ただ今ヒツジ電話番

夏目はるの

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はたらくということ

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「じゃ、乾杯。」

ガヤガヤとうるさい居酒屋の中で、コツン、とグラスの音が響く。ビールが喉を通っていく感覚が気持ちよくて、そういえばお酒なんて久しぶりに飲んだ気がする。

「おー、いい飲みっぷり。ていうかまじで久しぶりだよな。」
「ほんとに。隼人はやとの結婚式ぶりか?」

ビール片手にガハハ、と笑うのは大学時代の友人の窪田で、会うのはとても久しぶりだった。大学の時は同じサークルに入っていたのもあっていつも一緒にいて、馬鹿な事もたくさんしてきた。就職して中々予定が合わず会える頻度も減ってしまっていたが、こうやって顔を合わせると全然久しぶりな気がしなくて嬉しくなった。お酒もだいぶ進んでしまったが窪田は顔色も変えずケロっとしている。そうだ、こいつは昔からザルだった。

「でも、良かった元気そうで。」
「へ?なんで?」

しょうもない話でケラケラと笑いあっていれば、不意に窪田が真面目な顔をしてそう呟く。

「いや、お前が疲れてると思うから飲みにでも誘ってやってって言われたの、美玲ちゃんに。」
「え⋯。」

予想外の名前に思わず心臓が飛び跳ねて、酔っ払ってクラクラしていたはずの頭がやけにクリアになる。

「いいなあ、変わらずラブラブで。」
「え、いや、俺たちは⋯。」
「いいよいいよ照れんなって。」

そう言った窪田は本当に羨ましそうに目を細めていた。彼は上手に嘘をつけるタイプでは無いから、恐らく美玲は別れたことは伝えていないのだろう。頭の中が整理しきれずにぼーっと窪田を見つめていれば、ぷっと彼が吹き出す。

「どうしたんだよ、お前そんなに酒弱かったっけ?」
「いや、そういう訳じゃないけど。」
「ていうか、美玲ちゃんってまじでいい子だよな。さり気ない優しさっての?人に気を遣わせない優しさを配るのが、上手だよな。」
「⋯うん、そうだな。」

心の底から同意して大きく頷く。美玲はいい子だ、優しくて器用で、誰よりも人に気を遣っている。『なんか詰まってみたいに苦しくて、そろそろ、溢れちゃいそうだなって。』美玲の言葉を思い出して、なんだか涙が出そうになった。こんな事を彼女に言わせるまで、俺は、俺は。

「でも、俺びっくりしたんだよ。」
「何が?」
「大学の時4人でスノボ行ったことあったじゃん、ほら、ダブルデートみたいな感じで。」

そういえば、そんなこともあった。当時の窪田の彼女と俺と美玲で1泊2日で長野に旅行に行ったことがあった。懐かしいなあ、と思い出して思わず笑みが零れる。

「美玲ちゃんとは何回か話したことはあったけど、結構人見知りな感じだっただろ?どっちかと言えば笑って周りの話聞いてくれてる事が多いタイプの。」
「ああ、まあ。」
「でも陽といる時は楽しそうにずーっと話してたから、この子こんな風に喋るんだなって、驚いたんだよなあ。」

窪田の言葉に、一瞬息が詰まる。
そうだ、そうだった。

美玲は人見知りで口下手で、最初は全然俺とも話してくれなかった。俺が一目惚れをして何度も何度も連絡をして、やっと話せるようになったんだ。そのうち自分の話もしてくれるようになって、『ようちゃん』なんて少し恥ずかしそうに俺の名前を呼んでくれた。猫がいたとか美味しいお菓子を見つけたとか、そんな些細なことをとても幸せそうに話すから、俺は彼女のことをもっと好きになったんだ。ずっと、彼女の話を聞いていたい、聞ける立場にいたい、そう思っていたはずなのに。なんでこんな大切な事を忘れてしまっていたんだろう。



その後、俺はどうやって家に帰ったのか記憶に無い。けれど目を覚ますと自分のベットの上で寝ていて、酷く頭が痛かった。時計を見れば時刻は13時30分をさしていて、カーテンから差し込む光が憎いくらいに眩しい。スマホを開けば窪田からメッセージが入っていて、「クリーニング代請求させろよな。」の文字と星の絵文字があった。⋯今度ちゃんと謝ろう。
結局起き上がる気にもなれなくて、その日は一日中ベットの上にいた。スマホをいじって、眠くなったら寝て、二日酔いのせいでお腹は空かなかったから冷蔵庫に入っていたチョコレートを齧った。

時計の針が0時を跨いだ頃、さすがに風呂に入りたくなってベットを抜け出す。まだ頭は痛いが昼間よりは全然マシだ。明日も休みでよかった。伸びをしながら部屋の窓を開けてベランダに出る。夜風が涼しくて、大きく深呼吸をした。美玲からの連絡は当然無くて、結局俺からも連絡できていなかった。このまま別れるのはどうしたって受け入れられないのに、連絡する勇気が出なかった。彼女をどれだけ傷つけてしまっていたのか、それに向き合うのが怖かった。この後に及んで俺はまだ自分の事ばっかりだ。情けない。

付き合いでしか吸わなかったタバコは、彼女と別れてからいつのまにか毎日のルーティンに組み込まれてしまっていた。まっじい、と思いながらタバコをふかして片手でスマホをいじる。SNSを適当に流し見していれば、1つのアカウントに目が止まった。どうやら中学生2人組がお菓子作りを発信しているアカウントのようだ。動画や写真は全部手元だけで表情は何も見えないが、時々入る笑い声がとても楽しそうで、なんだか微笑ましくて思わず頬が緩む。そのアカウントの投稿の一つにURLが貼られていて、何の気なしにそのページを開く。あ、なんか詐欺だったらどうしよう、と押してから急に焦ってしまったが、出てきたのは白黒のシンプルなホームページだった。なんだこれ、と思いつつページをスクロールする。何を思ったか俺は、親指を動かしていた。


プルル、プルル。
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