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chapter2 キング&ルーク 初等部一年生編 ⑨

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「逃げ出したいです……」
 鏡台の前に座っている夏葵は本音がでるのを止められなかった。


クリスマス・イブ。
 世間的には家族や恋人達でお祝いしているだろうこの時期、パーティーが異様に多く、そしてクリスマスはかなり大きめのパーティーがあるだろうことは予想がついていた。
 小さなパーティーは出席はしないが、大きなものは父と参加する。
 約束していたこととはいえ気が重い。
なによりもっとも気が重いのは……。

 「本日は紫陽宮家主催のパーティーですから、規模も本当に大きなものなのでしょうね」

 「言わないでください……。千早さん」
 奏多に会いたくない。
 会えば絶対に歯の浮くようなセリフを言ってくることは目に見えている。
しかもその場に父もいる。
けれど、まったく気にしないであろうことは想像がつく。
 仮病で休みたい。
 仮病で休んでいてほしい。
いや、前に千早が教えてくれたではないか。
 「バカは風邪をひかない……」
 「夏葵様、言葉を慎まれてください」
キラキラから我儘バカに夏葵の中では認識がすでに変わっていた。

 千早の注意に力なく頷いて、仕度ができてしまったので立ち上がる。
 「本日は真っ赤なドレスですね。とてもよくお似合いです」
そう、7歳の子どもが着るにはかなりド派手な真紅のドレスを夏葵は着ていた。
 今日がクリスマスというのもあるのだけれど、実際は紫か赤かを選べと父に言われて選択肢がなかったからだ。
 紫陽宮家のパーティーに行くのだから、紫はいい柄なのかもしれないが子どもの自分に紫は不似合だと思ったし、なにより奏多を喜ばすわけにはいかないのだ。
まあ、他のご令嬢達は紫のドレスを嬉々として着てきそうだ。
 「夏葵様、言いにくいことなのですが、今お話してもよろしいですか?」
 「珍しいですね。なんですか?」
 「どうやら『チェトランガ』の世界が現実の世界で変わっていっているようです」
 「え?」


 『チェトランガ』
 忙しい毎日にすっかりと頭から抜け落ちていた。
ここが乙女ゲームの世界そっくりで、妹の夏李がヒロインらしいことを。
 夏李のことは思い出すのに、乙女ゲーム云々は忘れているなんて笑えない。


 「実は紫陽宮奏多様を攻略するには思い出が一つのキーパーソンになってくるのです」
 「思い出?」
 「はい。紫陽宮奏多様とヒロインである夏李様は本来、高等部に入るより前、小学校一年生の時の紫陽宮家主催のパーティで知り合っているんです」
 「え……? それって今日、なんですか?」
 「時期は明確にはされてはいませんでした。ですので夏李様が参加されたパーティーを調べてみましたが、今までの夏李様が参加されているパーティーは眞藤家の付き合いのあるものばかりでしたので、紫陽宮家は入っておりませんでした。ですが、このクリスマスのパーティーは眞藤家の縁戚も数多く来られるようです」
 「じゃあ、夏李も……?」
 声が知らず知らずのうちに震えてしまう。


 夏李に会う。


それは望んでいることでもあって、望まないことでもある。
まだ心は夏李のことを、母のことを諦めきれていない。
 自分を見てほしいと叫んでいる。
でも、あの時のように拒絶もされたくない。
まだ離れてから一年。傷は思ったよりも深く根づいてしまっている。

それでも聞いておかなければいけない。
 今日会うのだったら心構えが必要になるのだから。
そう気負った夏葵だったが、千早から返ってきた言葉は気負いなど不必要だとわかる簡素なもの。
 「いいえ。本日のパーティーに夏李様もお二人のお母様もご出席はされません。もし、本当に出席されるのであれば行哉様がおっしゃっていたかと」
それもそうだとすぐに納得した。
そんなに大事なことを、さすがにパーティーに連れていく夏葵に話さないわけがない。
 「でも、眞藤家の直系であるお母様が出られないのはなぜですか?」
 眞藤家は現在の母以外に子どもがいない。
 後継者はすでに縁類の優秀な男性を選んでいるらしいが、眞藤家の直系はあくまでも母だ。眞藤家の縁戚も数多く来るというのになぜ?
 「夏李様が色々なパーティーで、問題を起こされたことはご存知かと思われますが、そのことで色々な名家などからパーティーなどには来ないでほしいと通達されているようです」
 「それは……」
 「娘を叱ることもできずに甘やかすばかりの母親も同罪だと思われて当然かと」
あの人が夏李を叱ることなどするはずがない。
したとしてもせいぜい「今度は気をつけなきゃいけませんよ」ぐらいの注意だろう。
そんな注意を素直に受け入れる夏李ではないし、そもそも受け入れられるのなら問題など起こすはずがない。
 「今までどんな問題を起こしてきたのか聞いていませんでしたが、具体的にはどういった?」
 「他家のご令嬢を見下される。本当に泣かしたこともあるようです。容姿に群がってきた同年代の名家のご子息達に子どもとは思えない高額なものをねだる。クレジットカードを勝手に使われていたそうで、親御様達は卒倒しかけたようです。自分が一番だと声高に主張する。幼いのに見苦しいという評判です」
 「……頭痛が……」
 今すぐに蹲りたくなってくる。

 他のご令嬢達を見下す。
 自分が上だと自負できる自信はどこからでてくるのか。

クレジットカード!?
まだ初等部にも上がっていない頃からだとすると、大問題だ。本当に。

 自分が一番?
 本心から思って言っているのだから、さぞかし滑稽だ。
 見苦しいという評判に否定の余地もない。

 「夏李様自身は今回のパーティーによほど出たかったのか、泣き喚いたそうですが、紫陽宮家のパーティーでなにかしでかされたらたまったものではないと、今日一日軟禁状態だそうです」
 「……一晩中喚いているでしょうね」
 想像が簡単にできてしまう。
 「はい。私もそう思います。朝から「これじゃあ攻略の大事な部分でつまずく」「奏多様は最愛なのに邪魔しないで」「あたしはヒロインなのよ」等々訳のわからないことばかりで使用人の方々も気味悪がっているとか」
 「千早さんの情報網が時々怖くなります……」

ともあれ、今日は夏李とは会うことはない。
そのことに安堵して、そっと夏葵は肩の力を抜いた。







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