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第3章 悪魔の申し子が生まれた日
第29話
しおりを挟む式典も終了し、王族や招かれた者達が場を辞した翌日、タイムは王宮内にある一室に滑り込んで、音をたてないようにカーテンが引かれている大きなベッドに近付いた。
「お前にしては遅かったな」
悠然と風呂上りを感じさせる着崩した姿で、アエネアはベッド脇に腰かけて、最高級果実水を飲んでいた。書類の束を横に抱えているタイムはアエネアの姿に盛大なため息を吐く。
「遅いも何も、タイミングを見計らわないと、俺が見たくないもん見るだろうが!」
「レン・マーフィーは?」
「自室にお戻り頂いた後、早朝に言付けておいたよ。『スイちゃんは昨日の怪我を王宮筆頭医師に診せるために、アエネア殿下が連れて行ったので、心配しないで下さい』ってね」
「すまないな」
「・・・お前の言葉からはいつも誠意がまったく感じられないんだよ」
タイムは前髪をかき上げると、チラリとカーテンの引かれているベッドに目を向けた。
「・・・・・・スイちゃんは?」
「眠っている」
アエネアがカーテンを引くと、深く眠り込んでいることがわかる翠が横たわっていた。身体は敷布に隠れて見えないが、どれぐらい泣いたのかわからないほどの涙の痕が頬や目尻にあり、目は腫れてしまっているようだ。タイムは盛大なため息を吐いて、アエネアの真向かいの椅子にドッカリと座り込む。
こうなることを予め知っていたとは言え、夜中にこの部屋の前を見張っていた折に、一晩中、翠が泣いていることが伝わってきて、やるせなかった。
「初めてだったから、最初は暴れたが、大丈夫だ」
事もなげに口にする己の主を、ジットリと睨む。
「そりゃあ、初めてでお前のものを受け入れさせられたら、暴れも泣きもするだろうよッ」
アエネアに抱えていた書類の束を突き出し、タイムは当てこする。
「ちゃんと優しくした」
「当たり前だ!」
もし翠がそういった経験があったとしても、アエネアのものは規格外の大きさ過ぎるので、受け入れる準備をキチンと施さなければ、心身共に壊れてしまう。
「まあ、興がのったから、7回ほど付き合わせてしまったが」
アエネアの言葉に、タイムは椅子からずり落ちた。
「今なんつった?!」
「興がのったから、7回・・・」
「初めての子に?! 7回ッ?!」
「うるさい」
果実水の瓶のガラスの蓋をタイムの頭に命中させて、アエネアは書類に目を通し始める。
アエネアの初めての記憶は、声が嗄れ続けても泣き叫んでいる母親の姿を当然のことのように毎日眺めていることだった。古い石畳の上に、高級な絨毯や家具が最低限備え付けられている、窓のない部屋。そして、部屋に隣接する小さな小さな物置部屋がアエネアの世界のすべて。
『愛しているから妊娠したのよッ!! それのどこが悪いって言うの!!!』
髪を振り乱して泣き叫ぶ母親は悪鬼のようにアエネアには映ったが、それに恐怖を感じる心を何故かアエネアは持たなかった。
『あの方が見てくれないのなら、こんな子要らない!!!』
同じようなことを毎日大声で喚いては、アエネアを殴り、蹴り飛ばし、薄暗い物置部屋に閉じ込めた。毎日、1食、大きなパンと水しか与えられず、アエネアは5歳まで母親と共に幽閉された塔の中で生きていた。
そんなある日、いつものように物置部屋に閉じ込められていたアエネアは、物置部屋から開け放たれた強い光に、目を眩ませた。まるで大切なものを扱うかのように物置部屋から出された先にいたのは、とても端麗な容貌をもった青年と麗しい容姿をした少女。
自分は死んで、死後の世界にでも来てしまったのかと錯覚した。が、衛兵達に取り押さえられて金切り声を上げる母親を見て、現実であることを知った。
そのままアエネアは塔から出され、身綺麗にされて、温かくて美味しい食事まで出された。初めて見る、外の世界は、アエネアの想像とはまったく違い、広く、どこまでも続いているかのように見えた。そしてアエネアは、兄である王太子から、己の出自を知らされた。
兄は、罪人の子と言えども、自分の子どもにまったく会いに行く素振りすら見せない父王に業を煮やし、妻である王太子妃を付き添って、手続きを踏んで、王宮からかなり離れた場所にある、あの幽閉の塔へとやって来た。
けれども、手続きをキチンと取ったというのに、塔の前を守る衛兵は、王太子を何とか理由を付けて遠ざけようとする。これは何かある、と王太子妃と目配せし、その日はそのまま王宮へと帰って行った。
