【R18】ミスルトーの下で

Cleyera

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03 名乗る

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 いつもよりも客の入りが早くて、店内の騒々しさに落ち着かない気持ちを抱く。
 それは、いつもの貸切状態と違って客がいるからだけではない。

 入って来た客に声をかけられる前に、おっさんが「予約済みだ」とか「勝負すんのか?」と口にするのだ。
 おっさんに何事か言われた客は、苦い顔をして去っていく。

「今日みたいな日に一人でいるのは、寂しい体を人肌で慰めたい奴って決まってんだろうが。
 しかもミスルトーの下にいたら、誘いを待ってるようにしか見えねぇ」

 ……気がつかないふりをしてるんだから、言うなよ。
 そう思いながらおっさんに目を向けると、いつの間にかショットグラスを片手にカウンターに右肘をつき、おれを見つめていた。

 男同士で慰めるって、何するんだ。
 自分の部屋すら持ってない、オナニーも日常的にできないおれは、いつでも欲求不満だ。
 坊主なのに生臭すぎるとは思うけれど。

 やけに潔癖な弟が、エロ本やAVを部屋に置いておくのを嫌がるから、おれは性的な知識をあまり知らないままで歳だけ重ねてしまった。
 学生の頃、同級生が語っていた猥談のどこまでが本当かも知らないままだ。

 おっさんの思わせぶりな言葉や、からかうような態度に気がつかないふりをしながら、グラスを傾ける。
 もう帰らないといけないのか、帰りたくない、と気持ちが落ち着かない。
 精神的な疲れを癒したくてここに来ているのだから、とマスターにウィスキーのお代わりを頼んで、乾きもののつまみを適当に減らして、気持ち良い酩酊感を感じていると、ポンと肩に分厚い手が乗せられた。

「なあ、帰らなくていいのか?」

 まだ横に座っていたおっさんの声を聞くと、酩酊感が船酔いのような気持ち悪さを伴って襲ってきた。
 渋々とカウンター奥の時計を覗いて時間を確認すれば、帰らないと妹まで説教に加わりかねない時間だった。
 でも、帰ったところで、延々と母親と妹に説教されながら、年末の自転車操業地獄に突入するだけだ。

「……帰りたくない」

 酔っ払ったままの衰えた判断力で「でも帰る」と言う前に、背中に腕を回されてきつく抱きしめられていた。
 おっさんなのに力が強いなーと思っていると、スツールから引き摺り下ろされて、再び半歩ほどずれた木の枝の下に連れていかれた。

「うちに来いよ、な?」
「……」

 返事ができずにいると、抱きしめられて、さっきとは比べ物にならない勢いで口を重ねられた。

「っ!」

 酔っ払って緩んでいた唇を割り開いて、歯列をぬるりぬるりと確かめるように舐めていく舌は、異様に長い気がする。
 ピリピリと辛いような蒸留酒の味と匂いがして、やけに冷たくぬめる舌が、口の中をどこもかしこも味わう様に、ゆっくりと甘やかすように触れていくと、空気が足りないのか頭がふわふわと軽くなっていった。

「ほら、気持ちいいって顔してんぞ」
「……ふぁ」

 こんな性的な予感がする行為は、もう何年もしてない。
 自慰をする場所も機会も少ないから、いつもトイレでそそくさと済ませるばかり。
 他人と粘膜を触れ合わせるって、こんなに気持ちよかったんだと、忘れていた。

加川カガワ 丈太ジョウタ、ジョーって呼んでくれ」
「……わかった」

 このまま流されるのはまずいと思うのに、硬い指先で撫でさすられている顎が気持ちよくて、帰りたくなくて、もっと気持ちよくなれる期待があって、動きたくなくなった。
 不意に耳に入った「見せつけんなよ」と言う声に顔を上げると、ここがバーの中で、ヤドリギとかいう木の枝の下だと思い出す。
 恥ずかしさに再び顔を下に向けたけれど、逃げ出そうとする体はおっさん、いや、ジョーに捕まったままだ。

