ、でも終電は何時なんだろう。なんて冷静に考えている自分が可笑しい。心と体がバラバラになっているのが分かる。私がボーっと考えていると、ついにママが嗚咽を漏らして泣き出した。ごめんね、ごめんね。朝霞は家族一緒にいたいよね、ごめんね。

その言葉に、自分の心がスーッと冷えていくのが分かった。
何それ、と思わず小さく声が漏れる。一緒にいたいも何も、ここ数年3人で出かけることも、食卓を囲むことも、話す事すらなかったじゃん。いつも怒鳴り声が聞こえて、何かが割れる音が聞こえて、私がどんな気持ちで眠れずにいたと思ってるの?ていうか決めて欲しいってなに?なんで決めさせるの?どっちを選んでも、わたしはどちらかにとっては裏切りものになるんでしょう、後ろめたい気持ちを持たなきゃいけないんでしょう。意志の尊重でもなんでもない、ただの責任転換だ。感情が次々と溢れて出てくるけど、必死にこぶしを握って耐えた、口には出したくなかった。あんたらなんかに私の大切な気持ちを知られたくなかった。自惚れないで。わたしは、わたしはそんな子供じゃない。

喉の奥に溢れそうな言葉がつっかえて苦しい、勢いのまますべてが出てきそうになるのをこらえて、天井を睨みつける。言葉を閉じ込めている代わりに涙が溢れてきて、でもそれさえ見られたくなかった。2人の方を見ないままリビングを出て、スマホだけ握り締めて外へ飛び出した。



外に出たたはいいものの、私は結局、24時間営業のファミレスにいた。カラオケは22時までしかいれないし、どこかビジネスホテルに泊まるようなお金も無いし、夜の街で1人でプラプラ歩くほどの勇気もない。行くところはどこにもなかった。298円のポテトをつつきながら、ドリンクバーのりんごジュースをちびちびと飲む。わたしはもう子供じゃない、なんて思っていたけど。結局子供だ。一人じゃどこにも行けない。家ですらちゃんとできない。

時刻は深夜0時を回っていたけどファミレスにはポツポツ人がいた。パソコンとにらめっこするサラリーマン、パフェをつつくカップル、欠伸を噛み殺す定員さん。夜はいつもひとりぼっちな気がしていたけれど、意外と、そんなことないのかもしれない。

結局、少しして店内を出た。トボトボと家への帰り道を歩く。足が重たい。一歩一歩が辛い。生ぬるい風が髪を揺らして、不意に涙がこぼれた。ゆっくり頬を湿らせていく涙を拭うことも出来ず、ただただゆっくりと歩く。自分の中の色んな感情がせめぎ合って、もうよくわかんなくなっていた。よくわかんないけど、とても悔しくてむかついて、でも、とても悲しい。

気付けば、スマホを開いていた。
ボタンを押して、耳に当てる。プルルル、プルルル。

『はい、こちらヒツジ電話番です。』

聞こえてきたのは、天音の声じゃなかった。明らかに男の人と分かる低い声で、勝手に天音が出ると思い込んでいた私はまた咄嗟に言葉が出なかった。驚きと同時に涙も引っ込んでしまった。

『こちらの電話番号は、あなたが何でも話したい事を話せる場所です。もちろん口外はしませんし、お名前も匿名で結構です。』

この前とは打って変わった丁寧なアナウンス。マニュアルを読んでいるようにスラスラと言葉を紡ぐ。あまりにこの前とは違いすぎて、え、この前のは何?乗っ取り?