だが、それは見せかけで、近くで近衛達を呼んで待機していた王太子と王太子妃は、衛兵の気が緩む瞬間を狙い、塔の中へと突入した。そして、母親に虐待されているアエネアを発見したのである。発見された当初、5歳のアエネアは2歳程度の身長や体重しかなく、急いで宮廷医師に掛らせて滋養のある物を選んで、食事をさせた。
『・・・ボクは、生まれてこないほうが良かったのではないの?』
何の感情ものせずに口にするアエネアを、兄と義姉は力強く抱き締めた。
『私達が生きていてほしいんだ』
何の飾りも哲学もない、心からの言葉。
その日、アエネアの世界のすべては兄と義姉になった。
『困ったものだ。父上は確かに良き王ではあるが、為政者として、欠落した部分がある』
『そうですわね・・・。側室を迎える、ということは、王族の血を絶やさないためにある決まりですから』
『私のように、最初から「側室は迎えない」、と堂々と宣言し、あの手この手で接触しようとしてくる者達を薙ぎ払えば良かったのに、父が人が良かったばかりに・・・』
『他の御側室様方は、本当に陛下と王妃様に忠誠をお誓いになられているので、こういった事態を引き起こすなど、思いも寄らなかったのでしょう』
『それにしても、我が子が酷い虐待をされていることにまったく気付けなかった、というのは・・・・・・』
兄と義姉は、アエネアが眠っていると思って話していたようだが、アエネアはしっかりと2人の会話を聞いていた。
父王は為政者として、根本的に駄目な部分があるようだ。塔の物置部屋で、真っ暗闇の中で古く、埃の被った本を読み、文字を独学で覚え、知識を吸収していたアエネアには、父は欠落品にしか見えなかった。
「側室」というものは、正妃がいなければ、それと同等の扱いを受ける存在。王族の血を守るためのものなのだから。母以外の側室達は、分を弁えていたのだろうが、王妃がそれを諫めねばならない。王の側室になれる、ということは、家柄と容姿、才知が優れており、幸せな婚姻が可能な女性達なのだから。
『愛しているから妊娠したのよッ!! それのどこが悪いって言うの!!!』
お母様、貴方は何も悪くない。妊娠したことは、むしろ僥倖に値することだっただろう。どんなに愚かしく、醜くとも。
『あの方が見てくれないのなら、こんな子要らない!!!』
政略結婚で、夫を愛せることはとても幸せだ。子どもはその証。それを全面的に否定されたのならば、我が子を疎ましく思っても致し方がない。
罪人にまで堕ちる愚かしさは救いようがないが、お母様は王妃に毒を盛った以外、悪いことなど何もしていない。
その日から、アエネアはコッソリと兄と義姉の会話を盗み聞きするようになった。
王太子である兄の父への不満は的を得ているものばかり。アエネアやアエネアの母親のことを伝えても、
『そちらで処理を行え』
との書簡が返ってくるのみ。こういった時、帰還を何とか早めるのが普通の対応であろう。今の王宮は、兄が王位に就いた時に、良くないものを呼び寄せる予感しかしない。アエネアは、父王が王位に相応しくない人間であることを、早々に理解し、嫌悪の情を持つようになった。
1ヶ月後、アエネアは再び母親と対面した。
母親は、アエネアが救い出された後、まるで幽閉されていた年数が一気に心身に負担がきてしまったかのように寝込み、最早死ぬのは時間の問題だと告げられた。
王宮の医務室のベッドに横たわる母は、アエネアの物心がついてからも、見たことがない、穏やかな表情で窓の外の景色を見つめて微笑んでいた。
兄と義姉と共に母親の元を訪れたアエネアは、少なからずその変わりように驚いてしまった。不意に、母が此方を向き、とても穏やかに微笑んだ。
「・・・・・・あの方と同じ髪と目。その色、好きだわ」
母の視線の先には兄がいた。兄は母の言葉で、何かに気付いたかのように目線を下に俯ける。「あの方」とは、十中八九、父王のことなのだろう。兄の腕をソッ、と義姉が支えている。
「・・・初めてお会いした時、『娼婦だった過去なんて、人を構成する要素には関係がない』と笑って仰って下さってね・・・・・・」
母が父王を語る姿は、とても幸せそうだった。
数日後、母は静かにその生涯を終えた。
極秘裏に行われた葬儀は簡素なものだったが、兄と義姉は本当に母の死を悼んでいた。自分には母親への情は欠片もなかったが、そんな風に逝けた母は、罪人としては幸せな人間だったのではないかと思う。
その葬儀にすら、父王は帰還してはこなかった。兄はそのことに憤慨していた。
母の眠る棺を見つめて、アエネアは静かな昏い、生涯変わらない決意を胸に宿す。
(お母様、初めてボクを生んで下さったこと、感謝します。これから、全力で兄上と義姉上の治世の邪魔になる愚王と愚女、その周囲を排除致します)
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