「そんじゃあウラさま、ちょっと早いけど、よいお年をー」
「ええ、よいお年を、持ち帰るなら逃さないように」
「もちろんですとも」

 おっさ、ジョーがマスターと挨拶しているのを、ふわふわしながら聞いていたら、知らない内におれの呑んだ分まで支払いをしてくれたようだ。

 財布を出そうとして、支えられないと立てなくなっていることに気がついた。
 思った以上に酔いが回っていると気がついても、気持ちよくてふわふわした状態は変わらなくて、脇の下を支えられるようにして店を出る。
 おれよりも背が低いのにジョーの腕は力強い、分厚いジャケットの下の体が岩のように硬い気がする。

「金、払うから」
「おう、後でな」

 今日は電車で来ているから、終電がある時間までは大丈夫だ。
 それまでには酔いも抜けているだろう。
 どうせ説教されるなら、みんな寝ているかもしれない時間にこっそり帰って、明日まで逃避したい。

 先延ばしにすぎないことは理解していても、今夜は家に帰りたくない。
 毎年、メリークリスマスのついでに誕生日おめでとう、って言われるのはうんざりだ。
 そんな気持ちを腹の中に押し込めて、ジョーに抱えられるように支えられ、やけに街灯がキラキラしている中で、ふわふわ揺れている地面を支えられながら歩く。

 まるで、夢を見ているようだ。
 イルミネーションで光り輝く綺麗な道を歩いているような、ゆらゆら揺れる世界だ。



 どれだけ歩いたのか、気がついたら、すりガラスのはまった古臭い木造の引き戸の前にいた。
 ガタピシと音をさせて開いた戸の内側には、公共の建物のような大きなげた箱があって、頭上には裸電球、足元にはたくさんの靴が転がっている。

 ほとんど抱えられた状態で子供のように靴を脱がされ、歩くとへこんできゅうきゅう鳴る暗い廊下を進み、狭くて急な階段を上って、ふらふらしながら二階の一番奥の部屋に入った。
 かちん、と音がして真っ暗な部屋の中がパッと明るくなったけれど、電気がついているわりには薄暗い。

 ぶら下がる紐を引っ張って明かりをつけたおっさんは、おれの顔を覗き込んで「ん、起きてるな」とうなずき、茶色く変色した畳の上に降ろされた。
 毛羽立った畳に触れた手のひらがチクチクするのを感じながら、あまり明るくない室内を見回してみた。
 格子になっている低い天井には、蛍光灯らしい中身が丸見えの照明器具がへばりついている。
 なぜか子供の頃に行った、祖父母の家を思い出した。

「すぐに暖かくするから、ちょっと待ってろよ」

 今でもこんな、和室一部屋の賃貸なんてあるんだなと、ほとんど家具のない殺風景な部屋の中を見ていると、目の前に影ができた。

「ん?……っぁ」

 顔を上げると同時に、顎を指で支えられて唇がふさがれる。
 冷たくてぬめる長い舌が口の中を動いて、気持ちいい。
 ほんのりと甘い味がして、その後わずかな清涼感を感じて、ジョーがミントでも舐めたんだろうかと考える。
 さっきも思ったけれど、ジョーの舌はとても長い。

「っ、ん、あ」
「なあ名前を教えてくれよ」
茂一シゲカズ薬研寺ヤゲンジ 茂一シゲカズだ」
「そっか、シゲな」

 見た目が十歳以上も年上の男についてきてしまった上に、キスされまくってるけれど、おれはこのままどうなるんだろう?と思いながら、ぬるぬると冷やされて甘やかされる口の感覚に酔いしれていく。
 男同士で、それも恋人でもない相手とキスをするのは初めてなのに、不思議と嫌悪感を感じなかった。
 
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