『もしもし。お電話聞こえてますか?』
『あ、はい、えーっと。』

丁寧に語りかけてくれるヒツジ(新)に何とか声を絞り出す。色々聞きたい事があるけれど、上手く言葉がまとまらない。

『・・・えっと、天音、は?』
『あ、ええと、もしかして天音のお知り合い、ですかね?』

かろうじて絞り出せた声に、ヒツジは怪訝そうな声を出す。そりゃそうだ。

『いや、知り合いというか、この前1回、電話して。』
『この番号に?』
『そう、この番号に。』
『名前は、なんで知ってるんですか?』
『えっと、聞いたら、教えてくれた。』

私の拙い言葉を整理してくれているのか少しだけ沈黙が流れて、次に聞こえてきたのは大きなため息だった。

『アイツ、情報管理ガバガバかよ・・・ったく。』

先ほどまでの丁寧な言葉遣いはどこへやら。あー、とヒツジはもう一度ため息をつく。

『まじさあ、普通こっちの名前とか教えなくね?』
『それは、思いました。』
『だよな?全くもう・・・わりいな、今日は天音じゃなくて俺が電話番なんだわ。』

そうか、電話番が複数人いるという考えが自分の中にはなかった。急速に気持ちが沈んでいく。そうですか、と電話を切ろうとしたけど、その前にヒツジが口を開いた。

『なあ、嫌いな食べ物ある?』
『・・・え。』
『ねえの?』
『いや。』

咄嗟に答えられず、少し歩きながら考える。この前は好きな食べ物で今日は嫌いなたべものか。うーん。

『・・・しいたけ。』
『うわ、分かる』
『分かるんだ。』
『味しねえよな。しねえくせに存在感だけある。』

表情も想像出来てしまうような苦々しい声を出すから、思わず笑ってしまう。

『あと私、銀杏も嫌い。』
『銀杏か。そんなん食べる機会ある?』
『ありますよ。茶碗蒸し。』
『ああ、確かに。』

電話越しにヒツジが納得したように息を吐く。

「俺、玉ねぎ苦手。」
「カレーに入ってるのも?」
「あー、火が通ってればまあ。でもポテトサラダに入ってるたまねぎだけは許せないんだよな、意味わかんなくね?」

あ、と思った。この前の天音の話を思い出す。ポテトサラダに入ってる玉ねぎによくキレるいとこのお兄さん。もしかして、とひとりで笑ってしまった。

電話をしながら歩いていれば、自宅までの道のりはすぐだった。まだ家に帰りたくなくて、少し遠回りをする。不意に欠伸が零れる。

「眠いか?」
「うーん、眠いけど、多分寝れない。」
「そっか。・・・今外にいんの?」
「・・・なんで?」
「風の音、やけに聞こえるから。」

うん、ともいいえとも言わなかった。ヒツジも、それ以上聞いてこなかった。少し沈黙が流れて、私の足も止まる。なんとなく地面にしゃがみこんでしまって、気づけばまたポロポロと言葉がこぼれる。

『自惚れんなよ、って感じだな。』

私の話を聞いて、ヒツジが私が思った事と全く同じ事を言う。それだけで、何故かまた泣きそうになってしまった。

『家族でいたいよねってさ、何それ。私たちのどこが家族だったの?会話すらないのに。なんだよそれ、どっちについて行きたいって、選ばせんな、決めさせんな、こっちのせいにすんな、子ども扱いすんな。・・・自惚れんな。』

私の言葉を、ヒツジは小さな相槌で受け止めてくれる。今回も咄嗟に名前が思いつかず、ヒツジにも結局本名を言ってしまった。天音と同じように「いい名前だな。」と笑ってくれたヒツジは、なんだかお兄ちゃんのような安心感があった。

『大丈夫だよ。お父さんについてってもお母さんについてってもお前の人生対して変わんねえよ。』
『・・・うん。』
『ていうかそんなんで人生左右されてたまるかって感じだろ。実際、左右もされない。』

いいか、朝霞。

『誰かのせいにしちゃ駄目だってよく教わるけどさ、そんな事もないんだよ。うまーく人のせいにして生きてこうぜ。』

ひんやりと固まってしまっていた私の心に、その言葉はすーっと入り込んできた。

『辛いこと、悲しいことを、自分のせいって思うなよ。そんなことは一個もないから、俺が保証する。俺らが何度だってお前のせいじゃないって、そう言うよ。』

気付いたら私は自分の家に戻ってきていて、部屋のベットに潜り込んでいた。電話はまだ繋がっていて、そのまま、目を閉じた。

『では、おやすみなさい。』

ヒツジの声を聴いてすぐ、夢の中にスルリと潜り込んでしまった。
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