【原版】猛毒の子守唄

了本 羊

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第四話

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あの後どうなったかは気を失っていたヒイシにはわからない。
 身体に重度の暴行を受けたヒイシは一週間も高熱に魘され、ベッドから起き上がることは出来なかった。ヒイシの看病をしてくれている侍女達は、ヒイシのあまりに痛ましい姿に何も言葉がでず、仕事に専念することでしか気持ちの捌け口がない。
けれど、ヒイシには思念で大体のことは手に取るようにわかる。
あの時、部屋の前には騎士や侍女も何かあった時のために控えていた。部屋の中の異常に逸早く気付いたものの、主の許可なく入室することは出来ない。悲鳴や音で、何が起こっているのかを察知しても、傍観するしかなかったのだ。
 熱が引き、身体の痛みがなくなってきた頃、ようやくヒイシは妊娠の可能性に気付き、震え上がった。
しかしそれはヒイシの部屋を訪れた侍従長により、寝込んでいる時に薬と一緒に避妊薬も飲まされていたことを告げられて安堵どころではなく、身体から力が抜けた。
あれ以来からミスラの訪れはないが、ヒイシにとってはこの上なく有難いことである。
 騎士達や侍従長の思念から、本当に仕事が忙しいだけなのだということは知り得たが、今顔を見て、冷静に対処出来る自信などヒイシにはない。
いや、誰しもがそうなのだろう。
 食事はほとんど喉を通らず、身体は痩せていくが、口にしてもすぐに戻してしまう。
 侍女達は泣きそうな気持ちを堪えてヒイシの面倒を見てくれているが、こればっかりは致し方なかった。ああいった行為に夢を見たことなどヒイシには一度もない。
もし伯父に結婚を強要されたら、死ぬ覚悟がヒイシにはあったからだ。
それが予想もしていなかった酷い形で奪われ、死ぬことすら許されない状況で囲われている。

 永遠に、自分はこの牢獄から抜け出せないのだろうか……。

そんなことばかり考えてしまう。
その日も、いつものように食事がほとんど出来ず、窓辺に座ってボンヤリと外の景色をヒイシは眺めていた。
ふと、目の端にフリルの付いた大きな帽子を被り、同じようにフリルがふんだんに使われた服を着ている少女が映った。
どう見ても王宮で働く者とは思えない。
 「………あれは、誰?」
ベッドから起き上がれるようになってからほとんど言葉を発しなかったヒイシの問いかけに、側に付いていた侍女が驚いた顔をする。
 「誰……?」
ヒイシの再度の質問に我に返った侍女はヒイシの指差す先に居る少女を見て、納得したように口を開く。
 「あの子は花売りのバズ・テネレッツァという子です。この国では王宮でも個人的な仕事が出来るように取り計らわれているのです」
 侍女の言葉を聞いて、再度視線を少女に移す。と、少女の思念がヒイシに流れ込んできた。
その思念の心地良さに、無意識にヒイシは言葉を発した。
 「あの子を此処に、連れてきて」



バズという少女はとても緊張していた。
それはそうだろう。王宮の外で働くことはあっても、城にまで入ることなどなかったのだから。
バズはヒイシの居る部屋に通されると、ヒイシを見て息を呑み、床にひれ伏した。それにはヒイシも苦笑するしかない。
 「花売りの方だとお聞きしました。花を見せていただけますか?」
 「は、はいっ!」
 床から飛び上がり、花々を入れた籠をバズは震える手でヒイシのほうに差し出す。
 籠の中には色とりどりの花が丁寧に入れられている。その中で、ヒイシは一目見て惹かれた花があった。一本抜き取り、しげしげと花を眺める。
 「これは……?」
 「そ、それは雪薔薇という花です!」
ヒイシが手に取った花は、見た目は白薔薇によく似ているが、常に露を含んだような花びらに薄らと青い色がかかっている。
ヒイシは故国でも図鑑でも、このような花を見たことがない。
 「雪薔薇はジルベスタンの極一部で近年栽培され始めた花なのです」
ヒイシの疑問を察した侍女が話し始める。
 「栽培方法の難しさからまだ全土に広げることは出来ないため、ジルベスタン国の人間以外は知らない花です」
ジっ、とヒイシは雪薔薇を眺める。
 「……この花を貰えますか?」
 「はい!」
 侍女が素早くお金をバズに渡す。金額の多さにバズは驚いているが、是非に、と侍女に言われ、恐縮しながらお金を仕舞っている。
そんな光景を見つめながら、ヒイシは内心で苦笑いを堪えきれない自分自身に気付いていた。
 落ちぶれた皇族でこの国に捕虜となってやって来たヒイシに、自由に出来るお金などない。
そんなことすら考え付かずに花を望む。
とても浅ましい人間のように己が思えてしまう。
 「あ、あの……」
 物思いに耽っていたヒイシに、バズが躊躇いながら声をかけてくる。
バズの思考から、自分のことを何と呼んだら良いのかわからない、と訴えられていた。
そういえば、まだ自分の名前を口にしていなかったとヒイシは気付く。
 「私の名前はヒイシです。どんな呼び方でも構いませんよ」
 「で、で、ではっ、ヒイシ様! お、お身体の具合が宜しくないのですか……?」
バズの言葉に反応したのは侍女だった。顔色が瞬く間に真っ青になっていく。
 侍女の顔色の劇的な変化に、バズは訊いてはならないことを訊いてしまったのだと気付き、目に見えて慌てだす。
 「……体調が思わしくなくて、食事が喉を通らないだけですよ」
ヒイシの静かな言葉に、バズは持っていた花入れの籠より一回りほど小さい籠からビンを取り出す。
 可愛らしいリボンが付いたビンの中身は、恐らくは何か果物のジャムなのだろう。
 「これ、イチジクという果物を煮込んだジャムです。体調の良くない時はお茶に落とすと食欲がでます。……あ、お金をたくさん頂いてしまいましたので……。もし、宜しければ……」
バズの言葉がどんどん小さくなっていくのは、庶民の食べ物を高貴な人間に突発的な行動とはいえ薦めてしまったがゆえのものだ。
そんな温かな心遣いがヒイシは無性に嬉しかった。
 閉じ込められてきた年数と、それ以前から味方は祖父以外いなかったため、庶民では当たり前の心遣いに憧れていた。
 「……ありがとう」
ジャムの入ったビンを受け取ると、バズは驚きと恐縮したような表情をした後、嬉しそうに顔を綻ばせる。
 黒曜石の髪と瞳。
 「……貴方は綺麗ね」
 「え? ……ええ!!?」
バズは心底驚いたように後ずさる。
その顔は茹でたように真っ赤だ。
 「大地の女神」と称されるほどの美貌を持つヒイシに「綺麗」と言われて、狼狽えないほうがおかしいのだろう。
バズが綺麗だという言葉は、ヒイシの嘘偽りない本音だ。
まだ少女の年齢なのに日々働いて生活費を稼ぎながら一人で暮らしている。バズの家族が既にいないことは、ヒイシはバズを通すことで視れてしまう。
ままならないことは数多くあったはずなのに、その心には曇りがなく、花畑に居るような心地良さを感じさせる。
ヒイシ自身が、幼い頃に失くしてしまったものを、バズは持っている。
そのことが、ヒイシはとても羨ましかった。




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