【原版】猛毒の子守唄

了本 羊

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第五話

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その日以降、バズから貰ったジャム入りのお茶を飲んだり、ジャムをのせたパンを食べるようになったヒイシの食欲は少しずつ回復し、侍女達をとても安堵させた。
バズはそれから毎日ヒイシの元を訪れるようになり、雪薔薇を毎日一輪ずつ置いていく。
 侍女達ともすぐに打ち解け、侍女達に似合った花も持参するようになったバズの存在にヒイシは救われていた。
そんな中、侍女からミスラの訪れを告げられ、逃げ続けるわけにはいかないという気持ちを遥かに上回る内心の怯えと身体の震えに、あったことはなかったことには出来ないのだと、痛切に実感させられた。

 夜に訪れたミスラは、初めて出会った時同様の流麗な振る舞いと雰囲気でヒイシに話しかける。
 「当分の間は私の顔など見たくないと思ったので、執務にせいをだしていました。ようやく兄上が国に戻られるとの報告を受けたので、様子見がてらの休憩ですが」
 「……そうですか」
 誰のせいだ。
と罵りたい気持ちを隠してヒイシは俯いて、極力ミスラの顔を見ないようにしていた。
 「それから、兄上が帰国されるため、貴方にはこの部屋から離宮に移っていただこうと思うのです。面倒をかけてしまい、申し訳ありません」
 白々しい演劇の台詞を聞いているようで、ヒイシの不快な気持ちは募っていく。
ヒイシに決定権など有りはしないというのに。ミスラは自分を見ようとしないヒイシに苛立つでもなく、花瓶に生けられている雪薔薇に目を留める。
 「雪薔薇ですか。この美しい花をもっと大きく広めたいのですが、栽培方法が特殊なのでなかなか上手くいきません。雪薔薇と言えば……侍従長から打診がありましたね。花売りのバズ・テネレッツァを貴方付きの侍女に出来ないか? と」
ミスラの言葉の内容に驚き、ヒイシはミスラの顔をまともに見てしまう。
それに嬉しそうにミスラは微笑み、雪薔薇を一本、花瓶から抜き取る。
 「良い案だと思います。貴方はその少女と話してから体調が回復していったと侍女達が喜んでいたとか。侍女以外の騎士達からの評価も良いようですし」
 確かに、バズが側にいてくれるのならば、少しは心安らかに生活が出来る。
いずれヒイシは自分の異能をバズに話してしまおうかとも思っていた。
しかし、次に放たれたミスラの言葉に、そんな考えは霧散してしまう。

 「貴方を伴侶として迎える私にとっては、そのような人物は得難い存在です」

 何を言われたのかわからなかった。
 一字一句頭の中で反芻し、意味を理解すると、ヒイシは頭に血が上って椅子から大きな音をたてて立ち上がった。
あんなことをした相手と結婚したいなどと、どの口が言うのか。
 怒鳴り声を上げそうになったヒイシの唇に人差し指をあてることでミスラはそれを制する。
 「私が伴侶にしたいと願った。だから伴侶とする。間違ってはいません」
あまりに身勝手な発言に、怒りも突き抜けてもはや呆れしか浮かばない。
 「私は!! 誰とも婚姻するつもりはありません! 国内の有力な貴族令嬢か、国外の王族の姫を娶るのが筋でしょう!」
 「生涯結婚する気はなかったのに、相手が見つかったのですから、その相手と婚姻するのが普通では?」
 駄目だ、とヒイシは思う。
ミスラとの会話は堂々巡りで、ちっとも解決など出来やしない。
そもそも、会話自体が成立していない。
 「……無理矢理貴方などと婚姻させられるぐらいなら、死んだほうがマシです!」
ヒイシがそう吐き捨てた瞬間、身体を強い力で引き寄せられ、ミスラの腕の中におさまっていた。
 驚いて離れようとするヒイシの腰を抱き、ミスラは口元に笑みを浮かべたまま、己の顔をヒイシに近づける。
 「……「死ぬ」という言葉は私と兄上が最も嫌いな言葉なんです。今回は許しますが……次に口にしたら、また酷い目に遭わせますよ。ヒイシ」
ミスラの瞳は、あの日、ヒイシを凌辱した時と同じ無機質な何かを孕んでいた。
ヒイシはひっ! と喉を詰まらせる。
あの日の恐怖と痛みが蘇り、身体がカタカタと震えだして止まらない。
 真っ青な顔色のヒイシに頓着せず、ミスラはヒイシの唇に軽い口づけを落とす。その行動に怯えたヒイシの口元が僅かに開かれるのを見過ごさず、ミスラは自身の舌をヒイシの口内に滑り込ませる。ミスラを押し返そうとヒイシはもがくが、ミスラの指一つたりとも、ピクリとも動かない。
 「ふぅ……っ! んんっ………!」
 息が上がり、呼吸がままならない。
 何度も何度も角度を変えられて与えられる口づけは濃厚で、震えていた身体は徐々に力が入らなくなっていく。
 「口づけをする時は、鼻で息をするんですよ。もしかして、経験がありませんか?」
 一旦口づけを解いたミスラは、まるで愛おしいというかのようにヒイシの頬を撫でる。
 軟禁生活を強いられていたヒイシに、そんな経験などあるはずがない。
 再開された口づけに弱弱しくも抗うのは、ヒイシに残された最後の矜持。
 熱い大きな舌がヒイシの口内を犯し、舌を絡め取り、キツク吸われ、水音が響く。
ヒイシの頭の中がボーっとなる頃、名残惜しげにミスラの舌が引いていく。
ミスラに支えられていることに、霞がかった思考では嫌悪も浮かんでこない。
チャリ、という音がして、見るとヒイシの腕にはブレスレットがはめられていた。
ペリドット。アメジスト。パライバトルマリン。水晶といった宝石がふんだんに使われた装飾品だ。
 「私からの贈り物です」
 微笑んでヒイシを見つめると、ミスラはヒイシを椅子に座らせ、立ち上がる。
 「休憩がてらなので、時間があまりないのです。今日はここまでで。それでは」
ミスラが部屋から出て行き、その足音が聞こえなくなった頃、ようやくヒイシの身体の呪縛は解かれ、ふらつきながらも寝室まで足を進ませようとするが、すぐに床に膝がついてしまう。
 「……ハハ……」
 乾いた笑いが、ヒイシの口から洩れる。

 逃げられない。
 抗うことすら許されない。

ミスラと共に居ると、思念を見通すことは出来なくとも、それが否応なくわかってしまう。
 涙が一筋、ヒイシの頬を滑り落ちて床に消えていった。




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